第22話 ボーイ・ミーツ・ガール
祝Chapter1-4完結です!!
22話です。たいへん長らくお待たせいたしました。
1か月後、旅立ちの朝までの時間は破竹の勢いで過ぎ去った。
小鳥のさえずりが聴覚を刺激し、瞼の向こうから差し込む陽光が完全な覚醒をもたらした。
上半身を起こすと、両腕を虚空へと伸ばして背伸びをする。
もう――朝なのか、途端の名残惜しさを捨て切れずロキは茫然と虚ろな視線をベッドの上に向ける。
視線の先にいるのは、熟睡中と見られるマリアの姿。
彼の腰辺りに両腕を巻き付けて抱き枕代わりにしている。
時たま、頬をすり寄せる仕草の可愛らしさと言ったら至上の心地だろう。
寝顔は、穏やかな笑顔を浮かべている。
旅立ちの前に眼福なものを目に収めることができた。
そんな満足感と共に、別れの寂寥感が込み上げてくる。
旅は、新たな出会いを呼び起こすものであるが、代償として別れという出来事も与える。
それは世の常である――割り切れない気持ちではあるが、受容しなければならないのだ。
「マリア……、ごめんな。少しだけ、1人にさせてしまうよ」
腰にしがみ付くマリアの黒に染まった髪を優しく撫でる。
彼女の髪はいつもお日様の香りがする。安心感溢れる、昔から馴染みのある香りだ。
だが、その安心感とは一旦、お別れだ。
「今度は……、ローザを連れて帰ってくるからさ。それまで、我慢していてくれよ」
そっと、彼女の腕を解き、ベッドから立ち上がる。
緩徐とした動きで、廊下へ繋がる扉の前に移動し、取っ手に手をかける。
心なしか、いつもより扉の重量――というよりは、引力が増している気がした。
この部屋自体も自身との別れを惜しんでいるのだろうか――と、思い込みが過ぎたところで、まさか、と割り切る。
木製の扉が軋む音を立てながら引かれる。
今一度、ロキは振り返り、熟睡するマリアに目を向けた。
その寝顔は、大窓から差し込む温もり溢れた光と相まって――天使の容貌を思わせる。
前世からの付き合いも含めて、今までで一番可愛らしいと思えたマリアの姿。素の彼女の表情。
思わず、胸の高まりが激しくなる。
だが、感情の高まりを抑止するために深呼吸。
落ち着いた胸の内で、彼は――最後に。
「マリア……ありがとな。俺、行ってくる――」
言の葉を残し、部屋を後にする。
廊下に出る。部屋の扉を閉めた後、彼は立ち止った。
――――絶対に彼女は、俺のことを恨むだろうな。
だが、それも生まれ変わった運命だ。
恨み口を吐かれようが、構わない。
前世で大事なものを最後まで護りきれなかった。――そんな過去の過ちだけは繰り返したくないのだ。
故に、彼は1人で歩みを始める。
だが、途端。
――――――――許してくれよ、マリア。
咄嗟に浮かび上がった言葉は、本心の塊であって、虚構の深淵には隠せない代物だ。
無論、無人で閑寂とした廊下において、その呟きは空気に溶けて消失してしまう。
さて、踏ん切りがついたところで、用意を済ませてしまおう、ロキは廊下を駆けだした。
一切の躊躇いを捨てて、彼は新たな一歩を踏む。
静まった空間で、部屋の主が出ていったことを確認する。
そして、やはり、こんな文句が吐かれてしまう。
「――――――――お兄ちゃんの、バカ」
閉じていた瞳を開き、哀愁溢れる溜息が吐かれる。
マリアは、ベッドに横になりながら、ロキが去る間際に口にした言葉を反芻した。
言葉の一字一句に心へと沈みこむような筆圧を感じられ、マリアは腹立たしく眉をひそめた。
自分が弱いという事実は飲み込むことができていた。
今までの模擬戦で彼に全敗を喫しているのだ。これを弱い以外になんと表現すべきか。
だが、弱かろうが関係ない。
「わたしだって、ローザを助けに行きたいし……何より、お兄ちゃんと離れるのは嫌だよ」
転生後の酷い仕打ちの数々がフラッシュバックされる。
生家からは追放され、孤児となってシャトーディーン王国を彷徨うようなったら、不良少年から逃げ回る日々。
――恐らく、ロキという存在がいなかったら、今頃自分は……。考えるだけで身の毛がよだつ。
