希望
薄暗い森の中を、息を切らせて駆ける者があった。
細身の男だ。見たところまだ年若く、走る姿も軽やかだ。
身に纏っている皮革鎧、手甲やブーツなど全身が真紅に染め上げられている。鮮血を浴びているのだ。ぼとりと滴り落ちる血が、月明かりに映えてなまなましい。
この血は敵のものか、はたまた自身のものであるのか。それは、もはや少年にも分からない。
「お待ちください。お妃!」
悲壮感に満ちた少年の声にふと立ち止まり、振り向く者の姿がある。背に赤子を背負った女だ。闇に沈んだ森の中で、ひときわ可憐に咲き誇る花の如き、麗しき容姿。
「なぜついてきたのです。直ちに森へと戻り、皆を導きなさい」
女は威厳ある態度で言う。少年は後退りしつつも、食い下がる。
「お一人では危のうございます。どうかわたくしめをお供にお使いください」
「誰の指示で、このようなことをするのですか」
「……わたくしめの独断にございます」
しゅん、と身を小さくする少年。すると女は、思い直したように柔らかな笑顔を作ると、まるで幼子をあやすかの如く声を丸めて諭す。
「いいですか、エタノア。我らの森を襲ったイーシル族は野蛮な民族と聞きます。戦に敗れ多くの兵士たちを失った今、まだ幼いとはいえ、あなたも一人のチタ族の男として役目を果たさねばなりません。我が民を逃すためには、あなたの力が必要なのです」
「では、我々と共に逃げましょう。私めが必ずや、お妃をお守り致します」
「それはできぬのです。エタノア」
「なぜです!」
「如何にイーシル族が冷酷とはいえ、チタの民を根絶やしにするほどのものではありません。仮に逃げ切れず、イーシルの兵に捕らわれたとしても、チタの民だけであれば命は助かるでしょう。けれど、もし私たちがいたらどうなると思います。私たちを匿った罪として、あなた方も死罪は免れぬでしょう」
少年は苦虫を噛み潰したような顔で俯く。今まで散々ぶつけてきた問いだ。その答えは少年にだって分かっていた。
けれど、どうしても納得はできない。
「チタの民は、お妃のためならば命など容易に放り出します。お妃はただご安心召されて、我々と共に行動なさればよいのです」
「命を放り出す?」
女は眉を顰めて首を傾げる。
「そうです。チタ族は皆心優しく、それでいて勇敢な民族です。加えて、王亡き今、我々を導くのはお妃をおいて他にありません。我々はお妃に心酔致しております。どのようなことがあれ、チタの民はお妃をお守り申し上げます」
「あなたは人間というものを知らぬのです」
女が冷たく言い放った一言に、少年は茫然と立ち尽くす。
「チタ族の王妃たる我――アリシア・アルバトール・チタが、鍛冶屋見習い――エレノア・アンデルセンに申し付ける」
女は居住まいを正すと、そう高らかに宣言する。
すると、辺りは静寂に包まれる。風止み、さざめく木々は鳴りを潜め、虫の声一つ聞こえない。
「はっ」
背筋を張り、中空を見上げる少年。それは、幼き頃より体に染みついた所作。
「エレノア・アンデルセン。そなたは森へと戻り、チタの民をイーシルの魔の手から救い出せ。何れかに安住の地を見出し、我らの指示あるまで鋭気を養え。その後のことは、追って申し付ける」
申し付けには逆らえぬ。もし逆らえば、反逆の罪は免れない。愛族心の塊たる少年には、そもそも選択肢などなかった。
少年は了解の旨を申し伝えると、しぶしぶと来た道を取って返す。
少年の小さな背中を眺めながら、彼に聞こえぬ声で女は呟く。
「安心なさい。希望はここにある」
首を背後に捻る。そこには、赤子の寝顔があった。
幸福そうに眠る我が子――シルヴィア。
そして女は、こう言葉を継いだ。
「大丈夫。心配ない。あなたの下へ、きっとこの子が運んでくれる」
――未だ立ち消えることのない、小さくとも逞しい、我々の『幸せ』を。
××××
エーデンヴァイツ領・サンセスタンク。イーシル国の避暑地・エバントンから西に二〇キロほど下ったところにある貿易都市だ。
