第91話:花占い
最近、あのピンクSM変態猫が変だ。
ん? 変態が変になったら変態じゃないのか? いやでも確かに変だけど変態には変わりないし、でも変態が変にだから……頭痛くなってきた。
でも本当に変なんだ。
自室のソファに寝そべりそんなことをひとり悶々と考えていると、不意に窓を叩く音がした。
ドアを叩くならまだしも、窓をノックする人物をわたしはひとりしか知らない。
――ここを何階だと思ってるのさ。
本当は無視したかったけど、気になるのもまた事実で。
わたしは重い身体を起こし、仕方なく窓を開けようとした。
が、その必要はなくなったらしい。
「こんにちは、アリス」
すぐ目の前に彼は立っているのだから。
「ひぎゃあぁぁぁあ!!」
いつのまに、不法侵入、またなの……。
言いたいことはたくさんあるけど、驚愕で心臓がバクバクと震えていて言葉が出ない。
この不意打ちは久しぶりだからかもしれない。
そんなソファに崩れるようにもたれかかっているわたしを見て、彼はクスクスと笑う。
「相変わらずオーバーリアクションだね。俺としては、もっと色気のある声の方が嬉しいんだけど」
色気なくて悪かったな。生憎きゃーよりギャーの方が出やすいのよ。
わたしはすぐ前に立つ青年、チェシャ猫を上目に睨みつつ体勢を直した。ひとつ咳払いをして、何の用?と聞く。
すると彼ははい、とわたしに向けなにか白い箱を差し出してきた。
「公爵夫人が貴女にって。中身は自分で確かめてね」
「公爵夫人が……」
わたしはそれを受け取り、早速開けてみた。赤いリボンをほどいて現れたのは、丸い苺のタルト。
いや、苺だけではなくブルーベリーやグランベリー、ラズベリーなどが生地に惜しみなくのっている。
シロップのかかったフルーツがテラテラと光り、視覚だけで舌が刺激される。
うう、よだれ出そう。
「それじゃあ、俺帰るね」
タルトに見とれていたわたしの頭に手をのせ、チェシャ猫はそう言った。
「えっ……もう?」
「うん、用は済んだから。バイバイ、アリス」
「あ、うん……」
ひらひらと手を振る彼に、つられるように振り返す。チェシャ猫はくすっと笑い、姿を消した。
文字通り、消した。今更驚かないけど。むしろ驚くべきは、違うところにある。
だって、やっぱり変だよ。
あのチェシャ猫が、あっさり帰ったんだよ? これは異常事態よ。
ん? いや、別に帰ってほしくなかったとかじゃないから。ただ、おかしくて不気味なだけ!
こんなことが数日続いているものだから、わたしは違和感を感じぜずにはいられない。
「気持ち悪いよ」
吐き捨てるようにこぼした呟きは、誰にも掬われることなく消えた。
◇
それから数日。あれ以来チェシャ猫は姿を見せない。公爵夫人にお礼を言いに行った時も、彼は家にいなかった。
――別にいいけどね。
っていうか、なんでわたしがこんなに悩まなきゃいけないのさ。あームカつく。
苛々するのにも疲れる。わたしはいつものように、ソファに寝そべった。
気分転換にどこか行こうかな、なんて考えているとノックの音が響く。今日はちゃんとドアからだ。
気だるさを感じつつも身体を起こし、扉を開ける。
現れたのは、……花?
視線をそこから少しずつ上にずらすと、いつものように柔らかい微笑を浮かべた少年が。
「……白うさぎくん。どうしたの」
それ、と言って彼が持っている花瓶を指差す。白うさぎくんは
「知人からたくさん貰ったんです。僕ひとりじゃ多いのでお姉さんにも、と思って。部屋に飾ってくれますか?」
目の前の色鮮やかな花からは、優しい香りが漂っている。それだけで、先ほどのイライラした気持ちが薄れていくのを感じた。
白うさぎくん、君はどこまで完璧なんだ。なんていうかもう、大好き。お嫁に欲しいよ。
感動に震えているわたしに、白うさぎくんは首を傾げる。ぐぁっ、かわいい!
「――ッ、ありがと!」
耐えられず、わたしは目の前の少年に抱きついた。間に挟まった花瓶がちょっと痛い。
「ふふ、元気でましたか?」
「ほぇ?」
「最近お姉さん、元気なかったみたいでしたから」
良かった、という声に、本気で涙が出そうになった。更に力を入れてぎゅうぎゅうと抱きしめる。
「お姉さん、痛いです」
すみません。
白うさぎくんが部屋から出ていった後、わたしは改めて花瓶にささった花を一輪ずつ見た。
色合いはピンクとオレンジな感じ。大輪の蘭もあれば、揺れる鈴蘭もあって。
「これなんて花占いできそう」
花びらが一枚一枚分かれた花を花瓶から取り出し、そう呟く。
……花占いなんて、最後にやったのいつだろう。それも占った内容は、恋愛ではなかった気がする。
わたしは誰もいないというのに、辺りをキョロキョロと見渡した。
――い、一回だけ。
わたしは生唾を飲み込み、花びらに手を伸ばした。
「わたしはアイツのことが好き、嫌い、好き、嫌い……ってわたし気持ち悪ぅぅぅぅ!!」
わたしは持っていた花をレーザービームのごとく投げた。
なにこれ痒い! こんなのわたしのキャラじゃないし!
「あう〜、わたしいつからこんな乙女になったのさぁ……」
だって、今のわたし超絶キモイ。自分で自分にドン引きする。本当に有り得ないよ。
わたしは床に膝をつき、自分でも分かりやすくうなだれた。
「可愛いことするね」
不意に上から聞こえた、低く甘い声。顔をあげなくても誰だか分かってしまうのが悔しい。
――っていうか、見られてた……!?
その瞬間、カッと顔に熱が集まった。なにこれ、火傷したみたいに熱い。
あまりの羞恥にわたしは、声を出すことも立つことも出来なくて。舌を噛みきって死んでしまいたいくらい、恥ずかしい。
「やるなら最後までやらなきゃ。アリスは俺が好き…嫌い…」
花びらが床に落ちる。きっと、さっきわたしが投げた花を拾ったのだろう。
わたしは恐る恐る視線を上に持っていき、彼の手元を見つめた。
「はい、好き。この花分かってるね」
チェシャ猫は金色の瞳を細める。背筋がゾクリとした。
――違う、違う。
たかが花占い。大ざっぱでなんの根拠もない占いじゃないか。そんなの当たるわけない。だからわたしは、
「あ、あんたなんか好きじゃない」
叫ぶつもりで言ったのに、出てきた声は虚しいくらい掠れていた。
チェシャ猫はその言葉に無言でいたけれど、すぐに、にこりと笑って。
「俺も、アリスなんか嫌い。なんだ、ある意味両想いだね」
そう、言った。
一瞬、彼の言葉が理解できなくて。頭が真っ白になった後、真っ暗になった。
嫌い、なんて。わたしは今まで何度も彼を拒絶したのだから、それにわたしがショックを受けるのは理不尽だ。
頭の隅ではそう分かっているのに、チェシャ猫の言葉が胸に深く突き刺さって。
「……アリス?」
まずいと思ったときには既に遅く、雫が頬をつたった。