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第58話:Mon Cheri

mon cheri…愛しい人



「くぁ〜」


わたしは大きなあくびをこぼした。

城内は相変わらず広い。わたしは首をコキコキ鳴らしながら、靴の音を響かせた。

等身大の窓から入る柔らかな陽が、赤い床を射す。窓の外を覗けば、晴々とした青空。爽やかな朝だ。

小鳥のさえずりが耳を刺激する。心地好い。今日1日はきっと、快晴だろう。


――わたしの国は雨が多かったからなぁ。

ここの世界は、いつも晴れている。時折思い出したように降り出すが、それはごくまれだ(と思う)。


「ちょっと恋しいな」


独り言を呟いた。

向こうの気候を思い浮かべる。雨はあまり好きじゃない。だけど、こうも離れるとやはりそれすら恋しくなってしまう。


「……そのためにも、早く帰らなきゃね」


足が向かうのは、城にある書庫。たくさんの本のなかから鏡池についての本を取り出すのは至難の技だ。

そのせいで、読んでいないものはまだたくさんあるはず。手掛かりは多いほうがいい。



帰らなきゃ。帰らなきゃ。


帰りたい?


ううん、帰らなきゃ。



カツン、と歩く度に音が響く。広すぎるお城。今でもわたしは迷子になる。何処に何があるかだって、詳しく知らない。

何度目かの角を曲がったとき、メイドさんが立ちすくんでいるのを見つけた。よく見るとアンだ。

扉の前でなにをやっているのだろう。ドアの取っ手を握っては、おずおずと離して。


「アン?」


声をかけると、彼女はゆっくりと振り返った。その表情は、困ったと語っている。


「アリス様……」

「どうしたの? そこ、白うさぎくんの部屋だよね?」


なにか用があるの?と尋ねると、アンは遠慮がちに口を開いた。


「白うさぎ様がまだお起きにならないのです。いつもはご自分で起床なさるのですよ。起こした方がよろしいのかもしれませんが、この頃白うさぎ様はお忙しかったので、忍びないのです」


なるほど、だから躊躇っていたのか。そうだよね、伯爵とはいっても、まだ14歳の男の子だもん。


「私のような使用人風情がそこまで考えるなど、失礼なこととは思いますが」

「アンは謙遜しすぎだよ。主人を心配することがどうして失礼なの?」

「……アリス様は優しいですね。あ、私いいこと思いつきました!」


ぱぁっと目を輝かせる。アンの思いついたことは、大抵あまりいいことではない。


「アリス様が白うさぎ様を起こして下さいませんか?」


いいことだった。


「って、ええ!? なに言ってんのアン! そんな、そんな素敵なこと……!」

「アリス様なら、白うさぎ様も警戒しないと思います。アリス様さえ良ければのことですが」


アンはくすくすと笑いながら、わたしの手を握った。手袋の冷たい感触が、わたしの手を包む。

思いの外力強いそれに、わたしは彼女を見上げた。困ったように微笑むその表情は、どこか儚い。


「幸せそうに眠っていたら、できればお昼まで起こさないであげて下さい。ですが、もし、もしうなされていたら、悪夢から救ってほしいのです」


差し出がましくて申し訳ありません、と苦笑をこぼす。どこまでも謙遜なメイドさんだ。


「わたしなんかで良いなら、喜んで」

「ありがとうございます。では、私は仕事に戻らせていただきますね」


そう言って彼女は、忙しそうにパタパタと走り去った。

城のメイドさんはアンに限らずみんなよく働く。それこそ、罪悪感を感じるほど。


「それに比べてわたしって……」


いい部屋をもらって、美味しい食事ができて、不自由のない生活。なのにわたしは何ひとつ返せてない。


……うわ、わたしプー太郎じゃん。


ため息を小さく吐きだし、目の前の扉をノックした。返事はない。

わたしは恐る恐るドアノブをひねり、前に押した。まるで金槌で心臓を叩かれているように、鼓動が早鐘を打つ。


――なんでこんなに背徳を感じなきゃいけないんだ……。

いや、わたしは純粋に白うさぎくんの様子を見ようとしてるだけだよ? アンに頼まれたからやってるんだよ?

寝顔が見たいとか写真に収めたいとか願わくば添い寝したいとか、そんな邪なこと思ってませんからお姉さん。


「白うさぎくーん?」


試しに呼んでみる。やはり返事はない。

わたしは扉を後ろ手に閉めた。キィッと軋む音が響く。

室内を見渡すと、少年の位の高さが改めて分かった。わたしもいい部屋を使わせてもらっているけど、ここに比べると格が違う。

柔らかな絨毯。一歩進む度に、靴底が埋まる。少年が眠っているだろうベッドに近付き、天蓋のカーテンを開けた。



眩暈めまいがした。



白いクロースに包まれた、無垢な寝顔。落ち着いた速度で胸が上下してる。薄く開いた口唇からは、小さく息が吐き出されて。

羽でも散らせば、まるで一枚の絵画のようだ。


「想像以上のダメージかも」


あまりに綺麗すぎて、触れることがとても罪に思える。たかがベッドが、ここまで神聖に見えるなんて。

こんなに眩しいのは、陽光だけのせいじゃないはず。


「白うさぎくん……」


つい漏らした声は、とてつもなく甘かった。

そっと屈み、瞼にかかる前髪を撫でる。いつもは結ってある銀髪が、今は枕に広がっていて。長い睫毛、薄紅色の頬、時折揺れる兎の耳。

――って、なにロマンチックに解説してるの。

詩人になれるかも、なんて胸の中で呟く。


わたしは白うさぎくんの頬に手を滑らせた。温かい。子供体温っていうのかな。なんて愛しいぬくもり。

抱きしめたい衝動に襲われたけど、それでこの子を起こしてはいけない。

もう少しこの寝顔を見ていたい。汚れなき純粋無垢な彼を。


わたしは寝台に手をつき、少年の瞼にキスを落とした。


スプリングの軋む音

柔らかい日溜まり

まどろむ意識

とろけるような浮遊感



わたしは夢の中へとおちていった。






――気持ちいい。

甘い香りが鼻をくすぐる。重い瞼を開けると、光の洪水が視界を占めた。


「起きました?」


至近距離の優しい笑顔に、脳内はパステルピンク。焦点が定まらなくて、景色がぼやける。


「え……わたし寝てた?」

「ふふ、びっくりしましたよ。起きたとき、既に太陽は高いですし目の前にはお姉さんの寝顔があるんですから。あまりに幸せそうに眠っているので、つい見とれちゃいました」

「ご、ごめん……」


気恥ずかしさを隠すために謝れば、白うさぎくんはくすりと微笑み、わたしの頬にキスをした。


「おはようございます」


そう言って。

もうお昼だよ、なんて思いながらも、おはようとわたしは返した。



―――もう少しだけ、この世界にいたいと思った。







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