第34話 双竜の一閃
34話です。よろしくお願いします。
戦わねばならない。
だが、脚が竦む。
どうして、どうして自分はこんなに憶病なのだろう――。
嘆きの一滴が瞳から零れ落ちる。
第34話 双竜の一閃
時を遡ること、早朝。
「さあ、――行くぞ」
ロキの合図と共に学院の裏門から侵入を試みる。
この場にいるのはロキとシグルーンのみ。
マリア、ヴァレオ、クレオネラは爆破犯に指名された昼Ⅲの刻に合わせて潜り込むよう伝えてある。
学院の裏は木々が生い茂り、陽が差さず、陰りを見せている。湿った空気が不気味さを際立たせる。
「とりあえずは、中央棟に繋がる経路へと向かおう」
「確か、この前の古びた建物が南棟だったから……ああ、見つけた」
ロキの視界が苔に覆われた煉瓦で舗装された細道を捉える。
小道は、中央棟の裏入口へと伸びている。
まあ――学院自体の面積が広大故に、走るもしくは術で転移しなければならない程距離は開かれているが。今も、中央棟の象徴とされる大聖堂の姿がポツンと小さく映っているだけだ。
「遠いけど……術の展開は止めておいた方がいいかもね」
「そうだな。確か、聖術には一度術を展開した者に適応する索敵の術式があるんだったな」
頷くシグルーン。彼女はいつも通りの制服を着て、白金の髪を微風に揺らしていた。しかし、普段との特異点が1つ。
「…………なあ、シグルーン。お前、そんなデカい剣、振れるのかよ」
シグルーンは腰に両手剣を巻き付けていた。黄金の鞘は龍の刻印が刻まれている。柄は獅子をイメージした彫刻である。王者の品格を感じさせる剣。だが、その剣の大きさはシグルーンに不釣り合いな程、長く太い。
「失敬だなあ、ロキ君。僕を誰だと思っているの?」
「男装女子」
「違います」
「女装男子」
「さらに酷い!?」
してやられた。ぐぬぬと表情を強張らせ、睨みをきかせる彼女。
「……一応言っておくが、冗談だ。お前は、シグルーン家のご令嬢――今のは間違っていないよな」
「うん。今の一言で先の発言の罪を減刑しておくよ」
助かる、と吐き捨てて2人は煉瓦道を並んで進む。
「だけど――今の答えでは、半分しか正解を与えられないな……」
「褒め殺しが足りなかったか」
「そうじゃないよ」
キッパリと断言させられた。あっさりとし過ぎていて反応に困っているところで、わざとシグルーンは咳き込む。
「僕は確かにヴァルキュリア家のご令嬢だよ。だけど、ただお嬢様をやっているわけじゃない。それは一度僕と戦った君なら分かるんじゃないかな?」
「言われてみれば、な。ただの令嬢様が剣を振り回している姿なんて想像できない。だが、お前は俺の偏見に一切介在しない。――戦場を蹂躙する戦女神とも例えられる」
「さすがに言い過ぎかもしれないな……」苦笑。「だけど、その反応が正解だよ。僕はヴァルキュリア家の次期当主兼ハンター志望だからね」
「何だ、結局両方捨て難かったのかよ」今更な事実に呆れ笑いが零れる。「男装やめた姿を見たとき、ハンター1本に道を絞ったのかと思っていたが」
「あはは。それが中々許してもらえなくてさ。結局、当主も引き継ぐからハンターもやらせて欲しいって頼んで了解が得られた程だよ」
「貴族暮らしも大変そうだな……」
前世はともかく、今世では完全なる平民の立場だったため、ロキには公国貴族の悩みが分からない。知る由もない領域なのだ。
と、他愛もない会話が繰り広げられていたが、僅かな雑音で、ロキの双眸が鋭く光る。彼の動きに応じ、シグルーンも身構えた。風で揺らぐ林には明らかな作為的な雑音が混じっていた。木々の間を颯爽と駆け抜けてくる、足音が早まり、近まる。鼓動の高鳴りは止まない。
「この音は……!」
「――ッ、気が付かれたか」
苦虫を噛みしめたような表情となるロキの横を一際強い風が颯爽と通り抜ける。
風の鳴る音を耳にすると同時に2人とも煉瓦道からステップし、外れる。
鋭利な刃物が空気を切り裂き、射出されていた。
横飛びから爪先で着地。
麗しき緑で塗られた苔の地表に着地。
直後、金属片と思わしき物体が煉瓦に突き刺さった。
