【風使い外伝】美山陽は夕日に笑わない(7)
ストーカー、いや『彼』は上履きのスリッパのまま、下駄箱を突っ切って校門へと駆けていく。
正体がわかった以上、慌てて追わなくてもいいようなものの――だけど、本人の口から理由を聞きたい。今すぐに。
そんな気持ちが私を突き動かす。
それにしても――速い。さすがに鍛えてきただけのことはある。
私の足じゃあ追いつけない。
それなら、足がダメなら……あれだ!
「用務員さん! そのホース、私が代わります!」
打ち水をしていた用務員さんに駆け寄る。五十代くらいの、人の良さそうな男性の用務員さんだ。
「え、いや――」
私の剣幕に戸惑う用務員さん。
「向こうで……向こうで、風見くんがまた器物損壊です!」
「な、またあの子かい! まったくもう。そんじゃちょっとお願いね」
そう言って用務員さんは私にホースを預ける。話が早い。
ごめん風見! 他に思いつかなかったんだもの。次に会ったときには少しだけ優しくしてあげるから。
――それにしても、普段の行い悪すぎるんじゃない?
イチかバチかだったんだけど、まさか用務員さんにまでそんな感じで受け止められているとは。
ともかく、私はホースの先をぎゅっと摘んで『彼』の背中を目がけて放射する。『彼』までの距離は二十メートル以上ある。普通なら届くはずもないだろう。
ホースを、そして水を使うのが私でなければ。
イメージは消防士。
強力な水流は岩をも砕く――いや、砕いちゃまずいけど。
ホースから一直線に伸びた水の束は『彼』の腰の辺りに直撃する。
ここまで聞こえる悲鳴を上げて、『彼』は前のめりに転んで止まった。
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「なんで盗撮なんてしたんですか、狩石先輩」
私は、花壇の縁に座り、しゅんと小さくなっている『彼』――狩石先輩の目の前に立ち、問い詰めた。
犯人は運動部だった。狩石先輩は一番でセカンドを務めていた。敏捷性や瞬発力は人一倍だ。
そして、私たち野球部は夏の地区予選で既に敗退している。つまり、三年生である先輩たちは、もう『引退している』のだ。部活中に何の制約もなく動き回れるはずだ。
来年こそ県大会で優勝だ、そんな会話を先輩と交わしていたのに。正直、ショックだった。
「それは――その……」
いつもの好青年っぷりは鳴りを潜め、覇気なく俯く狩石先輩に――盗撮うんぬんとは別のところで――私の中に小さく失望の気持ちが沸いた。
つい語気が強くなってしまうのはそのせいもあるだろう。
「先輩! せめてハッキリ言ってください。濡れ衣だったなら謝りますから」
目を吊り上げて私は言う。
「なんで雪絵を盗撮したりしたんですか」
「ち、違う――」
「違う? やってないって言うんですか」
「いや……そう、そうじゃなくて」
どうにも歯切れが悪い。どうかこれ以上、失望させないで欲しい。
「だから雪絵は――」
「そうじゃないんだ!」
急に顔を上げ、大声を発する先輩に気圧されて、私は一歩、後じさった。
「俺は……俺が好きなのはミヤマネなんだ!」
「は、はい?」
立ち上がって私を見つめる先輩の目には、何だか悲壮な覚悟が灯っていた。
が、すぐに肩を落として、またも座り込む。
「いや……だから。もう引退したことだし、告白しよう、告白しようと思って……後を付けるって言ったら、言い方悪いけど。タイミングを見計らって、でもミヤマネ、一人になることがなくって」
「? ――え?」
ちょっと待って、ちょっと待って。
どういうこと?
ええっと、雪絵のストーカーが狩石先輩で、その狩石先輩が私を――
じゃなくって。
「普通に、先輩後輩として話す分には――そりゃあ緊張するんだけど――何とか。でも、呼び出すとなると勇気が出なくて。そんで後ろ姿を見てたら、つい――その、写真を……」
「え? えええ?」
自慢ではないが――本当に自慢にならないが――私は正面から告白を受けたことがない。
これまでだって、うわさ程度に「あいつ、美山のこと好きらしいよ」みたいな話を耳にするくらいはあったけれど、告白されたことは一度もないのだ。
だから、えっと――
「昨日も、つい。でもこんなのはマズイと思って、そんで今日は、今日こそはちゃんと声を掛けようと思ったんだけど……お前が凄い剣幕で」
「あ、あはは……」
早とちり。
盗撮は盗撮でも、雪絵じゃなくて、私?
