第35話 血塗れ怨嗟と穢れなき愛を
35話です。よろしくお願いします。
「さあ……わたくし達の出番ですわね……」
「クレオネラさん、表情が怖がっているよ」
「ヴァレオ様、その指摘は不要ですわ……!
仕方が無いですわ! だれが殺人鬼未遂に平然と近づけるのですか!」
やれやれ、とマリアは苦笑するしかなかった。強がっていることがあからさまに露見している。
ユグドラシル聖術学院、正門は高嶺の如くそびえ立つ。獅子や虎、幻獣――主に龍の刻印が彫られた荘厳なる鉛色の門の前にクレオネラの足が竦む。入学以来、何度もこの門を潜っているのだが、
――怖い、なんて思ったことはありませんわ。
強がるも、建前の感情に反して、本能は正直者だった。喉が、肩が震えて、体中の筋繊維が硬直していることまでも感じられる。硬直しきった体は容易に動くことを許されていない。
「そもそもさ、クレオネラ。あなた――戦わないんでしょ?」
「し、失敬な、マリア様! わたくしだって戦えるんですわよ!」
へぇ、そう、ふぅん。たじろぐクレオネラを軽くあしらうマリア。
このままじゃ、戦えない。――それは彼女が一番に分かり得ていた事実だ。
ふと、マリア様って聖母様みたいで包容力いいよね、なんて考えが過る。
その妄言を、あえて口に出さないあたり、マリアは賢明であった。
「ともあれ――前に進まない限りは何も始まりませんわね」
「それをクレオネラが言うことが問題だと思う」
「まあまあ、2人とも」
宥めるヴァレオを他所に、2人の少女の間で火花が散っていた。
――さて、一体いつからこんなにライバル精神(?)燃やしているのかな……。
これに関しては、ヴァレオが知る由などない。2人の少女の間に立った彼は、頭を抱えて自らの置かれた現状に落胆しつつあった。
『相手側も動いたようですね』
『ハハッ。高みの見物というのは中々どうして悪くないなぁ』
学院正面に開けた生徒会室の大窓から正門に映る人影が存在した。
それらを俯瞰する1組の男女。少女の方はウェディングドレスを纏い、片方の男は、黒に塗られた燕尾服
『ええ――悪くない、です。サテュアータ様がそう仰るのならば』
『君の妹がこの場に向かっている姿を眺めて、“悪くない”か……。君も人が悪いねぇ』
悪戯にサテュアータは頬を歪める。――この後に返ってくる彼女の言葉こそが真の『甘美』なのかもしれない。歪んだ唇は三日月状だ。悪魔の嘲笑とも取れる。
『何を言っているのですか、我が主様』彼女――アンセル・セロージュは、かく語りき。『あたくしに妹なんていません。ましてや、家族なんてててて』
カタカタと、カタカタと。主と呼ばれた男の薄笑いが、道化の嗤いが零れる、放たれる、溢れていく。
それを、無表情で、無感情で、ただただじっと見つめているアンセルは、まさしく道化の操るマリオネットに過ぎなかった。
息が、乱れる。
なにゆえあって、俺らは追われているのだろうか――。
無数の男共に――否、漢共に。
「「うぁぁあああああああああぁああああああああ!!!!」」
一体! 何が! どうして! こうなったんだ!?
