第41話 願いを貴方に
41話です。よろしくお願いします。
事の顛末を、簡潔に述べるならば、サテュアータの勝ち逃げといったところか。
勝ち逃げ? その言い回しは可怪しいのかもしれない。だが、ロキの主観において、あの戦いはロキの敗北によって終止符が打たれたようなものだった。
「ああ、胸クソ悪い……」眉間に皺を寄せながら、補修中の中央棟廊下を進む。その足取りは気怠く、重い。「まさか、呼び出しをくらうなんてな」
まさに、苦虫を噛み締めた感じだ。勝ち逃げされた上に、呼び出しをくらった。恐らく、この後に説教と奉仕作業という理不尽な罰が重なるのだろう。
――仕方が無いか。学院をこの有り様に変えたのは他でもない俺らだしな。
諦めの肯定。だが、道理は通っている。いや、通ってしまっている。顔上を見上げれば、数えられる程の建築士と数えきれない程の大工が棟の修復作業に精を出している。赤煉瓦を基調とした学院の外観内観共々破砕され、残骸が地表を覆っている。靴底にザラザラとした感触が広がる。
全く、マリアも派手にぶち壊したものだ。何せ、学院を真上に貫く術式を複数展開したのだ。それも最大出力で。後先考える暇がなかったのは既知の事実だ。それにしても、度が過ぎている。負債度外視の連撃であった。そして、現状――彼女の負債を背負うのが他でもないロキであった。
「不服だ、不憫だ、不愉快だ。もしも、学院から奉仕作業をせよ、と命令されたなら……マリアにだけ重労働を強いろうか」
怨嗟に塗れた罵詈の台詞は明らかにマリアに向けてのものだった。
「ったく、アイツは今も柔らかいベッドの上でぐっすり熟睡しているのだろうな……。ああ、考えるだけで腹立たしい」
そうこう文句妄言を垂れ流している内に、学院長室の扉が眼前に広がった。厳粛な雰囲気を漂わせながら、佇む大扉を引き入室する。
まず、視界に映ったのは、部屋を囲うように屹立する書架。だが、不思議なことに、書籍の1つも並んでいない。実に異質である。
「書架の本なら、儂が魔法で隠蔽しておる」
部屋の中央から、老いた、威厳のある声があった。作業机の上で腕を組む老人――アストレア・セロージュは不敵で意味ありげな笑みを浮かべながら、ロキを見据えていた。
先日の事件で負った傷は既に跡形もなく消失している。聖術で治癒していたのだと、アストレアの孫にあたるクレオネラが誇らしげに語っていた。
――いや、それはともかく。
(一体、いつからこの男の気配を感じただろうか……?)
ロキ自身も曖昧でよく分かっていなかった。ただ、気付いたらそこに気配を感じていたのである。ともあれ、ロキを呼んだ張本人がお出迎えをしたところで形式的な挨拶を交わす。
「……、どうも学院長。初めまして――1年のロキ=レイヴァーテインと申します」
「ああ、話は聞いとるよ、今期の主席君」
「それはご光栄です。では――早速ですが、本題に入りませんか?」
「ああ、そうすることにしよう。とはいっても、決して説教じゃないから安心せい。罰も与えぬ」
「……、」
まさか、俺の心を読んだわけじゃないよな……? と、ロキが訝しげに眉をひそめるのも当たり前だ。アストレアの言動はまさに、ロキの鬱憤を一言一句要約したものだった。学院長の名は伊達じゃないらしい。
「説教じゃないのなら、一体何を」
「ただ単にお礼じゃ……、儂の孫を護ってくれたことに感謝する。本当に、有り難う」
唐突に作業机から立ち上がったかと思うと、頭を垂れるアストレア。
ロキはその姿に面食らってしまった。それでも、継ぎ接ぎの言葉で対処する。
「そんな、お礼なんてされるような偉大なことを遂行したわけじゃありませんよ。むしろ、俺は学院に傷跡を残してしまいました」
「なに、気にすることではない。公国の技術があればこんな学院、半日で元通りじゃ。それに、背中の傷は男の勲章ともいうじゃろう?」
「それとこれとは話が違う気がするのですが」
「ふぉっふぉっ、些末事に目を向けるな若造。もっと、寛大であれ」
満面の笑みを浮かべるアストレアは、まさに無邪気な少年のようだった。
面白い男だ、なんてロキは総評する。ただ、術式に関する圧倒的な技術を抜きにしてみれば、の話だが。この男、笑顔の裏にもう1つ、恐るべき人格が眠っているのではないか――なんて疑心暗鬼になっている己が喚いていることがロキにとっては不服極まりなかった。
