第46話 Prologue/神との(不本意な)遭遇
プロローグラストです。
――まず、抱いた感想は何故、少女が追われているか、ということだった。
第46話 Prologue/神との(不本意な)遭遇
魔踏祭一日目、開幕は正午。故に少年――ロキには多少ながら自由時間が設けられていた。とは言っても、緊張を解すための時間が与えられているわけではないし、別にそんな時間は不要だった。緊張はない。ただ、興奮というスパイスが彼の闘争心を沸立てている。
公国市街地に降り注ぐ陽光はギラギラと激しいものだった。右腕で庇を作りながら人の波を進んでいく。祭りの前に軽食を――と、約束をしているためだ。
魔踏祭――ユグドラシル聖術学院最大のイベントとされる祭典。参加するのは学院生全員。聖術や魔導、武術、そして剣術を駆使し戦闘する、というものだ。
一回戦のバトルロワイヤルに始まり、二回戦から準決勝までトーナメント。そして、決勝まで勝ち進んだ五人により、再びバトルロワイヤルが執り行われる。
毎年、決勝戦の盛り上がりは尋常じゃないらしい。公国民はもちろん、国外からの来場者も数え切れない。会場となる、学院特別闘技場(魔踏祭専用闘技場)は人エルフ獣人族エトセトラの多種族民の歓声で震撼するらしい、比喩なしに。
無論、新入生のロキにとってそれらの情報は伝聞のものでしかない。ただ、字面だけ聞いても魔踏祭の盛大さや凄味が伝わってくるあたりがその祭典の魅力なのかもしれない。まあ、百聞は一見に如かずとはよく言うものだ。実際の盛大さは想像を遥かに超えることだろう――などと、ロキの期待はいた。
――と、その時だった。
どすり、左半身に衝撃。
めり込む。
がはり、肺から空気が零れる。
目線を落とす。
それは少女。
ブロンドの髪がせわしなく揺れる。
それはまるで困惑に溢れているような印象をもたらす。
琥珀色の眼光は、小柄でスレンダーな体格と相まって自然と猫を想起させる。 その額から無数に零れる脂汗。
眼光が煌めき、雫が散らばり霧散する。
涙、涙、涙。
その容貌や行動から、
「彼女は追われているのだろうか」
という結論に至ったのは早計だったか。否、前世の経験上――ロキが早とちりすることは皆無だった。
察しがよいのは、研ぎ澄まされた第六感なるもの故か、それとも――、(魔王候補になるまでの多忙な経験によるものか。
ともあれ、この少女が何かしらの危険に晒されているのは間違いないことだろう。
ならば、即決。
ロキは少女の手を取る。
一瞬、少女がビクリと震えた。
だが、構う暇はない。
追っ手とやらが迫っているならば、何事も理性的に順序良く考えていたらキリがない。故に、行動は制限される。方針は、逃げることにのみ。
刹那、ロキの身体が沈んだかと思うと、上方へ飛翔した。公国市街地は、ありとあらゆる商店が立ち並ぶ。ユグドラシルを囲むよう、同心円状に広がっている市街にそびえ立つおびただしい数の建物。
加えて、迷宮を思わせる道の数だ。追っ手を撒くのにこれ程最良な土地はない。ロキの身体が煉瓦造りの商店の屋根を捉える。横に広がるのは、均一な屋根、屋根、屋根。飛び降りれば、迷路が広がる。見下ろせば、追っ手とやらを判別することは可能だろう。
未だ、むごご、とロキの手中でもがく少女を他所に彼は駆け抜ける。ロキの疾走はまさしく天馬の勇猛果敢は走りだった。勢い殺さず、とりあえずその場から離れる。
――ふと。
「――!?」
鈍痛。腕が噛みつかれた。脈を喰らおうとしてくる少女の瞳には怒りが籠っている。それもそのはずだ。勝手に悟り、勝手に連れ出したのだ。驚愕の表情が顔を真っ赤にして憤慨しているあたり、順序を間違えたな、とロキは自省。少女の首根っこを掴み自分の前に吊るす。
「離してくださいっ、変態さん!!」
酷い言いがかりだ。不満げに息を漏らしてみる。その仕草がまた気に入らなかったのか。少女の憤慨は止まらない。
「一体何なんですか!? あたしがあいつら《・・・・》から逃げているところを急にぶつかってきて、あたしがフラフラしている間に強引に誘拐して! ……はっ、まさか! あたしを辱めるのですか!? 淫猥な官能物語のように!」
「待て待て、語弊しかない。俺の行動がそんな不審か?」
「もちろんです変態さん!」
「ですよねぇ……」
何というか失態が過ぎた。やはり、早計だったのかもしれない。――理由がなかったとしたら。
「一応勘違いだけはしないでほしいが、俺は君が追われているのを察して君に手を貸したのだが」
「手を貸す? まさか……これを言いがかりにしてあたしを卑猥な目に合わせるんでしょう!? 淫猥な官能物」
「いいから黙れ」
再び少女の口を塞ぐ。このままでは自分に不穏な噂が立つかもしれない。それに、少女にしたって大声を張り上げて利益があるとは思えない。ロキの不利益はまず確定している。
「誰かに追われているのは本当だよな?」
少女の口を塞ぎながら半ば強引に問うた。少女目線ではロキの姿が淫獣にしか見えていないだろう。打つ手なし、と言わんばかりに少女は諦めの表情を見せ、静かに頷く。ロキの算段は的を射ていたようだ。これでロキは無罪放免。
