第39話 禁忌堕天の叛逆 上
39話 加筆しました。よろしくお願いします。
「何が魔王候補の剣の舞だ――笑わせるのも大概にしてくれよ?」
静かに冷酷に、サテュアータの口から零れ出る言葉。
陰険卑湿のその声の後に――術式が発動する。
「犀龍牙砲――装填!」
血走った眼で、飛びかかってくる少年、ロキを睨みつけて。
叫ぶ。
「犀龍牙砲――放射!」
直後、サテュアータの胸前を覆うように黒に輝く円形が顕現され――それを起点として、光速の弾道を持った熱線が射出される。地を削りあげ、唸る蛇龍の如き熱線が、ロキを真正面から狙い撃つ。
即座に、ロキは手元の木剣を正面で構えて、受身の態勢を取る。
爆破音と共に、瓦解音が鳴り響く。
土煙の向こう側――無数の埃は瞬時に晴れ渡った。
既に、サテュアータは2撃目の装填を終えていた。
「放射――放射――放射――!!!!」
狂った感情を、全面に押し出して無惨なまでに術式をロキへと向ける。
所詮、学院生なんて、たかが子供だ――そう、思える程にサテュアータの心内では自負があった。
故に。
「ハハハハハハハッッ! 哀れだなあ、悲惨だなあ、悔しいよなあ、苦しいよなあ!!」
絶叫。無数に吐出される罵詈雑言と共に術式の詠唱を終えて、発射。
オーバーキルにも程がある。だが、相手の死など構うものか。
狂気の沙汰を具象化したような“鬼”の如く、サテュアータは、術式を紡ぐ。
「お兄ちゃん!」
マリアの悲鳴が螺旋階段上に木霊する。
彼女は、怪我を負ったヴァレオの手当をしながら、退避の道を辿っていた。
だが――このまま、逃げていては、ロキの身が危険だ。
「シグルーンくん――ヴァレオくんをよろしく、ね?」
「え……どうしたんだい? ――って、待ってマリアさん!?」
ごめん、待てないよ。――私にはやり残したことがある。
駆け出す。恐らく、このまま逃げてくれるだろう。
――私はお兄ちゃんの妹であって、継承者の補佐だから。
戦わねばならない。
戻ってみれば、ロキの身体は無傷に等しかった。
だが、右腕に握った木剣は焼きつくされて、灰と化している。
――躊躇なく、ロキを破壊に追いやる術式が展開されている。
「やッめろぉおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!」
叫び、地を叩く。足元に術式を展開する。加速の聖術だ。
間に合え――マリアは崩れかけの段上を疾駆する。腰から、双の魔導剣を引き抜く。
衝突。――腕が折れても可怪しくないような衝撃だった。
だが、耐える。足を地に密着させて、膝を曲げる。彼女に放たれた脅威を相殺する。
掃射された術に堪えた後、マリアは、左手に握った魔導剣をロキへと放り投げる。
彼は、その柄を右手で掴み取る。
「ありがとな――マリア」
「礼には及ばないよ、お兄ちゃん――それに、まだ、礼をするには早いよ」
「そうだな――コイツを倒して、からだよな……!」
彼らの目線の先には、サテュアータがいる。狂喜に身体を捩らせている。
「アッハハ、加勢が加わろうと無駄だあ!!」
「さて」
「果たしてそうかな?」
魔導剣――確かな鉄の質感を右腕に感じた。ロキは上段に構え、マリアは中段。崩れかけた足場から駆ける。2人ならば、負けることはない――それは確かなる自負だった。互いに、弱さを補強しあう兄妹故に、彼らは絶大なる力を手に入れた。恐れるものは何もない。
――駆ける。冷涼な空気が肌を掠めていく。
「マリアッ! 回り込めッ!」
「了解!!」
ロキは、上段の剣を振り上げる。切っ先の届く範囲にサテュアータを捉える。逡巡は不要だった。金属の一撃が放たれる。風切り音と共に、柔らかさ――そして、岩のように硬質な感触が剣を媒介して腕へと伝播する。決定的な斬撃が加えられた。――はずだった。無論、ロキに安堵の時間は訪れない。即座に呼び声を放つ。
「マリア――今だッッ!」
声と共に、ロキが加えた斬撃の方向から、地を叩く音があった。マリアの身体が飛翔する。彼女の身体を支点として、刃の大車輪が空間を断絶する。白銀の刃が崩壊しかけた螺旋階段の側壁から差し込む斜光に照らされて、金糸を散らばし光輝する。
