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蹂躙せし魔王の異世界譚  作者: 音無蓮
第三章 死神の魔踏祭
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第49話 幸先の悪い始まり

 血反吐が空を舞う。

 次いで、慈母星・フレイヤがきりもみ回転の後、瓦礫に顔面から転がり落ちる。


 血雫がまたしても空へと飛散し、舞い上がる。

 フレイヤは喀血の後、マリアを睨み返す。

 吐かれた血が瓦礫を赤黒く染める。

 呪いでもかけてくるような鋭い視線が、彼女の思考を激情が支配したことを物語る。


「お、のれ」


 震えた声は、確実に外気を凍てつかせている。

 操り人形のように、不自然かつ乱暴な動きで無理矢理、身体を起こそうとする。

 だが、叶わず盛大に倒れ込むフレイヤ。


 怒気が一斉に射出される。

 彼女が纏う雰囲気、オーラが一斉に噴火する。


「おのれおのれおのれおのれおのれぇぇぇ!! 何たる侮辱ぅ! 悪辣なる恥辱ぅ! 凄絶たる凌辱ぅ! よくもよくもよくももももももも、ワタクシの純潔な肢体を、キズモノにキズモノにぃぃぃぃ!!」


 狂乱。

 その怒りのベクトルの方向は些か間違っているように聞こえる。

 そんな、如何にも哀れな風貌の女性に冷酷な瞳で返したマリア。

 既に脅威は排除されたと判断した彼女は、未だ狂乱から醒めぬ女に背を向けた。

 勝利宣告としては、充分な態度だった。


「さあ、今のうちに逃げてしまおう、ロキ、フィオナちゃん」


 振り返ったマリアを待つのは意識不明のシグルーンを背負ったロキ。

 そして――未だにフレイヤから目を離さないフィオナ。

 その光景は明らかに異様だった。


 既に背を向けて逃走の段階に入ったことから、ロキも恐らくフレイヤを脅威と認識していないだろう。

 マリアも同じく、だ。

 脅威と認識した敵に背を向けることは戦闘時において論外な行為に値する。

 姑息に、不意打ちでもされたらそれで全てがお終いだからだ。


 だが、現状においてフレイヤを敵視すること自体、まずあり得ないことだった。

 狂った人間は理性的に事を進められない。

 本能の赴くまま、好戦的に戦いを貪る。


 戦法がない――ということは、表面上、不規則な攻撃、予測できない攻撃だから対応が困難、そして幼稚な連想ゲームのように、苦戦を強いられるという結論に至る。


 だが、考えを改めてみよう。

 不規則な攻撃とは、裏を返せば諸刃の剣だ。

 好戦的にガンガンと敵を斬りにかかる。

 しかし、防御に関していえばがら空きだ。

 理性不在の中で、二つの動きを同時に為すには、心身共に気の遠くなる程、習練が必要となる。


 そして、この女――フレイヤがそれ程の習練に励んでいるとは到底想像できない、というのはマリアの言だ。故に脅威とは認定されない。


 ――――だが、それでも、フィオナの視線は固まったまま。


 心なしか戦闘前よりも表情が険しくなっているようにも思える。

 まるで、何かを見落としているような錯覚だ……ロキはふと呟いていた。

 あからさまな異変。

 その空気を、瘴気とやらを感じ取ったのだろう――直後、意趣返しの反駁がマリアの背へと手を伸ばす。


「――ッッ!!」


 蛇? 腕? 双眸? 鱗?角? 異貌? 獣? 


