第40話 禁忌堕天の叛逆 下
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第40話 禁忌堕天の叛逆 下
血染めし剣。肩越しからロキは睨みつける双眸をサテュアータへと向ける。
金色の両手剣、【禁忌堕天・レイ=ティルヴィング】はサテュアータの右肩を抉る軌跡を描いて、突き刺さっていた。
鮮血の飛沫がロキの頬を汚す。生暖かい鉄錆の異臭に目を細めたロキは、尖鋭な双眸で斜め上――理解の追い付いていないサテュアータへと言葉を放つ。
「ここからが、俺の叛逆だ。……魔王候補の凱旋だ」
静謐を打ち破る宣告。
そして風圧が地を叩く。
亀裂が生じる。
ロキは虚空を飛翔していた。
重力に抗い、己の膂力を最大限に利用する。
半回転する身体。
脚部へと凝縮された力が湾曲した螺旋の天蓋を捉え、そして穿たんと踏みしめる。
轟ッッ! と唸りを上げた破砕音。天蓋に亀裂が入ったと思うと、根を伸ばしていく。雷雲から放たれる雷電の軌跡のように放散する。そして瓦解する。
粉砕した瓦礫の飛礫がロキの身体を掠めていく。頬の真横を突き抜けた尖頭の破片は、ピィィ……、とロキの薄く色白な肌に鮮紅の血色をにじませた。
そして、一蹴する。
直後、ロキの姿が消失する。
風に溶け込むように落下運動、或いは飛翔と呼ぶべき瞬間移動が発生する。
肌を突き刺すような空気の刃を魔導剣の刀身で断ちながら、ロキの落下は止まらない。
制止の暇は与えなかった。
裁断。
比喩ではなく、実際の一刀両断が起こる。
「ハアアアアアアアアッッッッ!!」
ゴキンッッ!! と、鉄骨同士が伸しあい圧し合う衝突音が鳴り響いた。
爆裂音と共に周囲に飛び散った塵芥が吹き荒れ、砂塵が吹き荒れる。
視界不良――故に太刀筋の終着点が曖昧模糊なものとなる。
剣の切っ先は乱れの無い円の軌跡を描き、振り下ろされていた。
だが、貫通はしていない。
視覚ではなく、感覚が、或いは第六感が警告を促している。
“これは、嫌な予感しかない”と。
人肉を補足しているわけではなさそうだった。これはまさに、鉄塊にものを叩き付ける感覚だ。
「何が……、起きているんだ……!」
「何、簡単さ――、俺様の能力までは計算していなかったようだな、魔王候補君」
答える声は、冷笑だった――サテュアータの。
戦慄がロキの背筋を迸る。
吹き荒れた砂塵が雲散霧消する。
明瞭な視界において、ロキが目にしたもの、それは。文字通り、障壁。
楕円形に広がり、サテュアータを覆い包む、隔たり。
「何が、計算外だ、よォ!」
腹の奥底からの咆哮。
威勢よく飛び出した刃は、既に二撃目のモーションを取っていた。
再びの衝突音。
今度は確かな手応えが感じられた――ロキの横顔に狂乱の笑みが浮き出る。
まさに戦鬼。
蹂躙せし、魔王。
かつて、人間界に侵攻した狂気の先代魔王もきっと、この表情で世界に君臨したことであろう。
――そう。まさに、魔王の再来だった。
硝子が破砕するような炸裂音と共に障壁が強引に取り払われる。
金色の刃が今度こそ、サテュアータの右肩口に抉り込む。
骨肉を裁断する鈍い衝撃が両腕から伝播する。
明確な斬撃、血飛沫が吹き荒れる。
紅血の滴りがロキの纏う学院制服を紅に染める。
鉄錆の異臭がこびりついてもおかしくなかろう。
だが、ロキは見抜いていた。現状の異変に。
「そうか……これは、“虚構”の話ってことか……」
何がおかしいか。答えはロキのビジョンに映し出されていた。
「いくらなんでも、裁断音の1つが、無音なわけがないよな、オイッ!!」
ガゴンッ!! と関節が無理矢理捻じ曲げられる音があった。
飛翔する身体を反転させ、サテュアータの顔面に向けて一蹴。
落下の動作から放たれ、サテュアータの顎へと直撃した蹴りは、勢い余って首の関節をバキリ、とへし折った。
だが、関節を破砕した割には、感触が無に等しい。
