第35話:Sultry Night
※注意※
雰囲気がムダに官能的です。苦手な方は注意。
部屋に連れてかれ、ベットに落とされた。やや乱暴だったけど、寝台が柔らかかった為か痛みはない。
文句を言うのも面倒で、わたしは高い位置で結ってある髪をほどいた。巻いた金髪がハラリと広がる。
わたしの現状。身体は熱く、瞼も重い。息まで上がっている。でも、なんで?
無造作に放ってある両腕を、まとめて持ちあげられた。
「…チェシャ猫?」
彼は蝶ネクタイを緩め、にっこりと笑う。
カチャリ
頭上でそんな音がした。
――え……。
なんの音か確かめようと腕を目の前に持ってくる。手首についていたのは、鈍色に光る手錠だった。
驚く暇もなく、チェシャ猫は薄笑いを張り付けたまま覆いかぶさってきて。
自由の利かない腕を、ベットに縫いつけられる。
「…ちょっと待て。何をしてるんだ」
思考を必死に働かせ尋ねた。彼は笑みを崩さずに答える。
「野暮なこと聞かないで」
全くもって、答えになっていなかったけど。
「アリス」
甘い声で囁かれる。鳩尾が震えた。
「本当は目隠しもしたいけど、それじゃアリスの可愛い顔が見えなくなるから」
腕を動かすと、鎖の音が冷たく響く。
「あまり動くと痛めるよ? それとも痛いのが好き?」
「この変態猫……」
「貴女の方が、いやらしい表情してる」
至近距離にあるチェシャ猫の顔。ああ、なんでこんなに整ってるの。
いつもなら殴っているのに、手の自由は利かないし、足も体重をかけられていて。
……と言うより、全身に力が入らない。意識もどこか虚ろだ。
「抵抗されるのもイイけど、されるがままも初々しいね」
反論したいのに、思考回路が恐ろしく鈍い。
金色のふたつの瞳にくらくらした。身体の奥まで見られてるみたいで、だけどわたしも目線を剥がすことができない。
「…見つめすぎ」
不意に呟き、彼はわたしの頬に手をそえた。
「…ぁ…」
舌っ足らずな声。上手くろれつが回らない。
「アンタ、飲み物になんか入れただろ…」
「毒なんて盛ってないよ。薬は入れたけどね」
「コノヤロー。3回くらい死ね」
睨んでみせたけど、わたしは内心かなり焦っていた。このままだと、間違いなく食われる。
そんなの冗談じゃない。こんな奴に……。だけど、何もできない。むしろ、意識はどんどん薄れてゆく。
ギシッと、スプリングが軋んだ。濃密な空気が、わたしの思考を更に霞ませる。
「アリス」
「! や……ッ」
チェシャ猫が、わたしのサイドに流れた髪を耳にかけた。彼の熱い息がかかり、甘い痺れが背筋をかけめぐる。
耳元に、音をたててキスされた。火照った肌が反応して、赤味を帯びたのが自分でも分かる。
「真っ赤。感じてるの?」
「んっ…ふ…」
思わず漏れた声に、耳を塞ぎたい衝動にかられた。
くすくすと愉快げに笑い、チェシャ猫はわたしの頬を撫であげる。
――なんでこんな事になってんだろ。
意識をそらすように、そんなことを思う。やっぱり、疑わずにノコノコとついてきたわたしが馬鹿だったのだろうか。
薄く開いた自分の口からは、吐息がこぼれる。瞳に映る天井は、とても高く感じられた。っていうか、実際高い。
「──痛ッ」
痛みに意識が戻される。少し遅れて、耳たぶを噛まれたのだと気付いた。
「なに考えてるの」
少し不機嫌なチェシャ猫の声が、鼓膜を刺激する。
「…アンタ以外のこと」
皮肉気味に言うと、返事はなかった。
「ひゃあっ」
代わりに、耳を舐められる。くちゅ、と響く水音がいやらしい。
――わざと音たててるだろコイツ……!
冷たくザラついた舌が、執拗に絡んでくる。耳だけを刺激されて、頭がおかしくなりそうだ。
その感覚から逃げるようにギュッと瞼を伏せると、逆効果。ダイレクトに刺激が伝わってきた。
それでも何とかしようと手を動かしてみる。だけど冷たい金属音と肌が擦れるだけで、無意味だった。
「耳だけでこんなに乱れるなんて、本当可愛いね。そんなに気持ちいい?」
――そんなわけあるか!
そう叫びたいのに、口からこぼれるのは淫らな声と、熱い息だけ。
片耳だけ、彼の唾液で濡れている。それ以外は触れられていないのに。なんでこんなに、身体が熱いの。
――薬のせいだ。じゃなきゃこんなの有り得ない。
絶えない水音。そっと目を開くと、天井にぶら下がっているシャンデリアが見えた。部屋は明るく、それが余計に羞恥心を煽る。
チェシャ猫の黒髪からは、整髪剤だろうか、ミントの香りがする。
だけどそれについて考える程の余裕は、残っていない。
――もう、どうにでもなれ。
自暴自棄になったわたしは、至近距離にいるチェシャ猫に言い放った。
「…覚えてろよ……」
と。そのひどく掠れた声に、彼は笑って答える。
「俺は覚えてるけど、貴女は忘れるよ。っていうか、忘れさせる」
もはや途切れ途切れにしか聞こえない。五感の全てが奪われてゆく。
「今夜は俺に溺れてよ」
首もとに僅かな痛みがはしるのを感じて。そこから、わたしの記憶はない。
※
sultry night…熱帯夜




