第32話:舞踏会
朝が来て、昨夜のことは夢だったのではと不安になった。けど、枕元にあった招待状を見て、現実だったのだと理解する。
なんだかやけに、リアリティーがない。
欠伸をひとつして、ベットから下りる。するとそこで、ノックの音が響いた。
鏡台で軽く身だしなみをチェックし、ドアを開ける。笑顔のメイドさんが、朝食を持って立っていた。
このセレブな待遇にも、大分慣れたわたし。最初は申し訳なさと驚きで戸惑っていたけどね。
「アリス様、おはようございます。朝食をお持ちになりました」
「うん、おはよう。いつもありがとう」
「まぁ、もったいないお言葉。今日はサンドウィッチとサラダ、鷄のグリル、デザートは果物の盛り合わせになります。紅茶はアールグレイですよ」
どんどん目の前に並べられる料理たち。相変わらず豪華だ。見た目も香りも三ツ星。
少し前までは、これよりももっと多かった。わたしが食べきれないから、減らしてもらったんだよね。
そして、弁舌爽やかに説明してくれるこのメイドさんは『メアリ=アン』。親しい知り合いの一人だったりする。
城のメイドじゃなくて、白うさぎくんが雇い主だ。
「では、わたしはこれで。半刻後にまた来ますね」
「あ、待って。アン」
「なんですか?」
「白うさぎくん今日、用事ないかな? 実はチェシャ猫に舞踏会に誘われて…、服とか貸してもらいたいんだけど。それにわたし、どういう格好して行けばいいか分からないし」
そう言うと、アンは急にに瞳を輝かせた。この表情、ハロウィンを思い出す。そして予感はあたった。
「舞踏会ですか! 任せてください。アンが責任をもって、アリス様を素敵なレディに仕立ててみせます!」
「いや、別にそこまでお洒落しなくてもいいんだけど」
だが悲しいことに、わたしの言葉が聞こえていないアン。お花を飛ばしてルンルン気分だ。
「そうと決まれば、善は急げ! 早速白うさぎ様に言い、手配しますね。まずは高級スパで肌を綺麗にしましょう」
「ええっ、そんなわたしごときに大袈裟な……」
「いいえ! 公爵夫人のパーティーなら、このくらい当たり前です。エステもしましょう。最上級の香水をとり寄せて…、ああネイルケアも大切ですね。ヘアサロンだって。今日は忙しいですよ、アリス様」
心底楽しそうに微笑むアン。聞いただけで目眩がする金遣いだ。
「……明日の夜からなのに」
「だからです。今日の午後は、空けておいて下さいね」
「…はぁい…」
大変そうだったけど、とりあえずされるがままになっていれば、恥をかかないと思ったから。
わたしは苦笑気味に頷いた。
◇
それからはもうめまぐるしく。あっと言う間に、舞踏会当日。
わたしは、ひたすら着せかえ人形の如く振り回された。
「アリス様、鏡を見て下さい」
アンに言われ、目の前の鏡を見る。わたしは映る自分の姿に絶句した。
白く輝きのある肌。いつもと違い巻いてアップにし、飾りをつけたブロンド。
薄く滑らせた桃色のチークに、濡れたような潤いをもつ口唇。アイメイクは、あくまで上品に仕上げられた。
そして、このパーティードレス。
着心地でかなり上質な絹とわかる。色はライトブルー。レースとフリルが控え目についていて、リボンと薔薇が引き立っている。
鏡のなかの自分は、3つくらい年上に見えた。
「すごい…。こんなに変わるんだ。人間って化けるね」
「化けるだなんて。アリス様はもともとかわいらしいですよ」
「またまた。口が上手いなぁ」
「ホントですよ」
「お姉さん?」
ドアが開く音に振り向くと、白うさぎくんが立っていた。
「わぁ。とても綺麗です」
「なんか自分じゃないみたいだけどね」
「ふふ。一緒に行けないのが残念です。馬車の用意ができました。素敵な夜を過ごしてきて下さい」
「……うん。ありがとう」
わたしは白うさぎくんに手をひかれ、外まで連れてかれる。城門の前には、まるでおとぎ話に出てくるような馬車がとまっていた。
――また豪勢な。さすが貴族だね。
「どうぞ、アリス様」
「ど、どうも」
従者に手を添えて、乗せてもらう。お姫様気分だねコレ。照れくさいや。
「出発します」
その言葉を合図に、馬車が揺れた。
◇
「着きましたよ」
……ちょっと待って。なにこのバカでかい洋館は。しかも、ものすごい盛大なパーティーじゃない。チクショー騙された。
「やぁアリス! ようこそ」
ひとり唖然としてつっ立っていたら、見知らぬタキシードの青年が手をあげてやって来た。
アリスって言ったから、わたしのこと呼んだんだよね?
「わぉ。ずいぶん色っぽい」
「えっと…」
妖艶に微笑う彼を、ジッと見つめる。会ったことがあるんだろうけど、なんかピンとこない。
だけど、頭には特徴的なとがった紫の耳。
「…チェシャ猫?」
「なに?」
「……どうしたのソレ」
「ソレ?」
首を傾げるチェシャ猫の髪は、あの目に痛いピンクではなく、艶のある黒髪。
前髪を少しバックにしていて、いつもよりずっと大人っぽく、そして気品があって。
シルクのスーツは漆黒で、蝶のタイがきっちりと襟元を締めている。
「本当に染めたんだ…」
「ああ、髪のこと? ご主人様の命令だからね。似合う?」
「うん。絶対そっちのほうがいい」
そう言うと、彼は面食らった表情をした。なに?と尋ねると、ビックリしたと答えられる。
「だって貴女が俺を褒めるなんて、めずらしいじゃない」
……そうか? そう言われればそうかも。
罵声なら何度も浴びせたけど、褒め言葉なんてその10分の1くらいしか言っていない。
「じゃあお互い褒めたところで。アリス、行こう」
「え?」
「舞踏会」
チェシャ猫はにっこりと笑い、わたしの手を優しく誘導した。