ツカ、ツカ、ツカッ! という軽快な刺突音が迫りくる襲撃の脅威を端的に表している。
欠片の数は10本弱。
金属片は短刀の如く刀身が細く、短い。
だが、短刀と呼ぶにはあまりにも簡素なつくりだ。
何せ、鍔や柄が存在しない。
――刃のみの鉄塊に過ぎない。
投擲のためだけに製造された小道具の可能性が高い。
狙われたという事実から警戒心が跳ね上がる。
右手を眼前に掲げ、魔導の展開準備を図るロキ。
右腕に煌々とした彩光と熱が籠り、放出されている。
魔術因子が彼の腕に集積しているのは目に見えた事実。
2人は煉瓦道に駆け寄り背を合わせ、周囲を見回す。
無論、暗殺者となれば表沙汰に殺戮対象を始末するわけがない。
加えてここは木々に囲まれた小道だ。
奇襲にはもってこいの地形――暗殺者のホームグラウンドである。
暗殺者が容易に殺戮を計略できる場。――すべてが仕組まれた罠だったのかもしれない。
――俺らが裏口を利用すると勘付いていたか。
「――アイツかッ!」
木々の間から鋭く煌めく眼光を確認。準備済みだった術を展開する。赤熱し収集された魔術因子が刹那にして緑と水色のマーブル色に移り変わる。幻想的なエメラルドの透き通った緑色が彼の腕に纏われる。既に熱が運動エネルギーに変換され、術に伝播する。
「水よ、緑よ、呼応せよ――濁流草薙!!」
術式を紡ぎ、発動。右腕という砲口から一点集中で激流と旋風を射出。風の抵抗が旋風と相殺され、無抵抗、威力最大の一閃が枝の間を高速で移動する暗殺者を容易に穿孔する。見据えていた眼光が光を失うのを黙視すると同時に枝を破砕し質感ある鈍い音を耳にした。
まず、1人目か。再確認の上で敵数を着実に減らさねばならない。
が、立て続けに木々の上で俯瞰する黒の影が増加していく。その数、10は愚か、30をも超過していることが目に見えている。鋭く睨まれる視線が2人を囲む。だが、悲しいかな、威圧そのものが彼らに届くことはなかった。『猛禽類の鳥瞰の先に自分たちが映っているだけだ』――それ程にしか眼中にない。だが、敵数と手駒が不釣り合い過ぎる。二者択一することが悩ましい。
このまま、多人数相手に魔導と剣閃の蹂躙を試みるか。
潔く逃走の道を辿るか。
無論、彼らの手に負えないような相手ではない。ただ、小道具というのは不規則で難儀な武器だ。変則的な鬱蒼とした木々に囲まれたこのフィールドで果たして最大限の力を発揮できるだろうか。
そして、もう1つ。――もしもこの追っ手すらも仕組まれた罠だったら。昼Ⅲの刻まで彼らを立往生させるために施された足枷だとしたら。既存のリスクがあり得ない負の連鎖を、新たなリスクを引き起こすことなんてありふれた話だ。メリットとデメリットが呆れるくらいに釣り合っていない。
「手に負えない、な。ここはひとまず逃げるぞ、シグルーン」
後者を選ぶのが妥当と判断したロキに、シグルーンは首を横に振り、拒絶を示す。
「いいや――その心配は不要だよ」
「お前の能力に関して、申し分がないことなどとうの昔に知っている。だが、問題なのはこの戦闘に参加すること自体だ。もし、この敵すらも爆破犯に賛同する役者だったとしたら。完全に相手の術中にはまったことになるぞ」
「構わないよ」
再びの拒絶には気圧されるような力が込められていた。
「僕が“一瞬で”全員の刺客達を倒してしまえば、道中では常時安泰だろう?」
「…………まあ、それもそうだな」
一考の後、シグルーンの声音にかかった意志闘志に勝利の賭博をしてみようと鑑みる。
「ただし、時間は限られているぞ。大本の爆破犯を刺激する行為だけは避けたい」
「…………善処するよ」
微妙な空白が言葉の曖昧さを漸増している。
「僕に任せて」
短く決意の言葉が吐かれる。凛とした声音は真剣そのもの。
ロキの背後でガチャリ、と何かが引き出される。
振り向かずともロキにはその物音の正体が分かる。
刀剣の類だ。
それも刀身の長さからして、両手剣といったところか。
振り向いて剣の繊細な刀身を一目見たい欲求に駆られるが、防御に徹するために振り向かなかった。
この場で暗鬱な空気が漂う木々を伝っていく刺客共が恨めしい。
根こそぎ、刈りたい。
