第89話:猫アレルギー
世の中、どんなに頑張っても分かり合えない仲がある。
努力しても努力しても、相容れないというものがあると、痛いほど分かった。っていうか、現在進行形で痛感してる。
「なにしに来たの」
不機嫌全開の声色で、少年は吐き捨てるように言った。それは問いというより、責め立てるもので。
いつも眠たそうな目が、今は嫌悪などの負の感情で色付いている。
「なにって、もちろん会いに来たんじゃない」
笑いを含ませた声で答えるのは、三月の頭に顎をのせた猫の青年。
途端、ただでさえピリピリとした空気がより一層緊張感が増したものに変わった。
黒いオーラを放つ少年からはいつもの穏やかさは感じられず、わたしは身体を刺すような空気に耐えようと口唇を噛む。
それに対し、三月はまったく気にしていないのか、チェリーパイを美味しそうに頬張っている。
帽子屋はやはり少しは気にかかるのか、すました顔して紅茶を飲みながらも、三月とチェシャ猫にチラチラと視線を送っていた。
「どうでもいいけど、三月から離れてくれない?」
「貴方が聞いたのにどうでもいいの?」
「……早く離れて」
低い声にチェシャ猫は肩をすくめつつも、三月から離れた。
三月にくっついてたのは、たぶんヤマネくんへの嫌がらせだろう。怒ると分かってやるなんて、本当に質悪い。
三月から離れたチェシャ猫は、次にわたしとヤマネくんの間へ椅子を滑らせ座る。
なんて強引な。ヤマネくんのプリティーな眉間にしわがよっちゃったじゃんコノヤロー。
「…なんでここに座るの」
「駄目?」
「あんたが近付くと、鳥肌立って悪寒がして目眩まで起こるし頭痛だってする」
「そんなこと言われたら、余計にかまいたくなるじゃん」
……ヤバい、これはヤバい。ダイヤモンドダストが吹き荒れている。
こんなにもいい天気なのに、ここだけ空気が冷えきっていた。
「最低。平和のためにも消えてよ」
「そしたらいろんな人が悲しむでしょ?」
「その倍の数の人達が喜ぶよ」
――こ、怖いぃぃ…!
左半身だけがビリビリする。耐えきれず、わたしは椅子を二人から遠ざけ距離をとった。
「2人って仲良しだねー」
「空気読もう三月ィィィ!!」
「なに言ってるのアリス。空気は透明だよ?」
「帽子屋! あんたどういう教育したの!?」
右側にいる帽子屋のモーニングの裾を掴み責め立てれば、彼はたっぷりの間をあけて知らへんのか、と言う。
「俺が拾ったとき三月はまだ10歳やったちうわけや。だから手遅れやったんだよ」
「目をそらして言うな!」
絶対後ろめたいことあるだろアンタ! っていうか、拾ったときはおしとやかって言ってたじゃん!
明らかにこれはゆとり教育の結果だ。マナーはともかく、空気読める術は教えてもらわなかったのね三月。
余程おいしいのだろう、頬を押さえてニコニコしてる少年、……間違えた、少女を見ながら思う。
しかしその和やかな雰囲気とは裏腹に、相変わらずチェシャ猫とヤマネくん達の周りは寒い。
「俺は貴方のこと、結構好きだよ」
「吐き気がするからやめて。僕はあんたなんか大嫌い」
「ちょ、2人とも落ち着いて……」
これ以上続けると口喧嘩じゃ済みそうにないから、わたしは止めに入った。
瞬間、2人の視線が同時にわたしを射抜く。
「アリスはこいつの味方するの?」
瞳に光が灯ってないのが怖い。しかしそれよりも恐ろしいのは、この子に嫌われることである。
わたしは慌てて弁解した。
「えっ、いや、違うよ。そういう訳じゃ……!」
「アリスはいつだって俺の味方だよね?」
「それはない」
「そこは即答なんか……」
隣で帽子屋がため息をつく。当たり前じゃん。わたしはいつだってチビっ子のヒーローさ。変態の味方するわけがない。
第一、なぜ彼等はこんなにも仲が悪いのだろう。いや、仲が悪いというよりは、ヤマネくんが一方的に嫌っているという方が正しいだろう。
――猫とネズミは相容れないものなのかね。
いや、わたしは彼等は人間寄りだと思うけど。っていうか、まず獣と混ざっているということ自体がおかしいよね。
なんでわたしは当たり前のように受け止めちゃってるの? おかしいでしょ、耳や尻尾が生えてるんだよ?
ファンタジーにも程があるって。
……いや、わたしが此処にいることからしてファンタジーだけどさ。
「なんで俺ってばこんなに嫌われちゃってるのかな」
さっきまで考えていたことを、チェシャ猫は呟いた。
「自分で考えれば? それと早く離れてくれる? 気分悪い」
「分かんないなぁ。アリス教えてよ」
そう言って、チェシャ猫はわたしの肩に腕を回す。頼むからわたしに話をふらないでくれ。
わたしは三月と帽子屋の和やか茶会に参加したいんだ。ヤマネくんはかなり可愛いけど、ブリザードに巻き込まれたくない!
「み、三月……」
わたしは少女の腕をつつき、助けを求めようと見つめる。
しかし、その瞬間
「隙ありっ」
語尾に音符でもつける口調の声が背後から聞こえたと共に、チェシャ猫に襟を思い切り左右に広げられた。
それに怒るよりも早く、わたしの脳が警報を鳴らす。まずい、そう思った時にはもうしっかりと三月と目が合ってしまった。
「な、生肌だァァァァ!!」
「やっぱりー!」
飛びついてきた少女を受け止められず、わたしは椅子もろとも後方へ倒れた。
一瞬の浮遊感の後、ゴッと頭が地面と衝突した鈍い音が響く。
「痛ぁ……。ちょちょっ、三月マジで落ち着いて!」
「ねぇねぇ、俺も混ぜて?」
「死ね変態猫!!」
わたしに馬乗りになる三月を必死で押さえてると、チェシャ猫が椅子からおりわたし達の隣に腰を下ろした。嫌な予感に冷や汗が背筋を伝う。
――ちょっと、コイツなに考えて……。
「なにって、もちろん3ピ「お前マジでくたばれ!」
放送禁止用語を平気で口にするなよ!
「久しぶりの肌ぁ♪」
「アリスって白いよねー」
「やだやだ離せ!」
なんでコイツ等、無駄に怪力なんだよ!!
もう無理、そう思った時、
ガンッ!!
わたし達の声に勝る大きな音がこの一帯に響き渡った。みんなが一時停止して、その音の正体に視線を移す。
……テーブルが、割れてる。いや、比喩とか冗談じゃなくて本当に。
違う意味で汗が噴き出しそうになりつつも恐る恐る、拳を握った彼を見る。
「帰れ」
そう言った帽子屋の顔は、今までにないくらい怖かった。