第15話 公国貴族の秘匿
15話です。よろしくお願いします。
――意識が覚醒した時、最初に気が付いたことと言えば、シグルーンが真横で寝息を立てていたことか。
ロキは、いつの間にか自室のベッドへ運ばれていた。
戦闘終了後の記憶が全くないが、恐らくマリアがやってくれたのだろう、と推測する。
そういえば――戦闘中はマリアの存在自体を忘れていたような気がする。
おいおい、立会人として招いておいてその扱いはないだろう……、済まぬと心中で謝罪する。
で、ロキの視界にまず入ったのが、紛れも無いシグルーンである。白金の艶めく髪の一房が頬に掛かっている。寝顔に関しても、普段と変わらず美麗だ。――そして、薄紅色の唇は艶めいていて、妙に艶かしい。
衣服に関しては、ボロボロのタキシードのままだ。胸元が、大胆に開かれ胸元の下着が露わになる。タキシードには無数にも生地の破れた箇所があり、そこからはだけさせる白磁の肌は、木剣による痣が目立っていた。
――この状況を目の当たりにすると、さすがに罪悪感が募るな……。
眼前の痛々しい少年の姿に目を奪われて、そんなことをふと、思っていた。
「ごめんな」
やはり親切心は人一倍あるだろうロキ、どうしても謝ってしまうものである。
再び視線をシグルーンの顔に移そうする。
そこで、ロキはある1つの案件に気が付き、首を傾げた。
「何で、こいつ……少女用下着なんか着ているんだ?」
胸元の下着は、レース柄。
ワンピースのように、胸の生地から2本の紐が飛び出していて、それを左右それぞれの肩口に掛けるタイプのものだ。だが、現在はその紐が肩口から外れ、浮き出た鎖骨がロキの視界へと飛び込む。胸元のラインは、幼さを感じさせない、しなやかさを保っている。
まさに、美少女の要素を殆ど詰め込んだ魔法のボディ。
――こいつ、本当に男だよな? と、そこで当然の疑問が生じる。女の理想を詰め合わせていることが起因して、そもそもの性別を判別できなくなった。
確かに、外見は男だ――スタイルの良いタキシードの姿が強く印象に残らせる効果を持していた。
だが、彼の美貌はおおよその物を凌駕している。金銀財宝なぞ、彼の前では石ころ同然だと思わせる美しさだ。それはもう、男と女の完全体と言わんばかりに、である。
ふと、シグルーンの方で動きがあった。体を半回転させて、ロキの体を包むように寝返りを打ってきたのだ。
「ん……」
「――え、あっ、ちょっと」
寝返りを打つと同時に、シグルーンの両手がロキをしっかりとホールドする。
体が密接する。妙に顔が近い。
シグルーンの体温が直に伝わってくる――そして、汗臭さが鼻孔をくすぐる。
一瞬にして、ロキの理性が決壊しそうになる。
――って、あれ? シグルーンって男だよな? 服装然り、口調然り、性格然り――まさか、女であるわけがない、よな??
思考に齟齬が生じてくる。いや、単なる思い違いかもしれない。
――そうだ、思い違いだ。こんな男らしい男が女のはずがない。妙に妖艶な寝顔であるだけで、中身は確実に男だろう。何焦っているんだ、俺。
自らの狼狽を隠すために、体を固定しているシグルーンの両腕から引きずるように自分の右腕を引き抜く。そして、焦ったように汗を拭う。驚いたことに、気持ちの悪い汗がにわか雨の勢いで噴き出している。
時に、季節は初夏。だんだんと外気温は上昇してくる。それに比例し、室内の気温もことごとく上昇する。加えて、2人の少年が密接して寝転がっている。――この事実からわかり得ることは、ただ1つ。
「……兎にも角にも、この態勢は暑苦しいんだよな」
単なる暑さからくる汗は、既にベッドへと侵食し、シミを為していた。感情が催した発汗も加味して、ベッドがグショグショ、水浸し状態である。
それにも関わらず、シグルーンは更に体を寄せ付けてくる。胸元をロキの肩へと押し付け、かつ股で右足を挟んでくる。「ん……」と7歳児とは思えない、色っぽい息遣いが彼の口元至近距離で吐かれる。
シグルーンからは、薬草を調合したような芳香エキスの香りがした。途端に、縛られていた体が弛緩する。お灸にリラックス効果があるっていうのと同じ原理か。
体の熱が、落ち着き始めたところで再び眠気が誘われることはなかった。ロキはただ、眼前から発せられる回復効果抜群の芳香を嗅ぎながら、ふかふかのベッドで呆然とシグルーンの寝顔を眺めていた。正直なところ、リラックス効果の効き過ぎで思考が空回りしているのだ。
