第5話:被害妄想家
「そこで何してる」
やけに低い声。
え、なに?なんか怒ってる? 別に怒られることしてなくない!?
「お前……! それから手を離せっ」
「え? それって……これ?」
わたしは時計を指差してみせた。僅かにピンクのそれは、未だに温かい。
声をかけてきた人は、無表情のままわたしから時計を引ったくった。
「なっ……」
「触るな」
その人が持つと、驚くことに時計は形を変わって。ぐっと小さくなり、地盤は消えて文字と針だけが浮かび出す。
ぐにゃりぐにゃりと変形したそれは、様々にサイズを変えた後、
――え……。
その人の手の中に消えていった。
「な、なななな」
あまりに有り得ない光景にどもってしまう。そんな様子のわたしを、その明らか危ない人は一瞥した。
「此処はお前のような者が来るべき場所じゃない」
そう言って。
「何を……」
「よそ者だろう」
う、確かにそうだけど。否定できないのが悲しい。
っていうか、なんでわたしが違う世界の者って分かったのさ。
「お前、名前は?」
「……アリス=リデル」
「アリスか。私は時の使者、名前はタイムだ。いいか、早く此処から立ち去れ」
その男の人は言いたいことを言うだけ言って、踵を返した。
◇
なんだったんだろう、さっきの人。時の使者? 単なる不審者じゃない。
……かなりファンタジーな光景を見せられたけど。
「これからどうしよう」
かなりファンタジーな世界に巻き込まれてしまった。
っていうか、不思議に思うんだけど、なんで誰にも会わないの? タイム…だっけ? その人くらいしか会ってない。しかも何も聞けなかったし。
悶々と悩んでいたら、いきなり何かがわたしの肩にぶつかった。
「ぎゃっ!」
その衝撃に、わたしは本日何回目になるだろう、──数えるのを忘れるくらいだ──尻餅をつく。
「いたた……んもう、一体誰よ!」
そう叫んで見上げれば、そこには二十歳くらいの男の人。
「わ、悪い……。その、わざとじゃないんだ。前を見てなかったというか、後ろばかり振り返っていたというか……」
挙動不審に言う彼はすごいローテンション。
勝手にしゃべって勝手に落ち込んでる。
「なんていうか、後ろを見てないと不安で。俺は常に狙われている気がするんだ」
……ヤバイ。またもやおかしな人だ。なんていう被害妄想なの。聞いてもいないことを喋りだしたぞ。
「そ…それじゃ、また」
そう言ってそそくさと逃げるように立ち去る。
「ちょっと待って!」
「うわっ!」
ベシャッ
「…お前…」
「あ、ははは…」
止めようと腕を伸ばしたら、勢いあまって押し倒してしまった。
今の体勢、うつ伏せのこの人にわたしがドッカリと乗しかかっている。
「早くどいてくれ! 心肺停止になったらどうするんだ」
「し、しし失礼ね! そこまで太ってないからッ」
そう叫びつつも、わたしはその人の上から退いた。男の人はため息をついて、立ち上がり
「──で、一体なんなんだ?」
呆れたような表情で問う。
そんな顔しなくても……。
いや、いきなり突進したわたしが悪いんだけどさ。
「えっと、ちょっと道に迷っていてですね」
「…迷い子か…」
まぁ、ある意味ね。迷子は迷子でも、異世界でだけど。正義のお巡りさんでも、対処の仕様がないねコリャ。
「それで、お、俺にどうして欲しいんだ?」
「はい。できれば……って、あなた」
何でそんなに後退りしてんの?
「だって危ないだろう!? もしお前が武器を持っていたら危険じゃないか!」
「いやいや持ってないし。持ってたとしても、使わないから」
「やっぱり持ってるんだな!? くっ、一体だれの針金だ……」
「持ってないって言ってるだろッ。っていうか、それを言うなら差し金!」
だれの針金とか意味分かんないから! どうだっていいわそんな落し物!
「い、いいか落ち着け。ここは話し合いで解決しようじゃないか。お前だって無駄な血は流したくないだろ?」
そう言う冷や汗ダラダラな姿はかなり情けない。
しかもコイツ、あくまでわたしが武器を持ってる前提で話進めやがった。
「だから何度も言うけど、わたしは武器なんか──」
「いい加減目を覚ませ! 世の中平和が一番だ!」
だぁ〜かぁ〜らぁ〜〜
「目を覚ますのはテメェだぁぁぁぁ!!」
「ぐふッッ!」
わたしは生まれて初めて、初対面の相手にアッパーを見事決めた。