 思考が交錯する。

 肩越しに、見落としていた脅威が姿を現す。

 一言で例えるなら魔獣だろう。

 蛇のように長く、人の腕程の太さの蛇。

 頭蓋から水牛の様な曲折した角が生えており、透明の鱗を纏う。

 魔獣、いいや、幻獣という例えの方が確かかもしれない。

 心臓を逆撫でする様な眼光にマリアの膝が硬直しそうになる。


「一体何が……」

「マリアちゃん! 上ですよ!」


 唐突な警鐘は身構えていたフィオナからだ。

 まるで、この現象のことを以前から知っていたかのように冷静沈着な判断だった。

 見上げることをせず、マリアは三歩前へ。

 地を蹴りターン。

 残心を残し即座に腰の魔導剣を引き抜く。

 砂埃を立てて地面へと潜りゆく線上の幻獣へと突きの一撃。

 空を穿ち、幻獣の腹に突き刺す。

 貫通。

 加えて、マリアの背後に迫っていた蛇のような幻獣は頭蓋から正中線を貫かれ串刺し状態だ。


「これは一体何なの……?」


 焦燥を見せるマリアの額では冷や汗が滞ることなく流れている。

 突如として襲ってきた二体の獣。

 タイミングを僅かにずらしながら、狙いをマリアへと向けていた。

 これを偶然だと誰が言えようか。


「マリアちゃん、このまま戦ったら危ないですよ?」

「フィオナちゃん、これはどういう……」

「すいません、後々話しますが、今は少し時間をください。――“あいつ”が起き上がるから」


 それが合図だった。

 瓦礫の山で嗤い狂っていたフレイヤが起き上がる。

 前かがみだからか、髪が顔の前に降りかかり、幽霊のような印象を受ける。


 同時に、マリアは悟った。

 死の臭いを。

 前世に感じた、トラウマの様な死の臭いを。


 髪で隠れた顔貌がどこまで歪んでいるのかなど分からない。

 ただ、ただ精神を磨滅させた獣の如くぶっ壊れた懇願と殺意のみが。



「死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね死ね許さない許さない許ささなないゆるゆるるさなな死ね死ね壊れれろ壊れろわれ死死死死死死死死」



 呪詛が垂れ流しになる。

 その姿は、人ではなく死神。

 欲に塗れた豚とも取れる。


 ガクリ、とマリアの膝から力が抜ける。

 その眼前、何故だろう――覇気に満ちたフィオナが仁王立ちだ。


 一番背後のロキがその情景を異様に思わないはずはなかった。


「マリア、下がっておけ。シグルーンの治療を頼む。――嫌な予感しかしないからな」

「――その心配なら結構ですよ、変態さん」


 再び前線に立とうとするロキを制止したのは他でもないフィオナだった。


「仕方ないですが、今回は緊急手段を使いましょう。少しばかり、あたしの精神を摩耗させますが」


 淡々と述べるフィオナに最早、ロキは絶句だった。


 何を、する気、だ? 


 彼女の真意が汲み取れない。

 故に。――次の瞬間起きた現象についても無理解を禁じ得なかった。


「我らが神の加護――我らが安寧世界を招来せよ――ッッッッ!!」


 極光がロキの視界を包む。何が起きたのだろうか。

 その答えに至る考えは未だに浮かばず。







「ちぃっ、逃げられましたわぁねぇ。――本当に不覚だわ」


 滾る己の欲を吐く。

 フレイヤの冷淡な口調が散開した瓦礫の山々で静謐に消えていく。

 またしても、逃げられた。

 これで二度目の失敗だ。

 ああ、教皇様に何と申し上げたらいいか。

 もしかして、このまま捨てられたりしないだろうか。


「怖い――怖い怖い怖い怖いこここここわわいいいい」


 壊れた人形の如く、震えるフレイヤ。

 愛に溺れて、愛に縋り、愛に壊され、愛と運命を共にする。


「愛を司りし慈母星として、愛が無くなるのはぁ、死活問題なのよぉね」


 しゅるり、と地面を這う音があった。

 先程マリアに貫かれた幻獣は無傷の状態でフレイヤの元に帰還する。

 そして、フレイヤの眼前に集まったかと思ったら、一瞬で霧散した。

 透明な鱗が空気と同化したかと思うと全体が姿を消す。


「これもまた、“空気への愛”がもたらした主従関係というものねぇ」


 慈母星からは、愛が取り外せない。

 対等で結ばれし関係だ。


「それに、ワタクシがあえて攻撃をしなかった――“他者への愛”と“平和への愛”があの餓鬼の攻撃を無効化し、身を封じた。さらに言えばこの場の破壊は、“静寂への愛”に起因したものなのだけれどぉ」


 愛が全て、フレイヤを勝利に導く。

 その愛の最上に教皇との相思相愛絶対愛が存在しないと発動しないフレイヤの固有術式ユニークマギクス

 その名は。


「結婚《motrimonium》、この世に存在するありとあらゆる愛という概念を味方につけしワタクシの術式。さて、今度はぁ、――誰に愛を手向けようかしらぁ」


 くすり、というささやかな笑みは周囲の血肉を味方につけるような艶然としたものだった。







第49話 幸先の悪い始まり







「助かった……のか?」

 

