帰るべき場所
もう随分と鳴らなかった固定電話の呼び出し音がなった。
郊外一戸建て。一人で住むには広すぎる家の二階から、わざわざ一階まで降りて僕は受話器を取った。
セールスか詐欺かは知らないが、退屈な時間を潰すには丁度良かった。
やはり子機を二階に設置しようかとも思うのだが、親しい人間は携帯電話に掛けてくるし、行動範囲を制限すると掃除をしなくなる箇所もでてくる。
僕は綺麗好きなのだ。
こうして移動する時にも汚れていないかチェックを怠らない。
「はい、もしもし。水鏡です。ーーはい。ーーはい。ーーはい、分かりました。お願いします。」
・・・受話器を降ろして、僕は呆然とした。
生まれて初めての感情に戸惑っていた。
悲しみ。怒り。切なさ。愛しさ。恐怖。安堵。
そのどれでもあり、どれでもない。
ただわかるのは、僕は一人になってしまった。
僕のただ一人残った肉親が、昨日、死んだ。
アメリカのバイオテクノロジー研究所で眠る様に死んだ所を、今朝発見されたらしい。
過労死だそうだ。
子供を1人残して、海外まで研究にいくような親だ。
過労で死んでもおかしくはない。
でも、やっぱり悔しかった。
ポロポロと涙が出る。
毎月送られる生活費は、未成年には多すぎる額だった。
でも、お金より、一緒にいて欲しかったと思う。
僕が家を綺麗にしていたのも、無駄な出費を抑えて生活していたのも、全部全部、いつ帰ってきても良いようにだったのに。
実の息子より研究を選ばれたみたいでーー。
「マッドサイエンティストめ。」
ポツリと呟く。
記憶の中では、そう呼ばれるといつも胸を張っていたっけ。
畜生、思い出ばかりが溢れてくる。
クリスマスには必ずプレゼントが届いた。
去年は確かアメリカドラマのシーズン1を全巻。
ゾンビパニックで趣味悪いなと思ったけど、良いところで終わるから続きはわざわざ自分で借りにいったっけ。
シーズン6まで出てたから、どうせなら全部送れよって愚痴りながら、
ポップコーンとコーラを傍らに夢中で全部観た。
思ったより面白かったし、久しぶりに再会したら良い話題になるかなって。
それから、
それからーーーー。
「なんで死んじゃったんだよ。」
僕は泣きながら居間に移動して。
後は覚えてない・・・。
遺体が届いたのは電話が来てから6日後だった。
早いのか遅いのか僕にはわからなかった。
費用も手続きもほぼ研究所がしてくれて、必要書類なんかは言われるがままにしていたら、皆親身になって手伝ってくれた。
葬式をしようにも、親の交友関係なんて僕には分からないし、もうずっと海外にいるのだから知りようもない。
運ばれた遺体を、家に一晩置いて、明日になったら火葬場に行く。
ああ、気が重い。
言いたいことは一杯あった。
でもこの一週間でどこかへいってしまった。
残ったのは胸のモヤモヤだけだ。
一週間後には学校にいかなきゃ。
とか、
これからどうやって生きていこう?
とか。
こんな広い家で、ひとりぼっちは気が滅入る。
でも今学校に行っても上の空になるのは目に見えてる。
考えなきゃいけないことは山積みなのに、一つ一つが重すぎる。
階段を登ってすぐの僕の部屋から、飲み物をとりに一階に降りた。
階段を降りた所で、不審な気配を感じる。
玄関だ。
普段来客がない分、人が来るときはすぐ分かる。
遺体が届いたのだろうか?
それにしては車の音もしなかったし、複数の人間がいる気配もない。
遺体を背負ってくるわけでもないし。
しばらく動けずにいると、予想外の事が起きた。
玄関のドアが開いたのだ!
僕は混乱する。
ドアは確かに施錠したはずだ。
最近の日本は物騒だ。
親父臭いと言われても戸締りとお金には気をつけている。
強盗かも知れないと、反射的に思った。
身体が凍る。
心拍数が跳ね上がる。
だが、その次の瞬間僕は侵入者の一言にさらに仰天した。
「ただいまー。」
バツの悪そうな顔で家に入ってくるその人物の顔は確かに見覚えがある。
だが、記憶と実物が一致しない。
だが次の言動は、ほぼ間違いなく本人である事を示唆する。
「おお!那由多ひさしぶり!!おおきくなったなぁ!5年ぶりか?」
その人物は僕の顔を見ると一気に笑顔になった。
まさかとは思う。
まさかとは思うが。
僕の親はバイオテクノロジーの研究をしていた。
だからなのか。
若返っている様に見えるのは。
僕はカラカラの声を絞り出した。
「死んだんじゃないの?過労で?」
「うむ。どういう訳か生き返ったのだ。新しい体でな。若さの素晴らしさを実感しているぞ!」
屈託もなく笑うその人物にふつふつと怒りが湧き出てきた。
自他共に認めるマッドサイエンティストだ。
若返り薬位作るだろう。
多少・・・いや大分見た目が若返っても、この人の子供だから、いや、この人の子供だからこそ本人だとわかる。
それよりも何年も放置して置いて、悪びれもせずに身振り手振りで会話する姿が気に入らなかった。
僕が辛い思いをしてる間に、この人は若さを満喫してたのかと想像すると、怒りで目の前が真っ赤になった。
「今さら何しに帰ってきたんだよ!!母さん!!」
自他共に認めるマッドサイエンティスト。
バイオテクノロジー界の風雲児。
水鏡刹那(42)。
紛れもなく、僕の母さんである。