彼女は、ロキという少年に――否、元・魔王候補だった青年の魂を継承した少年に依存している部分があった。そして、これからも依存して生きていくかもしれない。
――そのために、準備したのだから。ロキの傍に寄り添うために、全てを用意した。お立ち台を目前として立ち竦むわけにはいかない。
ベッドから飛び上がると、事前に寝台の奥に隠していた制服、木剣、パンパンに膨れた手提げ袋に手をかける。取り出すと同時に早着替え。即刻、学生少女マリアの姿が顕現。
だが、彼女は気休めの時間を知らぬ即急な動きで、左手に手提げ袋を、右手に木剣を握る。
そして、一度部屋の扉が完全に閉まっていることを確認。
刹那――彼女は、光が差し込む大窓を勢いよく開く。
躊躇なく、外へと飛び出す。
木剣を地面に突き刺し、飛翔の勢いを抹殺する。着地。同時に手提げからローカットのブーツを取り出す。履きなれていたため、生地は容易に彼女の足に馴染む。
「わたしも用意を始めなきゃ……!」
短く息を吐くと共に、突き刺さった木剣を抜く。
勢いそのまま、彼女は地面を蹴った。
駆け出す彼女の行く先はシャトーディーン王国の国境。
走って5分のところにある。
もう少し、遅い時間の出発でも十分に間に合うが、心の準備をするという選択が賢明だろうと判断し、あえて早い時間の出発を試みる。
――心の準備が……! って喘いでみると青少年向けの雑誌風な色香が感じられるよねっ!?
……何故だろう、至極どうでもよい戯れ事が脳裏に過るのを確認。
ブンブン! と羞恥に染まった赤の頬を醒ますような勢いで首を横に振って邪険な発想をお蔵入りさせる。女性の放つ過度な破廉恥発言には、さすがの男性もドン引きするらしい。前世の記憶がそう、語りかけている。
――まあ、与太な空想を浮かべるのもこれくらいにしよう。
割り切って、彼女は1人、駆け出す。
旅立ちの朝に相応しい蒼空が彼女を包み込む。
彼女の爽やかな汗の雫が彩光を放ち、空気に溶けていく――――――――。
「父さん、母さん――いつも済まなかったな」
「いや、構わない。それより、オマエはオマエのことだけ考えていろ、ロキ」
「ドールグの言う通りだよ。妥協だけはしないでよね」
大丈夫だ、と返す。
ここ1か月の間は両親に色々と迷惑をかけてばかりだった。
貸家の予約に然り、ユグドラシル公国の生活で困らないようにと食料や調理器具の調達をしたことに然り、多岐に渡る援助をしてもらった。この恩は、いつか――近い内に返そうと心から思う。
既に、公国行きの馬車を待たせていたので、ダラダラとした別れの挨拶は遠慮されるべきだった。
だから、率直な別れを惜しむ言葉を――。
「それじゃあ、行ってくる」
いってらっしゃいという両親の応答を耳に焼き付けて、ロキは後方に止まっている馬車へと振り返り、その客車へと乗り込んだ。
客車の前開き扉を閉める。
窓の奥では、大袈裟な素振りで両親が手を振っている。
気恥ずかしい気がしてならなかったが、それでも見送りされると心の底から安心できる。
これから1人になる身に独りではないということをひしひしと伝えてくれる。
だが、同時に――哀愁と寂寥の意が込み上げてくるのも確かだった。
馬車の内部は、客車と御者台の間が開けた構造をとっていた。
御者台に座りこちらに振り向くのは足先までローブで羽織った短い白髪の老人だった。
ダンディな顎鬚が様になっている。
「坊や、行き先は公国のラグナロク3番街で宜しいかね?」
「えーと……、ああ、そうだ」
着なれた麻シャツの胸ポケットに畳んでおいた公国の地図を取り出しながら答える。目的地には勢いよく引かれた赤丸があった。
「よろしく頼む」
「ええ、了解したのじゃぞ、客さん」
素っ気ないロキの返しにこれと言って文句を垂れず老人は、鞭を振るう。
馬の身を弾く快活な音と共に、威勢良く唸りをあげて馬が歩みを始める。
不意に、御者台に居座っている老人が、振り返らず、
「客さん。済まねえが、途中でもう1人、別の客が乗り入れることになっているのじゃが、そこンとこ、頭に入れておいて欲しい」
「……別に俺は構わない。さすがに盗賊だったら正当防衛に移るが」