切っ先は、垂直にサテュアータの延髄へと向けられた。ザシュ、と――液体が飛び散る微音を耳にし、紅の残滓が己の頬を濡らしたことを五感を持って脳髄へと叩きこむ。血肉が迸り、握った魔導剣を果てしない鮮紅に染め上げていく。
「これで……終わりだ――サテュアータ=デュートロン」
「アハッ、ハッ……!」
感覚が麻痺しているのだろう。だが、確かに聞き取れる言葉があった。
「ま……さか、ねぇ…………? 簡単すぎて飽き始めているかなぁ?」
「飽き始めている、か。――言っておくが、殺戮行為に飽きが回ることはない。常に殺すことのみを考える――その思考に怠惰な感情は不要だろうが」
まさしく。憎悪の念に駆られることで殺戮衝動は発生する。衝動は思考へ、思考は行動へ。一連のサイクルは、まさに螺旋階段の如く。
「だから――私的には残念だな。ここまで上手く躱されるなんて、微塵も思っていなかった」
「嘉賞の言葉を有り難う」
歪む唇。惨殺に値する連撃を加えられたサテュアータが酷薄な哄笑に顔貌を歪曲させる。
「まさか、俺様の錯覚を見破られるとは。君は、常軌を逸した――人外だなぁ」
「そりゃ、どうも」
言葉短く。――直後。
「後退だ、マリア!」
ロキの前方、サテュアータを挟む位置で残心を取るマリアへと指示。刹那の遅れが下手したら、死滅の危機を引き起こす。重心を後方に移動、足先に力を集結させ、放出。
バックステップ。
肉を裂いていたはずの魔導剣の刃からは、既に紅血の滴りが存在しなかった。――それはもう、綺麗さっぱり、跡形もなく。
「幻術か……」
聖因子や魔力因子を駆使すれば、人体の模造など朝駆けの駄賃に過ぎない。マリアの式神が良い例だ。10割近い再現度に人体を複製できていたマリアの術式は、恐らく視覚効果のみでは偽物だと判断することは、不可能に近い。
――さらに言えば、現状でサテュアータの発動している術式は、マリアのそれとは比較にならない程、再現度が高い。人体の内部までも緻密に再現されている――極めつけは、血肉を裂いた感触と、血飛沫だ。前世で人を斬った経験のあるロキには理解できたのだ。“確かな感覚”“人を斬り上げる感触”が腕を伝っていた。
見事に、騙されてしまった。全く、我が身も衰えたものだ。苦笑したいところだが、この場を包む空気が許さない。ロキの顔は一層引き締まる。戦慄する己の肢体。全身の毛が総立ちしたかのようだ。
その間も、視界はサテュアータの姿を捉えているはずだった。が――ロキとマリアが狙ったのは、あくまで虚像に過ぎなかった。血潮を噴き出して倒れたかと思うと、全身を黒に染め上げて、暗がりの螺旋階段に溶けていくように消失した。
ロキとマリア、2人の間には無の領域ができあがる。――衝撃の余波は、ロキの後方寸前に迫っていた。
「お兄ちゃん、危ない!」
マリアが叫ぶ。だが、心配は無用。既知の事項だ。身体を右へと翻す。右足を中心とした円を描き、時計回り。得体も知らぬ衝撃を受け流す。回転の余剰動作を逆手に取って、身体を反転させる。
剣を中段に構えるやいなや、地を蹴る。波動する地表を足裏で感じ、一歩、更に一歩――疾走が始まる。同時に、後方のマリアへ視線を送る。
――何だよ、助けに来た割にはガチガチに固まっているじゃないか、なんて挑発の言葉1つをくれてやりたくなったが、生憎無駄口叩いている場面ではない。
無言で頷いた彼女を一瞥すると、疾走の速度を尚又上昇させる。前傾姿勢を維持しつつ、ロキは、右手の魔導剣を強く握りしめた。
この男は、許せない――真後ろからの不意打ちを躱した彼の眼前には標的とする男があった。彼に募る醜悪の塊。紅く黒く、それでいて何故か白を混ぜたような、酸素を喪失した血液の色を保持したその塊。あくまでも幻想に過ぎないのだが、ロキの透き通った黒眼には曖昧な黒紅の塊が映し出されていた。
「さあ、サテュアータ=デュートロン! この場で雌雄を決しようではないか!」
