【風使い外伝】美山陽は夕日に笑わない(3)
この能力、水使いとしての能力の、水遊び以外の意義を見つけようとして家の中をぐるぐるした(ちょっと家族に不審がられたりもした)。
そして考えついたアイデアのひとつは雑巾拭き。乾拭きじゃなくて水拭き。
含まれた水を操作することで、間接的に雑巾を動かしていい感じに拭き掃除に利用することができる。ルンバ要らず。
ただ、家族に対してだってこんな超能力をオープンにするつもりはなかったので、使えるのは一人のときだけだった。それに結局、掃除機の方が便利な気がするので、使う機会はほどんどない。学校でなんてもっての外だし。
あとは料理かな。
包丁を使わなくても、ウォーターカッターさながら、水に勢いを付けて食材を切ればいい。ただし、たまにさじ加減を間違えて、まな板まで切ってしまうので注意が必要だ。
特に便利なのは野菜を切るときで、植物――とりわけ水分を多く含む野菜なら、その水分で野菜の内側から切り裂くなんていう芸当も私にはできた。
人間を水と思うことはできなくとも、食材としての植物なら問題ない。
他には、お湯を沸かすのもオッケー。沸騰とはつまり、分子の運動なんだから、水を構成する分子のひとつひとつを激しく揺さぶってやれば一気に沸点まで持っていくことができる。野球部のマネージャー業務で「早く麦茶を沸かさなきゃ」ってとき、たまに使ってしまう。
とまあ、このくらいのレベルで能力を活用しながらも、取り立てて積極的に使うべき能力でもないので、私は普通の女子高生として日々を過ごしている。
今の私を表すものは、攻撃的なツリ目、オレンジがかった髪を束ねたポニーテール、そしてこの『水使い』の能力だ。
■ ■ ■
「お、ミヤマネ、ワラビー、おっす!」
夏休みも目前に迫った七月のある日。朝練のお茶出しを終え、教室に向かおうと下駄箱で上履きに履き替えていた私と雪絵に、三年の狩石先輩が声を掛けてきた。
「あ、先輩、おはようございます!」
「狩石先輩おはようございます」
私と雪絵がそれぞれ笑顔で挨拶を返す。
狩石先輩は野球部で一番セカンドを務めていた名内野手だ。背はあまり高くないが、それでも野球部で鍛えられてきただけあり、体の厚みはしっかりスポーツマンだ。
雪絵ほどではないにせよ、爽やかな笑顔が相手に好印象を与える好青年といった感じ。
ちなみに、部内で私は『美山マネージャー』が転じて『ミヤマネ』、雪絵は名字をもじって『ワラビー』と呼ばれていた。
安直すぎる気もするけど、ワラビーと呼ばれる雪絵は、愛玩動物並みに見ていてこっちが幸せになりそうな雰囲気を持っているので、偶然であっても言い得て妙と言えるかもしれない。
「二人とも働き者だな。もっと一年に任せてもいいんじゃないのか? 男も居るんだし」
この四月から我が野球部には男子マネージャーが入った。一年の桂木くん。
野球部のマネージャーに男子というのは珍しい。
彼は元々はプレイヤーだったけれど、中学のときの故障が原因で辞めざるを得なくなり、それでも野球には関わっていたいという――こう言っては不謹慎かもしれないけど――なんだか立派な後輩だ。
彼と私たち、そして一年女子がもう一人で、四名体制のマネージャー陣で選手をフォローしている。
下級生である彼らに任せてもいいだろう、という狩石先輩の言も最もだけど、
「そうなんですけど、そうじゃなくても桂木くんには色々と力仕事をお願いする場面が多いですから。頼ってばかりはいられませんよ。来年こそ県大会優勝目指して、私たちだってレベルアップしなきゃですしね」
と思う私だった。
「へぇ、いい心掛けじゃん。頼もしいね。さすがミヤマネ」
あ、そういえば、と雪絵。
「狩石先輩、皆さんにアンケート取ってるんですけど、練習のとき『レモンのはちみつ漬け』って、夏場はどうです? マネージャーの中では『アリ』なんですけど、皆さん正直なところどうかなって。もっとサッパリなものがいいですか?」
