【風使い外伝】美山陽は夕日に笑わない(4)
昼休みの一番の楽しみは、教室で雪絵と机をくっつけ弁当を広げながら、野球部の話や、お互いの家族の話などに花を咲かせることだ。
私の弁当箱はワンボックス――という言い方でいいのだろうか、とにかく一段だけのよくある弁当箱――で、雪絵のは二段式の弁当箱。かける2。
この『かける2』というのは文字どおり、二食分の弁当箱を持ってきていることを指す。彼氏の分まで作ってきているとかそういう色気のある理由ではなく、単純に二食分の弁当を雪絵が一食で食べるのだ。
見た目に寄らないとは正にこのこと。こんな小柄なボディの一体どこに収まるのかというくらい、雪絵は大食いだ。これだけの栄養を摂取しているのに、なぜ全身に行き渡らないのだろうか……。
「……全部、胸にいっちゃってるのかな」
「ちょ、ちょっとひなちゃん、心の声が漏れてるよ!」
「え? ああ、ごめんごめん」
おっと危ない。まぁ女子同士、このくらいの軽口を叩くことはあるが、今は周りに男子も居るんだから。
こういう場で胸の事を……私のより一回り大きいバストの事をイジられるのは苦手なんだ、雪絵は。今のは私の失言だった。
「お詫びに私の唐揚げ、ひとついいよ」
「えっ! ほんとう? 嬉しい!」
……ちょろいなぁ。ニッコニコの笑顔で唐揚げを頬張る雪絵。
可愛い。ちょろ可愛い。同性の私が言うのも何だが、グッと来る。抱きしめて頭をよしよししたい。または、ほっぺたをぐにぐにしたい。
女子同士でランチといえば、おかずのシェアは珍しくないと思うかもしれないけど、このコの場合、迂闊に防衛ラインを下げると、どこまでも食らいついてくる(文字どおり)。
逆に雪絵に対して「それ美味しそう、ひとつ頂戴」なんて言うのも禁句だ。
うっかり口にしてしまうと雪絵は、この世の終わりのような、まるで『世界を救うために我が子を差し出さなければならない母親』みたいな、そんな絶望の色に染まった表情を見せた後、断りきれずにプルプルと震えるハシで生贄を差し出してくる(目は死んでいる)。
……友人にそんな苦しみを与えてまで食べてみたいおかずなんて、私には無い。だから禁句。
ちなみに、野球部のマネージャーの仕事は決して楽なものではないし朝だって早いのに、雪絵は毎朝この二食分の弁当を自分で作っている。
私のは冷凍食品を詰め合わせてプチトマトを添えるくらいだけど、彼女の弁当はほとんど手作りだし、しかも二箱あるそれぞれのおかずは、別の種類で埋め尽くされている。
今日みたいに朝練に付き合う日なんて、早朝4時くらいから作っているらしい。もちろん、前日の内に仕込みをした上で、だ。
「ほんと、食べるの好きだよねぇ」
「うん。食べ物のためなら眠らなくても平気だよ」
怖っ。実際、睡眠時間を削って弁当を作っているだけに、冗談じゃなさそうなところが怖い。
そういえば、大きな弁当箱にすればいいのに何で二箱なのか、と訊ねた事があるが、「だって、大きいのは恥ずかしい……」とかなんとか。
二箱の弁当箱、つまり都合四段分のおかずやらご飯が机一杯に広げられている今の状況は恥ずかしくないのだろうか。やっぱりどこかズレている。
「雪絵……あんた隙だらけなんだから、気をつけなさいよ」
「そんなことないよー。それに、気をつけるって何に?」
小首を傾げるその姿は小動物のそれだ。
「だから、特に恋愛関係。つーか、男子に。ほらこの前だって、A組のコから告られてたでしょ」
「あ……、中川くん?」
雪絵は、一ヶ月に一回とは言わないまでも、三ヶ月に一回くらいの割合で告白されている。それ自体はいいことなのだが、うまく断り切れない雪絵は男子から勘違いされやすい。
つまり、断ったつもりなのに相手からしたら気のあるように見えてしまって、その後もしばらく付きまとわれる……なんてことが何度かあったのだ。
芯のところは強いものがあるので、一線を越えられることはないが、そういう状況に陥ってしまいやすい。いや、作り出してしまいやすいというのは問題だ。
「断るときはきっぱりと断る。相手にも悪いでしょ」
「うん……そーだよね。分かってるんだけど……」
一気にシュンとする雪絵。とにかくオーバーアクションではないものの、感情が表に出やすいコだ。
「前もストーカー騒ぎとかあったしさ。……最近は大丈夫?」
「ん、だと思うけど」
歯切れが悪いな。
去年だったか、告白してきた当時三年生の先輩が雪絵に断られた後、隠し撮りだとか待ち伏せだとか、ちょっとストーカーまがいの行為に出てきたので、私と友人とで相手のクラスに乗り込んでいった事がある。
こういうことは早目早目に対処するに越したことはないのだ。
「いや気のせいだと思うんだけど、最近、マネージャーやってるときに後ろからカメラ? スマホ? のシャッター音が聞こえた気がしたり……」