エーデンヴァイツ帝国は伝統ある国家である。イーシル共和国が立国する以前、ここサンセスタンクは三つの勢力範囲に接地していた。
北東には、ペイプラティーヌ。現在はイーシルによって縮小を余儀なくされているものの、長い間繁栄を謳歌した軍事大国である。そして南には、スギの茶会領。穀物や畜産物などの食糧関係、石油や石炭などのエネルギー関係、それから武具関係の取引を取り仕切る大商業組合――スギの茶会の本部たる地区だった。今ではエーデンヴァイツ帝国の庇護下で自治領と化しているが、古くは他の国家や勢力を含めて、資金力では世界一位の規模を誇っていた。
そして、東にもう一つ。チタ族という小勢力の住む森があった。
それら三つの勢力と、エーデンヴァイツ帝国が貿易をする拠点であったのが、ここサンセスタンクだった。必要に迫られる形で、街は発展に次ぐ発展を遂げた。世界有数の大都市となり、人口も鰻登りに増えていった。
シルヴィアはそんな街にいた。厳重な檻の中だ。檻には車輪が取り付けられ、馬に曳かれる形で街中を進んだ。這いつくばって項垂れながら、彼女はぼんやりと風景を眺めていた。
シルヴィアは知る由もないが、サンセスタンクは見るも無残な変化を遂げていた。
立ち上る白煙、宙舞う砂埃。家々は焼け焦げ、破壊の限りを尽くされている。道の至る所に死体が横たわり、それらはイーシル軍兵に引きずられて窪みに投げ捨てられていた。死体は兵士のものだけではない。女性や老人、幼い子供の姿もあった。
シルヴィアの檻を曳く軍馬の列を、大勢の民衆が取り囲んでいた。彼らは列の軍兵たちに対してはおろか、檻の中で囚われの身であるシルヴィアに対してまでその手を伸ばした。
最前列にいる頬のこけた子供はこう言う。
「食べ物をちょうだい! なんでもいいから!」
その横合いにいた女は発狂したように喚いて言う。
「子供が病気なの! お金を! お金を恵んでください!」
あるものは泣き叫び、あるものは怒鳴り散らしながら、明日の生命を得るため、群衆は物乞いに身をやつす。軍兵に振り払われ、殴られようとも、なお食い下がる。
彼らはここサンセスタンクに住まう、比較的裕福なエーデンヴァイツ人だ。けれど数日前、イーシル軍がやってきて略奪の限りを尽くされた。家に土足で踏み込まれ、金目の物を洗いざらい持っていかれた。略奪者は数限りなく何人も来るものだから、すぐに家の中はもぬけの空と化した。妻や娘を奪われた者もいる。けれどそれらは、命を奪われた大勢の者たちからすれば幸運ですらあった。
押し合いへし合いしながら、我先にと物乞いに励む群衆を見て、シルヴィアは強い衝撃を受けた。
彼女は貧民街・アンセムの一角に住んでいた。だから、貧しいというのがどういうものか身に染みて知っているはずだ。けれど、これほどまでにひどい状況は見たことがない。理性を失くし、苦しみ悶えながら、憎き侵略者たちの憐れみを乞う。そんな彼らに対して、シルヴィアは胸が張り裂けんばかりの同情の念を覚えた。
しばらく進むと、巨大な建築物が目の前に現れた。サンセスタンク城だ。石壁の外壁を抜けると、その全容が見渡せる。天空に向け針が三本突き立てられたかのような外観だ。この国には元々岩石が多く、この城はそれらを切り崩して材料とした。エーデンヴァイツの岩石は強固で、イーシルの至宝たる鉱石・コランダムにも引けは取らない。
エーデンヴァイツの守護神たる双頭龍の石像が飾られた、荘厳な造りの表玄関。そこを、シルヴィアは罪人のように後ろ手に拘束されながら曳かれていく。彼女の周囲は四人の軍兵で囲まれている。歩みを止めようものなら、左右の軍兵の足がすぐさま飛んでくる。
先頭にいるのは、エバントンで結果的にシルヴィアを助けることになった、あの軍兵。
若く、屈強な体格。一筆書きのような太い眉。女の心をたぶらかすためにそうなったかのような切れ長の目。シルヴィアはその顔に見覚えがあった。思い出すためには、嫌な記憶を呼び覚ます必要があった。けれど、彼女は怯まない。強い憎しみが、彼女を強くさせた。