殺人衝動に駆られるのも無理はない。
何せ、今世では鍛冶師の母を持つロキだ。
知らぬ間に刀剣の愛好家へとランクアップしていたのかもしれない。
まあ、これ以上意味のない思案に耽ったところで何の意味や価値などが得られるわけがない。
故に密林に漂う殺伐とした茨の棘のような空気に心身ともに染まり上がる。
「僕の【聖龍剣・ドラグナー】でこの場を両断する……! だから、ロキ君――後ろは頼むよ」
「了解――頼まれた」
承諾に蛇足な言葉は不要だった。
直後、森閑が打ち破られる。
逆巻く風音、林が殺伐とした喧騒に満ちていく。
無数に飛び交う金属片。
鋭利な刃が殺傷のためだけに投擲される。
鋭利故に空気抵抗を最小限に、速度を落とさず馘首する。
陽光に当たることにより生じた金属光沢が流星の如く突き進んでくる。
流れ星は闇夜の趣だ。――決して、戦場を飛び交う放逐の鉄塊を指す言葉ではない。
ぶっ放されるは、放逐を体現した穿孔の塊。
しかし――甘い。
ロキは残虐に嘲笑う。
弱い、弱過ぎる。
ひ弱過ぎる、
虚弱過ぎる、
脆弱過ぎる、
軟弱過ぎる、
貧弱過ぎる、
柔弱過ぎる、
惰弱過ぎる、
虚弱過ぎる、
羸弱過ぎる。
空疎な力無い一撃だ。
人形の投擲だ。
嗚呼、――巫山戯るのも、大概にしろよ? 人間風情以下の者共よ。
元・魔王候補を見縊っているようならこの場で制裁の措置を取ろうか。
――既にこの場は、ロキの魔導の範疇にある。
「展開せよ――防壁層!」
ロキとシグルーンを飲み込むように臙脂色でドーム状の防壁が顕現。
2重、3重と盾に盾を重ねるように術が復唱される。
一息置く間もなく、ズガガガガガガガッッ!! と盾を穿つ矛の蹂躙があった。
逡巡の感じられない速度の金属片。
だが、原始的な放り投げに高度な技術であろう、魔導や聖術には及ばない。
所詮は槍投げの要領で放り投げるだけの簡単な話。
故に、魔導での防御も朝飯前。
「飲み込め――波流!」
ドームの防壁を包み込むように水流の流れが出現。
たかが、金属の欠片だ。
軽量故に、激流に拮抗する余地はない。
水の流れを僅かに制御することで内側に向けられていた刃を外へ放出する形へと方向転換させる。
舞台セットは、これ以上もなく完璧に仕上がった。
締め括りに、極め付けの術を詠唱。
「跳ね返せ――鏡鳴!」
一手前に動きが封じられた金属片が『反射』する。
すなわち、投擲された威力そのまま――ロキの防壁から金属片が射出されたのだ。
不意打ちには不意打ちを。
そのための逆襲、反撃だ。
刺客達には一度奈落の底を味わって頂こう。
金属の砕片が肉を抉り、血糊を木々の青々とした緑葉に撒き散らす。
破砕していく枝葉に、奇襲の発端となった者共を地に叩き付ける重低音だけが残響となる。
よし、もうそろそろ頃合いだろう。
掲げていた右腕を下ろした。
防壁層の分厚い壁が羽化するように外側から剥離していく。
「後は頼んだ――シグルーン」
「うん。――頼まれた。だから、1つ忠告しておくよ。――――ロキ君……少しの間跳んでいて」
何故だろうか。
――目線で疑問を投げかけ、目線で返された強気の回答に思わず吹き出してしまう。
無論、迷っている暇は無さそうだった。
「――了解」
端的な快諾を意味する言葉を告げ、ロキは地を蹴り上げる。
飛翔と共に防壁の解除が為される。
シグルーンの自由が確保される。
鞘から抜き出された【聖龍剣・ドラグナー】が大上段に構えられる。
漆黒に赤黒いラインがかかった刃が伸びている。
赤熱したラインが、拍動しているかのように紅を点灯させている。
世界の奥地に佇む古龍の、銑鉄で構成された骨と、血液から生成された剣。
古龍の血から生成していることがあって、絶対に錆びない仕様となっている。
切れ味も未来永劫変化なく、常時最良とされている。
だが、聖龍剣の高名はそれだけの効果に留まらない。
「式神――《龍王》、式神――《龍王妃》を祀る……!」
2対の式神が顕現。掌サイズでつがいの龍――【双龍】の召喚。
共に【聖龍剣】に司る式神だ。
「《龍王妃》、召喚陣《六芒星魔方陣》発現。――湧き出ろ、《龍脈》」
