第72話:運命共同体
「…あ……」
そこに立っていた人物に驚き、わたしの口はだらしなく半開きになる。彼は紫の瞳を細め、人指し指を口唇にあてがった。
黙ってろということだろう。わたしはその指示に従い、出かけた声を飲み込んだ。
枕に顔を押しあてているため、ディーは彼に気付かない。彼はゆっくりと扉を閉めた。
「んだよ、チクショー。新しいデザイン画を見せただけじゃねぇか。なんであんなこと……」
「ごめんね」
「謝るくらいなら………え?」
返ってきた声の違和感に気付いたのか、ディーが顔をあげる。寝台の傍らに立っていた少年と目が合うと、みるみる内に顔が赤く染まっていき。
打ち上げられた魚のように口をパクパクと開閉した後、
「うわぁぁぁ!!」
……布団を、かぶった。
いやいや、なんだその行動。そりゃ、目の前にいるはずのない弟がいたら、びっくりするだろうけど。
でもいくら隠れるところがないからって、それはないだろう。
わたしと同じことを思ったのだろう、ダムも苦笑している。
「ねぇディー、僕の話聞いて」
「ななな、なんだよ! っていうか、なんで此処にいるんだよ! 俺のこと嫌いなんだろ!?」
「……君、喧嘩中の女の子みたいだね」
「あぁ!?」
女の子、と言われたことでプライドが傷ついたのか、物凄い剣幕でいきりたつディー。
――口調悪いなぁ。ちょっと怖いぞ。
布団かぶってるせいで、顔は見えないけど。
「どうせ俺のこと馬鹿にしてんだろ!? もういい、俺はここで暮らす! 他の奴らには『世界平和の代償にディーは自らの命を捧げた。でも彼は、僕の中で生き続ける』とか言っとけ!」
怒りと混乱のせいか、意味不明なことをディーは叫ぶ。
ってか、何気に自分の株上げようとしてるし!
ダムは困ったように笑いながら、膨らんだ布団に手を伸ばした。ビクリとはねる膨らみ。
「……僕は、君のこと嫌いなんかじゃないよ」
「……」
「確かにディーは横暴で意地っ張りで口調悪くて天邪鬼で」
布団の中でディーがプルプルと震えてる。
ダム、それは火に油を注ぐ言葉だと思うなわたし。
「──でも、そういうところも嫌いじゃないから」
ダムがそう言って布団をはがすと、首元まで赤いディーが顔を出す。
――うーん、美しき兄弟愛。
ダムはあれだね。【好意の獲得】をうまく使ったね。無意識か意図的か分からないけど。
【好意の獲得―損失効果】
アロンソンとリンダーが明らかにしたもので、けなしてから褒める方が、最初から褒めるより好感度が良くなる、というものらしい。
効果は絶大だね! これが兄と弟、逆だったら効かないんだろうけど!
「ダム……!」
感動からの衝動で、ダムに抱きつくディー。……かわされたけど。
「なんで避けるんだよ!」
「や、反射的に」
ずっこけているディーに、いつもの如く彼は笑顔で酷い。メガネの奥の瞳が笑ってますよ。
「ほら、俺のこと嫌いなんだッ」
「ああもう、泣かないでよ。今日は同じベッドで寝てもいいからさ」
「え。……し、仕方ねぇな! ダムがそこまで言うなら一緒に寝てやっても」
「いや、そこまでじゃないよ。じゃあやっぱり別々だね」
「空気読めよばかぁー!」
君に言われたくない、とディーは一刀両断された。不憫だ。
――でもなんか、目の前でイチャつかれてる気分……。
コイツ等、わたしの存在忘れてない?
いつまでもじゃれている二人を置いて部屋を出ても、彼等がわたしに気付くことはなかった。
『兄弟喧嘩は犬も食わない』ってね。……チクショオ!
◇
後日、ダムが謝罪と感謝の意をこめたプレゼントを持って訪れた。
なんでも、トゥーイドルの新作らしい。
「この前はごめんね」
「いや、完全に忘れられてなかったみたいで安心したよ。ねぇ、これ本当にもらっていいの?」
迷惑かけたからね、と言って、どこかよそよそしく視線を外すダム。やましいことでもあるみたいな行動だ。
不思議に思い首を傾げると、ダムは苦笑してその理由を話し始める。
「実はその服、今回の喧嘩の原因なんだよね」
「………へっ?」
「って言っても、ほとんど僕の勝手な嫉妬なんだけど」
ダムの話によると、つまりこういうことらしい。
ディーが新しいデザイン画を見せてきた。
それがとても良いデザインだった。
その才能に嫉妬し、せめて双子じゃなかったらこんなにも劣等感を抱かないのに
→君と双子になんかなりたくなかった。
なんというか、お互い不器用な双子である。似た者同士もいいけれど、もう少し以心伝心しようよ。
「あ、あとディーも謝ってたよ。本当は連れて来ようとしたんだけど、意地っ張りだからさ、彼」
「いいよ、わたしもディーのこと傷つけちゃったし。お相子さまってことで」
「傷つけちゃった?」
わたしの言葉に疑問を感じたのか、そのままオウム返しするダム。
わたしは小さく頷いた後、うつ向きがちに答えた。
「親のこととか、触れられたくないこと言っちゃった……」
「親?」
「あの、死んじゃったんでしょ? 両親……」
無神経なこと言ってると分かった。でも、ボキャブラリーが足らなくて、なんて言えばいいか分からない。
いくら有名デザイナーといえど、彼等だってわたしと同い年なんだ。辛いに決まってるのにふたりは
「生きてるよ、どっちも」
こんなにも頑張って、って…………え?
「あ、でも今は仕事で遠くに行ってる。すぐ帰ってくるけど」
へっ、ちょ、ま。………え?
ダムは苦笑して、誰がそんなこと言ったの?と尋ねてきた。アンタのお兄さんだよ。
――だ、騙された……。
いや、確かに死んだとは言ってなかったけどさ、普通そう思うじゃん。
「ああもう! ややこしいんだよあの馬鹿!」
「まぁまぁ、あまり怒らないであげて」
めずらしく、ディーをかばうダム。ここに彼がいたら、きっとおおいに喜ぶだろう。いないからこそ、言うのかもしれないが。
そんな考えが頭に浮かぶと、ひとつの疑問が出てきた。
「ダムはさ、なんで普段からディーには冷たいの? 嫌いじゃないなら、もっと優しくすればいいのに」
「だって、ディーってよく『ばかぁ』って言うでしょ? その時の顔がすごく可愛いんだ。だからそれ見たさに意地悪しちゃうっていうか」
「………………………へぇ」
「かなり間があったね」
そりゃ、臆面もなく可愛いなんて言われたら間もあくだろう。
ダムって謝罪と感謝で来たんだよね。ノロケるために来たんじゃないよね。
――なんか、意外だな。ディーばっかり好きなのかと思ってたけど。
「もしかしたら、ダムの方がブラコンかもね」
ニヤニヤとした笑みを張り付けてそう言えば、ダムはにっこりと綺麗で優しい笑顔を浮かべた。
「コンクリ抱いて海に沈められたいのアリス?」
「すみませんダム様」
その微笑みは氷点下だった。