「そんな物騒な客じゃねえはずじゃ。確か……少女だったか。その嬢さん曰く、公国の学院に行くと。何と、お前さんと同じなんじゃよ」
「なるほど、奇遇だな……」
過ぎ去っていく公国の風景を窓辺から眺めながら、老人の話を聞き流していく。
何、とりとめのない内容だ。
誰がどこに向かおうと自分には関係の無いことだから。
だが、聖術学院に進む者が他にも存在していたとは……。
出発日も同じなんて奇遇極まりない。
折角だ、相席することとなったら長い旅路だ、話を交わすのも中々悪くはないな。
――と、内心もう1人の客に僅かな期待を寄せるロキであった。
まだ、旅は始まったばかりである。
第22話 ボーイ・ミーツ・ガール
――――だが、案外早い時間で馬車は一旦動きを止めた。
「……もう1人の客ってシャトーディーンの国民だったんだな」
「おいおい、客さん。それ、さっきワシが言わなかったか?」
「多分、聞き流していた」
「全く……お前さんのような生意気な客は初めてじゃ」
「ははは、褒め言葉として受け取っておく」
「…………おかしな子供じゃな。ああ、そうだ。これも聞き流しているだろうからこの場で言っておく」
「? まだ、重要なことがあるのか?」
「その様子じゃあ、また聞いていなかったか、畜生め……。まあ、よかろう。で、話の続きだが、驚くことに――もう1人の客っていうのが、お前さんと由縁のある人物とのことじゃ」
「俺、と由縁がある人物ね……」
「おいおい、その曖昧な返事から察するに、また聞き流しておるな」
「大丈夫だ、爺さん。今回は、一言一句聞き漏らしてないな。ただ、思い当たる人物がいるような気がしてな。それも案外近くに……」
この時点で客についての目測がついていた。
ヒントの内容があからさま過ぎる。
まあ、これもまた彼女の仕組んだことだろうが。
ロキは、側窓に乗り出して、早速周囲を見回そうとしたところで。
目測通りの人物を眼前に捉えた。
――天使のような寝顔ではあるが、行動に関しては容赦がないな。天使の容貌そっちのけで、彼女は悪魔染みた存在だ。前世はれっきとした悪魔だったが。
「お兄ちゃん。――妹に隠し事なんて8割見つかるフラグだよ?」
――そこには、天使の微笑みを浮かべたマリアがいた。
だが、明らかに目が笑っていない。
恐怖をそそる「わたし、怒っていないんだよ」アピールにゾクリ、と背筋が震えるのを感じた。
怖いですマリアさん、俺が悪かったです――なんて口走りそうになるが、ここは冷静に切り返す。
「――マリア、気付いていたのか」
馬車の客車から降りながら、あくまでも心中の動揺を隠蔽してロキは問うた。
「うん、もちろん。本棚に敷き詰められたエ○本の隙間に挟まっていたよ」
「本棚にはエ○本の一冊もしまっていない。そもそも、この年齢で買えるような代物じゃないし、あからさまに本棚に挟むエ○本なんてありゃしないぞ――って、お前の冗談はともかくだ」
コホン、とわざとらしく咳き込み、
「どうして、ついてきたきたんだ? 第一、お前は学院に入学する許可を取っていないだろう?」
「何言ってるの? わたしの行動力を馬鹿にしないでよね」
「……つまりは、許可まで取った上の行動か」
ぬかりない彼女の行動に唖然。
「……だけど、わたしだってただ付いて行くわけじゃないよ。条件だって決めてきたし」
「条件? まさか、呼吸をするくらいに容易なものじゃないよな?」
「いくらなんでも、からかいが過ぎると思うな、お兄ちゃん」
吹雪の如く冷ややかで、肌を劈くような視線を与えられ、ロキは思わず身を怯ませた。
この少女に、茶々を入れるときは用法容量を注意せねばならない。
行き過ぎた悪乗りは我が身を滅ぼす致死行為に他ならない。
「――――で、条件は何なんだ?」
気を取り直し、彼女に問う。
ふふん、と意気揚々に彼女は、鼻息を鳴らす。
得意げな表情である。これは、あれだな、自分の得意分野で勝負する気だ。
道理で、勝気な表情を保っていられるのだ。
「わたしが剣の模擬戦で勝ったら、連れていってよね、お願い」
ははは、どうやら本気で勝つために手段を選ばないような――って、え?
