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第77話:崩壊サイレン警報中


『どの道を行くかは、あなたがどこに行きたいかによります』


ある作家が、そんなことを物語の中で言っていた。誰だったろう、なんの物語だったろう。


詳しいことは覚えていないのに、その言葉だけが頭に残っていた。






城のはずれ、そこにある澄んだ池。女王様いわく、あまり深くないから暑い日は使っていいらしい。

まさかと思っていたわたしだったが、確かにあった。そう、今まさに目の前に。


「池まで持ってるのか……」


この城の領地の広さは図り知れないと改めて思う。

キョロキョロと周囲を見渡すが、人はいない。わたしはスカートの裾をたくしあげ、恐る恐る足を入れてみた。


――あり、思ったより冷たくない。

きっと日光に暖められたのだろうだが、なんだか拍子抜けだ。

ならばとわたしはもう片方の足も水の中へと伸ばす。女王様の言っていた通り深さはなく、膝下ふくらはぎの辺りで水面がユラユラと揺れていた。


「おお、結構気持ちいいぞ」


今日は気温が高いため、水はとても気持ちよかった。時折パシャリと跳ねる水しぶきが耳をくすぐる。



「───水遊びとはずいぶん呑気なものだな、アリス=リデル」


自分の名前に反応して、わたしはバッと後ろに振り向いた。

その際に水が飛んで服を濡らしたが、そんなこと気付かなかった。


「ギャアァァア!!」

「……人の顔を見て叫ぶとは失礼だぞ。幽霊みたいじゃないか、似たようなものだが」

「ちょ、おま、ええぇぇぇ!」


わたしが指差すと、彼は不機嫌そうな顔を更にしかめる。

そう、そこにいたのは時空の支配人、もといタイムだった。


相変わらずローブを着ていて、熱中症にならないかと心配してしまう。

ハッ、まさか日焼け対策!? 清ました顔してやるな!

そんなことを考えていると、タイムは顎で来いと指示してきた。ムカつくなぁ、何様だコノヤロー。あ、神様か。

わたしはしぶしぶ池から出て、裸足のまま彼の隣に腰かけた。


「貴様は本当に脳天気だな。直らんのか?」

「そういうアンタはそのいきなり登場する癖直らんのか?」

「癖ではない。故意だ」

「もっとたち悪いぞそれ!」


わたしのツッコミに、フンッとそっぽを向くタイム。

コイツ、わたしに喧嘩売ってるのか? 安いなら買うぞ!


「……アリス」

「冗談だって! 無料でも買わないよ!」

「意味が分からない。そうじゃなくて、鏡池について調べてるか?」


あ、そっちね。この人はなんか一番ファンタジーな存在だけど、読心術は使えないのか。


「ええと、調べてることには調べてるけど、肝心なところが分からなくて……。タイムは何か知らないの?」

「鏡池が出現してからなら、私はそれを察知できるが、現れないんじゃ手の施しようがないな」


わたしは隣の彼を見上げるが、フードに隠れてその表情は見えなかった。

それでも、早く帰れ早く帰れと言われているよう。

彼がここまでわたしに早く帰ってほしいのは、両世界の均衡が崩れるからだと思う。


わたしだって、帰らなきゃって分かってる。だけど、どうしろというのだ。わたしに出来ることなんて、ないじゃない。

そう思うと、だんだんと怒りが湧いてきた。


「タイムはさ、わたしに帰れしか言わないよね。言ったってどうにもならないって分かってるのに」


自然とトゲのある口調になってしまう。タイムはしばらく黙っていたが、不意にわたしの隣に座った。

横目で覗き見れば、彼もこっちを見ていたようで視線がぶつかる。

――やだな。その哀れむような、責めるような目。

何故だが後ろめたくて、わたしは目をそらした。


「……長くいると、嫌でも情が湧く。好いてしまい、側にいたいと望む。そうなると、余計に別れが辛くなるだろう?」


ドキリ、と胸が騒ぐ。思いあたることが、ありすぎて。

それでもタイムは容赦なく続けた。


「もともと種族が違う。一緒になるなんて出来なくて、訪れるのは永遠の別れだけ」

「えい、えん」


口から出てきた言葉は、とてもぎこちないもので。だけど、実感なんてわかない。永遠の長さなんて、味わったことないのだから。

だけど、分かることがある。それは、死してなお会えないということ。


「お前等人間の寿命は短い。そして時は平気で人を置いていく」


突如、脳内に時計の針が進む音が流れこんできた。



チク


タク


チク


タク……



歯車は止まらない。なのにわたしは、ただ棒のように佇んでいるだけなの。

わたしがこの世界に来てから、何度日が昇り、何度夜が来た?



時計の音。

別れなければならない現実。



時計の音。

帰りたくないなんて我儘。



時計の音。

思い出と呼ばれてしまう今。



時計の音。

それでも恋しくなる元の世界。



焦燥感に吐気がして、針の刻むノイズに目眩が起こる。


「辛くなる前に、早く帰ってほしい。帰りたくないなど言われるのは困るからな」

「……辛いなんて」

「別れが辛くないはずなかろう」


断言した言い方をするタイム。どうして。わたしは彼を見つめた。琥珀色の瞳が一瞬だけ揺れて。

あ、と思ったときには彼はわたしの手を取り、自分の胸に押し当てた。


「な、に……?」


そう尋ねながら、違和感がわたしの掌を蝕む。感じられない。なにが?

答えはそう。生きてる証の、鼓動。


――心臓の音が、しない。



「───ッ!」


息を飲むと、タイムはわたしの腕から手を離した。

そして直ぐに律儀にも池の水で洗う。綺麗好きじゃ済まされないほど失礼だ。

わたしは呆然とその様子を見ていた。

水音がやみ、彼は立ち上がる。そこでやっと、ハッとした。


「解っただろう? 私は生きていない。だから、死ぬこともない。時が刻むことを止めない限り、永遠に在り続ける」


そうこぼした彼は、とても哀しげに見えて。誰かと永遠の別れを経験したと、表情で語っていた。

座りこんだままのわたしを一瞥して、彼は背を向けた。


「! 待ってっ」


言葉で引きとめても、立ち止まってなんかくれない。いつだってそうだ。なのに、足に力が入らなくて。


――なんで動かないの……!

わたしの身体なら、わたしの言うことを聞いてほしい。


「アリス、私は死ぬこともないと言ったが、消滅することはある。私を刺そうが撃とうがしようと傷は出来ないが、簡単に傷だらけにすることは出来る」


時の使者は、振り返らずに言う。


「私の命は、伯爵に盗まれた時計そのものだ」


そして、消えた。


幻想的な景色はリアリティー溢れるものに変わる。それはまるで、分厚い本のページを最後から最初に戻したかのよう。


「どうして、そんなことわたしに教えるの……」


返事はもちろんなかった。






『どっちの道に行きたいのか分からないなら、どっちへ行ったって大した違いはない』



 ― ― ねぇ、本当に?





最初と最後の言葉は、作家でもあり数学者・倫理学者でもあったルイス=キャロルの言葉です。

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