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蹂躙せし魔王の異世界譚  作者: 音無蓮
第三章 死神の魔踏祭
44/50

第44話 Prologue Side:B/背反の徒

第44話 Plorogue Side:B/背反の徒







※ ※ ※


 或いは、背反する者の、始まり。


※ ※ ※







 ユグドラシル公国の更夜。漆黒を彩る一対の月。白く揺らめく光は、ぼんやりとしている。天空に浮かぶ星々は、研磨された宝石の如く光輝している。幻想的な夜景、と称すべきだろう。人工物ではなく自然が形象する一瞬を切り取った宝石箱。闇夜が星々の煌めきを力説している。そんな絶景。


 ふと。宝石箱の夜を駆け抜ける影があった。


 スレンダーの体躯、しかし、胸の丸みを帯びた膨らみから明確に女性のシルエットだと判別できる。細剣のように伸びた両脚でリズムよく跳ね上がる――建屋の屋根を。


 ガタリ、ガタリと危なげな音を立てる足場。普通ならば足が竦んでも可怪しくない。だが、そんなことはいざ知らず、スキップでもするように悠々と飄々と跳梁している女。肝が据わっているというべきか、無神経というべきか。


「あぁーあ。もう片方をのがしちゃうなんてなぁ……、失態だよしっ・た・い」


 退屈そうな溜息を吐く女。月明かりに照らされ全貌が露わになる。短い袖、密着性が高い薄手の衣服羽織っている。胸元は大胆に開かれ、腰の両側のスリットからは腿の生肌が露見している。

 端的に言えば、艶かしい。

 だが、そんな扇情的なボディ以上に一際目立つものを女は背負っていた。


 棺。上部が凸状の細長いペンタゴン型。夜闇に溶けこむような烏青の色彩。簡素な十字架が描かれた開閉扉の上から何重もの鎖で拘束させている。


「これではまるで吸血鬼でも運んでいるようだわねぇ」


 歩みを止めず、ひたすらに目的地へと足を進めながら、率直な感想を独り述べる女。如何にも怠惰そうな表情だ。


「まぁ、それくらいに危険なんだしぃ、仕方が無いのかもねぇ」


 自分に言い聞かせるように、言葉を連ねる。


 ――まさか、まさか、こんな簡単に半身の片割れが手に入っちゃうなんてねぇ。人生何が起こるかわからないってものだわぁ。

 悪運強いって自負までしちゃう、この『慈母星』様だからかなぁ、任務遂行は馬鹿馬鹿しいほど過ぎてこれが罠なんじゃないかって疑心暗鬼が生じるんだけどぉ。


 恍惚な表情を浮かべ、見た目の淫らさを際立てるようにだらしなく笑ってみせる女――『慈母星』。


 満足そうな仮面の裏に隠れる感情はささやかな疑念とそれを塗りつぶすに足りる優越感のみだった。

 これで他の『五賢司祭』よりも一歩優位に立てる――それだけで、『慈母星』の心は満たされる。


 全てはかの『教皇』のためであれ、始祖神グランのためであれ。


 ヒュン、ヒュンと風切り音を鳴らす。足元に上昇気流を発現させ、跳躍を補助する。無詠唱でも顕現できるほど容易な術式だ。『慈母星』にかかれば無数に無尽蔵に創りだすことが可能だ。徐々に公国市街地中心部へと近づいていく。


「えーぇと、」


 加速する移動の中で、困ったようにふぅん……、と息を漏らす『慈母星』。表情が急速に不満へと変貌していく。加速の中で、彼女は呟いた――絶対零度を思わせる刺々しいアルトで。


「邪・魔・が・入・っ・た・の・かな・ぁ。……場違いだなぁ。至福のひとときを、邪魔しないでくれるかしらぁ――!」


 不満の膨張。嫌味の視線が睨みつける先には、空を駆ける女に焦点を合わせようとしている公国民が。その数――僅か三人。だが、機密案件故に外部への情報流出は避けておきたいところ。


 まあ、『慈母星』の場合、そんな些末事を加味した上で最愛の『教皇』の元へ辿り着く時間が遅れることは許されない。彼女自身が許さない。


 低空姿勢での移動から体を起こし、大きく開けた胸に左手をかざす。


 刹那、桃色の紋章が胸部の双丘の中間で光り輝いた。中心部の五芒星とそれを囲う五角形が胸に浮き出る。浮上した紋章に靄がかかったと思ったら、紫煙の如く、空気中へと舞い上がる。