2人して運命を糾弾したところで、返ってくるのは、男衆が無言で地を蹴る音のみ。
そう――無言なのだ。無言で襲ってくる故に不気味さが際立っている。
目付きが険しい。無表情だからだろうか、そう感じてしまう。
これでは、まるで死霊に追われているみたいではないか。
現在、ロキとシグルーンは追われている。学院中央棟、裏口から侵入した後、聖術炉に向かう途中で追われる羽目になったのだ。動機など関係ない。ただ。反射的に、本能的に「逃げろ」と思考回路が結論を出したので、彼らは走り続けている。先程まで間近にあった聖術炉も逃走と共に遠く過ぎ去っていく。――この恨みは必ず。こめかみに青筋をビキビキと浮かび上がらせながらも激昂を心裏に留めるロキ。彼の安全装置は既に機能を失いかけていた。
「ぐるるるるるる…………許さない、あの筋骨集団め……!」
「怨嗟がロキ君を獣に変えているよ!? 止めよう、抑えて抑えて……!」
がうんっ! と今にも獣人族涙目の野獣になりかけたロキの方向が木霊する。普段の、涼しげな風格はどこへやら。堪忍袋の緒が切れたことにより、理性の糸もこと切れてしまったのだろうか。ならば、相当な重症であろう。
「くそッ……! これも俺らに仕向けられた刺客なのか……?」
「多分、そんな気がする、よ! ハァ、ハァ……、とりあえず、早い内に、手を打とう……!」
覚悟を決めて、2人は、男衆へと振り返る。残心を取り、双方、剣を構える。
ロキは、下段に。シグルーンは上段に、だ。構えと同時に、男共と拮抗し、駆け出す。
下段に構えられたロキの木剣が次々と勢いを殺せずに襲いくる者共を横薙ぎにする。
胴を捉えたら、踏み込みと同時に前方へ振り回す。
無差別にその行為を繰り返す。
人を薙ぎ払う。
ドミノ倒しの要領で、吹っ飛ばされた男が、更なる他の男共の体勢を崩す。
その連鎖で、斬撃の数を減らす――そんな魂胆もある。
シグルーンに関しても同様だ。
威力に関しては、【聖龍剣・ドラグナー】の使い手であるシグルーンの方が勝る。
圧倒していた――剣戟は両者、光の速さ。
まさに“目にも留まらぬ速さ”である。
気が付けば刀身が肉身を抉り、穿ち、薙いでいる。
――だが。
「一向に、減らないよね……」
「ああ。むしろ、増えているようにも感じられるな」
ああ、これって、倒した数と、増える男共――敵の数が比例しているのか。
――冗談じゃない。だったら、戦うだけ無駄だ。
頬が引き攣らせてロキは、敵数を確認しようとした。
と、そこである事実に気が付く。以前、顔見知った金髪の青年を指差す。
「あの男――確か、剣術部部長、サイシス・キリングドールだったな」
「そういえば、剣術部って学院内で部員数トップだったと思う」
「故に、これ程の人材を集められる、か」
なるほど、確かに一理ある。それに、昨日は剣術部が生徒会の勅命で夜間の警備に当たっていた。
「まさか、剣術部がこの事件の……」
「いや、剣術部だけ、ではなく生徒会にも容疑を掛けるべきだよ」
「まさか…………姉さまが事件に関与して」「それは分からんな。あくまで、推測に過ぎない」
兎にも角にも、現状、敵――剣術部員総勢30人オーバーに四方八方囲まれた状態だ。
相手が戦闘員であるが故に、半ば勝利は絶望的だ。無論、――――立ち向かう者が、ロキとシグルーンでなければの話だが。実際、シグルーンと共に学院侵入を図ったのは正解だった。彼女の戦闘力は、並の剣術部員だったら目を瞑ってでも屈服させてしまうだろう。ヴァルキュリア家の名は伊達じゃない、はずだ。
「さて……どうする、か」だが、手数が足りないことも予知されていた。多勢に無勢。数の暴力は実に有力で無類の残虐さを誇る。が、構う暇などない。「シグルーン、背中は預けた」
「ああ」短い肯定。言葉に重みがある。聖龍剣を握る彼女の右手は汗がしとどと流れている。柄が滑る、その感覚は如何にも不快だったようで彼女は眉を顰め、目を細めた。「手短に済ませてしまおう」
昼Ⅲの刻、約束の時間が刻々と迫る。
切迫とした緊張の中で、2人は、剣術部の男共に向かって、床を蹴り上げ、肉薄した――!!
