第4話 お前は関わるな~まだ見ぬ先の世界~
俺はロングヘアの女性は嫌いだ。
桜から視線を移した先に、さらに信じられないもの、と言うより、信じたくないものを見てしまった。
その時、俺は先日の朧月事務所の青年との会話を思い出した。
―――――
「僕のことなんて、いいじゃないですか。本題に入りますよ」
青年は人差し指を突き出した。
「答えから言いますと、日向さんの友人の轟沢一郎さんは生きています」
「は?」
「正確に言うと、元・轟沢一郎さんですね」
「は?」
「だから、日向さんの友人は生きているんです」
「…………」
言葉が出なかった。違う。出す言葉が見つからなかった。
「テレビで見た轟沢一郎さんは、確かに轟沢一郎さんです。でも、死んだのは轟沢一郎さんではありません。どこかの、地位が上のお方なのです」
「轟沢は生きているのか?」
「さっきから、言ってるじゃないですか。じゃあ仮に、死んだのを〝Aさん〟としましょうか。〝Aさん〟は死ぬ直前まで〝Aさん〟でした。ただ、死んだあと、何者かによって〝Aさん〟は〝Bさん〟になりました。その〝Bさん〟が轟沢一郎さんなのです」
「死んだ〝Aさん〟が、轟沢になる必要はないじゃないか」
「世の中そうはいかないんです。例えば、国家社会主義の最高司令官が突然殺されたらどうなると思います?」
「国民社会主義者が上に立とうとするかも…」
「ですよね。そうなると、国家の威厳とか無くなっちゃうので困ります。だったら、殺されたのは最高司令官でなければいい。お偉い方はそう考えるのです。誰かの名前をもらって、殺された最高司令官に当てはめる。最高司令官の名前はその誰かに当てはめる。名前の交換です。たとえ、外見が変わっても、国民らには最高司令官が体調を崩して痩せてしまった、とか言っておけば大丈夫なんです」
「そんなので、国家は成り立つのか?」
「国家のことなんて、いいじゃないですか。本題に戻りますよ」
君から、言い始めたじゃないか。とは、言えなかった。言葉が出ない。
俺はなんとなく、この青年がこれから言うことが想像できた。
「今回の事件は国家レベルではありませんが、同じことが起こりました。轟沢一郎さんは生きていますが、戸籍はもうありません。誰かに戸籍を買われたのでしょう。戸籍と言うのは、女や子供の次に売れますからね」
「…………」
「轟沢一郎さんの戸籍を売ったのは、ここ数年一緒にいた〝桜〟という女性らしいです。日向さんがいつか轟沢一郎さんを見ても、その人はもう〝轟沢一郎〟ではない。と、いうことです」
―――――
右の目元にホクロが二個ある男が視線の先にいる。何年一緒にいたと思っているんだ。俺は見間違えるはずが無かった。
「はっ⁉」
俺は、少し前に感じた違和感を思い出した。
ニュースで見た、あの写真。あの写真にはホクロが無かった。はずだ。
あの写真に見覚えがあったのはきっと、顔が酷似している人だったからだ。
轟沢一郎が桜の後ろについて歩いていた。いや、今は轟沢一郎ではないかもしれない。
俺は、元・轟沢一郎と目が合った。向こうも驚いた表情をした。ような気がした。
「俺に関わるなよ」
彼らが俺の横を通り過ぎたとき、聞こえた。はっきりと、聞こえた。
あの小説の一言だ。
そうだと気づいて振り返るが、二人の姿はどこにもいなかった。
轟沢が言ったのか、自分の中の自分が言ったのか、吹いた風がそう聞こえたのか。
どれかは分からないが、今でも耳の奥に残っている。
気が付くと、信号は点滅していた。
急いで渡り終えると、さっきの赤い首輪のチワワが俺を見ていた。潤んだ小さな瞳と目が合う。
轟沢、これを見つめているって言うんだ。
「キャン、キャン!」
チワワは俺に向かって吠えたが、何を訴えたいのかは分からなかった。
チワワは向きを変え、顔を突き出した。慌てた飼い主はリードを引っ張ろうとするが、その手からリードは離れた。チワワは一気に駆け出した。
「キミにとって、その先の世界がいいところでありますように」俺は何故か、心の中でそうつぶやいていた。
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年を越して冬が終わり、春が来て、夏が過ぎて、秋になる。
花屋では薔薇がたくさん咲いていた。俺は薄いオレンジ色の薔薇を一本だけ買った。
夕方になると空は暗く、公園には俺以外にジョギングしているおじさんしかいない。
ベンチに座り、星を見ようと空を見上げた。が、何も見えなかった。
「おまたせー」
暗くて一瞬誰か分からなかった。この声は間違いなく轟沢ではない。
「ごめんねー、仕事多くて」
「気にすることはない」
彼女は俺のとなりに座った。
「これ、プレゼント」
俺はさっき買った薔薇を渡した。
「え、プレゼント?突然どうしたの?」彼女は目を丸くして聞いてきた。
「いろいろ」
「そっか、いろいろか」
本当にいろいろあったな。俺はどこを見ていいか分からず、とりあえず噴水の方を見ていた。
「ありがとう」
その一言で、何故か急に緊張した。彼女の方を見るが暗くてよく分からなかった。ただ、うつむいているのは分かった。
彼女が俺の方に寄り掛かる。心拍数が上昇する。気づかれないだろうか。
「ねえ、薔薇の花言葉知ってる?」
「いや、知らない」
「知らないでプレゼントしたの?」
「ああ、そうだね」
「やっぱり、真和は変わらないね」
公園を出て、道を歩く。もちろん、手は繋いでいる。
「そういえば、俺のこと〝まさ〟って、呼ばなくなったな」
「まあね。わたしはもう大人ですから」そう言って、彼女は胸を張った。
俺は一つだけ嘘をついた。と言うよりも、緊張して頭が回らなかったのかもしれない。
本当は花言葉を知っていた。薔薇には
『あなたのすべては可愛らしい』
という意味がある。ちなみにその色は
『無邪気』
と言う意味があるんだ。
「なに、ニヤニヤしてんのよ」
「いや、別に…」
俺には、この先にどんなことが起こるか分からない。
途中で道を間違えるかもしれない。一気に駆け出すかもしれない。
ただ、この繋いだ手は絶対に離さない。
俺が勇気を出したんだ。保障する。
何が起こってもこの気持ちは変わらない。俺は、まだ見ぬ先の世界に向かって、心の中でつぶやいた。
【拡散希望】一生桃のそばにいます
彼女の手には一輪の薔薇が咲いている。