第3話:帰国不可
「…異世界…?」
ぽろりとこぼれ落ちた単語を、白うさぎと名乗る男の子は掬いあげた。
「簡単に言えばそうです。こちらの世界とあちらの世界は全くの別物。このふたつの世界を結ぶ入り口兼出口は、鏡池といわれる貴重な池だけ」
確かに、池に飛込んだらこっちに来たもんね。それにしても、ファンタジーすぎない? どんだけすごい体験してるんだ、わたし。
あれ、でもその池に入れば、またもとの世界に帰れるんだよね。なんだ、大丈夫じゃん。
「あの、本当にごめんなさい。僕が好奇心でむこうに行ったから、結果お姉さんを連れてきてしまいました」
「いや、そんなに謝らなくていいよ。だって池に入れば」
「帰れません」
……は?
「鏡池は非常に貴重なんです。そのため、ごくまれにしか見付けられないんですよ。一回使用すると、もう消えていますし」
ちょっと待て。幻聴が聞こえるぞ。だいたいなに、そのゲームみたいな定義は。
……っていうか、なんかこれヤバくね? なんだか、思った以上に深刻な状況だ。
まさかわたし、鏡池とやらを見付けられるまで異世界に永久在住?
ないないない。
いくら何でもそれはないって。
「僕、頑張って見付けます。お姉さんが一刻も早く帰れるように。責任もちますから!」
必死なその態度を見ると、怒れるものも怒れない。
本来ならぶん殴るところだけど、相手はなんせこんなに可愛い子供だし、見つけたのはわたしだし、追い掛けたのはわたしだし、勝手についてきたのもわたしな訳なんだし。
……アレ? これ自業自得じゃない?
考えれば考える程、わたし自身が悪い気がしてきた。
「あの……」
わたしが黙りこんでいたせいか、白うさぎくんは不安気に瞳を揺らし、わたしを見つめる。
っていうか耳が……! うなだれてる! うなだれてるよ! 可愛いすぎだって! わたしを呼吸困難にさせる気!?
「あ、えっと……。そう、大丈夫。もともと悪いのはわたしだし、そんなに君が気に病むことじゃ──」
「ですよね!」
え……………?
遮られた上、予想外の言葉にわたしは白うさぎくんを凝視した。
その本人は、先ほどとは比べものにならない笑顔を浮かべている。
――この男の子、今なんて…。
そんなわたしの疑問に答えるように、少年は口を開いた。
「いくら原因は僕だとしても、実際に判断したのはお姉さんですもんね! 良かった、お姉さんが心優しい人で……」
あ、ちょっと、なんか嫌な予感がするぞ。
「実は鏡池を見付けるのとても大変なんです。なんて言ったって、探して見つかるようなものじゃないですし。」
待て待て待て待て待て。
「でも僕が気に掛けることじゃないなら、そんな面倒なことせずに済みました。ありがとうございます」
何言ってんの? 何言っちゃってんの?
「ここはいい国ですよ? たとえ一生暮らす羽目になっても、何とかやっていけますって!」
「い、いや、あのさ」
さすがに冷や汗が滲み出てきたから、わたしは控え目に口を挟んだ。
だけど悲しいかな。返ってきたのは、こんな言葉。
「それじゃあサヨナラお姉さん。僕急ぐので、このへんで失礼します」
そう微笑む少年。
その時わたしは、目の前の天使のように可愛い男の子が、憎たらしい悪魔に見えた。
「アディオス。See you again!」
爽やかに言い、少年はわたしに背を向けて走って行った。
「ちょっ、ちょっと待ってよ白うさぎくん? 白うさぎくん!? 聞こえてないのか白うさぎッ! オイオイオイ、ちょっと待───」
「待てって言ってんだろがうさぎィィィィィ!!」
わたしの叫びが虚しく響いた。