間違いなかった。あの日、シモラーマで、横たわる母を見下ろしていた若い軍兵。目の前のこいつは、あの軍兵に違いない。
「こいつはこれより裁判に掛けられる」
シルヴィアに聞こえよがしに、そのリーダー的な軍兵は他の三人の軍兵に話しかける。
「首ちょんぱは免れないがな」
軍兵は手で自身の首を切るまねをする。
下品な四人の笑い声が、エーデンヴァイツ城の廊下に響き渡った。
「貴様が、アリシアの娘と申す者か」
サンセスタンク領主の座にふんぞり返って、イーシル正規軍中佐・ヴィクシス・ゴードガーは、眼前でへたり込むシルヴィアを見下ろす。左右には麗しい侍女が控えており、彼がグラスを掲げると、侍女は慣れない手つきでそこにワインを注いだ。
「中佐どのがお尋ねになられておる。早く答えんか!」
先ほどのリーダー的な若い軍兵が叱りつける。シルヴィアは恐怖に怯える表情でヴィクシスを仰ぎ見ると、そうです、とか細く震えた声を発する。
「ほほぉ。よくやったぞ、リッチェル。これで将軍にも申し訳が立つ」
ヴィクシスが嬉しさのあまり足をバタつかせると、リッチェルと呼ばれた若い軍兵は膝をつき頭を下げる。
領主の間は広々としている。東の壁は一面がガラス張りになっており、晴れやかな朝日が、怯えるシルヴィアを優しく照らす。出入口は背後に一つだけあり、三人の軍兵によって塞がれている。逃げようにもそのような状況であるし、手を縛られたシルヴィアの心はもうすでに折れてしまっている。成されるがまま彼らに従うほか道はない。
「さて、娘。お前の名はなんと申す」
でっぷりとした腹を掻きながら、ヴィクシスが問う。
「……シルヴィアです」
「ほう、シルヴィアか。神話に登場する大自然の神の名も確か、シルヴィア……。良い名前をもらったのぉ」
上機嫌のヴィクシスは跳ね上がるように立ち上がると、段を下り、シルヴィアに近づく。
「シルヴィア。本来であれば、お前はギロチンによる断頭の後、火あぶりに処される。そうすることで死後も業火の中で悶え、悠久の苦しみに苛まれることになる」
想像し、身震いをするシルヴィア。ヴィクシスは突然屈み、彼女と視線を合わせると声をひそめて、子供をあやすような優しい声色で語りかける。
「けれど、私も鬼ではない。あのアリシアの娘であるというだけで、シルヴィアには何の罪もない。そこで相談がある。私のお願いを一つだけ聞いてほしい。もし聞いてくれるのなら、一切を放免しよう。君はここを出て、晴れて自由の身になれる」
「え……」
絶望に沈んでいたシルヴィアの心に、小さな希望の光が湧いた。それは爛々と、それでいて危うい輝きを放っていた。
「ブルースカイの在処を教えてほしい」
ブルースカイ。シルヴィアはその名前を聞いて、無意識に胸に手を当てた。
ヴィクシスはそれを見逃さず、そんな彼女の腕を掴む。
「リッチェル。こいつの外套を剥がせ」
「はっ」
リッチェルは即座に走り寄ってきて、シルヴィアの肩を荒々しく掴むと、外套を剥いだ。
ブルースカイ。母の大切にしていたペンダント。守らなくっちゃいけない。
そんな思いが、萎え果てていたシルヴィアの心を奮起させた。彼女はヴィクシスの腕を払おうと暴れたが、少女一人に大人二人の力が勝るわけもない。すぐに無理やり組み伏せられてしまった。
「ないぞ」
「ありませんね」
彼らのそんな言葉に、シルヴィアはどきりとした。確かに首に掛けていたはずだ。失くさないよう大切に、肌身離さず持っていたはずだ。
けれど、彼らが言うように、胸元に青い輝きは見当たらない。
どこかに落としたのだろうか、いつの間にか盗まれたのだろうか。焦燥感が彼女を包んだ。
「手荒な事をして済まなかったな、シルヴィア」
シルヴィアを抱き上げ立たせると、ヴィクシスはまたしても猫なで声で言った。
「ブルースカイはどこにあるんだい? 教えてくれるかな」
「ない。どこにもない」
外套のポケットや服の中、古ぼけた靴の中や周囲の床の上を探しながら、シルヴィアはそう漏らした。
「ない?」
「なんで、どうして」
「失くしたのか?」