そう、マネージャーの間では、甘さと酸っぱさの絶妙なバランスは高評価だけれど……汗を掻いてベタベタになった選手たちにとってはどうなんだろう、と思って聞いて回っている。そろそろ夏休みだし、夏場の練習も熾烈を極め出す時期だ。
男子マネージャーの桂木くんも『アリ』派なんだけど、彼は根っからのスイーツ好きだから女子票に限りなく近い。
「ん? ああ、俺は『アリ』だぜ。でも塩飴もいいかなぁ。塩分を補給するっていう、なんかその直接的な感じが効いてる気がして」
「ああ、やっぱり塩飴派も多いですね。ありがとうございます。やっぱり両方かな〜、ひなちゃん」
と、狩石先輩のアンケート結果を受けて私の方を見遣る雪絵。
「そうね、塩飴なら安上がりだし、両方でも大丈夫でしょ」
「はは、やりくりも大変だな。ま、頑張れよ」
と爽やかに笑って教室へと向かう狩石先輩。
野球部の面々は、一見、暑苦しくて男臭いけど――みんなその分、熱くて爽やかな頑張り屋さんだ。だからこそ、頑張り過ぎて倒れてしまわないよう私たちも支えられるところは支えなければ。
汗だくで練習している姿を見ると水使いの力を使って打ち水でもしてあげたくなる。上手く操作すれば、選手たちがグラウンドにいる状態でも選手を濡らすことなく、水を撒けると思う。
だけどまあ、そこは普通にホースでの水撒きで我慢。
よし、放課後も頑張ろう、と決意を新たにする私。
「ん? そこの巨乳は、なに朝からガッツポーズ決めてんだ? バストサイズが1つ上がった喜びに打ち震えているのか? 二次性徴もほどほどにしとけよ。あ、蕨野も、おはよう」
――と、朝の爽やかなテンションに浸っていたところに、冷水を浴びせるが如く私の天敵、いや宿敵が登場。
文脈から察するに、私に対する『それ』は、つまり『おはよう』と言いたいのだろうか?
風見爽介。
歩くセクハラマシーン。変態の粋を集めた最低傑作。デリカシーを前世に置き忘れてきた欠陥男子。残念なことに、私のクラスメイトだ。
「あ、風見くん、おはよう」
そんな変態にもきちんと笑顔で挨拶を交わす私の親友。
そんなだから男子が勘違いするんだって。雪絵は隙があるというかなんというか、みんなから好かれるのは良いことだが、特に男子、殊更、風見みたいな危ない奴に好かれる傾向がある。私が守らねば。
「ふん、朝っぱらから無駄に元気ね、風見。そんなに有り余ってんなら朝練でもしてくれば? そんで昼ぐらいまで教室に帰ってくんな」
辛辣すぎるように見えるかもしれないがこいつ相手にはこの位が丁度いい。
「はん。僕という素敵で素晴らしい人間はな、毎朝、人知れず善行を積んでいるのさ。凡人の尺度で測るんじゃねぇよ。揉むぞ」
……ほら。何を言ったところで焼け石に水なのだ。
「ふふ、二人とも朝から仲良しだねぇ」
なんて、雪絵が的外れなコメントを口にする。
こんな何の足しにもならない罵倒の交換劇が仲良しに見えるというなら、雪絵の価値観は相当世間ずれをしているとしか言えない。実際、ぽややん、として間の抜けてるところはあるし。
そういうところが、私を含めた周囲の人間の庇護欲を掻き立てているのだと思うけど。
「行こう、雪絵。こんなのに構うだけ時間と青春の無駄よ」
「おやおや、悪いが進むべき道は僕も一緒なんでね。お前に何と言われようと、僕はお前たちのことを守るぜ。そっと、包み込むように手取り足取り守ってやるぜ。何が何でも、目的地まで僕が送り届けてやる!」
朝から面倒臭いドヤ顔で絡んでくるんじゃない。
「付いてくんな! 外道は外道らしく他の道を逝きなさい!」
と、吐き捨てるように言う私。
『一服の清涼剤』という言い回しがあるが、私の概ね涼やかな青春の中には、こいつみたいな『一服の毒薬』が存在している。これはもはや、適度なスパイスだと折り合いを付けるしかないのかもしれない。
そんな風に、この一学期を通して諦めつつある私だった。
(【風使い外伝】美山 陽は夕日に笑わない(3) 終わり)