第42話:絶対時感
それは、きっと。
叶ってはいけない願い。
彼の言葉に、少年はルビーの瞳を見開く。核心をつかれたみたいに。
だけどそれはわたしも同じで、心臓が震えた。それくらい、タイムの言葉は衝撃的で。
「……なにを」
「まぁ、その話はいい。今日来たのは、別の用件でだ」
――え、違うの?
予想外な言葉に、わたしは首を傾げる。
すると唐突に、隣にいた白うさぎくんがわたしの手を握った。
少し下にある少年の顔は、髪がかかってどんな表情をしているか分からない。
「あまり余計なことを言わないで下さい」
声はいつもと変わらないようで、だけどやっぱりどこか穏やかさが欠けている。
「──私を殺すか?」
「僕は血の通わぬ者は好きではありません」
「…気狂い兎め」
「気狂いで結構です。貴方と争うほど馬鹿ではありません。早く立ち去って下さい」
「それはできないな。盗みは罪だ、白うさぎ」
物騒な話のなか、出てきた単語。白うさぎくんのトゲのある口調も気になるけれど。
……盗み? どういうことだろう。っていうかこの二人、完全にわたしを無視してるよね。
「それはお前のような者が扱える代物ではない。分かっているだろう? それがないと仕事に支障が出る。聞き入れてくれるな?」
「……お断りします」
話がまったくもって掴めない。『それ』ってなに? 白うさぎくんが何を盗んだの?
聞きたいけど、殺伐とした雰囲気のなか口を挟むほどチャレンジャーになれなくて。
そんな間にも、二人は火花を散らす。
「利口になれ、伯爵よ。無理強いは好きではない」
「嫌です。僕は悪用なんてしません」
「お前が持ってること自体、悪用なんだ」
ビリッとした電気が流れた。この場所にいることが、ひどく居堪れない。
そして、何より不安なのは。白うさぎくんの瞳に、僅かな怒りが灯っているということ。
いつのまにか少年は、手を離していた。そして次は、肩にさげている時計をギュッと抱きしめている。
まるで誰にも渡さない、とでも言いたげに。
「貴方はたくさん持ってるのだから、1つくらいくれたっていいでしょう?」
「よくない。時計が欲しいなら、いくつでもくれてやる。だがそれは駄目だ」
「僕だって嫌ですよ。こんな魅力的な時計手放すの」
彼等の視線の先は揃って、白うさぎくんが持っている懐中時計だ。
もしかして、『それ』って時計のこと? いつも少年が大事そうに持っている、ぴったりな時計。
――盗んだってことは、もとはタイムのものだったの?
でも、信じられない。いくら白うさぎくんが時間に細かいとしても、盗んでまで欲しがるなんて。
確かに見た目も綺麗だけど、その懐中時計にそれほどの魅力があるのだろうか。わたしにはただ単に重いだけにしか思えないけど。
「それは世界を動かす時計。その時計の針が示す時間こそが、この国の時間」
「ちょ、ちょっといい? タイム」
頭が混乱してるわたしを置いて話す彼をとめる。タイムは何だ、と目で尋ねてきた。
「わたしにも分かるように話してほしいんだけど」
「……お前には、関係ない」
「関係なくなんてない」
強く言い切ると、彼は暫しの間沈黙していたが、息を吐く。
説明してくれる気になったのだろう。めちゃくちゃ呆れ顔してるけど。
「その時計は、最も正確な時計だ。逆を言えば、その時計がこの国の時間を動かしている。……大丈夫か?」
「……大丈夫じゃない。頭がぐるぐる回る。意味が分からない」
またもやため息をつく彼。失礼だなッ!
「例えば、その針を動かし午後9時にするとする。さすれば、今まで昼だったとしてもこの国は9時、つまり夜となるのだ」
「ええ? そ、それじゃ急に朝になったり夜になったりで大変じゃん」
「そう。だから私が保管していた。その時計さえ持っていれば、この国を支配することが出来てしまう。最悪の結果になってからでは遅い」
最悪の結果、というものは分からないが、確かにそれはこの世界を危機にさらすに十分な能力だ。
ただの懐中時計だと思ってたけど、かなりの価値、それと共に危険がある。
「しかし、伯爵はそれを盗った。その英知、力には感心するぞ。…今までは野放しにしていたが、そういう訳にもいかない事態だ」
彼は一歩足を踏み出す。
「何故? 貴方には絶対時感があるでしょう? この時計がなくとも困らないのでは?」
――ゼッタイジカン?
何だそれは。絶対なる時間? それとも絶対音感とかの類の時間バージョン?
気になったが、それを尋ねる隙はなかった。彼がまた一歩足を踏み出す。
「どうしても渡す気はないのか?」
「毛頭ありませんね」
まったく間を置かず、即答する白うさぎくん。
「……どうやら余程痛い目に遭いたいらしい。強攻手段にうつさせてもらうぞ」
「たとえ貴方でも、僕を殺すことは容易じゃありませんよ?」
「容易だ。たかだか14の子供に負けるほど、私は弱くない」
――ちょ、ちょっとー!
話が物騒な方向へ向かってる。止めるか逃げるかせねば!
あたふたしてる内にも、白うさぎくんは懐からナイフを取り出す。そう、わざわざ遠くまで出掛けて、手に入れた武器。
ナイフのカバーを外せば、銀色の刃が鋭い光を放った。それを口唇に押し当てる少年。妖しくて、でも神秘的な仕草だ。
「貴方を切っても血は見れないから、できればこのナイフ使いたくないんですけど」
ペロリと舐める。その光景に、背筋が震えた。今までで見た白うさぎくんの中で、一番狂気染みている。
あぁもう! あれが白うさぎくんじゃなきゃ、目潰しでも脳天チョップでもして止めるのに!
あんな可愛い生き物に、そんなことできない……。
「ふん、そんな拙い刃物で私の相手になると?」
となれば、残された選択はひとつ。
「ずいぶん舐めら──」
「お前だ時の使者ァァァァ!!」
「なっ、ぐはッ!」
跳び蹴りを喰らわす。後ろからの不意打ちに、タイムは倒れかけた、が。
地面ギリギリのところで、バランスを保ち、なんとか倒れずに済んでいる。
「ぐっ、誰がつけたか分からない足跡。手入れのされていない芝生。どんな虫がいるか怪しい土。死んでも倒れるものか……!」
ああ、そうだ。この人、潔癖症でした。
なんとか踏ん張ったタイムは、額に汗をにじませわたしを睨む。
「何をするんだアリスッ!」
「……跳び蹴り?」
「だから何故だと聞いている!」
「目の前で争いが始まったら、普通止めるでしょ?」
「どんな止め方!?」
やたらとつっかかるタイム。仕方ないじゃん、言っただけじゃ聞かないだろうし。
タイムはしばらくわたしを恨めしげな目で見ていたが、唐突に背中を向けた。
「……今日のところは、アリスの蹴りに免じて引き下がろう」
「タイム」
「しかし忘れるな。その時計を悪用したとき伯爵、私は本気でお前を制裁する。そしてアリス。あまりこの世界に馴染むなよ。……本当に帰りたいならな」
「ちょ、──わっ!」
強い突風が吹く。
そうだ、確か以前も目を閉じた隙に消えていて。
――絶対に閉じるものか。
口唇を噛み締め、彼を見つめる。揺れるローブ、舞う花びら。
小さな竜巻が彼を覆い、周りの草が飛び散って。
「待って……!」
そう叫んだときにはもう、時の使者の姿はなかった。