かつての魔王――グラディエメイシアへと攻め込んだ代の魔王は、こんな気障な台詞を吐いたのだろうか。全く、反吐が出る。最後まで格好つけて、為したことといえば、無数の惨殺。呆れて声も出ない。
――だが、戦いの渦中において、その言葉は、一身を躍動させるための興奮剤になり得る。腕を揮え、切っ先は既に攻撃圏内を捕捉している。
「ああ……ああああ、面白い」
狂乱を双眸に浮かべた残酷なまで無邪気な笑みを浮かべるサテュアータ。
「面白いぞ、ロキ=レイヴァーテイン! 望むのなら、ここで君を葬ろう――手向ける花は、君の妹から吸い上げた紅血の薔薇だ!」
――それだけは、させない。俺が命に変えてでも。黒々とした殺気がロキに纏わる。龍の如く短刀の歯牙を向ける怒気が彼の魔導剣を包み込む。
黄金の覇気は、彼の心裏の奥底へと、雫として、滴る。ポタリ、なんて擬音を交えてロキの心裏、想いの根塊を潤す。煌めきが、ロキを奮い立たせる。剣は、流れに乗って、風を斬り上げる。
「うおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおおお!!!!」
唸る獅子吼と共に、剣が最速を極める。剣閃が瘴気を切り裂く。銀閃が空間を迸る。疾駆の源である後ろ脚が螺旋に曲折する地表を穿孔する。
大地の震撼は拍手喝采、黄色い声援に等しい。感情を滾らすには、これくらいの緊張感と興奮が不可欠だ。
剣が舞う。衝撃、対する牆壁は半透明の皮膜だ。サテュアータを覆うような楕円形が、真っ向からの攻撃を受け止め、振り下ろされた剣閃の威力を上下左右に分散している。故に、最大限の力が伝わらない。不可視の牆壁の内側、右腕を胸の前に掲げ、ロキを指差したサテュアータ。嘲謔の表情で顔貌を歪めている。
否、表情だけでなく、彼の相貌も。痩身で長身の肢体が不規則に捻じれている。楕円の牆壁ごと空間が捩れ曲がっているという見解もつく。
「奇妙な、術式だな……」
「褒め言葉として受け取っておこう」
「全く、褒めていないが……まあ、些末事だ、気にも留めないでおく」
「中々、無感情なことだ。こちらとしては扱いやすい代物だよ」
扱われる要素なぞ1つたりとも存在しない。物理的に、理論的に、幻想的に。むしろ、扱われたくないというのが本心だ。
「だが、まあ……進捗のない攻撃だ。斬撃が盾を通らないのなら、矛に残された道はただ1つ――刃を折るのみだなぁ。せいぜい、その瞬間まで剣を振るっておいてくれよ?」
矛と盾は、いずれ片方が破壊される運命にある。それこそ、両者破壊という稀有な定めは望まれない。
「俺様の幻術にあっさりと騙され、現状も俺様の絶対的な牆壁を打ち破ることができずにいる。さて、ロキ=レイヴァーテイン。君は確か、己を魔王候補だと謳ったな――ならば、その名が廃るのは自明の理、であろう?」
「……ッ」
軽い舌打ち。その言葉はロキの起爆剤に等しいものだ。彼の矜持を正面から叩き落とす雑言だった、騒音だった。見逃せるわけが、無かった。
「もう一度……、その言葉を口に出してみろ」
絶対零度の言葉とは裏腹に蒸し上げられるロキの感情。憤怒の熱泉がボコボコ、と水泡を浮かべながら、喉元から込み上げる――、赤熱を帯びた激情は、酷く凍えるような低声と共に。放たれる。
「俺の癪に障ったな、愚者よ。――“元”魔王候補、ロキ=レイヴァーテイン。この場を以って、宣告しよう」
深く息を吸って。誓約を告ぐ。
「この刃で、“貴様”の喉仏を滅多刺しにせんことを」
刹那、障壁が取り払われる。それが始動の合図。両者の姿が空気に溶け――次の瞬間火花を散らす。ロキの魔導剣に対抗するは、サテュアータの聖術。盾の術式を応用し、形を変幻させることで不可視のブレードが銑鉄の剣と相対することが可能となる程の硬質な短剣が完成する。
キィィィィン、と刀刃が研鑽される超高音が響き渡る。白光の火花が無作為に虚空へと跳ね上がる。ロキは、眉を顰めた。苛立ちは、無駄な動作を露呈する初期段階だ。
下手な鼓舞こそ、戦闘において無意味を通り越して足枷となる。ましてや激情に任せて剣を振り回すことなぞ、手枷足枷加えて火炙りの刑を我が身に与える程だ。