だが、そんな至福(?)の時間もすぐさま去ることとなった。
「うぅ……くまさんぬいぐるみ……」
支離滅裂とした寝言はまさしくシグルーンのもの。
何だ、“くまさんぬいぐるみ”って。
この歳になってお人形遊びかよ――とロキは嘆息を吐く。
まさか、エルフの7歳児というものは全員が全員、ぬいぐるみを抱いて眠りにつくのだろうか。
もっと、こう――エルフって高貴なイメージで、『私、ブランド物のベッドで眠るの!』とか自慢してくるのかと思っていたのだが、案外拍子抜けだな――ロキは苦笑いを見せながら、ふとエルフへの固定観念が決壊するのを心中でにこやかに見送る。
と、その時だった。
眼前のシグルーンが重たい瞳を亀の速さで開く。あまりに遅すぎたため、周囲の時間までもが鈍くなる錯覚にロキは陥っていた。
――きっと、朝に弱いんだろうな……。低血圧っていうのもなかなかどうして難儀なものだな。
完膚なきまでに他人事のように目前の少年を眺め、微笑しながらふとそんなことを思い浮かばせる。ロキの笑顔は、慈悲の塊として、シグルーンへと救いの手を差し伸べる。
何の救いか? それは、後々の行動を察すれば理解できる。
――さて、唐突だが、ここで1つ心理的な行動パターンについて質問だ。
Q、あなたが眠りから覚めたとき、誰か(友人なり家族なり、その他もろもろ)のことを抱きしめていたとします。あなたは、どのように反応しますか?
因みに、ロキとしては『抱きしめる対象がローザだったら、そのまま理性が崩壊し性的な行為に陥るだろう。マリアだったら、逆にロキが犯されるかもしれない。その他? ――知らん。恐らく、傍に来られた途端察知し、その場から飛び退けるだろう』という細緻緻密な回答だ。無論、彼のような理性の赴くままに語った妄想も答えに準ずる。行動パターンは無限大で、その全てが正解なのだ(とりあえず、倫理的な指摘は受け付けないことを前提とする)。
では。
シグルーンの場合は、どうなるか。
回答は、単純かつ率直に繰り出される。
瞼が半開きになるも、シグルーンは未だ、寝ぼけ眼だった。視点が合っていないのは、目前のロキでも理解できる程だった。ゆらりゆらり、波打つかのようにエルフ少年の瞳が胡乱となっている。
そして、再び――ロキの体を強く締め付ける。
エルフの体力は底が知れているっていうのは、文献を参考にしたことだが、先程の戦闘を見ての通り、シグルーンは別格だった。聖術は、呼吸するように放つことができる。加えて、シグルーンの場合は体力に関しても無尽蔵だ。
故に、この締め付けは――ロキの全身を駆け巡る血管系を堰き止める程に強いものだった。
「う……ぐ、ぐぐ!」
体が密着することにより、肺が圧迫される。取り込める酸素の量が徐々に低下していく。既に、ロキの顔面は酸欠により青ざめかけていた。
だが――そんな過酷な状況の中、ロキは、ある部分の感覚を不自然に思い始めていた。
現在、体は隅々まで密接に繋がり合っている。特に下半身。シグルーンはロキの右足を更に深く挟み込んでいた。股関節までも深く入り込んでいる。――だからこそ、不自然に思えることがある。
――うん、男が持つべき生殖器官の感覚が、全くないな。
冷静沈着にことを述べたところで事態の収拾には繋がらない。――そんなことは分かりきっていた。だが、動こうに動けない。募るのは、再来する不安と、嫌な汗をもたらす羞恥心。
冷静になれ――頭に何度も言い聞かせるも、やはり熱が下がることはなかった。
そして、熱が再び上昇してきたときに、シグルーンの寝ぼけ眼が、意識を取り戻し覚醒していく。ふと、「ん……!」と嬌声にも似た甘い声と共に、ピクリ、とシグルーンが小さく跳ね上がる。その行為が、極めつけで――シグルーンの意識は、完全に覚醒した。
パチリ、と瞬きをしながら眼前のロキをじっと見つめている。状況が把握しきれていないのか、首を小さく傾げていた。先程の戦いからは想定できない程の天然系のオーラを醸し出すエルフの少年――改め、エルフの『少女』。
「……ロキ、君?」
「あ、あの――下、下を、下を見て!!」
ロキが慌てた様子で、下半身を指さす。指された方向へと不思議そうに目を移し――そして、彼、改め、彼女――シグルーンの大きく美しい翡翠の眼が盛大に開かれる。
徐々に、頬を、いや顔全体を夕陽の如く赤熱させていき――そして、彼女の理性が事切れた。
「ろ、ロキ君の――不埒者!!!!」
「ゴゲぶッッ!」