 眩い光の先。

 気が付けばロキの身体は魔踏祭会場――学院特別闘技場(魔踏祭専用闘技場)が眼前に屹立していた。


 アーチが縦に三つ連なり、それらが同心円を描く。

 赤茶色の煉瓦造りには古木から使われていたのであろう、風化箇所が多々見受けられる。


 現場には重くピリピリとした雰囲気が常時垂れ流しの状態だ。

 これが年に一度の祭典に懸ける学生達の闘志の結晶だ、と言わんばかりの覇気が一点――魔踏祭に集結している。


 人ごみを為すのは学生が大半。

 選手――学生の入場が魔踏祭では先決だ。

 直にこの人混みも今日を待ち侘びた全世界住民によるものへと変貌を遂げるだろう。


 だが、今はそんな人だかりに気を逸らしている場合ではない。

 恐らく、先程フィオナが繰り出したのは、空間転移系の術式だ。


 シグルーンを担いだままのロキは、へたれ込んだまま転移させられ、石畳の上で依然震えているマリア、術式の利用で言葉通り精神を擦り減らし、ふらついた様子のフィオナを先導し、闘技場の裏手、影に覆われ人目に入らない場所へと移動した。


 シグルーンをその場で寝かせる。

 ロキは自らの学生服を枕代わりにして、シグルーンの首を支えた。

 フィオナに関しても、意識がはっきりとしていなかったので、こちらは膝枕にしておくことにした。

 する方もされる方も不本意だったが、この際、気にしたら負けだ。


「後で借りを返させようと……しているので、すね? 何でも、させてし、まう、んですよね……? やっぱり、へんたい、さんだ……」

「勘の良くて口が悪いガキは嫌いだ。いいから寝てろ」


 揺蕩う意識の中でもロキを罵倒できるフィオナの図太い精神とドS精神に屈服するしかなかった。


 シグルーンとフィオナから心地よい寝息が聞こえる。

 そして、ようやく今まで無口を貫いてきたマリアが口を開いた。


「……無謀な、相手、だったよ。やっぱり、怖かった、よう……ロキ……」

「ああ、怖かったな。――怖がらせてしまったな」


 抱きかかってくるマリアを優しく受け止め、宥めるロキ。



 慈母星、フレイア・ディアノーグルとの戦闘は、敗走に終わった。

 それも無惨なまでな大敗を喫した。

 これ程の雪辱はないはずだ。


「それもこれも、俺が弱いのがいけない、んだ」


 それは、独り言。


 自分を鼓舞するための文句。

 だから、誰も反応しなくていい。


 ――これは、俺だけの問題なのだから。


 それはあまりにも独りよがりが過ぎたのかもしれないが。

 それくらいの責任や信念を誰かに委託するような性根をロキは持っていない。

 ――持っていないのだが。


「全部、全部背負い込んで、そんなロキを助けられない、わたしの、方が、全然……ぜんっぜ、ん」

 


 ――弱いよ。誰にも勝ることなくただただ貧弱だよ。



 泣きじゃくり、嗚咽を漏らしながらロキの耳元で囁くマリアの姿は、何とも儚く、それでいて――ロキを弱さの深淵へと誘う言葉に等しい。


 幸先の悪すぎる始まりだ、今日は。


 どうか――こんな厄日が今日だけでありますように。


 抱きしめあう二人。

 考えるは明るい未来。


 あの慈母星とやらに己をぶち壊されないように、願うのが彼らにできる唯一の回避方法なのかもしれない。藁をも縋る勢いで、祈り、祈り――願いで心を満たす。


 それは、過去の理想像とは明らかに懸け離れた姿だ。


 ロキが過去に浮かべた理想とは、一体なんだったのだろうか。


 ――そんなこと、思い出したところで、何の話になるんだよ。


 自棄になって自問自答。

 もう既に圧倒的な力を誇る魔王は存在しない。


 たった一度の敗北がもたらしたのは、堕落。

 負けを許容してしまう自分に気が付けない時点で、もう――魔王の名を騙る権利は皆無。


 残されたのは、――負けるしか無いのではないか?


  という自己への失望。


 暗く、暗く淀んだ心裏の底で、何か、破壊されてはいけない何かが音を立てて崩れ始めた――。

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