第98話:bless you
大きな窓から差す穏やかな陽光。
見上げれば、思わず手を伸ばしたくなる程の青空が広がっている。
きっと5人に尋ねたら、4人がこう答えるだろう。
『なんて過ごしやすい日なんだ』
しかし、生憎わたしは5人中残りの1人である。気候は本当に心地よいはずなのだ。
廊下をすれ違う人みんなが気持ち良さそうな顔をしているのだから。
だけどわたしは、暑い。
「暑い熱い暑い熱い暑い! なんでこんなにあついの!?」
空気へと文句を訴えるわたしは我ながら哀れだ。いやでも、誰かに言ったら変な顔されそうだし。
服の袖をまくり、スカートをパタパタと手で揺らしてるわたしはかなりみっともないだろう。
帽子屋あたりが見たら淑女がどーのこーの言って怒りそうだ。
「はしたないわよ、アリス」
そうそう、こんな風に………って、え?
声に振り返れば、そこには真っ赤なドレスを着た自分より幾分か小さい美少女が腕を組んで立っていた。
少女は何故か不機嫌な表情をして、まとう雰囲気も穏やかでない。
だけどふくれてる頬が可愛くて仕方ないのですがどうしたらいいですか。
「女王様、何かあった?」
控えめに、だけどストレートに尋ねると彼女は待ってましたと言わんばかりに口を開いた。
「よく聞いてくれたわアリス! もう本当に最悪なのよ!」
「うわっ。な、なに?」
勢いよく掴みかかってきた女王様。心なしか涙目である。
「昨日、白うさぎがぜっんぜん寝かせてくれなかったの!」
……………はい?
「んもう、普段は優しくて私に甘いのに、急に意地悪になるんだもの。おかげで寝不足だわ! 隈でもできたらどうするのよ!」
本当に最悪よ! ――そう叫ぶだけ叫び、女王様はわたしの反応なんて待ちもせずに腕を大袈裟に振りながら行ってしまった。
えーと、なんだって?
説明が足りな過ぎるとか、聞いてよと言ったわりにはわたしの反応無視?とか、えーと、……なんだって?
色々と考えていたら、頭がグルグルしてきた。ただでさえ身体が熱いのに、今は視界さえぼやける。
「お姉さん?」
あ、とうとう白うさぎくんの幻覚まで……って、幻覚じゃない!
「あわわわ。ししし、白うさ……!」
これでもかって程どもるわたしを、白うさぎくんはさほど気にせず困り顔でこう尋ねてきた。
「陛下、何か言ってました?」
「陛下……女王様? あ、えーとなんか寝不足だとか、その……」
「ああ、やっぱり。怒ってましたよね」
苦笑する少年に、わたしはこくこくと頷く。頭を振ったせいで、また視界がぼやけた。白うさぎくんの表情も上手く読み取れない。
「昨夜、溜まっていた仕事をやってもらったんです。終わるまで見張ってたので、全然寝させてあげれなかったんですよ」
嫌われちゃいましたね、とまたひとつ苦笑を漏らす。
仕事……仕事って、ああ、仕事か!
「で、ですよねー!」
「お姉さん?」
「いや、うん、大丈夫。わたし信じてた!」
バシバシと肩を叩くと、白うさぎくんは不思議そうな面持ちで、はぁ、と小さく頷いた。
やだなぁ、わたしってば変な勘違いして。恥ずかしいよまったく。
「あれ、お姉さん顔赤いですよ」
「こ、これは…その……」
「ちょっと失礼します」
そう言って、白うさぎくんはわたしの前髪をかきあげ、額同士を軽く合わせた。
「ししし白うさぎくん!?」
「熱いですね……」
――そりゃあ、こんな綺麗な顔が目の前にあったら体温も上がるでしょうが!
上目遣いの赤い瞳や、きめ細かい肌。そして、彼の額から伝わる冷たさ。
いつも思うけど、白うさぎくんは肌が冷たい。でもそれは決して突き刺すようなものじゃなくて、降り積もった雪のように優しい冷たさだ。
今のわたしの熱い身体にそれはただひたすら気持ちよくて、無意識に涙が目尻に溜まる。
意識が虚ろになっていたら、白うさぎくんがいつの間にか額を離していた。
かと思えば、わたしの腕をやや強めに掴んでいて。
「……白うさぎくん? あの、腕」
「離していいんですか?」
――え、
そう思った時には彼の手が離れ、わたしの膝はかくりと床についていた。
あ、あれ……力が入らない。
座り込んでしまったわたしを見て、白うさぎくんは膝をおり、わたしの背中を支えてくれる。
呆然としてるわたしをお構いなしに、彼はわたしの腕を自分の首にまわし
「うひゃあ!」
まさかの、お姫さま抱っこをしてみせた。
「わ、わたし歩ける……!」
「熱はあるし、息も荒いです。それに、フラフラでしょう?」
確かに、反論できない。でも
「ち、力持ちだね」
わたしより背が低くて華奢なのに。しかもわたし、最近太ったし……うぅ。
少年が無言になったので、わたしも黙って彼の首に強く抱きついた。
◇
連れていかれたのは、わたしの部屋だった。ゆったりとベッドにおろされる。
上手く自由の利かない身体を何とか動かして、羽毛の布団にくるまる。そんなわたしの額に白うさぎくんはキスをして、にこりと笑った。
っ……可愛い。なんでこんな可愛いんだ。反則だよ。
目眩がしたのは、熱の所為だけじゃないはず。そんなことを思っていたら、メイドさんが水を持ってきてくれた。
白うさぎくんが手配してくれたのだろうか。……いつのまにか? やっぱり、まだ謎が多い子だ。
白うさぎくんが礼を言うと、メイドさんは綺麗にお辞儀して部屋から出て行った。
「な、なんかごめんね」
「謝らないで下さい。……水、飲みますか?」
「うん、なんか今気付いたけど、ものすごく喉渇いてるや」
ちょっと掠れた声で言うと、彼がトレイにのったコップを手にとる。
てっきりそれを渡してくれるのかと思って手を伸ばしたが、白うさぎくんはグラスを傾け自分の口に流した。
予想外の行動に唖然としてると、少年はコップを置き、わたしのベッドに片膝をのせる。
「あの……んっ」
―――瞬間、目を見張った。
すぐ前に、彼の髪と同じ銀色の睫が見える。わたしは身体を石のように固め、息をすることさえ忘れた。
だけど、薄く開いた口唇から冷たい液体が流れこんできて。それが水だと気づいたタイミングで、少年はわたしの口唇を甘噛みし、そして、離す。
「……今日はゆっくり休んで下さい。後でメイドをおくります」
そう微笑して白うさぎくんはもう一度わたしの額に口づけを落とし、何事もなかったかのように部屋から出て行った。
「……………え?」
わたしの熱が上がったのは、言うまでもないだろう。
※bless you…神のご加護のあらんことを。
(くしゃみをした人に)お大事に