第54話:This is love
比喩的表現なんかじゃなくて
本当に文字通り
食べてしまいたいと思う
ビクリと彼女の肩が震えた。綺麗な顔が歪むのは、たまらない。背筋がゾクゾクして、どうしようもない快感がこみあげる。
そんな気持ち良さを感じながら、俺はもう片方の手をアリスの頬に滑らせた。真珠のように白くきめ細かい肌。
乾ききっていない湿った髪がその肌に雫を垂らし、酷く煽情的に見える。
「抵抗しないの?」
彼女の両腕はもう解放されていて。だけどアリスは動かない。いや、動けないんだ。
それを分かって尋ねる俺は、少しばかり意地が悪いだろうか。
空を映した海のような色の瞳には恐怖だけでなく、悔しさも彩られていて、それがとても愉快だ。その目が苦しみに堪えるのが見たい。
だから俺は右手に力をいれ、細い首を絞めた。彼女は顎を仰け反らせ、ァ、と掠れた声をこぼす。
――― も っ と
更に絞めあげた。
指を食い込ませ、掌を重力とともに押し付ける。アリスは目を強く瞑った。澄んだ青が瞼に隠された。
――― も っ と
力を込める。
苦痛からの生理的涙か、涙が一筋、彼女の頬をつたった。きっと今の俺は、笑っているだろう。
――― も っ と
貪欲な願望。
このまま殺していいかな、なんて。だけど抵抗されないのが物足りない。
もっと嫌がってよ。やめてって叫んでよ。前と違って枷も薬も使ってないんだから。
全身で拒絶して、その後泣きながら受け入れて。
「───ゲホッ、ゲホッ!」
手を喉から離すと、アリスは何度も咳き込んだ。荒い呼吸を整え、口許を拭う。
そんな彼女が愛しくて、肘は折り膝は伸ばし、完全に身体をのせる。触れ合う胸からアリスの忙しい心臓の音が伝わってきて、心地好い。
未だに息切れしながら、彼女は俺を睨む。うるんだコバルトブルーの瞳で。
――まだそんな目できるんだ。
その気丈さには、ほとほと感心する。
「な、にすんのよ……!」
そんな風に語尾を強くされても、涙目なのだから全く効果がない。むしろ魅力的。
わざとなのか、自覚なしなのか……。まぁ、後者だろう。
でもやっぱり、泣き顔はイイね。すごくそそられる。と言っても、アリスは俺に笑顔なんて滅多に見せないけど。
――だいたいが嫌がってる顔だよね。別に好きだからいいんだけどさ。
たまには、笑った顔も見てみたい。きっとかなり難しいのだろうけど。
そんな事を考えていたら、不意に顔を押し退けられた。
「ふ、普通、人の首絞める? ちょっと本気だっただろ、ちょっと本気だっただろー!!」
わめくアリスを見て、色気台無しと思う。
しかも悲しいことに、その罵声は続いた。
「この変態ッ! 気狂い! 色魔! クレージー猫!」
「……ちょっと言いすぎじゃない? 貴女っていつも俺のこと変態って言うけど、周りの奴だってかなりの気狂いだよ」
「た、確かにみんな常識外れだけど、アンタ程じゃない! 一番非常識なのは間違いなくアンタよ!」
「断言したね。じゃあ聞くけど、アリスは彼等のなにを知ってるわけ?」
そう問えば、彼女はえっ、と口ごもる。予想外の質問だったのだろう。
「白うさぎの殺害の様子、見たことある? すごい楽しそうに殺すんだよ。死んでも尚、刺し続けるし。他にも女王の残虐さとか、帽子屋の過去とかさ。なにも知らないでしょ?」
アリスの表情は分かりやすく困惑してた。
ああ、何故だろう。どうして今日はこんなにも、彼女をいじめたくなるんだ。
「何も知らないくせに、分かったような口聞くなよ」
声を低くすると、アリスは頬をひきつらせる。
別に怖がらせようとしてるわけじゃない。どうやら俺は、少し機嫌が悪いらしいね。偽りの笑顔は嫌いなんだ。だから、笑ってあげない。
「優しく、ない。アンタは、冷たい。だから嫌いなのよ……」
顔をそむけ、彼女は小さく呟く。だから嫌い? なるほど、アリスは俺が優しくないから嫌いなのか。
だとしたら、かなり心外だ。こんなにも愛してるのに。彼女ほど優しくしてる女なんて、他にいない。
え? 今の状況はアレだよ。ほら、好きな子ほどいじめたくなるってやつ。
「……優しくない俺は嫌い?」
「虐げられて好きになる奴なんて……ああ、アンタがいたか」
「ひどいな」
色気のない雰囲気だ。さっきまで怖がってたのに。俺が虐げられて嬉しいのは、Mのときだけだよ。
「ふーん、でもそっか。なら、俺がマゾのときにおいで。優しくしてあげるから」
「なによそれ」
「俺は一度寝るごとに変わるから、計算すればできるでしょ」
そう言うと、アリスは怪訝な目を向けてくる。
「ホント嫌な奴」
「へぇ?」
「アンタはわたしを、その、好きって言う。だけどわたしはチェシャ猫から愛なんか感じたことないわ」
「当然だよ。だって俺は貴女に愛なんて抱いてないから」
そう微笑って言えば、アリスは『はぁ?』と顔をしかめた。予想通りの反応で、ちょっと笑えた。
っていうかアリス。組み敷かれてるのに、余裕だなぁ。頬くらい染めたらいいのに。
だけど残念なことにアリスは相変わらず怪訝な表情。そしてこう言った。
「愛なんてって……、意味不明なんだけど」
「んー、だからさ。例えばアリスは白うさぎのこと好きでしょ?」
こくん、と頷くアリス。白うさぎに関しては素直なんだから。
「それは愛だよ。優しく温かい、与える愛。だけど俺は違う。燃えるように焦がれる、熱い恋だ」
「………」
それでも彼女は不満げな表情。いったい貴女はなんて言ったら納得できるの?
早く振り向いてほしい。だけど同時に、屈されたくないとも思う。
――うーん。やっぱり今の俺は我ながら不機嫌だ。なんでかな。
頭に疑問符を浮かべつつ、俺はズボンのポケットに手を伸ばした。取り出すのは、細長い黒い布。
そしてアリスの両腕をまとめあげ、その布をくるくると巻いていく。そこまでするとさすがに焦ったのか、アリスは身をよじった。
「ちょ、何してるの? 何してるの!?」
ものすごい形相だけど、身動きがとれないせいか抵抗しない。いや、できないのか。
俺は何回か巻いた後、キュッとりぼん結びをした。アリスの顔が文字通り青ざめていく。
「あは、可愛いよ。朝までそうしてたら?」
「じょ、冗談……」
「本気さ」
そう言い、俺は身体を起こして彼女から離れた。名残惜しむように髪へくちづけを落として。
「おやすみアリス。愛してるよ」
手をふり、俺は彼女の前から姿を消した。
「縛ったうえに放置プレイかこの変態猫ォォォォ!!」
そんな声を聞いた後に。
――殺さなくてよかった。
木に寄りかかりながら、夜空を見上げる。月が人を狂わせるというのは本当だな。俺は人じゃないけど。
殺してしまったら、もったいないからね。でも、妖しい月明かりのせいかな。こんなことを思うんだ。
文句を言う口唇をかじりとって、俺を見てくれない目は縫いつけて、拒絶する身体を拘束する。
貴女が廃人に成り果てても、捨てたりなんかしないよ。
たとえ貴女の命が絶えても、俺はその亡骸を永遠に愛でよう。
それはきっと、
深い深い歪んだ恋情。