式神への命令を発動する。剣の刃が鮮血で塗り上げたような紅色に染まる。
《龍脈》の効果は、刀身の強化にある。赤黒く染まった刃は使用者から剥奪した血の量を示している。
そう――【聖龍剣】は己の生き血を消費することで真の力を利用できる、いわば“犠牲”の剣なのだ。
「《龍王》、召喚陣《五芒星魔方陣》発現。――刃に血塗れ、《龍閃》」
上段の剣を横に薙ぐ。
焔が刀身から湧き出ている。
血色の刃は赤熱している。
――ボウッッッッ!! と周囲が焼き切れる騒音が耳朶に触れる。
同時に、シグルーンを取り巻く林が根こそぎ、焼失。
灰と炭へと変化した可燃物が重さに耐えきれず根元から折れていく。
ドミノ倒しとなって周囲の木々をも倒壊させる。
刺客は今頃倒壊した木々の下敷きになって呻いているところだろう。
だが、面倒を好まないロキは、平然と見捨てることにした。
別段、罰当たりなことじゃなかろう。
そもそも、相手側の奇襲で開始した戦闘だ。
ロキとシグルーンが情けをかけて手を差し伸べる必要などない。
頑として、ない。
呻き声を木々の間から感じ取ったシグルーンは、闘志に滾った獰猛な笑みを浮かべる。
それは、年相応の少女の爽やかな笑顔とは懸け離れたようなまさに悪魔、超えて魔王――更に飛び越えて邪神をも連想させるものだった。
「よし……!」
「よし、じゃねえよ」
「ひゃう!!??」
即座に獰猛だった笑いが焦りの表情に変わる。
実際、焦っているシグルーンを眺めていると安心した気分になれる。
一種の癒し効果だろう、とロキは断定する。
「やり過ぎじゃないか?」
「だ、大丈夫だよ。これくらい、お金で何とかなる、何とかなる……よね?」
「俺に問うな。――まあいいか、奇襲を仕掛けてきた相手側の罪だし。いざというときは全額相手側に要求すれば」
「ロキ君、……案外腹黒かったりする?」
「知らん。それも俺に聞くな」
ともあれ、最初の出陣は、白星で飾った。
即座に始まった戦い。未だ、長く伸びた中央棟への道のり。
一体道中で何人もの敵と相対するのだろうか。予想はし難い。するのさえ怠惰に満ちた考えだ。
シグルーンが背伸びをするのを傍目に見て、ロキは小道の向こう側――中央棟を見据える。
まだ、遠い。予定時刻は昼Ⅲの刻。それ以前に、聖術炉に赴かねばならない。
「ねぇ、ロキ君。――君は木剣だけで足りるの?」
ふと、そんな疑問を耳にする。シグルーンはロキが背に携えている木剣を指さしていた。
「大丈夫だ。第一、木剣なら殺傷の可能性を極めて抑えられる」
「存外に平和主義者なんだね……」
「存外に、って何だよ。……まあ、殺傷を抑えるのも理由の内だが、この剣の扱いに手馴れてしまったのもあるんだけどな。まあ、誰かを殺しにかかる場合は、魔導で事足りるし」
誰しも戦闘のスタイルがあるのは、世の常だ。肉弾戦に重きを置くものがいれば、技巧戦で技を見せ合うものもいる。知略謀略に長けた者なら参謀に、術に長ければ魔導師や、聖術師に。バリエーションは無限大。故に、自己の戦闘スタイルは様々であって問題は皆無だ。
「ユグドラシル公国は帯刀の許可が下りているよ。それに正当防衛での殺害行為も認められている……。だったら、ロキ君は剣を振り回した方が強いんじゃないの?」
「そうかもしれないな。実際に、鉄剣で何度か素振りをしたことはあるが、問題点は見受けられなかった。――だが、正直なところ、今はこの古びた木剣で事足りている。いずれは――もし、この剣がぶっ壊れたとしたらその時は潔く鉄の剣を握って戦うよ」
「まさかだけど、今日が鉄の剣を握って戦う日になるかもしれないね」
「それもあり得るな」
あくまで休息的な会話が交わされる。
昂った感情も抑止できてきた。
「さあ、新たな追っ手が来ないうちに中央棟に潜り込もうか」
「うん。マリアさん達が向かってくる前に事を済ませてしまおう」
そして、2人は煉瓦道を蹴り上げる。
焼失した木々の灰は、道を灰色に染めている。
小道を駆け抜ける2人の足跡が灰だらけの地面に刻まれる。
そして、いとも簡単に、颯爽と吹く春の風に溶けて、風化するのだった。




