第15話:赤い白うさぎ
朝の柔らかい陽。穏やかな波の音。微かに香る塩の匂い。沖から吹く薫風。
海の近くのお茶会の魅力に気づく、今日この頃。
「わぁ、この紅茶おいしい」
わたしは口許に手をあて、賞讚した。それを聞いた帽子屋は、ニッと笑い
「ローズマリーのハーブティーや。くせがなく飲みやすいやろ? 頭もスッキリするし、モーニングティーには最適やで」
と、自慢げに説明する。その隣では三月がティーポットを倒していたが、気にしていないのか慣れてるのか、咎める様子はない。
ああ…テーブルクロスに新たな模様が。まぁ誰も何も言わないし、いつもの事だし、別にいいか。
わたしは会話に意識を戻すことにした。
「帽子屋詳しいね」
「このくらい常識やろ」
そう言いつつも、鼻が高そう。効果音をつけるなら『フフン』だな。『えっへん』まではいかない感じ。……我ながら変なことを考えてしまった。
――でも、本当に知識豊富なんだよね。いろいろ教えてもらってるし。
紅茶だけでなく、スイーツやマナーについても詳しい。
「あ、そうだ」
わたしは大切なことを思い出して、両手をパンッと叩いた。
「どうしたの? アリス」
隣に座るヤマネくんが尋ねてくる。今日はめずらしく起きてるんだよね。
「うん。あのね、白うさぎくんが今日は暇だから途中から来るって」
久しぶりに休暇がもらえたみたい。適当に執務をこなしたら来ると白うさぎくんは言った。
「伯爵が来るの、何日ぶりだろう…」
「いつも忙しそうだしねっ」
ヤマネくんと三月がパンをくわえながら呟く。それを見て行儀悪いと帽子屋が怒った。
「でも、そうかぁ、伯爵が来るんか」
しみじみと零す帽子屋。そしてこう付け加えた。
「今回は白いままで来てほしいなぁ」
………は?
今、なんか変なこと言わなかった? 聞き間違いか?
言葉の意図を聞くより早く、少年の声が砂を蹴る音とともに響いた。
振り返るとそこにはもちろん
「白うさ───ってぎゃぁぁぁぁぁ!!」
わたしは絶叫した。何故って? だってだって
真っ赤なんだもん……!
服にはべったりと赤がこべりついているし。顔には斑点が飛び散っていた。赤い液体、それはきっと、……血。
「遅くなってすいません。お久しぶりですね、帽子屋さん、三月ちゃん、ヤマネくん」
にこっと笑う白うさぎくん。だけど赤にまみれた笑顔は怖いから。どこのホラー映画だっつーの。
「し、白うさぎくん」
「はい?」
「あの、ち、血が…。どっか怪我してるんじゃ……」
声が震えた。血の気が引く。こんな大量の血を見たら、普通気持ち悪くなるよね?
そんなわたしの思い露知らず、白うさぎくんは顔色ひとつ変えずに答える。
「ああ、大丈夫です。これ、返り血ですから」
意味を汲み取るのに、時間がかかった。
――返り血…?
とりあえず、白うさぎくんは無傷らしい。だけど、それは全然大丈夫と言わないぞ。いったい誰の……。
「伯爵、せめて着替えてこいや。血は落ちにくいんやから、早う洗わんと染みになるで?」
「いや、でもこれ以上遅くなっては申し訳ないと思いまして。見苦しいなら、今すぐにでも城に戻って着替えますが」
「…いや、俺は気にせんけど」
チラリとわたしに目を向ける帽子屋。心臓が有り得ないくらい跳ねた。
話が呑み込めない。
返り血ってどういうこと?
なんで普通に会話してるの?
混乱するわたしに追い討ちをかけるように、三月が衝撃的なことを口にする。
「また誰か殺ったの?」
……と。
耳を疑った。なんて不吉な言葉。殺った? ……誰が。何を。
理解できなくて、ただただ募る焦燥感。冷や汗が額に滲んだ。
「だって酷いんですよ。城の庭師なんですけどね。約束の時間から1時間も遅れた上に、仕事を怠けて……。前々からあの人はサボり癖があったのですが、さすがに僕も怒りました」
白うさぎくんはそう説明し、わたしの隣の椅子に腰掛け、ため息をつく。
帽子屋とヤマネくんはそれに平然と相槌をうっていて。……わたし一人、固まっていた。
「だから殺したのー? だったらクビにしちゃえばいいのに、白うさぎは手が早いなぁ」
「我慢できなかったんです。久しぶりに三月ちゃん達とお茶会できるとワクワクしていたのに、その庭師のせいで仕事が長引いたんですよ?」
「あー、そりゃムカつくね」
「でしょう?」
これはただの会話。ちょっと愚痴の混ざったおしゃべり。おかしいのは、そう。話の内容。
「でもさ、だったら一発で殺ればいいじゃん。きっとまた無駄に斬り刻んだんでしょー。赤く汚れた服がいい証拠だよ」
「なに言ってるんですか三月ちゃん。簡単にとどめを刺したらつまらないじゃないですか。それに僕、肌から噴き出る時の鮮やかな血が大好きなんです」
殺るとか、血とか、なにについて話してるの?
……ううん。会話の内容なら、分かってるんだ。ただそれが有り得なくて。信じられなくて。
「白うさぎは、殺戮快楽者」
不意にヤマネくんが呟いた。きっとわたしに言ったんだろう。
「なに、言って……」
「本当のことやで、アリス。伯爵は時間にルーズな奴が大嫌いなんや。それに加えて、殺戮がお好きな危ない嗜好持ち。気ィつけや」
恐ろしいことを、なんて簡単に言うんだこの人は。美味しそうにケーキを頬張りながら言われても、説得力ない。
白うさぎくんが殺戮快楽者? 鮮やかな血が好き? はっ、バカ言っちゃ困る。
『白うさぎ』って名前と合ってないじゃん。別に白だから赤が好きじゃいけない訳じゃないんだけど。
って、そうじゃなくて。白うさぎくんはこの世界で貴重な常識人なんだ。少なくともわたしはそう信じてる。
そんなわたしの期待を裏切る言葉を、白うさぎくんは言い放ってみせた。
「やめて下さいよ帽子屋さん。確かに僕は殺戮快楽者ですけど、お姉さんを殺したりなんかしませんよ。決して……ね」
綺麗に微笑み言う。紅い瞳が無垢に光っていた。狂気にまみれた言葉。
アンビリバボー! なんて言ってる場合じゃないぞ。
「殺戮快楽者…」
自分で呟いて、寒気がした。
この国に、法律というのは無いのだろうか。こんな日常茶飯事みたいに、殺人が起こるの?
「…そんな簡単に人を殺しちゃダメじゃん」
手をギュッと握り、呟いた。それに白うさぎくんはキョトンとした表情をしこう言う。
「なんでですか?」
「……!」
なんで? なんでって。ちょっと、教育者出てこい。
「だって悪いのはあちらでしょう? 殺されても、文句は言えないはずです」
淡々と、さも当然のように言葉を並べる少年。帽子屋も三月もヤマネくんも、それを咎めようとはしない。
「………」
この国が本気で怖くなった、今日この頃。