幻術、という選択肢の浮上。――全く、俺も見くびられたものだ。
嘆息交じりに身体を縦旋回。
蹴り上げた脚力で回転する。
空間で金糸を纏い興起する剣を大車輪の如く転回させ、振り回す。
その痩せ身からは到底考えに及ばぬ無尽蔵に等しい膂力、そして遠心力により廻旋するは、金剛石に例えるのが相応しい魔導剣【禁忌堕天・レイ=ティルヴィング】。
直後、両手剣の放った斬撃は、先程とは正反対の位置――即ち、囚われのマリアから真反対へと加えられた。
既に次手へと移行したのだろうか、マリアを拘束していたサテュアータの姿は皆無だった。
無論、ロキが斬撃を加えた先に存在する空間にも外見上、人の姿はない。
だが、裏を返して見せよう。
もしも、マリアを囲っていたサテュアータが姿を消したとして、次に姿を現すのはどこか。
簡単だ。――邪魔者であるロキの背後であろう。要は、不意打ちに過ぎない。
ザシュッ! 肉片と血肉がロキの一閃で撒き散らされた。
「今度は手応えがあったようだな……、姑息な野郎が」
幻術が空気に溶けるようにして遊離し、乖離した。深く抉られた傷跡が胸元を斜めに両断していた。ロキの太刀筋を綺麗に描いた曲線だった。
――ロキの狙いは想定通り、的中したようだ。苦渋に表情でロキを睨みつけるサテュアータの視線に怯むことなどない。臆する必要などない。必要なのは、魔王たる威厳のみ。
「宣戦布告だ、人間風情。貴様の腑抜けた面を驚愕の紅に染めてやる――、魔王のこの手で」
「螺旋階段がだんだん、崩れていっている……!」
「このままでは、お二方はもちろん、あたくし達も逃げ遅れてしまいかねないですわ……!」
「でも、瓦礫が邪魔して前に進むのは難しい……一体どうすれば」
逃げ惑うは、戦禍から逃れたシグルーン、クレオネラ、そしてアンセルだ。
シグルーン、独力で大怪我を負ったヴァレオを抱え、クレオネラとアンセルでこちらも喀血など負傷が激しい学院長、アストレア・セロージュを運んでいる。
上層部から崩れつつある螺旋階段。このままでは、袋の鼠だ。
悩み、悩み。その時だった――声があった。
「ぐ…、ぐ、どうやら、窮地のようじゃのう……?」
呻き声が混じった声は、威厳尊厳に溢れたものだ。
男の声――さらに言えば、セロージュ家と学院の重鎮の声だった。
「お、お爺様!?」
「ああ、お爺様だ、クレオ――一旦、茶番劇はお預けとしよう。兎にも角にも、儂が策を講じる番のようだからのう」
対応が早急だった。さすがは学院長というべきか。腹を擦りながら、あくまで穏やかな声で術を紡ぐ。
「――修復、散開」
透き通る群青のベールがアストレアの胸元から周囲へと展開していく。同時に店外から降り注ぐ塵芥が動きを止めた。と思うと、徐々に重力に反して持ち上げられる。作用する力は繰り出された聖術によるものだろう。だが、それだけではない。
「瓦礫が修復されていく、元通りになっていく」
まるで、今ある惨劇が無に帰したように、群青が傷を無に帰す。――いや、元々あったもの以上に仕上げて継ぎ接ぎしていく。だが、まだ驚くべき事項があった。
「僕達の傷も修復している……ヴァレオ君の傷も塞がっていく……」
「ああ、そうじゃ。まあ、本来の使用目的は後者なんじゃがな」
多方面に応用の利く術式である。無機物有機物関係なく、何事もなかったかのように直してしまう。
学院長という名は伊達ではなかった。
「あれ? ……でも、この術式って螺旋階段内が効果の範囲ですわよね? となると」
「……敵方にも回復の効果が付与されるのではありません、か?」
素朴な疑問が、セロージュの姉妹から呟かれる。当の回答人であるアストレアは、ふぉっふぉっ、と緩慢とした(わざとらしいといえばわざとらしい)笑みを吹き出した。
「なあに、このお爺様を見くびったか、我が愛しき孫娘たちよ……、この儂がその程度の失態を犯すと思ったか?」