 術の下準備が整った。故に術式が展開する。


「慈母の温もり――抱擁――伝播。固有術式『慈母星結界・寵愛の賜』、展開ッ!」


 桃色の煙が雲散霧消する。と同時に、『慈母星』を中心とした半透明の正方形が形成される。


 結界だ。範囲は――『教皇』へ続く道のりとその周辺――『慈母星』の姿が肉眼で確認できる領域まで。


 術の展開による速度低下はなし。屋根を伝いながら、ようやく、月明かりに照らされた目的地を視認できる距離まで迫っていた。尖塔の頂点に十字架のオブジェが屹立している。月光に照らされ、尖塔をかたどるステンドガラスが虹色に光り輝いた。


 そう、教会だ。


「さあ、急がないとぉ……! 教皇様がお待ちよぉ」


 寵愛の独り言が勝手にこぼれ出す。それほどの愛を注ぎ込んでいるという意だろう。結界の中心を誰にも邪魔されず駆け抜ける。彼女だけの赤絨毯が眼前に広がっている。終着点は、『教皇』だ。


「さあさあ、教皇様――ワタクシ、『慈母星』こと、フレイア・ディアノーグルがお戻り致しましたぁ!」


 ――屋根から飛び上がり、虚空で一回転。着地とともに教会の扉を開く。暗弱な光が光彩ごしに内部を照らしていた。メンバーは二人ほど欠如しているものの、既に他の五賢司祭は集結している。それに対しては、いささか不満だったが、感情を極限まで制御。愛の感情のみで、教皇へと満足な破顔一笑と、己の糧を――愛の賜物として朝貢する。

 寵愛故に。


「……約束の品、その片割れを奪ってきましたぁ、教皇様ぁ!」

「ああ……ご足労だった、フレイア・ディアノーグル」


 老いぼれの声が応じる。暗闇から浮き出るようにその人影は、実態と化す。藍色を基調とした修道服を羽織った老人が夜闇から姿を現す。肌を隠さんばかりに、四肢全体に広がったローブ状の修道服だ。


 首から掛けられた黄金の十字架は邪気を祓うための道具であり、『始祖神』への敬意を表明する証だ。


 人呼んで、“誓約十字”。

 神への忠誠を誓った者のみが身に付けられる宝具、護身の御守。


 老修道士は、目元を完全に覆う程にフードを深く被っている。鼻先まで伸ばされたそれは、生地が弛んでいる、解れている。ケバケバとした服装から察せられるに相当使い込んでいる。或いは服装に無頓着なだけか。


 何にせよ目付きだけは隠れていた。目は口ほどに物を言う、とは人の性だが、その悪用を防ぐための男なりの戦法だろうか。だが目線を隠したところで意味は皆無だったようだ――口角の上がり具合からして、歓喜の表情が見受けられるからだ。


 ――つくづく、表情の隠し方が下手なのかもしれないわぁ、またまた可愛い面みっけぇ……! 


 内心の歓喜が不気味な域に達しているフレイア。愛が重い。重く、様式美を尽く無視したドロドロな片想いに過ぎないが。


「さて……見せてもらおうか、その棺の中身を」


 重く沈むような低声は、老修道士――教皇様と呼ばれた男の通常仕様である。決して、気分が淀んでいる、というわけでない。そのことを熟知しているフレイヤは、相変わらずの仕草口調で接する。


 ドスリと背に担いだ棺を降ろす。同時に棺を拘束していた鎖が解ける。棺が解放される。フレイヤは棺に手をかけた、そして開く。


 微量の冷気が棺に内包されていた。ドライアイスが空気中に溶けたしたかのような白い靄が発生する。発生源は棺の内部からだ。それは悪寒にも似ているような寒さだった。


 だが、なりふり構っていられない。いる必要がない。


 欲望を目前にして、躊躇いはしていられない。禁欲主義を信仰しない人間ならば当然の道理だ。


 ギ、ギ、ギと木材が軋む音を立てながら棺が完全に開かれた。内部は羽毛のクッションで覆われている。それらを乱雑に横へ退かすと、本命の品が姿を現した。身を固めるように丸くなりながら寝息を立てる少女だ。


