第2話 元・魔王候補の転生
2話です。魔王様が転生したようですよ。
勇者との戦いを終え、現実から存在が消え去り、
果たしてどれくらいの時間が経っただろう。
……朧な意識を、ルキフェルは感じていた。
(生きている、のか……?)
気が付くと同時に驚愕する。
あり得ない。
何せ、禁忌詠唱を短時間で乱発したのだ。
相応のリスクとして、命を擲った。
覚悟していたことだった。
だが、実際は。
(意識がある――)
もし、この意識が夢ではないなら、これ以上望むことはない。
生きていたのなら、ローザを幸せにできる。
まだ、人類の侵攻を完全に防げたわけではなかったから、
平和な時間というのはまだまだ先なのだろうが。
「起きて……」
ふと、ルキフェルはそんな声を耳にした。
高く美しく、おおらかな声だ。
声の主は、恐らく――ローザなのだろう。
僅かな望み、であった。
彼女が迎えてくれるのなら、
願っているのなら、
彼は、目を醒ます。
たとえ無理をしてでも。
ふと、眩い光がルキフェルの視界を覆うのだった。
徐々に、一面に広がった白き光の光量が減少していく。
視界が晴れていく。
目の前に人型の影が覆いかぶさっている。
女性のものと思われる、胸元が盛り上がり、
無駄な肉が削ぎ落とされたような、
可憐な肢体。
その肢体を覆うのは、厚い布を縫って出来上がったと思われるマタニティドレス。
……マタニティドレス?
おかしい。
確か、ローザといえば、
薄手のレース生地を基調として、
リボンなど装飾具で彩った独自のドレスを愛着していたはずだ。
少なくとも、マタニティドレスなんて、
妊婦じゃあるまいし。
――まさか。俺が寝ている間に勝手に行為が成されていたのか?
……いや、思い違いか。
本当に、思い違いであったらいいが。
つまらぬ考えがルキフェルの脳内に過る。
冷静さを欠くことはなかった。
眩い光に視界は徐々に順応していく。
やっと、ルキフェルは彼の眼前に立つ者の顔を見ることができた。
そして――ある、重大な事実を突きつけられる。
(……………………え)
思考に一瞬の空白が生じた。
その理由は、至ってシンプル。
シンプルでいて、シリアスだった。
(ローザじゃ、ない……)
確かに、ルキフェルの視界に映ったのは女性だった。
体格は、小柄。
女性、というより、少女と言った方が正しいような容姿だ。
身長はもちろん、女性として出るべきところが平坦だ。
特に、胸が無い。まな板として鍛え上げられたのだろうか。
膝丈まで伸びている金色の髪を、後頭部で一つに纏めている。
纏う衣服は、獣の表皮を継ぎ接ぎしたような粗い作りで、分厚い。
……如何にも不釣り合いだ、という感想を胸の中にしまった。
小動物的な可愛さというものがその女性からは感じられた。
だが、結論を言えば――ローザではない。
明らかな別人である。
(誰、なんだ……?)
問おうとして口は塞がったまま動かなかった。
ルキフェルは、この人物のことを知らない。
魔王城・謁見の間にて、禁忌詠唱を放つ直前までの18年間で、
彼は、この女性が誰であるか、を知らなかった。
――俺に、記憶障害が起こったような感じではなさそうだが。
では、一体誰だろう。
疑問に疑問が連なる。
パニック状態になったルキフェルは、ただ茫然と、目の前にいる女性から視点を離した。
そのことに気が付いたのか。
眼前の女性は、ルキフェルに向かって微笑んだ。
そして、
「ロキ、あたしがママだよ」
と、確かに言ったのだ。
無論、その言葉を一言一句聞き逃さなかった、ルキフェルは。
「…………あえい?」
語尾にイントネーションを置いた、
気の抜けたような声を放ったのだった。
第2話 元・魔王候補の転生
(さて、ここで話を纏めよう)
冷静さを取り戻して、ルキフェルは、いきなり発生した事柄を整理し始めた。
因みに、彼は1人、柔らかなベッドの上で寝転がっていた。
注釈を入れるならば――1つ。
彼は、《人間の赤子の姿》で、寝転がっていた。
(どうやら、これは……召喚術の類で転生した、ということらしい。
俺は、人間としての生を与えられたってことか……)
あくまでも仮定の話として整理を続ける。
想定外の出来事だが、あくまでも平常心は保っていた。
さすがに、事の始まりでは動揺していたが。
(……突飛な妄想かもしれないが、かつて、魔族は「魔術」を使うことができたし、人間族も「魔術」に似た能力を利用できたと聞いていた。
まあ、勇者が侵攻してくる以前、魔界は、外部との協力を一切合財絶った「鎖国」の状態だったから、詳しいことは知らないが)
魔族は、過去に人間界へ侵攻したという歴史がある。その教訓から、魔族は人間界へと進行しないよう、自ら関係を断ったのだ。これを通称「鎖国」と呼ぶ。
故に、外部からの情報は魔界へと伝わらなかった。人間界について、深く知る者は、魔王ただ一人。魔族のエリート集団である魔王候補さえ、世界の外側について、片鱗すらも窺うことができなかったのだ。
(魔力、そして、魔力と酷似する力があるなら、誰かを別の世界に送ることも容易だと思う。召喚術なんて、魔術を使う上で基本中の基本だしな)
魔術、というのは、魔族専用の術である。
魔族の体内に宿っている魔力因子を操作し、体外に物質を顕現させるものだ。
召喚術は、魔術を応用して、ある地点から術の使用者がいる場所まで物質を、姿かたちはそのままで、移動させるというものだ。つまり、実際に存在していないものを召喚することはできない。
(で、召喚術で俺が転生させられたところまでは大体納得がいくが、何故、俺は赤子になっているんだ? 何故、人間に変わっているんだ?)