不敵な悪戯っ子の笑い。だが、学院長に悪戯をさせてみせよ、子供の戯れ言では済まないであろう。下手したら街1つは根こそぎ削ぎとってしまうこともあり得なくないからだ。――それを、実の孫であるセロージュ姉妹は熟知していた。それと同時に、アストレアが悪戯に興じることなど日常茶飯事だ、ということも。
「何、今日の悪戯はまだ優しいほうじゃぞ。術式に細工をかけただけだ。まあ、悪戯というものには仕掛け人がいて、獲物がいる。今回は、儂の獲物をあの青年が演じることとなった。演じてもらうからには、盛大な、滑稽な演技をしてもらわなくては」
平気にそんなことをつらつらと口に出してしまうあたり、学園長はとんだ奇人なものなのだなあ、とあくまで他人ごとのようにシグルーンは聞き流す。関わるだけ面倒な人種であるのだと、第六感で察したからだ。
「で、細工っていうのは一体何です、お爺様?」
「――そうじゃな、端的に言うならば」
腹を擦っていた右腕を真上に突き出し、人差し指で天上を指しながら、淡々と。
「儂を狙ったあの青年から生命力を奪うのじゃよ……死のうに死ねない、生と死のボーダーラインまでな」
青く朧な光と共に修復されていく世界の中で。
サテュアータではそうではなかった。
「がっ……、何事だッ……力が、抜けていくッ……!」
これこそが、学院長アストレア・セロージュの下した悪戯、もとい報復である。無論、サテュアータは知る由もないことだが。また、この状況、裏を返せば、ロキとマリアに授けられた好機に等しい。
「何があったのかは、分からないが、この機会は逃せなさそうだな」
生憎、逡巡の暇は与えられていない。故に即断。
「マリア、行くぞ」
相棒であり、義妹の名を呼ぶ。が、返事はなかった。マリアは立ち尽くしていた。石像の如く永劫の時間を静止していたかのように。
「わたしは、動けないよ」
ぽつりと。そんな虫の羽音よりもか弱く震えた声がロキの耳に入る。
「怖い。わたしがあの男を攻撃して、恨みを買ったらわたしはもちろん、ロキにまで被害が行き渡る、はずだよ……?」
「そうじゃ、ないだろ? ――お前が言わんとしていることは。言葉に虚構の意味を含ませて本心を隠してどうする? ただ単に怖いだけだろ、お前を見捨て、あわよくば見殺しにしようとした男への恐怖が有り余りすぎて、動けない。そうだろ?」
「…………」
返ってきたのは沈黙。あからさまに苦しげな溜息を吐いた。図星だったようだ。ならば、とロキは付け加える。
「俺に身を預けておけ、マリア。お前が苦しんでいるのなら、俺が加担して恐怖を和らげてやるよ。それがこの世界で、マリアの兄として生まれた矜持というものだろうし、それに――いつの時代も魔王は同胞のために尽力するってものだ」
「……だけど、ロキ!?」
返される声は、悲鳴だ。――マリアの瞳に薄っすらと雫が浮かぶ。
「わたしは、とても弱いんだよ!? いつだってロキに頼ってばっかりだったじゃん、前世でも――そして、現に、この場でも。下手したらこのまま一生、未来永劫かもしれないよ!? わたしは心苦しくてたまらないよ」
「何、構わねえよ」
屈託のない笑みで返したロキ。
「仮にもそうでもしないとマリアは苦しみだったり恐怖だったり――負の感情に押しつぶされてしまうだろ? だったら、押し潰されないように俺がいればいい。心配はするな、大船に乗ったつもりで俺についてこい。これは命令であって、同時に俺の意志だ。マリアが断るべき場面じゃなかろう。そうだろ?」
「……………………全く」
呆れたように、マリアは。
「今の殺し文句でわたしは、何回殺されたんだろうね。わたしも学習しないな」
たはは、と。燦然とした微笑み。不意に彼女の瞳から大粒の涙が一筋だけ、流れ――そして、それっきり流れなかった。マリアは目を拭った。悲しみの涙が流れぬように、と。
「さて、さて――ロキ、準備はできてる?」
「ははっ、それをお前が言うか? ――お前の剣、落ちてたぞ。ほらよ」