――無論の範疇ではあったが。理性で理解できていても、本能の即時的な行動に追いつけるはずもない。事が収束してからようやく理性が追いつくのだ。
理性をアテにするな。――戦いにおいては、まず、獅子の如く戦地を蹂躙せよ。
剣を逡巡無く突き刺す。刺突。ただし、硬質な盾の牆壁は容易に打ち砕くことができない。
「ハハッ、大口叩いた割にはそれかぁ!」
「黙れ――黙れ、黙れ黙れ、黙れ黙れ黙れ!」
喉元の激情は、明らかにロキの身体能力を底上げしていた。火事場の馬鹿力、なんて言葉が現実にあり得るものだと訴えかけるように、剣の速度が上昇を止めない。猪突猛進の肢体は明らかにサテュアータとの距離を縮めている。劣勢の雰囲気が晴れかかっている。
――ここからは我慢比べになりそうだ。
「――お前の盾と俺の魔導剣、どちらが先に瓦解するだろう、興味を持たないか?」
「クッ……! まだ、耐えるかぁ……! 精神を蹴落とせなかったのが残念だなぁ……」
ここで、初めてサテュアータの顔が疲労と困憊で歪む。だが、お構いなしにロキは言葉を連ねる。
「まさか、ここまで俺を煽っといて――俺の賭けに乗らないなんて臆病者じゃあ無いだろうなあ!!」
「ハッ、まさか。この俺様が臆病者だと?」
眼を細めたサテュアータの顔にはもう、残酷な笑みは一寸足りとも窺えない。代替の感情として苦渋に脂汗を流す醜態を晒している限りだ。強がったところで、自分を誇張するだけだ。意味なんて見受けられない。
「では……賭けは成立か」
「――いいや。それは論外だ」
途端、世界が鎮静する。
会話が、成り立っていない。
――いいや、そもそも。
会話の必要性は皆無だったのかもしれない。
「――何故だ。答えろ、サテュアータ=デュートロン」
「理由なんて、必要ないさ」
呆けたような不確かな目線がロキに訴えるものは皆無。故に、この男が何を言っているのか、ロキには理解不能だった。
「賭けに勝つ術なんていくらでもあるんだからさあ」
だが、サテュアータにとって、常識から理解は不要だった。
淡々と、再び残虐に唇を三日月状に歪ませて、宣告する。
「――あえて、人の心を凄惨に踏み躙るのもありだよねえ」
刹那、魔導剣と拮抗する作用が消失。剣が何も介在しないただ空隙に振り下ろされる。
回り込まれたか、即座に振り向きざまに残心を取り、剣を振り上げた。銀閃が無の領域で空を切る。空隙を断つ轟音のみロキの耳朶に響き渡る。――不意打ちは起こらない。
だが。代わりとして――最悪の自体が引き起こされる。
「なあ、君はどう思う」
ロキの、目が開かれる。――確かに凄惨に踏み躙る行為だ。
「――君の家族、もとい俺様の疫病神を人質に取ろうか。それが俺様の選択だ。なあ、卑屈極まりないだろう?」
ロキの目線が鋭さを増していく。その先で――マリアが、サテュアータの腕に拘束されていた。抵抗も為さぬまま、できぬまま、包み込まれるように。何が起きたのか理解できぬまま、マリアは身動ぎの1つも許されなかった。
――刹那。ロキの心裏において――理性の糸がプツリと途切れた。熱を帯びた感情が決壊する。拳で強く握られた魔導剣に彼の熱が伝播する。
時を同じくして、“剣と接続する”。
それはもう、自然な動きの中で。
無駄な力は入らなかった――というよりも。
(剣が俺を突き動かしている、みたいだな)
ロキは剣を身体に右に構えた。刀身を斜め下方に向けた中段。右掌を支えるように左手で柄を握る。地摺りで左脚が半歩前に突き出される。右足は踵を浮かせ、爪先で地を捉えている。
許さない――絶対に。込み上げる真紅の感情を昂らせる。短刀の光沢に等しい鋭利な双眸は、冷酷にサテュアータの、いや、愚者の歪む顔貌を捉えた。
――やはり、わたしは動けなかった。
捉えられた身体は、石像のように硬直し続けている。握っていた魔導剣が力なく地面へと転がった。拘束された後でマリアの理解が追いついた。同時に、己の弱さに戦慄した。
やはり、また――ロキに縋ってしまうのか。
