第60話:お茶会メンバー
†三人の絆編†
甘いイチゴジャムの香り。
並べられたスコーン。
ユラユラと光るアールグレイ。
そこはわたしの憩いの場。
「やっぱり紅茶にはスコーンだよね。かなり美味しい♪」
わたしが頬張りながら言った後、ガシャン、と不吉な音がした。
「あ〜落としちゃった」
危機感のない抜けた声で三月は呟く。三月の足元には割れたカップとこぼれた紅茶が。
帽子屋の顔からみるみる血の気が引いてゆく。
「おま、何やらかしてくれてんのや! そのカップめちゃくちゃ気に入っとったんやで!? つーか誰や三月にそれ持たせた奴!」
「…僕、だけど…」
「ヤマネェェェ!!」
余程お気に入りだったのか、憤慨する帽子屋。それに比べ三月は全く気にしていないようす。
あちゃーとか言いながら、椅子から下りカップを拾う。
「三月に割れ物持たせるならいらんもんにしろ言うたやろ! ……って、三月あかん。危ないから触るな!」
「いたッ」
「ああもう、言ってる側から」
破片で切ったらしく、三月が小さく悲鳴をあげた。
それに帽子屋が肩をすくめてため息をつく。
「だ、大丈夫?」
声をかけると、三月は立ち上がり人指し指を立てた。指の腹から赤い血がぷっくりと滲みでている。
わたしは背筋にわずかな悪寒を感じた。赤い血を見ると、どうしても先日のことを思い出してしまう。
残酷で、純粋で、幼い彼等のことを。
わたしはかぶりを振り、直ぐにそれを頭の外に追いやった。
「痛いかも?」
「なんで疑問系なのさ。えっとハンカチ……」
止血のためのハンカチを取り出す。いや、前言撤回。いつも持ち歩いているハンカチを、今日に限って忘れてしまった。
ごめんと言おうとしたが、その必要はなくなった。
「だからあかん言うたのに。ほら、」
帽子屋は首もとからスカーフを抜き、それを歯で裂く。そして三月の指を取り、くるくると巻きつけた。
おお、即席包帯だね。先ほどの怒りようからは一変、スマートな仕草である。
「わー、ありがと帽子屋! お礼のチュー♪」
「いらんわアホ。それ片付けるからちょお退き」
絡みつく三月をナチュラルにどかし、地面に転がる破片を拾いあげる帽子屋。
キスを拒否された三月はちぇー、と口を尖らせた。可愛いよ、その可愛さは男女問わなくやられるよ。
「三月、痛くない…?」
「もう平気ー♪」
「そう、よかった…」
ホッとしたのか、淡く微笑むヤマネくん。か、可愛い……!
ソーサーはそのままに、三月は違うカップへと手を伸ばす。
いつも思うけど、三月は紅茶こぼしたりティースタンドを倒したりと、ドジが多い。
――ヤマネくんより子供っぽいよね。そんでもって帽子屋は保護者に見える。
そんなことを考えていたら、ふと素朴な疑問がうかんだ。前から少し気になってた疑問である。
「……ヤマネくん達ってさ、どんな関係なの?」
思い付くもので一番妥当なのは家族だ。だけど、兎少女と鼠少年が身内とは考え難い。
そもそも、家族だったら三月の帽子屋への愛は近親相関になってしまう。さすがに彼等がそんな倒錯的な間柄だとは思えない。
「家族みたいなもんや。血は繋がってないけどな」
カップの始末を終えたのか、帽子屋が口をはさんだ。椅子に座りなおし、わざとらしい咳払いをする。
どういうこと?という意味合いを含めて首を傾げてみせたら、彼は聞きたい?と笑んだ。
「少し長くなってしまうで。それでもええんなら、俺たちの関係について話したるわ」
「長くてもいいから教えて! ずっと気になってたんだから」
身体を乗り出すわたしを、帽子屋は苦笑しながら手で制す。
なんだか自分のはしゃぎようが恥ずかしくなり、わたしはおずおずと定位置に深く腰掛けた。
落ち着いたわたしを見て話す気になったのか、彼はゆっくりと語り出した。
「二年前、俺が19のときのことや。父親が死んでな、俺が親の残した会社、継ぐことになったねん」
◇二年前◇
目の前のデスクに、拳が叩きつけられる。俺は内心深いため息を吐きながら、怒りに息を荒くした彼を見上げた。
「どういうことだ! 貴様、俺を騙したな!?」
彼は叫び、もう一度拳を振りかざした。
初老の男の金切り声なんて、不快以外の何でもない。だったらまだ女の方がましだと思う。
――いやでも、かん高い声も耳が痛いか。
どちらにしろ、嫌いだ。
「聞いてるのかこの若僧!」
「……聞いていますよ、フェシーラ社長。騙したなんて人聞きの悪いことをわが社で言わないで頂きたい。あれは貴方も承知していたでしょう?」
「だからそれを騙したと言ってるんだ!」
彼の後ろで、顔を青くしている女性は誰だろう。見覚えがある。確か、この目の前でいきり立つ男の秘書だ。
美人だな、と思う。タイプではないけど。まぁどちらにしろどうでもいい。
俺は足を組み直し、偽りだけの笑みを張り付け男を見た。彼が一瞬怯む。
「これはビジネスです、社長。今回の契約になにひとつ不正はない。それでも納得しないなら勝手に騒ぎたてればいいだろう。無論、誰も相手にしないでしょうけど」
「貴様……!」
顔を真っ赤にし、怒りを露にする。まるで茹で蛸だと俺は密かにこぼした。
しかし、いつまでも此処にいられては堪らない。俺は指を鳴らし、部下に彼を帰らせるよう命令した。
すぐさま何人かが彼とその秘書を掴み、この部屋からつまみだす。フェシーラ社長はまだ何か叫んでいたが、俺は気にしないことにした。
「……社長、お言葉ですがさすがにフェシーラ氏が酷です」
隣に立つ男が遠慮がちに言う。俺は椅子をまわし、彼を見据えた。
彼、フィシュは優秀な秘書だ。それは俺がよく知ってる。ただ、俺のやり方について口出しするのは気に入らない。
「あの企業は危険だった。あのまま放っておいたら、困るのはわが社だ。悪い芽は先に摘むものだろ?」
一息で言ってみせれば、フィシュは顔をしかめた。なにか言おうと口を開いて、しかし結局黙りこむ。
――そんな目で、見んといてや。
父が亡きいま、俺がこの会社を支えなければいけない。たとえどんな汚い手を使っても。
一番の座を、譲ってはいけないのだ。
騙した方が悪いんじゃない。
騙された方が馬鹿なだけ。
廃れた心は、たくさんの者を傷つけた。
そう、あの雨降りの日、ふたりの子供に出会うまでは───。