「ごめん! 本当にごめん! そんなつもりじゃなかったんだ、許してくれ!」
頭の上で手を合わせて懇願する先輩。
「も、もういいですって……」
「いやでも……」
顔を上げる先輩には、明らかに怯えた表情が浮かんでいる。
私はもう呆れるというか、脱力しちゃったというか。自分の勘違いも含めて、もはやバカらしくなっちゃってるんだけど――
「大丈夫です、誰にも言いませんから」
「でもお前……」
どうやら先輩には、まだ私が怒っているように見えるようだ。
それは仕方ないのかも知れない。
部活での私は、『笑顔モード』の私だ。狩石先輩は、今みたいな素の私を見るのは初めてで――しかもあんな風に追い回されたのだから。
「ですから。もう気にしてませんから」
「そ、そうか。……すまん、本当に悪かった」
そう何度も謝りながら、先輩は逃げるように帰っていった。
告白も――うやむやになったまま。
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「はあ……」
部活に戻って雪絵に報告するのも億劫で、私はふらふらと彷徨い、体育館横の階段に腰を下ろしていた。結局無駄な空回りをして、雪絵には余計な心配を掛けるし、先輩にも悪いことをしてしまった気もするし。
それに、人生初の告白があんな形で終わるのも、女子として悲しいものがある。付き合うとかそういう話は置いておいても、狩石先輩のことは普通に尊敬していたし、いい人だと思っていた。
もちろん、そうした気持ちが無くなってしまうわけではないけれど、少し苦い気持ちとともに思い出さなければならなくなることを、残念に思う。
「はあ…………」
もう何度目かのため息を吐いたところで、
「おい巨乳、『ため息吐くとバストがひとつ小さくなる』って言うぜ。ほら、もっと胸がデカくなるようなことを考えろ」
あいつの声がした。
なにその格言?
顔を上げると、案の定、ジャージ姿の風見が目の前に立っていた。
「……何であんたがこんなとこにいんのよ」
「お前こそ、マネージャーさぼりか?」
「違うわよ! 私は…………。まあ、さぼりは、さぼりね。あんたは?」
力なく訊く私に風見は、
「いや、それがよく分かんねえんだよ。部活してたら用務員さんが来てさ。『なに壊したんだ』って。そのまま連行されて……何だったんだろうなアレ」
「あ、あはは、何なんだろうね、それ。あはは」
しまった……すっかり忘れてた。
曖昧に笑ってごまかしたものの、迷惑をかけた人がもう2人いた事を思い出した。
用務員さんと、この男、風見爽介。
「なんか――ごめん」
「ん?」
風見に聞き取れないくらいの小声で謝ってみた。そうだ、少しだけサービスを。
「いや、いっつもごめんね、厳しく当たっちゃって、あはは」
初めて見せる会心のスマイル。今日くらいは苦手なこいつにも優しくしよう。
「んだよ、気持ちわりーな。何だ、フラれでもしたか?」
「フラれるって――違うわよ。ちょっと休憩してるだけ」
「あっそ」
「……ねえ、私って、そんなに怖いかな」
恐る恐る訊いてみる。訊いたところで何がどうなるわけでもないけれど、つい口から出てしまった。
「は? 何で?」
「いやほら、目とか……キツイってよく言われるし」
「別に? 可愛いじゃん」
「なっ! ――何言ってんのよ!」
慌てて両手をぶんぶんと振る。顔が熱くなるのを感じた。
「か、からかわないで! あ、あんたはいつも――」
「いやそりゃ、からかうだろ。嫌か?」
いつものやり取りのことを言っているのだろうか。でも今はそうじゃなくて――
「当たり前でしょ! か、可愛いとか……そんな風にからかうのは反則よ。な、慰めようとしてくれたんならそれはあれだけど……でもそんなの要らないから」
「そ。でも別に嘘ついてるわけじゃないぜ? 僕は思ったことしか言わない」
「え?」
心臓が一度だけ、大きく跳ねた。
「まあ何だ。僕の家には、『お姉様』という名の――魔王クラスのモンスターがいるからな。それと比べたら可愛いもんだぜ、お前なんて」
「…………」
そんなことだろうとは思ったけど……でも、あっけらかんとした風見の態度に、何となく救われる気がした。
「なによそれ……」
「そうだな、お前はあれだ。雑魚だ。スライムだ。スライム二匹分だ」
「スライム? 二匹?」
「ああ、ほら――柔らかそうじゃん?」
「何が……ってのは聞かないでおくわ」
「ほら、その胸の二つ、柔らかそうだし」
「言うなっつーの!」
両手をわきわきと、嫌らしく動かす風見。少しでもトキめいてしまっていた数秒前の自分をぶん殴りたくなる。水に流してしまいたい。
「はは、ようやくいつものお前だな。それがお前だぜ、マイ・ライバル!」
「ああもう。あんたがいつも『そう』だから私も『こう』なるのよ、まったく」
私は悪態をつきながらも、心が軽くなるのを感じた。
風見はバカだ。どうしようもなく、しょうもないバカだ。愛すべきバカですらない、ただのバカ。――でもきっと、私もバカなんだろう。人の目に怯えて、勘違いしたり、すぐに暴走してしまう。同じ目線でいられるから競争相手、ライバルなのだ。競い合っているのが心地いい。こうして言い争っているのが楽しい。
そう在ってくれて、嬉しい。
不本意だけれど、そして悔しいけれど。私にとって風見はそういう存在なのかもしれない。
「んじゃ僕は部活に戻るぜ」
「ん、私もそうするわ」
そう言って腰を浮かせた。
「落ち込んだときは僕に言えよ。揉みしだいてやるからな」
「絶っっ対に、あんたにだけは頼らない」
「水臭いこと言うなよ。僕たちの仲だろ?」
「そんな仲では断じてない! つーか、付いて来ないでよ」
「僕だってグラウンドに戻ってんだよ!」
そんな風にぎゃあぎゃあ言いながら。いつものようにやり合いながら、小走りにグラウンドへと向かう。陽は傾き、夕日が私たちの顔を照らしている。
隣で走る風見を見ながら、私は思う。
こいつは本当に――笑えない。
(【風使い外伝】美山 陽は夕日に笑わない(7) 終わり)
(美山陽の裏事情 了)