第30話 暗幕と1つの頼み事
30話です。よろしくお願いします。
貴族との戦いを終えた翌日。ロキは、ユグドラシル公国中心部の富民街の一角、無数の豪邸の中で宮殿のような外観を保つ白を基調とした豪邸へと足を運んでいた。
――某人からの呼び出しを受けたのだ。
追記として、ロキ以外に誰も呼ぶなと執拗に確認を取っていた。
故に、ロキはマリアを家に残し、独り身で完全アウェーな貴族の街へと潜り込んだのだった。
「――ったく、何の御用だって言うんだ……」
嘆息を吐き、正面に高くそびえ立つ邸宅の門を睨みつける。彼がこの場に到着して既に5分は経過している。一体、どれ程待たせれば気が済むのだろうか――あの令嬢様は。
ふと、ギギギ、と軋む音と共に、門が開く。非常に緩慢とした動きだったため、見るに堪えず結局は、門が完全に開く前に僅かな隙間を潜り抜け、門の内側へと辿り着いた。門を抜けた後、ロキは振り返り、彼をこの場に呼んだ張本人を捉える。
「まさか、今の今まで睡眠中ってわけじゃあないよな」
「……はてさて、一体何のことかしら、ロキ様」
ロキの視線の先にあったのは、暗色系の緑色の髪を昨日のようにツインで結ばず、――というより、ボサボサの寝癖を露わにして如何にも「さっきまで寝ていたんだよ☆」オーラを存分に醸しだした清楚少女――クレオネラが門戸を閉める姿だった。
あくまで平然を装った口調は、あからさまに早口になっている。
――詮索はよしておこう。優男なロキは、あえて他人の傷口を抉ることは決してしないのだった。まあ、眼前の少女が人前で清らかな乙女を演じている(?)わけだ。そのイメージを壊さないようにという意味合いも含めているのだが。
「……予想はしていたが、お前も貴族か」
「実のところ、そういう立場なのよ。何せ、父親が聖術学院、学院長で母親が公国議会の議長ですから」
「……思いの外、昨日の王族被れよりも立派に貴族をやっていないか?」
確か、学院長の名前はアストレア・セロージュだったはず。そうか、確かにクレオネラと同じ家系である。
「まさか、学院長の娘様だったとはな……。先の無礼、許してくれよ」
「いきなり、手の平返しされた感じがありますわ。別段、ロキ様の無礼は気にしていないのですわ。そもそも、無礼なことなど一切なさっておりませんし。むしろ、わたくしを救ってくれた英雄なんですわ。それに、わたくしは、貴族出身だからといって、身分相応の特権を使ったことは一度もありません。実質、平民の立場にあるのです」
彼女が張り切っているように見えるのは俺だけか?
だが、そんな問い、風に吹くまま流されていく。
おまけに掌に残ったであろう一粒の、格言を述べる。
「そんな如何にも純真無垢なお前に1つ教えといてやる――偏見を訴えることもまた偏見だ」
「何ですの、その矛盾!?」
理不尽に呼応するクレオネラの叫びが富民街に木霊する。偏見は言わずして初めて解消するのだということを彼女に教えるべきだ、強く心に思うロキであった。
「シャンデリアに、赤の絨毯……、在り来りだな」
「ロキ様の想像を超えることができなくてすいませんですわ」
真顔で茶々を入れると、丁寧口調を保ちつつ、膨れっ面になるクレオネラ。
「そもそも、貴方の想像通りですわ。どこのお宅もこんな装飾品くらいしか飾っていないはずですわ」
「……獣の剥製とかは無いのか?」
「わたくし、獣の剥製に関してはちょっとしたトラウマがありまして、夜中に遭遇すると恐怖のあまり失禁してしまいますの」
「さらっと失禁言うな清純少女さん!」
この少女、恐らく世相に疎い、疎すぎる。
円形が上に向かって段々と伸びているシャンデリアが彼らを照らす。現在、玄関から大広間へと移ったところだ。貴族の家だからか、部屋の数が異様な程あった。
「で、今日俺を呼んだ理由は?」