第35話 血塗れ怨嗟と穢れ無き愛を
「――今のうちに、急ごう」「うん」「……わかりましたわ」
ロキとシグルーンが見事に敵の注目を集めている間に、学院中央棟の通路を駆ける、そして、上層階へ繋がる階段を疾駆する、マリア、ヴァレオ、そしてクレオネラ。念の為、身構えて棟内へと侵入したのだが、敵と相対し剣を交えることへの杞憂を捨て去ることができ、心に余裕が生まれる。僅かばかりな余裕だろうが、あるに越したことはない。
1段飛ばしで、段を駆け上がる。爪先で地を蹴り上げる。軽快な足音が螺旋となって続く段の中で共鳴する。高い位置にのみ窓が設置されているからか、春色の暖気は感じられない。湿気を含んだ冷涼な空気が肌に纏わりついて離れない。ゾワリ、と不気味な寒気が感じられる。
――まるで、この先に人知を越した“化物”でも佇んでいるかのような、得体も知れない恐怖とも感じられた。
(思い違いだったら、良いけど……)不思議と胸の奥底でゾワゾワと蠢く“何か”を感じ取ってしまうマリア。何が、彼女に恐怖をもたらすか――その恐れの正体は神のみぞ知るのだろう。
だが、刹那。その”得体のしれない何か”が襲いくる。
不意に、マリアの怖気を射抜かんばかりの紫電を帯びた弾丸が唸り、彼女を貫かんと風を切り裂き放たれた。
反射的に彼女は身を屈め、回避する。
弾道は読めていた。
ただし、どこから射出されたかは、不明瞭だった。
マリアからは、無の空間上から弾丸が顕現したように見えていた。――何より、
「誰が撃ったというの……!」
目を見開き、驚愕の表情が表に出る。
そう、弾を撃った張本人は、彼女達の眼前には勿論、背後にも存在していなかった。光の屈折を用いれば、姿を消すことが容易だ。恐らく、聖術を施したのだろう。――そこまで考えが及んだ途端、公開と自責の念に駆られるマリア。
「読みが甘かったかな……! 事前に《アマテラス》でカモフラージュしておくべきだった……!」
まさか、道中で敵と出くわすとは。明らかに想定外だった。――いや、想定すべきものを見落としていた。
「後悔は後ですわ、マリア様」苦渋の表情で弾道の先を睨むマリアから一歩だけ、前進するはクレオネラ。両腕を胸の前で伸ばしている。華奢な骨格、白磁の肌は光の差し込まない螺旋階段において神秘的な妖精を思わせるフォルムだった。「どうやら……やっと、わたくしの出番のようですわ」
伸ばした両腕を密着させ、両の手を精一杯に開く。
掌の収集されるのは、純白の光子。
聖因子の塊であろう粒子が球状を為す。
と同時に、紫電の弾丸が無数に眼前に顕現。
掃射を開始せんと、四方八方、無闇に、無邪気に、無惨に射出される。
紫電は、直線を描き一斉に3人を穿つため、風を裂き、甲高い風音を鳴らしながら突き進む。
幾重にも重なった風切り音は一種の幻獣が織り成す咆哮と化す。
だが、紫電を見据えたクレオネラの双眸は、正気の白光で満ち足りていた。
「出でよ――《アルテミス》」
光球が変幻する。
翼が生える、球形が徐々に人型へと変形していく。
光の礫が放散すると同時にクレオネラの掌を足場にして立ち上がる小人があった。
――祭祀契約術によって現れた『妖精』。
クレオネラの妖精、《アルテミス》は、金糸の髪を腰丈まで伸ばし、白布一枚を羽織ったような服装である。自然に、神、もしくはそれに近しいものを想起させられる。
「ヴァレオ君、巨獣化で防御お願いね」「了解だよ」
二つ返事での快諾。即座に、巨獣化の術式を唱える。白の小犬が即座に巨獣へと変貌を遂げる。
クレオネラの前方へ4足歩行で移動する。
一歩にしても、螺旋階段を震撼させる重量、力量である。