本能の赴くままにシグルーンから放たれた鋭い蹴りを腹のど真ん中で受け取り、直後、ロキはベッドから吹き飛ばされる形で追放させられた。
吹き飛ばされた少年は、自室の作りなど、とうの昔に憶えている。
その記憶によれば、ベッドから吹き飛ばされた場合、行き着く先は――。
ガダゴド!!? 盛大な衝突音と共に、まずロキは行き着いた先で衝突し、床へと転げ落ちた。だが、転げ落ちた先は、二次災害を誘発しやすい場所であった。
――――ロキが、床で蹴りの痛みに悶えて始めた瞬間、彼の頭上から雪崩が発生した。
無論、降雪によるものではない。――無数の文献が織りなす雪崩である。
不幸なことに、ロキが初撃の痛みに悶々としているところに、無数の書籍が降りかかってきたのだ。咄嗟の判断はもはや利かない。だから、彼は抗うことなく本の雪崩という二撃目に断末魔の叫びを上げたのだった。
さて、先程の心理的な質問の答えを纏めよう。
Q、あなたが眠りから覚めたとき、誰か(友人なり家族なり、その他もろもろ)のことを抱きしめていたとします。あなたは、どのように反応しますか?
A、(シグルーンの場合)蹴ります。挙句、二次災害を起こします(ここ大事)
――寝言や寝相で、見事に男を誘っていながら、この仕打ちを与えるあたり、この少女、中々侮れないな……。
本の雪崩に打ちひしがれながら、ロキは他愛もないことに思考を回転させていた。
第15話 公国貴族の秘匿
ベッドから起き上がり、2人はベッドの上に腰を下ろしていた。
ロキは、体中の傷を魔導の詠唱で回復しながら、話の整理を始める。
「で、お前は女、ってわけでいいんだよな?」
「いや、僕……元々、女だよ? 男だ、って一言も喋っていないよ?」
「あのな、世間ではボクっ子の供給量なぞ極端に低いし、それにお前はタキシード姿だ。
――男と間違えられて、当然だと思うのだが」
そうかなあ、と唸りながら首を捻るシグルーンは、やはり戦闘の時とはかけ離れて、天然気質な雰囲気を醸し出している。
今まで、語弊があったようだが――シグルーン=ヴァルキュリアは、女の子だった。更に、ボクっ娘属性を掛け持った特殊な少女である。
まあ、容姿は男だろうが、女だろうが――双方の完成形として成立していたから、女だと言われても違和感は全くなかった。服装がもたらす影響が大きかったのだろう、という結論に辿り着いた。
「で、何でそんな恰好なんだよ?」
「ええと……ここからはオフレコでお願いできない、かな。……母上にも聞かれたくないから」
「母上ってのは、さっきのスルーズって人か。
……要は、秘め事ってわけか。了解した、聞かせてくれ。
安心しな――別に、俺はその話を意図的に広めようとしないし、何より、口は堅いほうだぞ」
だから、気にせず喋ってくれると嬉しい――ロキの発言にうっすらと優しげな微笑を交わしてくるシグルーン。彼女は、軽く頷いた。
「――僕は、ヴァルキュリア家っていうユグドラシル公国認定の貴族――その家系の長女」
わざとらしく咳払いをして、彼女は言葉を繋げた。
「僕は、ヴァルキュリア家の次期当主候補だよ。因みに、お母さんは現当主。
――ヴァルキュリア家は、代々女性当主なんだ」
だけどさ、鼻の頂点を左手で擦りながら、彼女は強い意志の上で宣言する。
「僕、将来の夢は――ハンターになることなんだ。
実のところ、家の当主を継ぐ気はさらさら無いんだ」
「だから……男装しているか」
「そう。まあ、普段はすぐに僕が女の子だって見破られちゃうんだけどね。
――ロキ君が、初めてなんだ。僕を男のようだって思ってくれた人」
「公国の人は、みんなして勘が冴えているのか? 少なくとも俺は、お前が女なんて一欠片も思わなかった。もちろん、お世辞抜きで、だ」
「そう言ってくれて嬉しいよ。僕を男のように思ってくれて……」
僕は男だ、僕は男だ――と自信ありげに反芻するシグルーンの姿は、小動物のような可愛さで溢れている。根は、確かに女の子だなあ――なんてロキは感慨に耽っていた。
だが、感慨の内で当たり前な疑問が放たれる。
「だけどさ、どうしてわざわざ男に化けなきゃいけないんだ?」
「それは、ヴァルキュリア家の家訓で、『原則、長女がこの家系を引き継ぎ、当主となる』なんてものがあるからだよ。だから」
「だから――自分を隠すのか?」
ロキの言葉は、彼女を鎮静させるにこれ以上とない効果を発揮した。
シグルーンの脳裏に、ロキの言葉がこびり付く。
――自分を、隠す?