「わたくしの羞恥トークを一言だけで済ませないで欲しかったのですが……まあいいですわ」
本題と致しましょう。と続け、そして右手の人差し指をピンと伸ばし、頬に押し付ける仕草をしながら、
「しかし、誰かに聞かれるといけない話なので――とりあえず、わたくしの部屋に移動しましょう」
了解した、と二つ返事を返すロキ。
その時、背後から1つの声――クレオネラを呼ぶものがあった。
「ふふふ、とうとうクレオネラも男友達を家に招待しましたのですか」
振り返り、声の主を確認する。――が、実のところ容姿に関してはクレオネラと瓜二つだった。髪型は三つ編みという相違点こそあったものの、それを無視してしまえば双子だと思ってしまうだろう。
「もう、ランセル姉様。あんまりからかわないでください」
「いいじゃないの。自慢の妹の『初めて』なんですから姉であるあたくしが喜ばないわけがないでしょう」
ぐぬぬ、と太刀打ちできず地団駄を踏むクレオネラに余裕の表情の、姉貴分――ランセル。態度からして、双子ではないということがわかった。いや、それ以外の面でも。
「……この人って、聖術学院の生徒会長だったよな」
「ご名答です、妹の男友達様。そうです、あたくしが現生徒会長、ランセル・セロージュです」
スカートの裾を摘んでお辞儀をし「以後お見知り置きを」と挨拶を済ませる所作はクレオネラと酷似していた。きっと、この姉が叩き込んだものが妹であるクレオネラに活かされているのだろう。
「おっと、話が長くなってしまいましたわ。そろそろ、わたくしの部屋へと参りましょう」
「ふふふ、妹の初体験――あたくしがじっくり見つめましょうか」
「やめてくださいお姉様、目が怖いですお姉様……!」
わきわきと、手指を不規則に動かす生徒会長に、ビクビク震えるクレオネラさん。姉の威厳とは恐ろしいものだ、と姉無し妹持ちのロキは痛感する。
「では、時間も押しているので手短に済ませてしまいますわ。――お姉様、絶対に見ないでくださいまし」
「やーねー、わかっていますよ」
本当に分かっているのかが不明瞭な――いや、絶対に分かっていて突撃準備を始めようとせんばかりの不敵な笑みを浮かべる姉貴分。
「さあ、行きましょうか」「そうだな」
簡単な返事だけを交わし、彼らは豪邸の奥へと進んでいく。
早速部屋に着く。照明で照らされ扉に吊るされてあった札――クレオのへや、と丸文字で書かれている――がはっきりと目に飛び込んだ。そして、部屋が開かれる。整理整頓の為された一室は、絨毯やカーテンなどの装飾が桃色に統一されている。
簡素な作りの勉強机にはノートや教科書が整理されて積まれている。おまけに、写真立てがそれらの端に置かれていた。
机と対極の位置に白のシーツ、赤の毛布が掛かったベッドには、3つのぬいぐるみがちょこんと座っている。先の扉の札にしてもそうだ、女の子らしさは人一倍――もとい、女の子一倍は持っているのではなかろうか。
「で、ここに来て随分と焦らされているのだが、話の内容について教えてくれ。俺1人を呼んだんだ。それなりの理由はあるんだろ?」
「……そうですね。些細なこと、ではないと思います」
考えるような素振りのあとで、彼女は淡々とした素振りで。
「貴方へのお礼をしたいのです。――このままじゃ、わたくしの立場がありません」
「またまた、どうしてそんなことをわざわざ2人の時に言うんだ? それに俺は、お礼なんか要らない。フェアじゃなくなるだろ――1人の友人として。貸し借り話だ。昨日俺がお前を助けたのは、借りを作るためじゃない――そんなことはもうとっくに分かっているだろう?」
大体、こんな瑣末なことだろうなとは予測していた。彼女のことだ。恩返しに関しては欠かさないだろう。
「ですが、わたくし……どうしても助けてもらったお礼だけはしておきたいのです」
