第24話:鮮血の輪舞曲
「お姉さん! 悲鳴がしましたけど、どうしました!?」
白うさぎくんだ。珍しく、いつもの涼しげな表情が乱れている。
っていうか、グッドタイミング! まぁ、あれだけ叫べば、驚くのも無理ないか。
「いったい何が………あ、」
駆け寄ってきた白うさぎくんが、チェシャ猫の存在に気付く。
「いいところに来た、白うさぎくん」
わたしは乱れた服を整え、咳払いをひとつした。
「白うさぎくん、殺戮快楽者なんだよね? そこの変態、ズタズタにして」
そう言うと、わずかに少年の頬がひきつる。あ、さすがにひかれた?
だけどその理由はわたしの予想範囲外であった。
「お姉さんの頼みでも、それはちょっと……」
「知り合いだから?」
「いえ、そうではなくて」
彼は、苦々しい表情をして言う。
「僕は、肌から流れるあの鮮やかな赤が好きなんです」
「うん」
「なんか、チェシャ猫さんの血って……紫とか緑な気がするんです」
「………」
「そ、そう思うのって、やっぱり僕だけでしょうか?」
不安げに瞳を揺らして、わたしを見てくる少年。
……安心して、白うさぎくん。激しく同感だから。
確かにコイツの血、禍々しそうだ。素直に赤ではない気がする。
「じゃあコレどうしよう……」
わたしは未だに覚めない猫を、チラリと一瞥して呟いた。
「城門の辺りにでも置いておきましょう。目が覚めたら、きっとお帰りになりますよ」
ニコニコと、酷いことをさらりと言う白うさぎくん。
友達じゃなかったの? ずいぶんな扱いだな。まぁざまあみろだけど。
「あれ、お姉さん。その足の怪我は……」
「か、噛まれちゃった」
正直に言葉にしたら、ものすごく滑稽に聞こえた。だけど白うさぎくんはそれをどうこう言うわけでもなく、わたしの前に跪く。
――なに、この女王様スタイルは。
いや、単に怪我の具合を見てるだけなんだけどさ。
「ちょっと深いですね……。治療しましょう」
ちょっと待ってて下さい、と言って白うさぎくんは部屋から出ていった。
取り残され、なんだか無償に不安になる。独りが怖い。……いや、独りじゃないか。
隣に寝そべる変態猫。ソイツを見てると、また腹が立ってくる。
「大っ嫌い」
そう呟いて、わたしは蹴り落としてやった。第一、これはわたしのベット!
……正確には、城のだけど。
わたしは床に転げているチェシャ猫をジッと凝視した。
赤くなってるけど、そこまで腫れてない。痣になったらどうしよう。さすがに可哀想かも。
知らず知らずのうちにこぼれるため息の理由。
もし彼がいなかったら、わたしは多大な不安に押し潰されていたかもしれない。
目が覚めたとき独りなのは、哀しいことだから。
それに、チェシャ猫がいたからあの夢について、そこまで深刻にならずにすんだ。
もしかして、本当にもしかしてだけど。チェシャ猫はそれを見抜いて、あんなことをしたのだろうか。わたしが深く悩まないようにと。
「まさか……ね」
だとしたら、もっと違う励まし方ってもんがあるでしょうに。
噛まれたからね、わたし。
しかも傷深いらしいじゃないかコノヤロー。加減を知らないのかよ。いつにも増してサディストだ。
「…だから、殴ったこと謝らない。自業自得じゃん」
返事はない。当たり前だ。でも、いらないから良い。
わたしは自分の太股に目を向ける。足を伝って流れる血に、目眩がした。ベットも少し汚しちゃったし、最悪。
そっと傷口に触れると、鋭い痛みがはしる。小さく唸って、直ぐに手を離した。
「お姉さん」
突如聞こえた声にびっくりして顔をあげると、白うさぎくんが立っていた。手には救急箱らしきものを持って。
少年は上手くチェシャ猫を避け、ベットに乗ってくる。スプリングが僅かに軋んだ。
っていうか、落ちているチェシャ猫にツッコミしないあたり、君はすごいよ。
「足、見せて下さい」
――あ、白うさぎくんが手当てしてくれるんだ。
素直に従い、わたしはスカートを捲ってみせた。少年はそれをジッと見てる。
「白うさぎくん……?」
え、なんで動かないんだこの子。
いつもの笑みが消えているし、なんだか目の色が怖い。
ルビーの眼が熱っぽさを含んでいる。いつもより赤く見えるのは、わたしの気のせい?