学院長室から退去する。今日は臨時休校だ。そのため廊下を行き来するのが、事件の事後処理に追われる職員くらいだった。生徒には学院内立入禁止という指示が下された。ロキという例外はあるが。故に、いつもは生徒たちで賑わう幾多の教室も本日限りは静閑を保っていた。
そんな廊下を駆け抜けていくロキ。足早にこの場から立ち去ろうとしていた。それもそのはず、まだ早朝だ。マリアは未だに熟睡しているであろう。――因みに朝食は作っていない。毎朝のようにロキが朝食を作っているというのに、今日に限って作っていないとなると、予測しうる事態はただ1つ。
――マリアが飢えてぶっ倒れているかもしれない、ということだ。
明らかにオーバーリアクションかもしれないが、マリアに限ってはそれがノーマルなのだ。腹が減れば、即座に飯の亡者となり得る。マリアが亡者へと変貌して俺に襲いかかる前に飯を作って置かなければ、とお節介な兄貴分・ロキは学院を飛び出した。
正門へ続くアスファルトの路面を蹴る。鉄格子の合間に多種多様な文様が施されている正門を潜る。彼の脚を止める障害物は――存在しないだろう。ロキの視界に映るのは、公国の町並みと増えつつある人々の流れ――そして、淑やかな学生服を纏った緑髪の少女の姿だった。
……いや、ちょっと待ってくれ。
緑髪、学生服。
足が止まる。ロキは振り向く。
ツインテール。垂れ目。
あれ、この人物は見覚えがあるような……。
「って、クレオネラ……?」
「はい。――お待ちしていましたよ、ロキ様」
第41話 願いを貴方に
お淑やかにスカートの裾をつまんで、お辞儀をしてみせるクレオネラ。
その光景に既視感を覚えたロキ。
「で、何で俺を待っていたんだ?」
「ふふっ、この話をするには場所を移さなければならそうですわね」
「おいおい、やめてくれよ? 俺、まだ朝飯食っていないし、それにマリアの飯も作らないといけない」
「そこのところはお気になさらず。――事前に、マリア様に許可をとったので」
「……なんというか、行動が一手先を見越しているな」
成程、全て予測の上での行動ですか。さすがにこの域まで来ると、恐れを感じるまである。
「とりあえず、歩きましょうか」
クレオネラは、ロキの右手を掴み、まっすぐ走りだす。一体どこに行くのか、と問うたものだが、クレオネラは鼻歌混じりに「ひみつでーす♪」と微笑むだけだった。そう言われると、ますます知りたくなってしまうのが人間の性である。ウズウズとむず痒く疼く心を自制心でセーブする。
――なに、もとは魔族なのだ。そう、魔族。人間じゃないんだから! と何度も自分に言い聞かせるロキ。
――あれ? でも、人間でも魔族でも変わらないんじゃないか?
不意に浮かぶくだらない反論は目を瞑って誤魔化すことにした。
クレオネラに引き連れられ――、いつしか、街の外れを2人は走っていた。
岬だった。2人を囲む大海は、群青で染まっている。足元に原生する純白の花は、まるで。
まるで。――あの少女の笑顔の如く、燦然と輝きを放っている。
悔しくて、悔しくて唇を噛んだ。嫌な連想をしてしまったものだ。
仮の強さという仮面を被った自分が恨めしくなった。ロキは、俯くことが苦しくなって――見上げた。
大海よ、教えてくれ。――俺は、どうして弱いんだ。
大空よ、教えてくれ。――俺は、どうしたらアイツを救ってやれるんだ。
「ふふっ……、ロキ様、凄く難しそうな顔をしていますね。――過去に溺れている、といった感じでしょうか」
不意にロキへと投げかけた言葉は、クレオネラのものだ。的を射た発言に、驚愕し、目を見開く。
「……さすがだな、学院長の孫さんは。俺の心裏を軽々と見破るなんて」
「そんな謙遜は要らないですよ、ロキ様」
何故か、頬を膨らませて否定するクレオネラ。どこか気に触っただろうか? そう、問うてみれば答えは安易に返ってきた。
「“学院長の孫さん”という言葉が癪に触りました。わたくしは、――他でもないクレオネラなのです。そんなわたくしを“学院長の孫さん”という枠組みに閉じ込めないでください」
「つまり……クレオネラは確固とした自分を持っているというわけか。私的に羨ましいと思うよ」
ぶっきらぼうな言の葉を紡ぎだしたあとで、誤解をなくすための補正を加える。
「……俺は、自分というものがよく分からないからな。不思議と羨望してしまうんだよ、“自分”たるものを」
何があって、己であるか。
例えば、魔王候補としての己。
例えば、魔族としての己。