弱気な心が、思考を覆っている。沈下する意識の中、マリアは唇を強く噛み締めた。悔しいが。わたしは、精神的に脆弱だ。彼女の纏う学院の制服に柔い衝撃が感じられた。彼女の頬を掠めて、サテュアータの腕が絡みつく。右脇から腹部を抑えられた。八方塞がり、絶体絶命、万策尽きた、四面楚歌、袋の鼠、命運は尽きた、のだろう。マリアに絡みついた腕は、気が付けば彼女の胸部を握り潰さんと力が込められていた。……痛い。
……痛い痛い痛い痛い痛い――痛い!! 悲鳴は空転し音もなく虚空へと消失する。震えあがった声帯からは、金切り声の1つも発せない。声無き絶叫、溢れだす悲嘆の涙のみが、絶望の現状を涙の透明を漆黒へと染め上げる。
「アッハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハハッ!!」
奇怪な嘲弄がマリアの耳朶に響く。サテュアータの歪んだ愚弄の嗤いが彼女を覗き込む。
「最高だぁ、ああ、この上なき幸せだぁ。これが、これが俺様の使命さ! だが、このまま殺すのも惜しいなあ……?」
鋭利な鎌の如く歪んだ頬で、サテュアータ=デュートロンは告ぐ。
「最後くらいは、楽しませてくれてもいいよなあ――貴様の身体で1つ、奉仕でもしてもらいたいところだ、なぁぁ!!?」
空隙の後、布地を断ち切る音が響き渡る。サテュアータの右手指先を包囲するようにして聖術が展開していた。
――指の軌跡は、胸元を両断するように一直線――そして、奇跡の部分の布地が鋭利な刃物で裁たれたかの如く、綺麗に分断されていた。
白磁の艶めきを持った穢れなきマリアの肌が露呈する。下着さえも分断したにもかかわらず、人体そのものに危害を加えているわけではなかった。清らかな乙女の四肢に傷は不必要だった。
マリアの耳元をサテュアータの舌が這うように凌辱する。――助けて。声にならない叫び。口元は依然震えが止まらない。凄惨なる恐怖が彼女の理性を悉く蝕んでいく。
依然、マリアは、諦めているわけではなかった。ただ、助け船を待ち続けること
しかできなかった。故に、彼女は苦し紛れに首を上げる。そして――目を見開いた。
金糸がロキの魔導剣に集束している。
一体、何の現象だろうか、なんて長々と考えられる程、マリアに余裕は残されていなかった。
だが、たった1つだけ、曖昧であるが確実に言えることがある。
――ロキなら、きっとこの男に勝ってくれる、と。
絶望の淵に立っていたマリアの頬が微かに緩む。彼女の勇者は、ただ1人――ロキ=レイヴァ―テインのみだ。これまでも、今も、そしてこれからも。
だから――――叫べ。
「助けて……、ロキ!!」
第39話 禁忌堕天の叛逆 上
「ああ、待っていろよ」
――許さない。
言葉に紡ぐ。覇気が、怒気が、瘴気が含蓄された言葉は、いわば言霊だ。ただならぬ威圧が、荒廃した螺旋階段の空気を一変させる。構えた剣が煌めく。――覇気の金に染まる。
――自分の中に秘めた感情を極限までその剣に込めると、剣が呼応して形状が変化する。
母親曰く魔導剣とはつまり、そういうもの。曖昧だが、確かに存在する――想いの象形。
剣が、ロキの心象を表すかのように、形を成す。同時に――脳内に、“剣の真名”が流れこむ。
「ああ、そうか――これが、俺の魔導剣か。――いや、魔導剣【禁忌堕天・レイ=ティルヴィング】か」
刹那、金糸の結晶がロキの魔導剣から霧散する。現れたのは、黄金色に染まった両手剣だ。鍔は歪曲し、刀身に絡めついている。切っ先には黒く刻まれた刻印がある。――“禁忌堕天”を象徴する魔王の印刻だ。まさに、そう、まさに――ロキに相応しき剣だ。
「待っていろ」紡ぐ誓い。双眸は、熱を帯びた緋色に染め上げられた。
「俺が助けてやるから、待っていろよ、マリア」
直後、段を踏みしめる破砕音が空間に共鳴する。ロキの剣閃は、瞬く間にサテュアータを捉える。肉薄、そして空隙から放たれた一閃により、ロキの魔導剣は血塗られる。
――――ロキ=レイヴァーテインの叛逆劇が始動した。
次回……禁忌堕天の叛逆 下