「───お姉さん」
白うさぎくんの喉がゴクリと鳴った。ガラス物を扱うように、内股にそっと触れてくる。
「……血が」
「う、うん?」
「すごい鮮やかな赤ですね。肌が白いから、余計に」
……なんかヤバイ。
頭の奥で警報が鳴ってる。
「今まで見てきた赤で、一番綺麗です」
少年の頬が、上気してほんのり桜色に染まってきた。
「お姉さんを傷つけたくない。ですが、もっとこの鮮血を見たいと思ってる自分がいます」
わたし、何か重要なことを忘れていない?
「もちろんそんなことはしません。大切な貴女を泣かせるのは、僕のポリシーに反しますから」
白うさぎくんは、この世界で貴重な常識人。優しくて、礼儀正しくて、穏やかで、可愛くて。
……でも
「だから、せめて今流れている赤だけでも、この目に焼き付けたい」
ひとつだけ、欠点があった。ほら、帽子屋が前に言っていたじゃん。思い出すのよアリス。
「止血などしたくない。包帯など巻きたくない。溢れる血を、いつまでも見ていたいのです」
たしか、そう。
「そして願わくば、貴女を真っ赤に染めたい」
お茶会のとき『殺戮がお好きな危ない嗜好持ち。気ィつけや』って……。
「ストーーーップ!!」
わたしは強く少年の肩を押した。
それに彼の身体が後ろに揺らめく。
「わ、わたし自分で手当てするよ。だから白うさぎくんは執務にでも何でも戻って大丈夫! むしろ戻って下さい!」
だ、だって今の白うさぎくん危ない。
理性はあるみたいだけど、目の色変わってるし。身の危険を感じる。
「……心配は無用です。仕事なら先ほど済ませて来ましたので」
にこっと笑う白うさぎくんに、頭痛がした。どうしてこういう時に限って、忙しくないの。
「いや、でもこのくらいの怪我、たいしたことないし」
「消毒しますね」
「あれ? ナチュラルに無視?」
「ちょっとしみるかもしれませんが、失礼します」
「ちょっ、わたしの話聞いてる? だから自分で───痛ッ」
ピリッとした痛みに、思わず声が漏れた。
アルコールの臭いが鼻をくすぐる。脱脂綿の柔らかい感触が、なんとも言えない。
「痛いですか?」
「ちょっと…ね。あの、本当に」
「ご自分で治療するのは難しいかと」
言おうとしていたわたしの言葉を、彼はピシャリと否定した。
つい黙ると、白うさぎくんはわたしを一瞥してから、箱の中から包帯を取り出す。
――あ、なんだ。巻いてくれるんじゃん。
と思ったが、彼はそれを手にしたまま動く気配がない。
「……し、白うさぎくん?」
「そう固くならないで下さい」
苦笑い混じりに言われる。
「なにも捕って喰おうって訳じゃないですし」
「だ、だよね。あはは」
「………たぶん」
「曖昧!?」
信用ならないってば!
冷や汗ダラダラなわたしに、白うさぎくんは更に追い討ちをかけるようなことを言った。
「…抑え、きかないかも…」
「メイドさーん! 治療お願いしまーす!」
わたしは何とか魔の手を逃れた。今日は間違いなく、厄日だね。