即座に少女の口を塞いでいた掌を離す。ぷはっ、と溜まっていた空気を掃き出し、新たな空気を取り込んだ少女。剣呑な表情を作るものの威圧感は微塵も感じられない。父性愛がはたらくようなそんなあどけない怒りの表情。
「あたしが追われていることと、変態さんがあたしを誘拐したことに因果関係はないはずですっ!」
「俺がわざわざ焦っているお前を助けたんだ。それが因果関係だ。意味は皆無。気が付いたら体が勝手に動いていた」
「気が付いたら、誘拐しちゃう系変態さん!? ふぇぇぇ……犯罪だよう……」
ロキの堪忍袋の緒が軟弱じゃなかったのが少女の運のツキかもしれない。
「とにかく、お前――必死そうだったからな……。助けなくてはと思ってしまった。済まない」
「えっ、え、そんな、即座に掌返しされるとは思っていなかったのに……」
先程までの剣呑な表情が打って変わり困惑へ。しどろもどろ、何も言い返せないで硬直した。しばらくして無言の均衡を崩すように小声が響く。
「べ、別に怒ってなんかないです……。こちらこそす、すいませんでした……うぅぅ」
成程、チョロい。内心でサド精神に目覚めかけるも、自制心で抑制するロキ。
「だがまあ――助けてしまったんだ仕方がない。とりあえず、今日中は公国騎士団に身元を引き取ってもらえ。あそこだったらあらゆる追っ手も侵入できないだろうからな」
最良な判断を下し、少女に手を差し伸べる。
「騎士団の詰め所に行けば引き取ってもらえるはずだ。さあ――行こうか」
「駄目なのです……」
途端俯いた少女。心なしか若干声が震えている。その理由をロキは理解しえない。何せ、遭遇して数分の少女だ。仲睦まじいわけではないし、互いの事情なんて理解できるわけない。理解しようともしていない。
「安全なのは分かっているんですが、駄目なんです……」
「どうしてだ?」
「それは、言えません。誰にも言うな、ときつく誓約したものですから」
これに対しては何も答えられない。無駄な干渉は、両者を傷つけかねない。だが、その他に道はあるだろうか。
「――って、いまさらですが、変態さん。その服装って、聖術学院のものではありませんか!」
「ん? ああそうだが。それがどうした?」
「今日って、確か――魔踏祭でしたよね?」
「ああ、そうだ。正午からだな。だから、時間は限られている。――いけない、約束もあったんだったな」
やるべきタスクが積まれていく。積んで、積んで、詰んでいく気がしてならない。だが、独りよがりは望めない。
「仕方がないか……。――お前、名前は?」
「名乗るときは自分からっ」
「成程むかつくガキだ。今ならこの屋根の上から突き飛ばせるんだぜ?」
「やめてやめてそれだけは!」
右足をゆっくりと振り上げるモーションに少女は過敏に反応した。要領は弁えているようだ。ならば、扱いは難くない、はず。
「あたしは……フィオナ、です」
「フィオナ、な。俺はロキ。見てのとおり、学院生だ。とりあえず、一時的にお前の身柄は引き取ることにするよ。強引かもしれないがな」
「……それだったら、問題はないです。だけど、卑猥な行為を迫るならば許せません」
「心配するな。――あくまで無干渉を貫くから」
差しのべられたロキの右腕を少女――フィオナが掴む。重心がロキへと伝う。抱きしめられるような姿勢に恥ずかしさを覚えたのは彼女自身の胸の内に隠された。頬が暑くなるのは隠せなかったが。
得体のしれない男、だけど悪い人ではない。
悪い人ではないけど変態さん。
それがフィオナの抱いたロキの第一印象だ。変態さんであることには変わりはない。異存は認めない。
悪い人ではない――こちらは今後の行動次第で依存を認めるかもしれない。
得体のしれない少年は勝手に追われている身のフィオナを助け出し、厚遇している。出来過ぎた話だ。どこかに裏があるのだろう、と薄々勘付いていた。人を見る目だけは長けている――それだけが彼女の取り柄だった。
自分の特性――半神であることは取り柄とは言えない。寧ろ、呪いに近しいものと定義づけている。
フィオナの手を取り、空中を疾駆する少年。淫らな心は表層からは感じ取れない。
(あくまで表層からは、だけど心の奥底に眠る、どす黒く流動した卑猥な精神は行動からも察しづらいからね……)
実際、フィオナの中ではロキはまだ半信半疑の存在でしかない。敵か味方か、味方か敵か、紳士か獣かケダモノか。その真相は神のみぞ知る。――まあ、半分神であるフィオナが知らないのだから神でさえも知らないのだろう。案外、神々は万能じゃないのかもしれない。
(ともかく、これでひとまずあいつらは撒ける。その要素だけあれば文句なし。あとは)
ロキの横顔をじっと眺めながらフィオナは画策する。
(あいつらを倒すための手駒になってくれたら、感無量)
所詮は人だ。神であることを知らしめれば容易に自分の要望に従うだろう。安直で幼稚な考えだが、過信ともいえる自信が彼女の精神を浸していた。人を手駒としてしか扱えないあたりが、神たる所以なのだろう。
(ともあれ、あたしはツイていたようだね。こんな立派な騎士様を雇えたんだから)
クツクツと狡賢い笑みを見せる少女は、相貌こそ幼げだが――やはり、神としての才覚を併せ持った人間と乖離し、超越した存在なのだろう。
虚空に、少女の笑みが雲散する。
儚くも、ロキにその微笑が届くことはなかった。