だって、あの攻撃がわたくしに当たっていたら。
「い、いまごろ、わたくしは――」
「ええい、しつこいな!」
震えるクレオネラの横でとうとうロキが激昂した。
「わかったよ! お前からのお礼として、俺が1つ、頼み事をするから、それに拒否するな! それでいいだろ!?」
「はい、わかりました」
ロキの怒りなど何知らず、にこやかな笑みを向ける少女。高嶺の花とはまさにこの少女に向けられた言葉だ。不思議と怒りが沈んでいくのを感じる。
「……それで、ロキ様はわたくしに何と頼むのですか? 勿論、わたくしに拒否権は皆無なので淫らな行為も今は許されますわよ」
「平坦な口調で淡々と淫らな行為って口走るな。――俺は別のことで頼みがあるんだ」
その頼みは、いずれ、近いうちに実現するだろう。
だが、まだ。
「では、ロキ様の望みは何でしょう」
問われ、逡巡無く彼は答えた。
「話すべき日が来たら、その時に言う」
第30話 暗幕と1つの頼み事
「へぇ……あの子、中々不思議ですねぇ」
クレオネラの部屋の前で聞き耳を立てる少女の姿があった。聖術学院生徒会長たるものの行為とは甚だ懸け離れている。
「やはり、先の作戦のブラックリストに載せておきましょうか」
少女はそんなことを口から漏らす。無人の廊下はただの静音で満たされている。彼女は、ニヤリと口元を三日月状に歪め、次の瞬間、無詠唱で聖術を発動。簡単な連絡の際に用いる類のものだ。
『……――ああ、君かね。今日は何の用だい?』
「危険視するべき人物を見つけたので報告を、と思いまして」
冷淡な口調に切り替え、少女――ランセルは事務的な機械のような無表情を作り出す。おおよそ、外の世界では見せないような奇怪とも言える表情だ。
『アハハ、君も用心深いようだね、俺様と似て』
「そなたに似た覚えはありませんよ。人というものは、危機が訪れると何事にも用心深くなるものなのです」
可愛げがないなぁ――声の主はあくまで楽観的に少女への総評を垂れ流す。余計なお世話です、二つ返事で彼女は返した。
『で、その要注意人物っていうのは?』
「――ロキ=レイヴァーテインです」
『ああ、今年の主席君か。そんな子だったら、確かに君が恐れるのは無理もない』
「その言葉は不本意ですが、認めざるをえないです。もしもあの少年に計画の邪魔をされたらこちら側としては手こずることになるのは目に見えています」
『アハッ、まさか俺様の聖術を見くびっているわけじゃないだろうなあ』
どす黒い怨念じみたその低音にランセルは、肩を震わせた。おぞましい程の恐怖が一瞬にして彼女にのしかかる。
――――だけど、作戦が終われば、この恐怖から開放される。
たった、それだけ。
ランセル・セロージュは事実上拘束に遭っていた。鎖は四方八方から固く結ばれ、解かれることなど考えられない。全ては、声だけで彼女を締め上げる主に捧げられる。
だが、仕方がないのだ。
そんな些細な契約で妹の身が安泰になるならば。
たとえ、その華奢な手指を罪で汚そうと――妹だけは必ず。ぶら下げた拳を力づくで握る。自らの弱さを嘆こうと彼女自身が変わらないのなら意味が無い。
変わる活力が損なわれたランセルにとって、この縛りは一種の足枷であり、言い訳でもあった。
「さあ、我が主様――計画を始めましょう」
『――ああ、これからが俺様の時代なのだから』
ケタケタと、術の向こうで奇妙な嗤いを浮かべているだろう主に向けて淡々と始まりを告げる。薄幸の少女は解き放たれる日を待ち望み、同時に諦めていたのだ。
不意に廊下の証明がバチリ、と音を立てて盛大に切られる。途端出来上がる暗幕の中、彼女は術の通信を断ち切った。
「妹の友達なんですもの……姉であるあたくしが守らなくてどうするのですか」
姉御気質な三つ編みの少女は、暗がりの中、妹の部屋から立ち去っていった。