 ブロンドの髪が際限なく伸ばされ、恒星の如く自ずと輝きを放つ純白の肌。眠っている姿から相まって、『眠り姫』とでも形容したくなるような、美しさ。それでいて、まだ幼少期のあどけなさが残っている。


「これが、半神の片割れか……。成程、人知を超える美しさ。始祖神グラン様の生贄に相応しい」


 教皇の評価はフレイアの予想以上に絶大なものだった。これは、彼女につく利益は高いものとなるであろう。心の中を快楽の渦で満たす。身体の熱さは興奮が為――夜の営みの時間がまた少し長くなる、そんな期待に胸膨らますフレイア。


 が、それに反し、ただ、と教皇は付け加えた。


「ただし、片割れだ。されど、片割れと評してもよいが、所詮たかが、片割れだけだ。我の望みを半分しか叶えていないのだからな。――今日は、もう遅い。下手に捜索すれば警備に回っている騎士団に目を付けられるからな」


 咄嗟にフレイアは反抗しようとした。他の勢力に後れをとること、それは寵愛を削がれることに値するからだ。しかし、


「表向きは、穏便な宗教団体に過ぎねェ。だからこそ、勝手な行動は惜しまれる――それくらいは、淫乱色欲魔のテメェでもわかるだろォ?」


 割り込む声は、フレイアの背後、教会の正面玄関の扉が閉まると同時に放たれた。ガラの悪い男声。月光に照らされ、眼光だけが緋色を灯す。


「言っても聞かないなら、その時は調教だァ。そこンとこ理解しておけよォ?」


「煩いわねぇ。……わぁかっているわよぉ、『将星』、グスタフ・ロムニエル。だからぁ、これ以上口出しはナシよぉ。ワタクシ、萎えちゃうわぁ」


 うんざりとした口調。聞き届けた後で背後のグスタフへと振り返る。白髪を無造作に伸ばし、ボロキレを羽織った猫背の男がフレイアを睨んでいた。


 数秒の対峙、勝ち誇った顔でグスタフを見下ろすとチッという鋭利な舌打ちとともに何の前触れもなく彼の姿が虚空に消失した。詭弁を自負できるフレイアにとって言い負かすという行為自体朝飯前だった。


「全く……、君達の仲の悪さには心底心配になるものだよ、始神司教の教皇としてな」


 やれやれと言わんばかりに教皇の口から口が漏れる。――あくまで表層的な心配だ、ということをフレイアは理解したうえで。


「喧嘩するほど仲がいいってものですよぉ。……それよりぃ、はやくワタクシに御褒美を、お願いしまぁす。もう、疼いちゃって仕方がないんでぇす……! ホラ、あの姿に戻って、昨日の続きをしましょうよぉ」


「――ああ、そうだな」


 短文の了承を済ませ、教皇は術式を刻む。聖術でもなく、魔導でもなく。唯一無二、確固とした術式――固有ユニーク術式マギクスを。


 空間がぐにゃり、と歪む。波紋が縦横無尽に拡散する、波長が一定の旋律をもって蠢く。


「始祖神よ、我に祝福あれ」


 それは、唯一神への慈悲を乞うが故の言葉――術式。空間のひずみが分断する。そして、次の瞬間。教皇を飲み込む。


 空間が物体を咀嚼する。矛盾染みた光景を眼前にして、フレイアの身体の疼きが絶頂を迎える。恐怖は皆無。――この行為が前戯である、と前もって理解しているが故に。


「――さあ、下準備が済んだことだ。さっさと始めようか。我が寵姫よ」 


 声、幾分か若返ったような男声だ。


 ひずみのあった空間は既に閉ざされていた。老修道士姿の教皇の代替品として生成されたのは、黄金の短髪を月光で反射させた長身の青年。脱げた修道服が床にはらりと舞い落ちる。伸縮性ある繊維素材の下着インナーからは、鍛え上げられ引き締まった腹筋が浮き出ている。


 肉体美を体現した肢体。


「早くしないと、夜が明けてしまう。明日からの試練の前哨戦としてこの夜を楽しもうではないか」


「……はぁい、よろこんでぇ」


 満ち溢れた色欲への羨望によって動かされているフレイアは微塵の迷いもなく了承。


「教皇様――シヴァク・ディストラ―ゼ教皇の仰せのままに」


刹那、教皇――シヴァクの腕がフレイアを巻き込み、その艶めかしい肢体を抱きしめた。深更の艶やかな戯れが始まろうとしていた。

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