「ちょっと! またあいつ?」
「いやいや、先輩はもう卒業してるし、校内でのことだし。それにほら、マネージャーのみんなで居たときだったりしたから、私とは限らないし……」
確かに女子マネは三人いるけれど、やっぱりモテるのは圧倒的に雪絵なのだ。
それに、私にはそんな音、聞こえなかったし。やっぱりターゲットはこのコって事になるだろう。
「……分かった。じゃあ犯人ぶん殴って来るわね」
席を立つ私。
「え、ちょっと? ひなちゃん? 犯人って」
私は迷わず、購買部でパンを買って教室に戻って来たばかりの男子生徒の席へ、つかつかと歩いていく。
そして、彼の机にバンッと右手の平を叩きつけ、目の前の犯人を問い詰める。
「雪絵をつけ回すのを止めるか、人間止めるかどっちにする? 風見」
その男子生徒……つまり風見爽介は、特にムッとするでもなく、挑発的な、そして挑戦的な視線を私に向け、
「ほほう……何を言っているのかは知らないが、僕は特定の女子を追い回したりはしない。やるなら全校女子が対象だ。一人殺せば殺人犯、十人なら殺人鬼――しかし、百万人を殺せば英雄になれるんだぜ?」
「何を物騒な事ほざいてんのよ」
殺人犯って。私は今、つきまとい行為について話をしているのだ。しかし、風見は続ける。
「ならば言い方を変えよう。2人の女子と付き合えば三角関係で角が立つが、それが十人、二十人と増えるとだな、次第に角が取れて円になり、やがて争い事はこの世から消え去る――そういうことさ」
「絶対に『そういうこと』じゃないと思うけどね…。あとその台詞は素足に革靴を履いてから言いなさい」
確かに、言い回しは若干物騒では無くなったけど、それでも世間をお騒がせする系の発言だ。
『不倫は文化』みたいな事を言う大人の迷言を引用しないで欲しい。確かに上手いこと言ってる様な気持ちにさせるけど、それをやり始めたら婚姻制度とか根幹から揺るがされるに決まってる。
少なくとも一夫一妻制を撤回せねばならない日が来てしまうだろう(こいつの場合はそれこそが真の目的かもしれないけど)。
「ええっと、だから。雪絵をつけ回してるのはあんたじゃないってこと?」
「いやだから違うっての。大体、僕ならもっと直球で行くに決まってるだろ」
確かに、タイプで言うならそうかも…。
「そ、そうね、悪かったわ。あんたは背後から忍び寄る方じゃなくて、正面から迫り来るタイプの変態だもんね」
「その言い方だと僕、裸でコート羽織ってない?」
そんなやり取りをしていると、渦中の雪絵がととと、っと歩み寄って来た。
「もう、ひなちゃん。風見くんそんな事しないってば。それに、そもそもそうだって決まった訳じゃないんだし……」
「そういうことだから付け入れられるのよ。去年のだってそうだったでしょ」
「ん? ああ、そういえば、そんな事あったよな」
と、風見。
……そうだった。去年、私と一緒に先輩の所へ乗り込んで行ったのはこいつだった。
当時、雪絵と風見は同じクラスで私は隣のクラスだったから、風見のパーソナリティを十分には知らなかった。
だから、私と雪絵の会話を耳にしたらしい風見が、一緒に乗り込むと言ってくれたとき、流石に上級生の教室に女子一人で乗り込むのは勇気が必要だったので、ホッとして、「男気のあるいい奴じゃん」とか、今にしては不覚な感想を抱いてしまった去年の私だった。
「そーだよ、ひなちゃん、風見くんは助けてくれたんだし。それに、部活中だったんだから、陸上部の風見くんな訳ないよ」
「うぅ、そう……ね。風見、私の早とちりだったかも。ごめんなさい」
こいつに頭を下げるのは悔しいけれど、流石にこれは私が悪かった。雪絵の事となるとすぐ頭に血が上ってしまうのは私の悪い癖だ。
このコが守りたい気持ちにさせる雰囲気を醸し出しているという理由だけでなく、私自身、中学の頃に雪絵に助けてもらった恩を、どんな形にせよ返したいという気持ちが確かにあるのだ。
とはいえ、いくらそんな気持ちが私にあったところで風見を疑っていい理由にはならない。それにそもそも、こいつだって女の天敵ではあるが悪事を働くタイプではないのだから。
と、珍しく殊勝な態度になりつつあった私に、風見は言う。
「違う。謝り方が違う。ほら、さっさと上着を脱げ、謝罪の基本だろ。両胸をグッと寄せて僕の方へ前傾姿勢を取れ。そしてこう言え。
『私の罪はこの胸の谷間よりずっと深く、この双丘より大きく重いものです。ですから、これから十年間、風見様に弄ばれる為だけにこの胸を育てていきますので、どうかご容赦ください』……だ。義務教育で何を学んで来たんだこの巨乳」
「……ふっっざけんなバカ!!」
風見が購買で買ってきたドーナツを顔面に投げつける。
もはや、気の利いたツッコミなんて私の口からは出なかった。
(【風使い外伝】美山 陽は夕日に笑わない(4) 終わり)