第23話:SM症候群
「……悪夢でも見た?」
わたしの涙の溜った目尻を、指で撫でながら尋ねてくる。優しい手付きに安心してる自分がいた。
――悪夢、なんかじゃない。
あれはわたしの願望なはず。きっと、いや絶対そうだ。
……なのに何で、わたしは泣いてるんだろう。秘密の国の存在を夢と聞いて、なぜあんなにもショックを受けた?
もう、なにが現実か分からない。もしかしたら、これさえ夢かもしれないから。
「……どんな夢を見たかは知らないけど」
黙っているわたしに、チェシャ猫は呟き、こう続ける。
「気に入らないね」
いつもの軽い口調じゃない。
なにが、と問う前に、チェシャ猫は有ろう事かわたしのスカートをまくった。
「ちょっ、何して……!」
「俺以外に泣かされないでよ。ムカつくじゃん」
「なにその利己的理論! って、本当にやめ……ッ!」
わたしはピリッとした痛みに、反射的に顔をしかめる。何事だ、と痛みのはしった箇所、内股あたりに視線を落とした。
チェシャ猫が、寝そべりわたしの足をわって入っている。そして信じられない事に、わたしのももに口付けているのだ。
痛みの原因はコイツ。そう、噛まれたのである。八重歯なんて可愛いもんじゃない。牙だ。
「あ、あり得ない…!」
「このくらい、痛くないでしょ?」
「痛かったわよバカ!」
と言っても、声をあげる程の痛みじゃないが。いやいや、でもそういう問題じゃないし。
わたしが離れろと彼のピンクの髪を引っぱると、くすくすと笑い
「あなたのその嫌がっている顔、大好き」
うっとりとした表情で、わたしの頬を撫でる。
「このサド!」
「否定はしないけど……、アリスだって好きでしょ? 痛くされるの」
冗談じゃない。
背筋に震えがきたぞ。言っておくけどわたしはマゾになった覚えはないから。サドでもないけど。
チェシャ猫はわたしの攻撃なんかまったく気にせず、内股をゆるゆると撫でてくる。
その何とも言えない感触に、わたしは身体をよじった。
「それにね、苦痛と快楽は紙一重なんだよ」
彼がしゃべる度に、息がかかる。抵抗するのを忘れるくらい、わたしはこの状況に戸惑っていた。
そんなわたしを知ってか、チェシャ猫は追い討ちをかけるように足に舌を這わせる。
「…く…ぅ……」
自分でもびっくりするくらい、菅能的な声が漏れた。恥ずかしいにも程がある。
――穴があったら入りたい……。
チェシャ猫がくすりと笑った。
頬にカッと熱が集まる。
「痛いのも、慣れればやみつきだって」
「────ッ!!」
あまりの激痛に、わたしは声にならない悲鳴を叫んだ。
先程とは比べものにならない痛み。噛まれた、と理解するのに時間がかかった。
さっきのはほんの甘噛み程度。だけど今のは絶対本気。
「う、ああっ…!」
痛みと熱にかすれた悲鳴がこぼれた。反射的に溜る涙。
その鋭い牙を、肌に突き立て。内股の皮膚を突き破った。
よりによって、同じ箇所に(絶対わざとだ)。
「痛い?」
顔をあげ、上目使いで尋ねてくる。
噛まれた場所がドクドクと脈打っていた。見ると、出血してる。
「アンタ最低…! なにがしたいの!?」
「なにって……、アリスを泣かせたかった」
「こんのドドドドドSっ!!」
「いやぁ、それほどでも」
「誉めてねー!」
ホント、なんなんだこの男。変態だ変態だとは思っていたけど、まさかここまでとは。
ご希望通り、涙が出てきたっつーの!
「ねぇ、アリス」
ビクッとした。あまりに甘ったるい声に。
「泣き顔はものすごくそそられるけど、それは俺が泣かした場合。誰かに泣かされてるなんて、不愉快極まりないんだ」
流れる鮮血を舐めとる。ザラザラとしてる舌。最早、痛いんだか熱いんだか分からない。
わたしは、ひたすら下唇を噛んだ。
「声、抑えなくていいよ」
一見優しい態度なのに。やってる事はかなり酷いもの。
本当に優しい人は、泣かせたいなんて言わない。なんて猟奇的なんだ。
息があがる。呼吸が苦しい。視界がどんどんぼやけてきた。
「ねぇ、気持ちイイ…?」
カタカナ読みなところが卑猥だってば。ああ、本気で殺意が沸いてくる。
「気持ちいい訳ないでしょうが……!」
必死に声を絞った。
「素直じゃないなぁ」
「いやいやいや、なんでそんなポジティブなんだよ!」
「だってヨがってるじゃない」
「アンタねぇ…!」
反論するので精一杯。
しつこいくらい肌に吸い付く舌に、痛みとは違う感覚が背筋をはしる。
それが快楽とは、絶対に認めないけど。
「素直じゃないアリスには、お仕置きが必要かな?」
「!!」
「ああでも、貴女はマゾだからお仕置きじゃなくてご褒美かもね」
それを否定する余裕はなかった。
チェシャ猫が再び牙を立てようとしてるのが、わたしの目に入ったから。
「いやぁぁぁぁぁ!!!」
たぶん、今まで生きてきたなかで、一番おおきな声だったと思う。
「はぁ、はぁ、はぁ」
わたしは荒い息を整えながら、目の前でうつ伏せになってる猫を見つめた。
気絶してる。
うん、完全に。
「……死んで、ないよね。死んだとしても、正当防衛だし」
ぶつぶつと呟く。
噛まれる寸前、わたしは残る力を振り絞って、彼の顔面に見事右ストレートをきめた。
たぶん、ものすごい力だったと思う。これが火事場の馬鹿力というやつか。
───にしてもだ。
「どうしよう、コイツ……」
目が覚めたら、今度こそ何をされるか分かったもんじゃない。殴っちゃったし。
あ、でも起きたらMになってるのか。それはそれで嫌だなぁ。
わたしが悩んでいると、突如ドアが乱暴に開かれた。
……コメディーなのにすいません。チェシャ猫、好感度下がるかも?(汗)