一瞬耳を疑った。何故だろう、俺と戦ってマリアが勝ったら、一緒に公国に連れていけ?
「マリア、俺は今一度お前に問おう。――馬鹿か?」
「馬鹿じゃないもん。むしろ、天才だもん! ……まさか、わたしが今まで一度も模擬戦で勝っていないから馬鹿にしてるの!? そうでしょ!?」
「そうだな。お前は、俺に全敗を喫している。完全完敗だ」
「そこは否定してほしい!! 全く間違ってないけど! 正論過ぎて頭上がらないけど!」
ガミガミキシャーと喚くマリアを遠目で眺めるロキ。
今日もつくづく平和だなー、とほのぼのとした空気を実感するも、その空気に流されぬよう、徹頭徹尾冷静さを欠かさない。
「で、本当に模擬戦でいいんだな?」
「今どき、女にも二言はないよ」
「そうか。じゃあ、形式通りのルールを簡単に確認するか」
「うん。基本は、剣での攻撃。しかし、魔導と聖術での攻撃も可能。勝敗は、相手の体に剣が当たった瞬間に決する。因みに、魔導・聖術が体に直撃した場合はノーカウントね。……ざっと、こんな感じかな」
ああ、とだけ応じて客車に手を伸ばす。
木剣を掴むとそれを引き抜く。
もののついでに御者の老人に、少しの時間だけ待っていてくれ、と断りを入れておく。
客車の扉を閉めたところで、再び、マリアに視線を移す。
気が付けば、彼女は左手の手提げ袋を無造作に地面へと落として、右手の木剣を両手に持ち替えたところだった。上段の構えは、普段以上に整っていて、隙が見られなかった。
そして、何より――彼女の構えにして、鋭い視線にして、覇気に満ち溢れているのだ。この短期間で彼女がどれ程成長したのか。ロキには想像し難いことだったが、この気迫から自信だけは本物だと実感する。
「今日は……前世以来に楽しめそうだ」
「この1か月は血の滲むような研鑽を繰り返してきたんだから、楽しんでもらわないと、わたしの立つ瀬がないよ」
「だが、今日も俺は勝つ気で戦うぞ。容赦はしないからな」
「構わないよ。今日こそは、勝って見せるからね」
マリアの口が三日月状に開かれる。
オーラからして以前とは懸け離れている。
「――――さあ、先にわたしから仕掛けさせてもらうよ、お兄ちゃん。いや――ロキ!」
彼女は唐突に、宣戦布告する。
直後、空気が揺らぐ。瞬く間にマリアが胸の内に差し掛かっていた。
低い姿勢から放たれるのは、腹を抉る拳の殴打。
勢いよく空気が吐かれ、ロキは拳の勢いそのままに宙を舞う。
「グカハッッッッ!!」
口内に鉄錆臭さが漂う。
不快感から、唾を吐く。
飛ばされた身体のバランスを取り戻し、鍛え上げた体幹で、地面に着地。
バランスをとるために後方へのステップ。
勢いを殺すと同時に形勢逆転のため、地面を蹴りあげる。
既に、マリアは次の動作へと入ろうとしている。
剣を振るわないことから、聖術の発動だと断定。
横に構えた木剣を振り上げて、発動途中の術式に衝突させる。
剣閃の威力は聖術と相殺し、双方威力が無に帰される。
目下で怯むマリアに向かって、躊躇なく剣を薙ぐ。
轟! と豪風が吹き荒れる一撃。砂塵が舞い上がる。
ロキは目を細めながらも眼前から目を離さない。
刹那の差で剣戟は避けられるも、一撃の作り上げた暴風は、彼女の動きを制止するに充分過ぎた。
術の反動で硬直状態となったマリアへと疾風の如く穿刺が襲い掛かる。
――決まった! と高らかな勝利宣言を掲げるロキの笑みが表情筋を伝播しようとする。
だが、安直だ。
ロキは、今更気付く――自らの周囲に同心円が展開されていることを。
突如、既視感から作用した拒絶反応が働き、突きの動きから横跳びへと移る。
地面に転がり落ちるのと同時に、同心円から光線が射出される。