地面に無造作に置かれていたマリアの魔導剣の柄を踏みしめる。刀身が空中で回転しかけたのを目にして、柄から足を離す。ムーンサルトのごとく、一回転を為した魔導剣。――面白いように、ロキの左手へと柄が吸い込めれていき、同時に勢いを殺さず、マリアへと放擲した。半回転し半円を描いた剣。マリアはノールックキャッチ。
キメる、無駄なところで。
もう、余興はここまで。立ち上がる勇者2人。
――或いは、魔王と魔女か。
ともあれ2人は、同じ握り、――両手で柄を掴み、上段を取った。無駄のない構えである。そして、共に獲物へと目を向ける。
狂乱の男、サテュアータ=デュートロンへと付与されていた激烈な倦怠感。だが、今はそんなハンディなど介在を許されなかった。
「ハッ、ハハハ。兄妹の結託もいいところだなあッ! だが、それも虚しく散らしてやるよぉ!」
威嚇、或いは負け犬の遠吠え。能ある鷹は爪を隠す、その意趣返しか。
だが、ロキとマリアは怯まない。怯むはずもない。
「行くぞ……ッ!」
「うん、ロキ!!」
快活な叫びを上げて猪突猛進が始まる。2人の剣戟が空隙を斬り裂き、サテュアータへと向けられる。
「舐めやがってぇぇ……」
舌で舐め回したような、声。震えは怒りを含んでいる。サテュアータは激昂をぶつける。
「巫山戯やがってぇぇぇぇ!!」
刹那にしてサテュアータの同心円上に術式が展開、展開展開展開展開展開展開展開展開展開。
縦横無尽、至る箇所をドドド、と地鳴りが響き渡る。
展開された式、実に無限を極める。
空間を埋め尽くす、光、光、光。
光輝。
眩い程の渦中にロキとマリアは飲み込まれていく。
恐怖は不要だった。
もう逃れるべき恐怖を知らぬ。
故に、剣を振るうのみ。
白き闇へと疾走。
激昂を顕現させたサテュアータは顔貌を極限まで歪ませる。
狂気の沙汰、或いは獣の本能か。
だが、残念かな――その動きは緩慢で大振り、隙しかないのだ。
まあ、マリアにしてみせれば好機だった。
ロキはというと。
「造作も無い」
空きの有無など関係ない初動で仕留める速さ、膂力を兼ね備えている。
故に、サテュアータなぞ敵ではない。
眼中にない、と言った方が正しいかもしれない。
たかが、牆壁。
脆き壁は、我が身、我が意志で打ち砕く。
それだけだ。
強烈な白光はロキの視界を阻んだ。
無味乾燥とした無音世界となった術式。
その展開領域に脚を踏み入れたマリアは、己から感覚が削がれていくのを体感していた。
気分が悪くなる、だが、マリアの脚は止まらない。
寧ろ、歩調の速度が徐々に上昇している。
地を蹴り上げる乾いた音は響かず、音を虚空へと紛らわす。
聴覚が失われた世界。
だが、確かに。
己の歩軌跡が音として刻まれるのをマリアは感じた。
――いいや、これはきっと、鼓動だ。
トクトク、と。流れ滾る生命の証拠。その温もりを感じ、マリアは僅かに頬を緩めた。生きている、という感覚。
どこかの誰かから授けられた第二の生。
そして巡り会えた“好きな人”。
なんて幸せなんだろうな、と満ち溢れる幸福が自然と頬の筋力を弛緩させたのだろう。
(もう、すべきことは1つしかない)
それは自負であり、使命であった。
(……この光、わたしには邪魔で仕方が無いな)
恐らく、ロキも同意見を抱いていることだろう、とあくまで主観的にそう察した、
もしくは決めつけた。
真横を疾駆するロキを横目で見つめる。
戦いの時の真剣さは、前世に劣らない。
それもそのはず、なのかもしれない。
外見が違えど、内面が変わらないのであれば。
マリアは疾走の中で、右腕の魔導剣を天に突き上げた。
銀糸が彼女の視界に散らばる。
刀身の銀か、はたまた、塵芥と射出する光の束が反射、屈折したものか。
ともあれ、些末事を気に留める必要性はなかった。
マリアのすべきこと、それはただ1つ。
(この光を、阻害できれば上出来なはずっ!)
