第14話:マゾヒスト
一度見たら、忘れられない人。
自称ミステリアス猫。
会いたくないサディスト。
「久しぶり、アリス」
にっこりと笑う青年を前に、わたしは目眩がした。
「いやぁぁぁ! 白うさぎくん白うさぎくーん!!」
「酷いなアリス。別の男を呼ぶの?」
「白うさぎくーん!」
わたしの必死な叫びが聞こえたのか、パタパタと軽快な足音が響く。豪華なドアが開いて、救世主が現れた。
「どうしました? お姉さん」
結った髪を揺らして、白うさぎくんが尋ねる。毎日見る顔だけど、やっぱり可愛い。
「侵入者が! 不審者が! 変態がー!」
「アリス、人を指差しちゃダメだよ」
「アンタは黙ってて!」
やだやだ、わたしコイツ苦手なのよ。一度しか話したことないけど。どこが苦手っていうと、サドな所とか。サドな所とか。サドな所とか。
「やっほー白うさぎ」
『よっ』、と片手を上げるチェシャ猫。図々しくソファに寝そべって。
「来てたんですか、チェシャ猫さん」
そう言った白うさぎくんはドアを閉めて、わたし達に歩み寄る。
――って、知り合い?
なんだか親しげな二人。え、なんで?
「まぁね。ちょっとお気に入りがいて」
チェシャ猫がチラリと視線を投げ掛けてくる。ものすごい有難迷惑なんだけど。
アンタに気に入られても、困るってば。
「貴方がお姉さんと仲良かったなんて知りませんでした」
いや、全然仲良くないから。
「密な関係なんで。もう数々のプレイをやったよ」
そんな事した覚えない! 勝手に脚色するなっ!
「えっ、そうなんですか」
白うさぎくんも信じないでよ!
「っていうか! 二人は知り合いなの?」
荒々しく聞くと、彼等は顔を見合わせる。
「知り合いっていうか……友達?」
「大切な友人のひとりです」
「な……。ダメだよ白うさぎくん!」
少年の腕を引っ張り、チェシャ猫から離した。そんなわたしの行動に白うさぎくんは首を傾げ、チェシャ猫はニヤニヤといやらしく笑う。
「何がダメなんですか?」
「朱に交われば赤くなる。変態がうつっちゃうよ」
「変態扱い止めてよアリス」
チェシャ猫はため息をついて、肩をすくめる。
そうは言っても本当のことじゃん。純粋な白うさぎくんを汚されちゃ困る。
「大丈夫ですよお姉さん。彼は確かに変態ですけど」
「ちょっと、白うさぎまで何言ってるの。なに? 言葉攻め? だったらもっと激しくお願いします」
「根はいい人ですよ」
「あ、シカトってやつ?」
酷いなぁ、と全く傷付いてない様子で呟く。むしろ嬉しそうに笑ってるし。やっぱり変態だ。
「あの…お姉さん」
白うさぎくんが、遠慮がちに私の袖を引く。顔を覗きこむと、少年は気まずそうに口を開いた。
「公務の最中に抜けてきたので、そろそろ戻らないといけないのですが……」
肩に下げた大きな懐中時計を見て言う。
「! やだっ、あんなサドと二人きりにしないで!」
「ですが……」
「白うさぎくん〜」
すがるように腕を絡めると、彼は困ったように笑い小さく『うーん』と唸った。
だって冗談じゃない。あの人、不気味なんだもん。この前のデコピンかなり痛かったんだから。どうせまたいじめられるに決まってる。
「大丈夫ですよ、お姉さん」
わたしの頬に手の平を滑らせる白うさぎくん。至近距離にドキンとした。
「彼は今、サドじゃありません」
「い、今って……」
どういうこと、と尋ねる前に、白うさぎくんは背伸びしてわたしの頬にキスする。
「し、白うさぎくん?」
「何かあったら呼んで下さい。直ぐに来ますから」
柔らかく微笑み、少年はそっとわたしから離れた。
部屋から出て行こうとする白うさぎくんの背中に、わたしは確認するよう叫ぶ。
「絶対、絶対来てね!」
白うさぎくんは振り返り、『もちろんです』と笑って言った。
「俺ってば信用ない」
後ろでチェシャ猫が呟く。わざとらしい落胆。
――なんか笑顔で誤魔化されているような気がしないこともないけど……。
わたしは白うさぎくんを信じる事にした。
「アリス」
「……なに?」
「白うさぎならキスされても、文句言わないんだ?」
細められた金の瞳。少しだけ鳥肌がたった。
「別にキスくらいなら、挨拶だし。わたしの母国ではね」
ふうん?と含み笑いするチェシャ猫。言いたい事あるなら、言えばいいのに。
「ね、アリス。もっとこっち来て」
「………」
「何もしないからさ」
手招きしながらも、口許に張り付けた笑みは消えない。正直信用できなかったけど、あまりにしつこいから、ため息を押し殺して彼のもとへ寄る。
「……で、なに?」
「で、って、用がなきゃ側にもいてくれないの?」
上体を起こしてわたしの腕をひく。っていうか、台詞がくさい。そして寒い。
「用がないなら──」
そう言いかけたとき。
きっと起きあがった際にポケットから出ただろう物に目がいった。
いや、別にいいよ。この人がポケットに何を入れてようと。だけど、その物に問題がある。
「……なにそれ」
「なにって、手錠」
サラリと答えられてしまった。
え、ここツっこむべき? ツッこんでいいの?
「他にもあるよ」
そう言ってチェシャ猫は、ポケットからたくさんの怪しいアイテムを取り出す。
紫の縄。赤いロウソク。猿轡。アイマスク…。
アンタのポケットは四次元にでも繋がってるわけ? しかも危ない物ばっか!
「はい、アリス」
手渡されたのは、鞭みたいもの。嫌な予感。
そんな予感は当たり、チェシャ猫はキラキラの笑顔でこう言い放った。
「キツめにお願い」
……。
………。
…………。
「白うさぎくーん!!」
「女王様、早くこの卑しい豚に制裁を!」
「いやぁぁぁぁ! っていうか跪くなバカー!」
これは、その後駆け付けた白うさぎくんに聞いた話ですが。
なんでもチェシャ猫は二重人格ならぬ二重属性だそうで。ドSとドM、一度眠るごとに変わるらしい。
『結局はどっちも変態ですが』
笑ってそう言ったのは、他の誰でもない白うさぎくんです。