「召喚陣《神楽》を事前に仕込んでおいたか……」
そして《清明の光臨》という連携技。恐らく初見だったら、あの一撃は直撃していたことだろう。
冷や汗半分、運の良さが安心感をもたらす。
先程の《神楽》は完全に地面と同化していた。既にこの場に仕込んでいるものが複数あるとしたら、それは途轍もない脅威と成りゆく。
「さすが、お兄ちゃん。先読みが上手いね」
「素直に評してくれることはありがたいが、さすがに卑怯じゃないか」
「わたしは……手段を選ばない女だよ?」
「いきなりの悪女アピールか!?」
言葉が終わる前に、マリアの体が迫る。
振り上げられる彼女の剣に、自らの剣を衝突させる。
鈍い低音が響く。と共に、彼らの剣同士が交錯する。
鍔迫り合いの中、やはり、マリアの覇気は衰えない。
ギリギリッッ! 剣と剣が悲鳴を上げて、苛烈な競り合いが続く。
「お、兄、ちゃん……わ、たしは、負けませ、ん…………!!」
「はは! いつも、以上にやる気に、満ち溢れているなッ!」
2人の戦乱狂は、砂煙吹き荒れる荒野にて鎬を削っている。
一方は、護るため。
もう一方は、護られるため。
互いの意思は、交差する。
次は、ロキの方に動きがあった。
紡ぐ。
「穿て――雷閃!!」
短絡的な術式は、不意打ちに丁度良い。
鍔迫り合いの最中にあったマリアへと微弱な雷撃槍が放たれる。
咄嗟の判断なぞ意味を成さない。
直撃。
痙攣。
身動き取れなくなった彼女の体に躊躇わず、無数の剣戟が放たれる。
ズダダダダダダダダッッッッ!! と瞬間的に刻み込まれる斬撃。
始終、反撃の隙を与えず――彼女の体を宙へと振り払い。
渾身の刺戟がフィナーレを飾る。
既に彼女は唸り声の1つも上げていない。
しかし、やり過ぎたとは考えていなかった。
再起不能にしなければ、彼女は再び自分へと戦いを挑み続ける。
だから。
ロキは、刺突でマリアの体を跳ね上げた。
「終わりだ……、マリア」
名残惜しいような口調で、そんな言葉を残す。
重力に従って、地面へと墜落していく彼女の体を一通り眺めて、彼は言葉を残す。
「――――――――――――――――――俺の、負けだ」
敗戦を胸に刻み、彼は瞼を閉じる。
全て―――――――――マリアの手中で収められていたのだ。
直後、ロキの眼前でマリアの体が光を伴って爆散する。
それが起爆剤となって、周囲に張り巡らされていた召喚陣《神楽》が作動。
同心円の照準が一斉にロキへと向けられる。
覇気の矛先が――ロキ=レイヴァ―テインを貫き、貫き、貫き、貫く。
勝敗は、決した。《清明の光臨》の多重発動によるマリア=レイヴァ―テインの勝利。
当の勝者は、術の可動範囲外に光の屈折を利用したバリアを張って、一部始終を楽観するのだった。
――まさに、手段など何のその、選ばずに先々手を取った策士の完全勝利であった。
かくして、マリアも同行することとなった。
パンパンな手提げ袋を足元に挟みながら、彼女は回復の術式を展開。
《神癒》と呼ばれる術式の展開により、自然回復を早めていた。
「ったく、まさか、術で編み出したダミーを使ってくるとは思わなかったな……、策で負けてしまったよ」
「策で負けたんじゃないよ。わたしの実力勝ちで」
「それはない」
「きっぱり否定ですか!? むしろ清々しいよ! 清々しすぎて、腹が立つな!」
頬を膨らませ、ご立腹なマリアを他所に窓辺の景色を眺めるロキ。
恣意に耽ることもなくただ、茫然と外の世界を眺望する。既にシャトーディーン王国は彼方に消えて、現在は森林の中、獣道を馬車が駆け抜けている。
「爺さん、残り何日で公国に着くんだ?」
「ざっと、5日じゃぞ!」
長い旅となるな、新居に荷物を並べたらまずはベッドに飛び込もう。