例えば、ロキという人格上での己。
例えば、継承者としての己。
例えば、学院生としての己。
エトセトラ、エトセトラ。
それぞれが己をかたどる要素である。だが、転生した身では、己をかたどる要素が複雑怪奇としているのだ。ロキの場合は、人間としての己か、或いは、魔族としての己か。何でも、地盤が丈夫でないと瓦解崩壊は免れないのと同じで、己の地盤も安定せねば、どこかで崩壊する。故に、選択が迫られていると言ってもよい。魔族を選ぶか、人間を選ぶか。
その点、クレオネラは“確かな自分”を持っている。何という肩書きがあれど、クレオネラという己の上で構築されるのだ。
「……そんな難しい話、わたくしに理解できたことじゃないですわ。何せ、主席であるロキ様が理解できないのですから」
クレオネラは苦笑する。ロキは無口、無表情を貫いた。
「だけど、1つ言えることがあります。とっても簡単な事ですよ?」
とても簡単なこと……? ロキは首を傾げる。駄目だ、さっぱりわからない。
「その様子じゃ、何も分かっていないようですね。まあ、ロキ様らしいですが」
「俺らしい……? どこがだ」
「誰かのために戦うが故に、自分を見失いがちになるところですよ」
岬に海風が吹いた。冷涼で多湿な大気に満たされる。
心が洗われるような、そんな気がした。
「そうなのかもな。――俺は、まわりしか見ていない。自分のことなんて二の次だ」
「……念の為に言っておきますが、貶しているわけではありませんよ? 半分褒めて、半分注意しているのです」
上目遣いのクレオネラが心配そうにロキを覗きこんだ。
「ロキ様は、わたくしのために戦ってくれました。もしも、ロキ様じゃなかったら、わたくしは今頃1人ぼっちだったかもしれません。だけど、貴方が護ってくれたから救われた。――もう、2回も救われたのですよ、わたくしはロキ様に」
だけど――、となにか言いたげなロキの唇に人差し指を当てるクレオネラ。
「……わたくしは、褒めるとも言いましたし、注意するとも言いました。今度は注意のターンですよ。飴と鞭でいえば鞭のターンです」
「そのたとえで合っているのか……?」
細かいことはお気になさらず、とロキの言葉に重ねたクレオネラは、すぅ……と、大きく息を吸う。
振り返ると、岬の向こう――群青の広がる地平線に視線を集中させ。
放つ。
――――もっと、わたくしを頼ってくださいッッ!!
「……、」
的外れ、かもしれない。だが、叫びはロキの心の奥底に突き刺さるような衝撃と成り代わった。
これが、彼女なりの注意なのだろう。全く、こんな優しい注意を甘受しようと内心で思ってしまう自分が情けない。
「ロキ様はいつも、誰かを護るために精一杯です。だからでしょうか、いつも苦しそうな顔をしています。そんなロキ様を直視することがわたくしにはできません。だから、わたくしはその苦しみを少しでも和らげてあげたいのです。たとえ身勝手だったとしても」
クレオネラの溢れんばかりの想いがロキの気を動転させようとしていた。
「どうして、そこまで……」
「恩返し、というのもありますが……、以前有耶無耶に隠し通した頼み事を聞き出すためです。これでもわたくし、眼前の秘密は暴きたくなる性なので」
「横暴な性格だな」
「何と言われようが構いません。それで――もうそろそろ、話す気になりましたか?」
――仕方のない、お嬢様だ。
だが、もう話すべきタイミングなのかもしれない。
何故だろう、不思議と口は動いていた。
俺は――。俺は。
蹂躙せし魔王の異世界譚―魔導継承者は刃を血塗る―
Chapter2-1【The Beginning】The End.
「クレオネラ――お前に1つ頼みたいことがある」
「ええ、何でしょう?」
燦々たる太陽の如く、クレオネラは微笑する。
もう、迷わない――だから。
「俺の愛する人を護るために、手を貸してくれ」
跪き、右手を差し伸べる。
右手に柔らかく、暖かな感触が伝播する。
ロキの真上に影ができる。――クレオネラが覆いかぶさるように、ロキを抱きしめたのだ。
「仰せのとおりに――ロキ様」
その言葉をロキの耳元で囁いたクレオネラの瞳には薄っすらと涙の雫が浮かんでいる。
どの感情が、クレオネラを感極まらせたか。
その答えは、神のみぞ知る事実であろう。
これにてChapter2-1は終了です。
ありがとうございました。
間章を投稿してから、Chapter2-2に移ります。




