第31話:マダムからの招待状
書庫から見つけたこの国の歴史の本。鏡池について調べてみたけど、あまり手がかりになるような事は載っていなかった。
だけど、いくつか分かったこともある。
ひとつは、白うさぎくんが言っていたように、滅多に現れないってこと。
なんでも本によると、レッシーを見つけるより難しいらしい。
………レッシーってなんだ?
その上、使用すれば直ぐにただの池と成り下がってしまう。
そしてふたつめ。それは、見たら一目で分かるということ。
クリスタルのごとき輝き。名前の通り、鏡のように全てを映す水面。しかし底は見えない。澄んだ水にも関わらず、生き物は一匹もいなく。
その美しさは、この世のものとは思えないほどらしい。
「って、そんなことが分かっても、捜索法が分からないんじゃ意味ないよ」
弾力のある枕に顔をうずめ、呟いた。淡い花の香りが鼻をくすぐる。
わたしは柔らかいベットに、ごろりと寝そべった。
───鏡池。
わたしのいた世界と、秘密の国を繋ぐゲート。唯一の、出入り口。どちらの世界にも等しく存在する。
あれから白うさぎくんに鏡池について、聞いていない。ちゃんと調べてるのかな。まさか忘れられてないよね。
思えば、どうして白うさぎくんは、わたしの世界へ来たのだろう。
――今度聞いてみよっと。
チラリと壁に掛けてある時計を見ると、針は11をさしていた。
「そろそろ寝るか……」
明かりを消すと、窓から月光が差す。空を仰いでみれば、見事な満月だった。
優しく穏やかな光。どこか儚いのに、暗闇を十分に照らしてくれる。
幻想的な雰囲気。わたしは星空にみとれた。
「恍惚とした表情も素敵だね」
わたししかいないはずの部屋。聞こえてはならない、声。
「とってもセクシー」
闇にぼんやりと浮かぶシルエット。
目が慣れてくると、だんだんとそれが誰か分かってきた。
……。
…………。
寝よう。きっと幻覚だ。アイツがいる訳ない。
「いやいや、現実だから。幻じゃないよ」
「って、ちょっと! 入ってこないでよ!」
当然のように、ベットにのしかかってくるチェシャ猫。わたしは慌てて端に逃げた。
「こんな時間になんの用? っていうか、不法侵入。どっから入ってきやがった」
隣に寝るチェシャ猫に尋ねる。すると彼は何やらゴソゴソとポケットから取り出し
「はい。招待状」
と言って、それを渡してきた。
二つ折りの、白い長方形のカード。錦糸で刺繍が入れてある。
「……招待状?」
オウム返しすると、彼はいつもの薄笑いを浮かべたまま頷く。
カードを開くと、社交辞令のような文面に、青い字でサインがあった。
「明後日ご主人様がダンスパーティーを開くんだ。それで俺も誰か呼んでいいって言うからさ。来てくれる?」
ご主人様、とは数日前に見たあの美人のことだろう。つまり公爵夫人。
そう言えば、屋敷で舞踏会を開くとか話してたような……。
「……行きたいけど、わたしあんま豪華なのはちょっと。場慣れしてないっていうか」
「大丈夫だよ。パーティーって言っても、そんな盛大なものじゃないし」
「うーん。白うさぎくんとかは行くの?」
確か白うさぎくんって伯爵だよね。十分、招待されてもおかしくない身分だと思う。
だけどわたしの考えに反して、チェシャ猫の答えはこうだった。
「いや、白うさぎは今回招待客のリストになかった。前のパーティーに呼んだからかな」
「えぇ、白うさぎくんは来ないの? じゃあわたし知り合い全くいないじゃない」
それは困る。特別人見知りするわけじゃないけど、セレブな会話に混ざれるとは思えない。
断ろうと口を開くと、チェシャ猫が人指し指を口唇にあててきた。
その仕草にドキッとすると(かなり不本意)、彼は言う。
「俺がちゃんとエスコートするから安心して」
……どうにも不安だ。
のこのこと着いて行ったら、即食べられそう。
不信感が顔に出てしまったのか、チェシャ猫が苦笑した。
「ねぇ、俺はただ純粋にアリスを招きたいだけなんだ」
「…うん…」
「めいっぱい持て成しするからさ」
頬を撫でられる。いつのまにか暗さにすっかり目が慣れていた。まるで懇願してるような瞳に、いたたまれなくなる。
――あまり疑っちゃ、悪いよね。
わたしはこくりと頷いた。
チェシャ猫はパッと表情を輝かせる。なんだ、けっこう可愛いところあるじゃん。
「じゃあ、詳しいことはその招待状に書いてあるから。分からないことがあったら白うさぎに聞いて」
意気揚々にそう言って、ベットから下りるチェシャ猫。
「帰るの?」
尋ねると、彼はゴールドアイを見開いた。
――え、わたし何か変なこと言った?
チェシャ猫は、フッと淡く微笑う。
「…大胆な誘い文句だね」
「な……誘ってない!」
「そう? 残念」
月をバックに立つ彼は、とても幻想的に見えた。
月の光が降り注ぐ部屋。彼はバイバイ、と呟き───消えた。ホラーなその行動さえ、とても神秘的で。
――ずいぶんあっさりと退散するんだ。
彼のことだから、泊まるとか言い出すと思ったのに。
空を見上げる。
星はきらめき、満月は穏やかに輝いていた。