天を仰いだ魔導剣に向かって精神を研ぎ澄まし、詠唱。
式神が請来する。
迅速に、いざ尋常に。
「召喚陣――《神楽》発現ッ!」
剣を中心とした陣が形成される。
銀粉纏ったことにより、異彩と虹彩が露見する。
手のひら大の式神が召喚陣の真上で舞いを披露する。
《清明の光臨》が発動するのではない。
というより、マリア自身も術の行く末を理解し得ていないのだ。
未完の術式、と形容するべきだろう。
だが。
「この術式は、既に完成している……」
突飛な妄想は、矛盾で締めくくられている。
傍から聞けば理解不能だ。
マリアでさえも理論はからっきし理解していない。
ただ、本能のみが拍動する。
理論ではなく実践。
銀糸はいつしか、魔導剣を包み込むベールと化していた。
が、これも実践のうち。
本能に刻まれたレシピ通りに。
「ハアアアアアアアアッッ!!」
マリアは剣を振り下ろした。
銀糸が風圧に負けて解けていく。
その最奥に眠る刀身は既に、元あったシンプルなそれとは大きく異なっていた。
刀身がもとより細く鋭く伸び、鍔が空を輪転し、柄と刀身を分け隔てている。
まさしく細剣。
鍔に刻印された言葉は【聖=ミスティルティア】。
聖なる女神の意だ。
マリアはこの瞬間、女神へと進化を遂げ。
――穢れた白光を。
一閃した。
天頂からの落下運動と腕力、そして遠心力が作用した斬撃は、そのまま、光を断絶する。
女神という生き物は清く正しいという人々のバイアスで美化されている。
だが、人為的にそうする必要はなかった。
「女神たるもの、振りかかる悪事には敏感なものだからっ」
振り切った後で、そのように残す。
残心は取らない。
あとは、全て主役に捧げるとしよう。
「ロキッ、あとはよろしく!」
「――ああ、任された」
タッタッ、地を2歩蹴る。
そして飛翔があった。
マリアの頭上を追い越して剣を杭の如く大地に叩きつけようとする。
ロキ=レイヴァーテイン。
真の魔王の決戦は、佳境から集結へと加速する。
天を劈く、光の柱。
マリアの【聖=ミスティルティア】から解き放たれた膨大な出力は、大地を抉った。
再生しつつあった瓦礫が元通りに破砕し、散らばる。
いや、それだけではない。
“大地が抉られた”のだ。
起こりうる二次災害は主に2つ。前者が損壊した瓦礫の落下。そして、後者は――単に、床が底抜けになるということだ。
――が、落下の感覚にロキは動じることは無かった。
「想定内、だな」
余裕気な無表情が斯く語る。
既に視線の先には標的を見据えている。
無駄な力を極力抜く。
剣を頭上に伸ばし、掲げた。
天にかざされる刀身。
金剛たる容貌は獅子の如く、そしてまた、古龍の如く。
光の柱は螺旋階段自体を崩落させていた。
やり過ぎではないか、とマリアを問い質してみたい気分だが、与太話は後だとロキは切り捨てる。
落下運動の中で、足場となるに相応しい破片へと飛び乗る。
平衡感覚は曖昧、だが千鳥足にはならず持ち前の脚力が静止の構えを持続させる。
対し、サテュアータは落下の最中においても術式を構築し続けている。
先程、無限を極めた数の術式を想像していたが、まだ体力は底を突かないらしい。
執念深さにより引き起こされた火事場の馬鹿力か。
質が悪いことこの上ない。
唯一、サテュアータが理性的な攻撃を加えようとしていないのが僥倖だった。
数が馬鹿にならない程多いという利点の裏には、隙しかないという危険をはらんでいる。
それを理解し得たのなら、行動に移すのみ。
直後、ロキは瓦礫の破片から飛び上がる。
暫しの滑空。
半楕円形の軌跡を描き、ロキが剣を勢いに乗せて振り下ろす。
垂直に、サテュアータのあからさまにガラ空きとなった頭頂をぶっ叩く要領で。
だが、――そうは問屋が卸さない。
光球が巻き起こる。
視覚への突如とした衝撃にロキは両眼を閉ざした。
魔導剣の刃がサテュアータに食い込む直前、拮抗する力が作用する。
ガガガッッ!! と金色の切っ先が削れる。
不快な金属音が鼓膜に振動する。
脳震盪でも起きそうだ。
あくまでもたとえだが。
刺激に慣れた瞳を見開く。
計算し尽くされた術の利用。
あえて、隙を作ったという事実。
安直だった自分を殴ってやりたくなるロキだったが己への衝動を制止し、即座に動作を切り替える。
