第40話:招かざる客
†時計編†
歪みが、消せない。
私の力でさえ、限界がきた。
もう放置してしまってもいいだろうか。きっと、大きな事件にはならないだろう。
行方不明の少女がでるだけだ。
此方の世界も彼方の世界も、そのせいで壊れはしない。むしろこのままでは、私が危うい。っていうか面倒臭い。
しかし、それでも。
帰るべき場所をなくしてはならない。帰国後、この世界の存在を知られても困る。
「……まぁ、彼女のことはまだいい。鏡池を見つけ次第、帰還させれば」
問題は、もうひとつ。
取り返さねば。
世界一、正確な時計を。
この世界を動かすのは、限られた者しか許されないのだから。
それこそが、私『タイム』の使命だ────。
◇
白うさぎくんが、城に帰ってきた。ナイフを買いに行って以来である。
たった数日、されど数日だ。
「お久しぶりです、お姉さん」
「白うさぎくんおかえりー!」
感動の再会に抱擁を。白うさぎくんはわたしの頬に自分のを軽くタッチする。
視界にちらつく真っ白な耳が気になる、今日この頃……。
「相変わらず仲良しね」
わたしの手が少年の耳に触れる正にコンマ1秒前。鈴を転がしたようなかわいらしい声が、わたし達にふってきた。
後ろめたさからか、異常な程はねた心臓を押さえつつ、声のした方向に振り向く。
「じょ、女王さま…」
ふわりと笑う、幼き権力者。
「おかえりなさい、白うさぎ。お目当ての物は手に入った?」
「はい、陛下。とても鋭利な刃で……切味を確かめたくなります」
「ふふ、そう言うと思ったの。受刑者なら試しても構わないわよ?」
あああああ。出た、出たよ。この危ない会話。
当の二人はお花飛ばして話してるけど、その中身はお花どころか血みどろ。
とてもじゃないが、ついていけない……。
白うさぎくんと女王様が処刑法の話で花を咲かせているのを、わたしは一歩下がって耳を傾ける。
――あんなに綺麗な顔してるのに、平気で人を殺せるなんて……。
だけどわたしは、白うさぎくんが殺してるところを実際に見たことはない。…見たいとは思わないけど。
アンの話だと、とても楽しそうに傷つけるらしい。殺し方は、残酷そのもの。ナイフでひたすら切りつける。
むごたらしいそれが、快楽となる白うさぎくん。殺害後は、いつも返り血を浴びていて。
――いつ、そんな嗜好に目覚めたんだろう。
見た目はまだまだ幼く、そしてかなりの美少年。純白の耳、赤い瞳、銀髪はひとつに結われている。そして、肩にさがっている、少し大きな懐中時計。
――そう言えば、いつも身につけてるよね。
腕時計とかのほうが楽じゃない? それとも、手放せない理由でもあるのかな。例えば、形見とか。
「それじゃ、私はこのへんで失礼するわ」
「はい。生きのいい人をお願いします」
任せて、と女王様は言い、廊下の奥に歩いていく。
会話が終わったのを見て、わたしはさっきまで考えていた疑問を少年に尋ねた。
「ねぇ白うさぎくん。その懐中時計いつも持ってるよね。なんか理由あったりする?」
「………これは、特別ですから。時間ぴったりの時計なんです」
「へぇー。触ってみてもいい?」
「はい。あっ」
許可を得たわたしは、その懐中時計を白うさぎくんの肩からはずそうする。
しかし、それを彼はとめた。
「白うさぎくん?」
「やめた方がいいですよ、お姉さん」
にっこりと微笑みながら、そんなことを言う。意味が分からなくて首を傾げれば、白うさぎくんはわたしの手を優しくどかし。
「庭に出ましょう。そこで触らせてあげます」
と。
なぜ庭?と思いつつも、わたしは黙ってついていった。
◇
着いた先は、城の庭園。と言っても、庭園とは名ばかりの城裏だけど。
華やかな表と違って、あまり日が当たらず花も植えられていない。全体的に寂しい印象がある。
「では、お姉さん。持ちます?」
肩からはずした時計を、わたしに差し出す白うさぎくん。どうしてわざわざ外に来たんだろう。
そう思いつつも、わたしは彼から時計を受けとった。
───その瞬間
「んぎゃッ!」
レディにあるまじき声を出し、わたしの顔は地面にのめりこむ。
少しの間、何がおこったか理解できなかった。ハッとしたのは、白うさぎくんがわたしを救出してからで。
「大丈夫ですか?」
少年はそう言いながら、顔についた土やら草やらを拭ってくれる。
わたしは呆然としたまま、必死に状況を理解しようとした。
「い、今の…え、何?」
「この時計、すごく重いんです。一度、誤って部屋の中で落としたときは、床に亀裂が出来てしまいました」
「……だから外へ来たわけね」
白うさぎくんは頷く。
ってか、そんな重いと分かっててわたしに持たせるってどうなのさ。
時計を見ると、地面に深くめりこんでいる。先程のわたしの顔よりも。だけど、時計本体はまったくもって無事らしい。
それを白うさぎくんは軽々と拾いあげ、再び肩にさげた。
「……ちょっと待て。なんでそんな重いもの身につけていて、君は大丈夫なんだ。もしかして、かなりの力持ち?」
「そんなことありません。女性にはちょっと重いだけです」
「いやいや、性別の問題じゃないって。かなりの重量だったぞ」
「───それだけ価値があるという意味だ、アリス」
…え?
違う声に振り返れば、そこにはいつしか森で出会った人が立っていた。
相変わらず、フードを深く被っていて、鼻から上が見えない。
「タイム……?」
思わずこぼせば、彼はゆっくりとフードをはずす。久しぶりに見る、琥珀色の瞳。
「居るべき場所を自覚しない、愚かな少女よ」
なにかが動く、予感がした。