先程の戦闘では疲労を感じられなかったのだが、長時間馬車に乗っていると肩や腰への負担が蓄積してくる。途中途中で安宿に泊まる予定だが、実際、寝るのは自宅が一番落ち着く。変わった場所で睡眠を摂ろうとすると、周囲に気になって眠れなくなる。故に5日間、寝不足が続くだろうと事前に予測しておく。こうすることで気持ち疲労が減少するのだ。
ふと、隣にチョコンと可愛らしげに座っていたマリアがこちらへと肩を寄せてくる。寄りかかって、「にゃーん」とかわざとらしく猫の鳴き真似をしている。これがまた途轍もなく可愛らしいのだが、彼女が舞い上がることを想定して過度に褒めるのは控える。
「ねえねえ、お兄ちゃん!」
「……なんだ、やけに上機嫌だな。こちとら、疲弊しきっているんだ。眠らせてくれよ」
「えへへ……、ごめん」
照れっとした表情で、右目のウインク。あざとい……。
「で、なんだ? 早くしなきゃ寝てしまうぞ」
「え、ごめんごめん。良かったら膝枕してあげてもいいんだよ?」
「上から目線が気に入らない」
「そこに目を付けたっ!? ってそうじゃなくて!」
一息間を開けて。
「わたし、強くなったでしょ?」
「――確かにな。聖術に関しては、文句なしだと思うぞ。あと、機転が利いた策を講じているあたりが素晴らしかったりする」
それが現時点でのロキの総評だ。言葉数が少ないだろうが、内容は充分。この歳で聖術を使いこなしていれば、同年代で敵はいないだろう。
マリアは、異常な成長を遂げた、きっと、ロキの見ていない部分で懸命な、血の滲むような研鑽を繰り返したのだろう。その結果が初勝利に結びついている。
――だから。今日くらいは彼女を褒め甘やかしたって罰当たりではないだろう。
「よく頑張ったな。偉い、偉い」
マリアの黒髪を撫でる。朝ぶりの安心感が鼻孔経由でロキの体内へと入り込む。
気が付けば、ロキ自身もマリアに依存していたのかもしれないな、と苦笑を漏らす傍ら、撫でられたマリアの顔は見る見るうちに、熟れた林檎の如く染まっていき。
「もっと……、撫でて、ね」
上目遣いでおねだりをする彼女の姿に心臓の高鳴りが止まらない。
すみません、ローザさん、決して浮気じゃありませんから許して!
今日もユグドラシルで幽閉されているという愛人に向けて念を飛ばした。
気が付けば、勇者との死闘から満12年が過ぎていた。確実に平和ボケした元・魔王候補、ロキ。このままではいけないな、と自らの両頬を挟み込むように叩く。
気持ちを入れ替えよう、ここからが俺たちの戦いなのだから。
「マリア、やっと始まったぞ。俺達の戦いが」
「…………うん、ようやくだね。楽しみにしていた大舞台だよ」
2人の呼応。未来の行く末を彼らは見据えていた。
ローザの奪還という最終目標と共にユグドラシル公国へと足を運ぶ。
彼らの目前には無数の葛藤があり、出会いがあり、別れがあり、戦いがある。
何より、愛がある。
「お兄ちゃんのことは、わたしが護る。だから、わたしのこともお願いね。そして――」
「ああ、分かっている。ローザの魂も護り抜いてやるよ」
元・魔王候補は勇ましく告げた。
蹂躙せし魔王の異世界譚―魔導継承者は刃を血塗る―
Chapter1-4【Road To Yggdrasil】The End.
少年達の物語は、再び始まりを迎える。
舞台は、学びの園――ユグドラシル聖術学院。
学舎を取り巻く波乱の日々が幕を開こうとしていた。
NEXT……4/5(予定)後日活動報告に記載いたします。
そして、晴れて第1部終了です。皆様、応援ありがとうございます。これからもよろしくお願いします。
追記 次回 4/5 PM5:00
Chapter2-1【The Beginning】始動。




