第79話:純粋なる欲望の渦
真っ直ぐにこちらを見つめてくる、赤い瞳。
大人びているけれど、幼さが色付いている。それでいて、欲にまみれた熱が灯っていて。
「かっ……!」
「か?」
「かかかあいいィィィイ!!」
わたしは血まみれの少年に正面から思いきり抱きついた。湿り気を感じたが、そんなの知ったこっちゃない。
だって、ないよ。本当にないよ。上目使いは真面目にヤバイ。可愛いにも程がある。
「ちょ、お姉さん。血が付きますよ」
「本望であります!」
「で、でも」
わたしの腕の中で身じろぎ、名ばかりの抵抗をする白うさぎくん。わたしはその抵抗さえも押さえ付けるように、更に力を込めた。
きっとわたしの、服やら肌やらに血が付着してるだろう。だけどわたしは自分の欲望に忠実に生きるから。
多分わたしの脳内は、可愛い>>>(超えられない壁)>>>怖い、なんだろうね。
頬擦りしてると、しばらくおとなしくしていた白うさぎくんがわたしを押し返す。
「お姉さん、乾いた血ってとれにくいんです。早く洗い流した方が……」
「んー?」
「だから、ね?」
珍しく敬語を使わない彼に少しばかり驚いて見れば、白うさぎくんは苦笑してわたしの手をひいた。
引かれるままについて行けば、城内へと少年は足を進めた。
っていうか、ね?って可愛すぎるぞ。
◇
城内に連れてかれた後、あれよあれよという間に部屋についてある浴場へ押し込められた。
「出たら部屋で待っていて下さい」
そう言って白うさぎくんが扉を閉めたところで、わたしはハッとした。
改めて自分の姿を見れば、彼に付いていた返り血がベッタリと付着してる。
これはヤバイ、と思い、直ぐ様着ていたワンピースを脱いだ。
――洗っても落ちなそうだなぁ。
せっかく買ってくれたのに、わたしってば酷い。
なにが『本望であります!』だよ。あー、思い出したらかなり自分が馬鹿に思えてきた。
「これじゃあ、タイムに愚か者呼ばわりされても仕方ないや」
ため息を吐きながら、わたしは浴槽へ足を入れカーテンを閉めた。
各部屋についているらしいお風呂場。いつも使わせてもらっている城の大浴場とは違い、ユニットバス式である。
腕や頬に付いた血は、既に固まりかけている。だけど擦れば容易に剥がれおちた。
――これは一体、誰の血なんだろう。
流れゆく液体を見て、ぼんやりと考える脳。シャワーの音はどこか遠く聞こえて、だけど肌を打つ湯はリアルに感じる。
もし人を殺すことがどうしていけないのか問われて、わたしは正しい答えを言えるだろうか。
たかが16歳のわたしに、何が分かると言うのだろう。
「……でも、止めなきゃ」
例えこの世界で人殺しが罪じゃないとしても、わたしは彼に教えるべきだ。
生命の、尊さを。
もう身体は綺麗になっていたのに、わたしはしばらく熱いシャワーを浴びていた。
◇
置いてあった服に着替え浴室を出ると、部屋には既に白うさぎくんがいた。
きっと彼もシャワーを浴びたのだろう。髪はまだ湿っていて肩にタオルをかけており、頬は淡紅色である。
わたしはベッドに座っている少年の隣へ腰掛けた。
「白うさぎくん、まだ髪濡れてる。風邪ひいちゃうよ」
わたしはタオルを抜き取り、少年の頭を出来るだけ優しく拭く。
白うさぎくんは気恥ずかしいのか、頬を更にピンクに染めた。
「あ、あのお姉さん。僕、自分で出来ます」
「私がやりたいの。もしかして、慣れてない?」
「はい……」
「意外だなぁ。てっきりメイドさんとかに拭いてもらってると思った」
だってほら、貴族だし。何から何まで〜ってイメージがある。
拭いている内に慣れてきたのか、だんだんと白うさぎの身体から力が抜けてきた。
気持ちいいのか、少年はそっと目を伏せる。
この和やかな雰囲気を壊したくない。でも、言わないと。
わたしは声帯を必死に震わせ言葉を発した。
「……もう、誰かを殺さないで」
出てきた声は笑えるくらい、震えてしまった。
髪を拭く手を止めると、白うさぎくんは顔をあげる。
2、3回瞬きをして、彼は首を傾げて言った。
「どうしてですか?」
と。その表情は心底不思議だと言葉無しに語っていて、胸が痛んだ。
それでも、想定内の切り返しだった。そう、予想してた、なのに。
喉の奥で詰まって、言葉が出てこない。
白うさぎくんはまた不思議そうな顔をして、口を開く。
「さっき僕、陛下に怒られちゃいました。汚しすぎてしまったようですね。だけど、以前に比べれば加減してるんですよ?」
「……加減って」
「だって前は致命傷を避けてましたが、最近は心臓を一突きしたり喉から狙ってるんです。理由は簡単、女王陛下が断末魔がうるさいと仰るから」
いつのまにか笑顔になってる、白うさぎくん。
怖いとは感じなかった。最早、そういう次元じゃない。
この城は、狂気に呪われている。人が死ぬことが日常茶飯事なんて、どうしてそのおかしさに誰も疑わないの?
――帰る前に、ちゃんと止めなくちゃ。
わたしは彼をギュッと抱きしめた。血の臭いは完全に消えていて、代わりに石鹸の香りが鼻をくすぐった。