振り下ろした剣の柄を胸元に近づけ、瞬間、解き放つ。
猛進した刺突が光球を貫通。
同時に球を蹂躙し、与えた傷を敷衍する。
案外容易に術式を破壊できた。
その事実を一瞥で確認し、ロキの空いた左腕がサテュアータの胸ぐらを掴むと均衡が崩れる。
ロキがサテュアータに馬乗りになった体勢だ。
「お前への一撃は剣じゃ物足りねぇよ」
苛立ちを吐き出し、腕力を振り絞って魔導剣を天蓋へと放り投げるロキ。
陽光を弾く黄金の切っ先は、昼に光輝する一等星のようだ。
かくして、右手が拳を握り、振り上げられる。
続く言葉は、ただ1つ。
「お前には、こいつが一番効くはずだ――とくと味わえよ」
直後。
ガゴンッ!? と関節がひしゃげ合う奇怪な感触が肌を伝播した。
ロキの拳は、サテュアータの顎を寸分の狂いもなく殴打していた。
――それが空中格闘の終焉を飾る一撃だった。
また、勝敗を決する一撃でもあった。
底抜けとなった螺旋の最下段にサテュアータの身体が打ち付けられる。
衝突の衝撃で喀血を見せた。
極めつけに、天蓋で異彩を放った魔導剣がサテュアータの首筋を舐めるように、通り抜け、地に突き刺さった。
「これで、勝敗は決まったようだな」
ロキは魔導剣を引き抜くと鞘へと納刀する。
「さて、裁きの時間だ、クソ野郎――俺の妹に手を出した罪をこの場で裁いてやる。おい、マリア――お前なら、この男をどうしたい」
ロキに遅れて、着地したマリアは即答だった。
「許す気はさらさら無いよ」
既に納刀済みだった魔導剣は元来の形状を取り戻しつつあった。戦闘時のみの変形であるとロキは推測した
「そうだな、2人で始末しない、ロキ?」
始末とはまた物騒な物言いだが、直接的に“ぶっ殺す”と宣言しないあたり、これでもオブラートに包んでいる方だろう。無論、ロキは拒否権を利用するわけがなく、獰猛な悪鬼の如く冷笑で、サテュアータの頭蓋を淡々と踏みにじる。
だが、悲鳴や震えた声は皆無だった。
――ここにきてもやはり、サテュアータはクツクツクツと腹を捩らせて嘲笑っている。
「何が可怪しい……!」
怒気と瘴気を纏った言葉。ロキは青筋を立てて、これ以上にない程、怒りを露わにしていた。
「まだ、懲りないっていうのか!? まだ、まだ……マリアの苦しみを理解していないのかよ! 巫山戯るな……!」
「アハハッ。――何も、巫山戯たことはないはずさ」
哄笑の合間から意味ある冷酷な口調が語りかけた
「何も、巫山戯てなんかない。これは、俺様の復讐だ。俺様の全てを奪った【魔女】を殺すために仕組んだ計画。構内爆破や学院長とその家族の誘拐なんて所詮はダミーさ。追手を1人でも減らすための、まやかしさ。だが、残念なことに――このザマだよ。ロキ=レイヴァーテイン君」
本当に、このザマだ……、諦めの声は嘆きに近かった。
「【魔女】さえ、殺してしまえばいい……たったそれだけで、デュートロン家は再興できる。できるはずだったのに……。君等にはいつか、制裁を加えねばならない」
「制裁……何のことだ……?」
「何、簡単だよ――俺様が再び君達の前に現れて、足掻き苦しむ君達を横目でほくそ笑んで皆殺しにするのさ」
皆殺し、その言葉にビクリ、とマリアが反応を示す、大半の恐怖に基づいて。
「皆殺し……か。笑わせるな、俺がそんなことを許さない」
「意志だけで全てが通用するとでも思っているのだったら、まだ幼稚だな」
「これは意志ではなく、必然だ――必然的な未来だ」
「…………ハッ、何とでもほざいておくといい。後々、気が付いて後悔する君の姿を楽しみに想像しているよ」
たった、それだけだった。後味の悪い終わり方。おまけに。
「チッ、逃げられてしまった……」
いつ、目を離したかはわからないが、気が付いたら拘束したサテュアータの姿が雲散霧消。
無かったものとされていた。
まんまと逃げられた。
今度こそ、とロキは自分で自分の頬を殴った。
我が身の未熟さを痛感したからだ。
きっと、あの男とは再び再開することとなり得るだろう。
きっと、殺しにくる。
故に。戦いは終わりそうになかった。
ロキは拳を強く握りしめ、唇を噛み締めた。
――この屈辱を忘れぬために。
次回、エピローグをもってChapter2-1は完結となります。ここまで読んでいただきありがとうございました。次章もよろしくお願いします。