「あったのに、絶対にあったのに。どこへ行ったの」
うろうろするシルヴィア。
「もういい、殺せ!」
突如として、ヴィクシスの怒鳴り声が領主の間を満たす。
「明日、このガキの公開処刑を執り行う」
冷酷な一言はけれど、大切な宝物を一心不乱に探し続けるシルヴィアの耳には届かなかった。
暗闇に沈む牢獄は、寒かった。
シルヴィアは外套を剥がされた格好のまま、牢獄に入れられた。ノースリーブの薄汚れた白のワンピース姿。おしりをついて膝を折り曲げ、両腕で全身を包み込むようにして座っていた。がたがたと震えながらも、彼女の頭の中は別のことで埋め尽くされている。
ブルースカイを失くしてしまった。強烈な喪失感に苛まれた。
母の形見ともいえるブルースカイ。けれどそれ以上に、シルヴィアの心はあのペンダントに惹きつけられていた。
――このペンダントに心を奪われてしまうのは、私たち一族の性癖のようなもの
母が昔、そんなことを言っていたのを思い出した。その意味が今、身に染みて分かった。
それから長い時間が経った。
天井の隙間から微かに差し込んでいた日の光が徐々に赤みを帯びていき、遂には闇の中へと消えた。
牢の外で、蝋燭の火がゆらゆらと揺れていた。その光が、シルヴィアを虚ろに映し出す。
手足を投げ出して、壁にもたれ掛かっていた。まるで廃人のようにうわ言すら呟いていた。
「どこへいったの……わたしの……宝物……」
明日、彼女は死ぬことになる。残された時間は僅かだが、それを有意義に使おうなどという気力も湧きはしない。ただ過ぎ行く時に身を任せた。
そのとき、何やら物音がした。外からだった。
ぼんやりと見上げると、鉄柵の隙間から何かがこちらに突き出されている。
手だ。白く細い腕が、シルヴィアを救い上げようとするが如く差し出されていた。
慈愛に満ち溢れた、手。シルヴィアはその手を愛しそうに眺めた。
そして、気づく。
その手の先。指に絡められた細い鎖。垂れ下がる、青空色のペンダント。
ブルースカイだ。間違いなかった。
「はーい、シルヴィア。お待た? あらあら、そんなに青痣作っちゃって」
明るく楽しげなその声は、悲しみに沈んだシルヴィアには痛く感じた。
「誰……なの?」
ぽん、と乾いた音がして、目の前に煙が立った。すると手は消え去り、そこから滑り落ちたブルースカイをシルヴィアは慌ててキャッチした。
そんな彼女の頭上で、音がした。小賢しく、けれど心地よさすら伴う、至福の音。
パタパタパタ、パタパタパタ。
「もう忘れちゃったの? 私よ、私。あなたの友達。ラブリーフレンド? ――コウモリちゃんですよ!」
見上げるとそこには、騒がしいあいつの姿があった。エバントンの穴倉で出会い、シルヴィアに着いてきた、あの――
純白のコウモリだった。
「コウモリさん!」
「あらなに、涙流しちゃって。そんなにあたしに会いたかったの? そういえば、ごめんね。そのペンダント、あたし盗んじゃった。ていうか、保護? あなたが軍兵に捕まる前に、奴らに取られちゃまずいって思って、盗んだの。でも、安心して。大切に抱きしめておいた。あったかいでしょ? それ、あたしの体温」
相変わらずの早口で、コウモリは言葉を放つ。シルヴィアはどっと押し寄せる安心感に顔を崩して聞いていたが、ふと思い出したように問う。
「コウモリさん。さっき、人間だった……」
白く細い腕。シルヴィアはあのとき、確かに見た。柵の向こう側に人の姿があったのだ。純白の毛皮を羽織った、透き通るような白い肌の、美しい女性。口許からは八重歯が覗き、頬には引っ掻き傷のようなものが目立った。白髪は臀部の辺りにまで伸び散らされ、背からはこれまた白い翼が突き出ていた。差し出されたあの腕は、その女性のものだった。
「変身できるのよ」
さも当たり前のことのように、コウモリは言い放つ。
「変身?」
「そのペンダント、強い魔力を秘めているのよ。それを使えば、人間にだってなれるし、サルにもゾウにもライオンにも、きったないネズミにだってなれるね。ならないけど。まぁ、誰にでも使いこなせるってわけじゃないわ。あたしみたいな、ジーニアス? なコウモリに掛かれば簡単なことだけど」