召喚術は、姿かたちを変えずに標的のものを召喚する。
だが、ルキフェルの場合は違った。
年齢にして17歳も下がった。
種族も、魔族から人間へとジョブチェンジしている。
召喚術の条件に矛盾した点がいくつも見られるのだ。
(まあ……新手の術なのだろうな)
詮索は埒が明かない。
転生のメカニズムについて考えることをやめた。
(で、新たな生を授かったわけだが。
ここで新たな問題が生じる。
……転生後の名前だ。
確か、あの少女は俺のことを「ロキ」と呼んでいたな)
あの少女、というのは先程、ルキフェルが目覚めた時、眼前にいた金髪少女のことである。
確か、あの娘は自分のことを「ママ」だと自称していた。
ままごとの延長か、それとも……真に母親なのか。
真偽は定かでない。
(ともかく、俺はこれからロキとして生きなければならないのか)
ルキフェル改め、ロキは自分の置かれた状況をいち早く理解し、適応するように努めた。
ロキ=レイヴァーテイン。それが、彼の新たな名前だ。先程の金髪少女が彼に与えた名前である。
これからは、レイヴァーテイン家の一員として新たな生を生きていかなければならない。
(正直言って、受け入れがたいイベントだな。
俺は、ローザを置いて別の世界へと旅立ってしまったのだ。
まあ、ルキフェルとロキとで語感が似ているのが、不幸中の幸いだろうか)
いや、やはり不幸だ。
愛人を置いて去ってしまったことはロキに精神的ダメージを与えたのだった。
(だが、いつまでも打ちひしがれているのは良くない。
もしかすると、この新たな人生は――ローザからのプレゼントなのかもしれないし)
そうだ、愛人からの贈り物だと受け取ればいい。
納得する。
ロキは、寝返りを打って周囲を見回した。
熱気がむんむんと肌に伝わってくる。
額から汗が垂れ落ちるのを感じた。
ベッドの右隣に窓があって、そこから真っ直ぐ光が差し込んでいる。
光の進んだ先に二つの本棚が並んでいる。それぞれが分厚い本で埋め尽くされている。
本棚を中心にして、左へ行くと、簡素なつくりの机と椅子が設置されている。
右へ行くと、焦げたような茶の扉が付けられている。今は、換気のためだろうか扉は開いている。
扉の奥からは、金属と金属とを打ちつけるような甲高い音が鳴りやまない。
正直なところを言うなら――喧騒な家だった。
赤子が寝るときぐらい、閑静にしてほしいものだ、という文句を垂れたいところだが、ようやく乳歯が生えてきた赤子が文句を垂れることは不可能だった。「あい」とか、「あう……」というような曖昧な声しか出ないのだ。
困ったものだ――ひたすら寝ているというのは魔王候補の身には合わない。
まあ、今は魔王候補ではなく、一人の子供なのだが。
元・魔王候補という肩書だけがロキの記憶に刻まれている。
「……はああ」
およそ、赤子らしくない溜息を吐くと、ロキは一旦目を閉じた。
幼子の仕事は、よく寝ること、よく食べること、よく泣くこと、よく遊ぶことに限る。
だから、ひとまず眠りに就くことにした。どうせ、あと数時間が経てば夕食という名の母乳が待っているのだから。
睡眠を前菜として置こうではないか。
目を閉じると、案外簡単に眠気が意識を奪っていった。
ロキは自然と眠りに入ったのだった。
因みに。
この数時間後に授乳の時間が訪れた。
「ママ」宣言をした金髪少女は、確かにロキの母親だった。
名前は、ミョズヴィトニル=レイヴァーテイン。
童女同然の彼女は、無論――胸が無かった。
故に、
ロキは、母乳を吸いだすのに精一杯になったのだが……それはまた別の話。
2話、読了誠にありがとうございます。
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