第39話:風邪にご用心!
「大丈夫? アリス」
柔らかい声に目を開くと、そこには紫眼の少年の顔があった。
「………ダム?」
「ん、意識はしっかりしてるね」
彼は微笑み、わたしの頭をそっと撫でる。
ゆっくりと上半身を起こして周りを見渡せば、小さい部屋のようだ。ディーが壁に寄りかかっている。
そしてわたしは、ベッドの上だった。
「風邪みたいだよ。雨に濡れたせいだね、たぶん」
「…俺は平気だけどな」
「それはホラ、バカは風邪ひかないってやつ」
「笑顔で酷いこと言うな!」
ごめんごめん、と悪びれる様子なく謝罪するダム。それにディーは、小さく舌打ちした。
「…ここは…?」
彼らの漫才が終わったのを見計らい尋ねる。二人は声を合わせて答えた。
「「トゥーイドルの店」」
と。
「正確に言うと、俺ら専用の部屋。家まで運ぶには、遠かったからな。裏口から入った」
「仕事が溜ると、ここに泊まるときがあるんだ。最低限の家具があるのも、そのせい」
「なるほど……」
同い年なのに、とことんすごいと思う。彼等はいつからデザイナーやってるんだろう。
――わたしなんかお城に何から何までお世話になってる。
今だってそう。白うさぎくんの言葉を無視して、ふたりに迷惑かけてる。
少し情けない気分になった。
「ほら、アリスは寝てて」
ダムに肩を押され、わたしはベッドに背をつける。
少し固くて、なんだか懐かしい気持ちになった。
「ったく、手間かけやがって。お前のせいで仕事中断だしよ」
未だに壁に寄りかかってるディーがぶつぶつとこぼす。小さな声だったけど、その文句は耳に届いて。
「……ごめん」
いつもなら反論するところ、わたしは謝った。
「気にしないでアリス。それより、具合どう? 熱はだいぶ下がったけど、苦しくない?」
寝ているわたしを覗きこみ、ダムは尋ねる。
少し頭痛や身体の熱さはあるけど、吐気や目眩はない。
わたしは小さく頷いた。ダムは良かった、と安堵の表情をこぼす。
「ねぇ、ダム。風邪がうつっちゃまずいから、仕事戻っていいよ」
「……でも」
「そいつがいいって言ってんだから、戻ろうぜダム」
「待って。──ディーは、側にいて」
「「えっ!?」」
綺麗に重なる二人の声。やっぱり双子だな、なんて改めて思った。
いつも冷静で落ち着きのあるダムが、めずらしく驚愕の表情を浮かべている。
ディーに至っては熟れたりんごのように真っ赤になり、口をパクパクと開閉していて。
「おまっ、なんで…!」
信じられないとでも言いたげに言葉をつむぐ。それにわたしは、こう返した。
「だってほら…、風邪って人にうつせば早く治るっていうし」
「てめぇぇぇぇ!!」
「ディー! 相手は病人。抑えて抑えて」
怒るディーをダムがなだめる。これでディーが兄なんだもんなぁ。逆だよね、うん。
なかなか怒りがおさまらないのか、ギャーギャー騒いでいるディー。頭に響いて痛みが増した。
「……アリス。本当にディーにいてほしい?」
メガネをはずし、そう聞いてくるダム。
艶のある視線。細められたアメジストに、心臓が騒ぎだして。
「…だってダムにうつったら、申し訳ないし」
「ちょっと待て。俺ならいいのか?」
「ぼく、身体強いよ?」
「でもこれ以上迷惑は──」
「オイ。なんでお前等は、いつも俺を無視するんだ?」
「…そう。わかった」
ダムはメガネをかけ直し、わたしの前髪を優しく撫で、『安静にね』と微笑んだ。
冷たい彼の手が、とても心地好い。
「じゃあ、僕は仕事に戻るよ。ディー、ちゃんと看病よろしくね」
「ちょっ、なんで俺が…!」
彼の反論に答えはなく、ドアの閉まる音が大きく響いた。
ダムは時々、ディーに冷たい。
だからといって、仲が悪いわけではないけれど。むしろ良いほうだろう。いつも一緒にいるくらいだし。
「……オイ」
不意にディーが沈黙をやぶった。
「なに?」
「…お前、俺とダムじゃずいぶん態度違うよな」
「それはほら、目には目を歯には歯をでしょ」
優しい人に冷たくするほど、わたしは酷い人間じゃない。それにダムは貴重な常識人だし。………腹黒だけど。
「なんかダムって、お兄さんみたいな感じなんだよね。優しくてしっかりしてて」
「ダムが兄なら俺は?」
「ディーは生意気な弟って感じ」
「いや、それおかしいだろ。俺がダムの兄なのに、お前がダムを兄と思って俺を弟と思ったら俺は、───あれ?」
「分かんなくなっちゃった?」
「うるせぇ!」
赤くなって叫ぶ彼がおかしくて、笑おうとしたら咳き込んでしまった。
喉にピリッとした痛みが走る。
「ったく、何やってんだよ」
文句を言いながらも、ディーはわたしの背を撫でた後、額に濡れたタオルをのせてくれた。そんな不器用な優しさが嬉しい。
氷水に浸してあったのだろうそのタオルは、とても冷たくて。じんわりとわたしの熱を冷ましてゆく。
気持ち良くて、眠気が襲ってくるほどに。
「ディー、わたしお城に帰らないと白うさぎくんが……」
「アホか。そんな状態じゃ帰れないだろ」
「そ、そうだけど」
「落ち着くまで寝てろ。伯爵には言っておくから」
「……ありがとう」
「ば、気持ち悪いこと言ってんじゃねぇよ!」
本当に天邪鬼だなぁ。わたしがディーにお礼を言うなんてかなりめずらしいんだから、素直に受けとればいいのに。
「あれ?」
「まだなんかあんのかよ」
「いや、わたしの服…」
今更気付いたのだが、わたしはエプロンドレスではなくニット素材のワンピースを着ていた。
ディーは『あぁ』とこぼし、
「あまりに汚くなってたから洗濯してる。ここは服屋だけどクリーニングはやってねぇのに」
と言う。
まぁあれだけ派手に転んだんだから、きっとすざましく汚れてただろう。
だけど問題はそこじゃなくて。
「えと、その、ありがとうなんだろうけど」
「なんだよ」
「……誰が着替えさせたの?」
不安に駆られる心。以前どっかの変態猫に見られたせいで、過敏になってるのかもしれない。
しかも彼はわたしと同い年。余計にはずかしいじゃないか。
ドキドキする心臓の動きを感じつつ、わたしはディーを凝視する。
その沈黙の意味は?
「安心しろ」
彼はフッと笑った。
否定、と捉えていいのだろう。
しかし、
「そんな凹凸のねぇ身体を見て欲情するほど、飢えてねぇから」
ふてぶてしく笑うディーに、往復ビンタをかました。
「冗談に決まってるだろ! 見てねぇよ!」
「笑えない冗談は嫌い」
ディーの頬の腫れは、しばらく消えなかったらしい。