俄かには信じがたいことだった。けれど、先ほど人間の姿に変身したコウモリを確かに見たシルヴィアは、信じざるを得なかった。
「どうやって、ここに?」
「まぁ、人間の姿になって、軍兵どもの耳元でちょちょいって甘い言葉を囁けば、楽勝ってなもんですよ」
「言葉が甘い?」
「お子様にはまだ早いわね。とにかく、早々にこんなきったないところからはおさらばしましょ」
「ここから出るってこと? そんなことできるの?」
「あなた、あたしを誰だと思っているの?」
「コウモリさん」
「史上稀にみる天才性を有するラブリーなコウモリさん、でしょ? ブルースカイ貸して」
言われるままにブルースカイを手渡すと、またしても乾いた音が響いて煙が立った。現れたのは、巨大なイノシシ。短い脚の上に、山の如く盛り上がる体。鋭く立派な二本の牙は、獲物を求めるように怪しげに煌めく。
イノシシはゆっくりと数歩後退った。ふん、と鼻を鳴らすと、熱風と共に湯気がたつ。
「ちょっと、危ないから退いてて」
低く不気味な声だった。シルヴィアは慌てて隅に避けた。
猛然と突風がシルヴィアの体を撫でた。次の瞬間には、大地を揺るがすかのような衝撃音が辺りに響き渡る。イノシシが柵に突進したのだ。
頑強な鉄柵は脆くも折れ曲がって、隙間を開けた。小さな隙間ではあったが、シルヴィアが通るには充分なものだった。
「こっちよ」
変身を解いたコウモリに促され、シルヴィアは牢獄を出た。
力の限りに走った。赤い絨毯の敷かれた長い廊下を進むと、表玄関が現れた。もうすぐで外だ。そんな期待に胸を躍らせたシルヴィアは、次の瞬間、顔をこわばらせることになる。
そこには、四名の軍兵たちの姿があった。玄関を警護し、シルヴィアを待ち構えていたらしかった。彼女は覚えている。彼らは間違いなく、今朝自分をここまで連れてきた軍兵たちに相違なかった。
「おい、来たぞ」
彼らはシルヴィアの姿を目撃すると、すらり、と長剣を抜いた。
もうダメだ。諦め、地面にへたり込もうとした。けれどそのとき、シルヴィアはとんでもない光景を目の当たりにすることになった。
シルヴィアに斬りかかろうとしていた軍兵の一人が、突如、どうと倒れ込んだのだ。
叫び声が轟いた。その軍兵のものだ。花びらが散るかのように鮮血が噴き出した。後ろから姿を現したのは、血に塗れた長剣を提げた若い軍兵。
シルヴィアは忘れない。シモラーマで母の遺体を見下ろして侮蔑の言葉を放っていた、あの若く屈強な軍兵。あいつに違いなかった。
「おい、なにする、やめろ!」「なんなんだ、いったいどうしたっていうんだ!」
若い軍兵の長剣が数回煌めいた。ほんの数秒の間に、三人の命が失われた。もちろん彼らは抵抗したが、まったく歯が立たなかった。彼らが剣を一振りしたときには、若い軍兵の長剣はすでに彼らの体を何度も切り裂いていた。
辺りは一瞬にして赤黒い空間へと様変わりした。長剣に付着した血を払うと、若い軍兵はシルヴィアに向き直った。不可思議なことに、あれほどの鮮血の飛沫の只中にいた彼の体は、何事もなかったかのように綺麗なままで、一滴たりとも返り血を浴びてはいなかった。彼の剣の腕の凄まじさは、それを見れば明らかだった。
若い軍兵は表情を変えることもなく、飄々とシルヴィアの眼前まで来ると、膝をついた。怯えて震えていたシルヴィアは、突然のことに困惑した。白きコウモリは彼女の頭の上で羽を休め、その様子を楽し気に傍観している。
そして、表情に乏しい彼は口を開いた。低く小さな声だった。
「シルヴィア様。数々のご無礼、どうかご容赦ください。奴らの目を謀るためには、そうせざるを得なかったのです」
「あなたは何者なの……」
「我が名はジャン・ポール・フランコ。誉れ高きチタ族の、しがない剣士にございます。母君の命を受け、貴方様をお迎えにあがりました。シルヴィア様。我らの小さき希望。この一命に掛けて、私は貴方をお守りいたします」