わけが、分からなかった。
「その様子じゃあ、俺の言葉の意味が分からないようだな」
「……ああ、僕には、よく、わからなかった」
言葉が途切れ途切れに連鎖する。
――僕は、ただ、家訓を守るために――女を捨てたんだ。
長女が、当主ならば――長女にならなければいい。
女性としての自分を捨てればいい、その考え方であった。
その思考に間違えが存在するはずなんて――、ないはずだ。
シグルーンの自負は揺るがない。
だが。
「女を捨てて、夢を叶える、か。確かにそれも方法の1つだ。
だけどよ。
シグルーン、お前は自分の夢を公言したことがあるか?
……もちろん、お前自身の叶えたいと思っている真の夢だぞ? 当主になりたいなんて、張りぼての夢はカウントしないからな」
「それは……ゼロだよ」
「ま、さっきもスルーズには言うなって頼んでいた程だから、妥当か」
愕然とした様子で、肩を落とし、彼女は告げる。
だが、返答は意外性を含んでいた。
唐突だった。
「なあ、シグルーン。
――――お前は、可愛いんだからさ。
もっと、自分を大事にしろよ」
「!!――か、か、か!!」
可愛い、とその言葉を素で言われた。彼女の頬が目にも留まらぬ速さで上気する。
面と向かって、可愛いなんて率直に答えられたら――誰もが羞恥で頬を染めるだろう。
だが、その羞恥の中には、何故だろう、嬉しさも含まれていた。
「――可愛い、なんてこんな間近で告げないで、よ。まさか……口説き文句?」
「7歳の割によくそんな言葉知っているよな。まあ、それは置いとくとして。
一応言っておくが、今の言葉は、口説き文句じゃない。
だがな――今の言葉でお前は大丈夫だろ?」
「だい、じょう……ぶ? なに、が?」
「女になる決心はついただろ?」
「――いやいや、そんなまさか!!?」
即座にツッコまれる。
だか、冷静沈着にロキは続けた。
「まあ、さすがに段階の踏み方が早かったか。だけど、お前はお前らしくあれよ、シグルーン=ヴァルキュリア。自分を曲げちゃいけないんだ。真にお前が夢を叶えたいなら、それくらいのこと造作も無いだろ?」
「だけど! 僕の家には家訓があって……!!」
「ああ、それは知っている。
だけどな――そんなルールブックで、自分の生き方を左右される程、俺らは生半可に生きていないんだ。伊達に生きているわけではないんだ」
伊達に生きているわけではない――。
その言葉が、シグルーンの胸へと刷り込まれていく。
途端、目頭が熱くなる。
――僕、泣いている。
瞳に溜まる熱い雫を拭って、シグルーンは続く言葉に耳を傾けた。
「俺は、お前にとって赤の他人かもしれない。
だけどな、俺らは剣と剣を交えた仲だ。俺は不器用だから友達の定義なんて分からないが、この関係は、友人と言っても良いかもしれない。」
――だからこそ、俺はお前を気にかけて、この言葉を残すよ。
「シグルーン、自分を曝け出せ! 洗いざらい、自分の思いを伝えてみろよ! そうして、初めて気が付くことがある、認めてもらえることがあるんだから、さ」
拭った瞳から、雪崩のように豪々と涙の雫が零れ落ちていく。
救われたのかもしれない。彼女の想いは報われた幸せで満たされていた。
「う……ん、僕、頑張る、よ……!」
ひっくえっく、と嗚咽混じりの声で、しかし彼女は強い意志をこの場で言葉に表した。
手始めに、公国へ帰ったら髪を伸ばそう――なんて、未来予想図を組み立てながら、ロキに寄り添い彼女は、しとどに流れる涙を際限なく流すのだった。
NEXT……3/16 PM11:00
次話で、3章ラストです。
追記 次話、1時間早めて投稿しました。