恐らく、1回、前脚で正面を引っ掻き回せばそれだけで、聖術の迷彩を看破することが容易に見える。 ――ただし、幾つかの懸念を予測した上で、マリアは巨獣化状態のヴァレオを防御に徹するように指示した。
まずは迷彩の追加効果。術の組み合わせで付与効果は変幻自在だ。その気になれば、迷彩破壊と同時に足場の崩落を引き起こせる。
また、物理攻撃で破壊した場合は、装甲に爆破系の術式を組み込めば破壊と同時に攻撃を加えてきた相手へのカウンター攻撃も可能となる。勝手が利く故に、対応は至難の業である。
更に言えば、防御に徹してもらえば、巨大な防壁となり、敵の隙を突くことが容易となるのも理由である。
グルォォォォォォ!! と本能剥き出しの号哭が螺旋に木霊する。戦慄は免れない。――見かけは、完全無欠な怪物だ。この中身は子犬だと誰が思うのだろうか。
紫電の掃射が止む。この機会を窺っていた。迷いなく、クレオネラは段を駆ける。妖精は肩に座り込んでいる。
「召喚術《天の狩人》発現――」
だが、術詠唱と共に《アルテミス》は彼女の肩から飛翔し、空中に浮遊。
白の光を纏い、翼が大翼へと拡大。
体躯も掌サイズから拡張される。
僅少の体躯だった妖精が天使の身体つきに。
身体の膨張と共に新たに光の礫が顕現する。
それは、天使と化した《アルテミス》の右手に弦と弧のみの簡素的なフォルムの弓を、左手に握ったのは曖昧模糊に揺らめく陽炎のような槍を形成する。
「《アマテラス》、付与妖精《愛し者を血塗りし弓》付加。召喚陣――《狩猟神》発現」
煌めく弓矢がクレオネラの眼前へと焦点を定める。
敵の姿を確認した。聖術の迷彩を射抜く為の手段が揃う。
陽炎の如く踊り狂う眼光。
双眸は確かに標的を射抜いていた。故に。
「血塗れ怨嗟と穢れ無き愛を――《血印掃射Ⅰの矢・蠍の毒牙》」
弓の弦が弾かれる。
朧な彩光を放った矢が風を滑る軌道で直進する。
――光速だ。いや、光をも凌ぐ速度かもしれない。
人間の脊髄反射で避けることができる範疇にはなかった。
ズブリ、と肉を劈く鈍い音をマリアは耳にした。
迷彩が崩壊し、光の粒子となって霧散する。
膝から崩れ落ちる男の姿があった。
初老だろうか、白髪交じりの短髪に、顔に深く刻まれた皺が特徴的な男だ。
見覚えはあった、だが、思い出せない。記憶に新しい顔だったはずだ――マリアとヴァレオに関しては、それ程の記憶、感慨に留まった。
だが、クレオネラは――。
「………………………………………………………え、え」
思考が滞る。頭の中が真っ白に染まっていく。
言葉が出ない、足りない。混濁した思考。弓で穿った。そう。そこまでは。確か。だった。いや。少し。待って。昨日の。手紙には。何が。書いて。あった。あった。あった。あった? わたくし。以外は。監禁。されていた。はずだ。どこに? どこに? え? 嘘。――まさかまさかまさか。
「う、そ――――で、すわ、よ、ね」
断片的な言葉の羅列が片言ではあるが、意味を成し始める。
だが、クレオネラの顔は、病的なまでに蒼白に染まっていた。
唇が、肩が、脚が、両手が、震える。震える。
まさに、絶句だった。あり得ない。そんな結末があってはならない。
「嘘、ですわよね……お爺、さ、ま――。答え、てくだ、さい。答えて……!」
ああ。
想定外の衝撃が、マリアとヴァレオにも伝播する。
クレオネラの見開かれた瞳は、驚愕よりも失望、恐怖、虚無の表情が映し出されている。一滴の涙が彼女の頬を伝う。それを皮切りに大粒に雫が彼女の瞳から零れ落ちる。倒れた男へとクレオネラはただひたすらに駆け出す。突き刺さった槍を力尽くに引き抜くと男の肩を揺さぶる。
――そう。クレオネラの弓矢を真っ向から受けた迷彩の男は。
他でもない、ユグドラシル聖術学院長、アストレア・セロージュだったのだ。