第85話:発情うさぎ乙女計画
「そういえば、アリス今日はエプロンドレスじゃないんだね」
三月が何気なく放ったその言葉に、わたしは紅茶を噴き出しそうになったが、何とか咳き込む段階で済んだ。
「ゲホッゴホッ!」
むせるわたしに、帽子屋が呆れつつも、ほら、と言ってハンカチを差し出してくれる。
それを受け取り、わたしは口にあてがった。
しばらくして落ち着き、わたしは涙を拭いてごめん、と謝る。
「ぼく、変なことを聞いた?」
きょとんとした顔で首を傾げる三月。うん、君はおかしくないよ。過剰反応したわたしがおかしいんだよ。
――恥ずかしい……。
うー?とわたしの顔を覗きこんでくる少女から視線を外すように、俯き紅茶をすする。
「あんま聞くな、三月。人には触れられたくないことがあるんや。まぁタートルネックってだけで、何となく想像つくけどな」
ニッと笑い、目を細める帽子屋。
……チクショー、その何でもお見通しって表情、なんかムカつく。
わたしは首筋をギュッと押さえた。鈍い痛みが少しだけ渦巻く。
「ま、まぁそういうことだから、気にしないで三月」
咳払いをして言えば、三月はまだ不思議そうな顔をしてたけど頷いてくれた。
うん、わたし君のこと大好きだ。
「でも、今日の格好も可愛いー♪」
「そ、そう? ありがとう」
キャッキャッとはしゃぐ三月。こういうところを見ると、女の子だなぁって思う。
――三月もスカートとかはけばいいのになぁ。
っていうか、正直に言うと可愛い服着せたい。それを言えば、三月は顔をしかめた。
「えー、でもぼく女の子の格好似合わないよ。髪だって短いし……」
「そんなのエクステとか付ければ大丈夫じゃん。着せたいな〜」
絶対可愛いもん、と付け加えて言うと、三月は大きな兎耳を揺らしながら考え込む。そんな頑なに拒否する内容でもないのにな。
着せたい着せたいとせがむわたしに、ヤマネくんが
「…三月はスカート好きじゃないからね…」
と呟いた。確かに、以前そんなことを言っていた気がする。
まぁ、わたしもあんまりヒラヒラした格好は好きじゃない。こっちの世界では、フェミニンな服が多くなっちゃってるけど。
わたしは目の前の兎少女をじっと見つめた。
女の子か男の子かと聞かれたら、十中八九男の子と答えてしまう容姿ではある。
だけどアーモンド色の瞳はくりっとしてるし、肌だって白い。
髪を伸ばしてちょっと化粧すれば、間違いなく美少女になると思う。
「帽子屋さー、三月にドレスとか着せたことないの?」
傍観の立場をとっていた青年に尋ねた。彼はカップから口を離し、答える。
「あるっちゃあるけど、裾踏んで転んでたな」
……リアルに想像ができるな。三月、結構ドジなところあるもんね。
つい苦笑を漏らすと、三月は口を尖らせる。
「丈が長いんだよー。あれじゃ転ぶなって方が無理だもん」
「だから丈が膝上のも買ってやったやないか」
「なんか…ドロワーズとかパニエとか面倒くさい」
お前な…、とため息を吐く帽子屋。もっともなリアクションである。
っていうか、やっぱり着せたことあったか。羨ましいぞコノヤロー。
だいたい帽子屋の位置って美味しすぎる。三月とヤマネくんに囲まれちゃってさ。
なにそのハーレム。なにその両手に花。わたしと代われ。
「……やっぱり、女の子の格好した方がいいのかな」
顎をテーブルに乗せ、三月がポツリと呟く。珍しくアンニュイだ。三月も三月なりに思うとこがあったのかも。
そんな彼女を見て帽子屋はそうやなぁ、とこぼし、胸元の薔薇をとって少女の髪に挿した。
「無理にそんな格好せへぇんでも、これだけで十分かわええ」
「……かわいい?」
「ああ」
「ほ、ほんと?」
「ああ」
頷く彼に三月はぱあっと表情を輝かせ、身を乗り出す。
「じゃあ結婚してくれる?」
「ああ。……ん? ちょ、ちょいまて! 何でやねん!!」
焦る帽子屋に三月はやったー!と耳と両手を一緒にあげた。
まぁ確かに、今はっきりと『ああ』って言ったね。男に二言はないよ、帽子屋。
「安心して、結婚式にはちゃんとウェディングドレス着るからさ! あ、でも帽子屋がどうしてもって言うなら、帽子屋がドレス着てもいいよ♪」
「いつ俺がウェディングドレス着たいなんて言うたんや!!」
ウェディングドレス姿の帽子屋は……うん、見たくないな。
ヤマネくんだったら別にいいけど、二十歳過ぎた男の女装はかなり目に痛い。
そんなことを考えながら隣をチラチラと見ると、ヤマネくんは重たそうな瞼をこすって言う。
「…アリスの頼みでも、ドレスは着ないよ…」
「や、やだな。見たいなんて思ってないよ。いや、本当に」
ギクリとしつつも慌てて弁解すると、少年はそう?と淡く笑った。ぬおっ、可愛い!
なんか帽子屋がとうとう襲われかけてるけど。
「…いつもの、こと…」
「だよねー」
今日も平和だな。わたしは心の中で呟き、ジャムを挟んだスコーンに手を伸ばした。
「アホ、これのどこが平和なんや! ちょ、押し倒すなこの怪力娘ー!!」
いい加減、慣れたかな。