第117話:GENTLEMAN
久しぶりに街へ出掛けたわたしは、広場で珍しい人物を見つけた。
ほぼ毎日会ってるが、ここでは滅多に、いや一度だって会ったことのない人。
わたしは不思議に思いながらも、駆け寄って彼の名前を呼んだ。
「帽子屋っ」
声をかけられた彼は、わたしを見ると
「げっ、アリス」
――……。え、今わたし、げって言われた? いやいやまさかね。人の顔見ていきなりそんな失礼なこと言うわけないよね。
わたしは聞き間違いだと自分に言い聞かせ、彼を見上げた。
……露骨に嫌な顔してるんだけど。
「ちょっとなにその顔!? いくらわたしを見飽きたからって、そんなに嫌がることないだろうが! 街に来てまで会いたくなかったってかコノヤロー!」
「いや、そういうわけやないけど」
「じゃあなにさ!?」
彼の服を掴みそう詰め寄ると、帽子屋はため息混じりに落ち着け、とわたしを制する。
「……今日、ここに来てることは三月たちには内緒なんや。つまり、それがバレるのは俺にとってかなり良くない」
困ったように眉を下げる帽子屋。
なるほど。要するに、それをわたしが三月たちに言うのを恐れたのね。
「事情はよくわかんないけど、大丈夫。内緒にしておくよ」
そう言えば、帽子屋はほっとしたのだろう、頬を緩めおおきに、と微笑む。美形だなあ。
それじゃ、と背を向けようとする彼を、わたしは服の裾を掴み止めた。
まだなにか用か、と振り向いた帽子屋に、わたしは言い放つ。
「わたし、ケーキ食べたい気分なんだけど」
「……したたかな奴」
目を細める彼に、わたしは笑顔で返した。
よし、今日のわたしはついてる!
「おいしーい!」
ショートケーキを口に含み、わたしは頬を押さえて幸せの吐息をこぼした。
前に座る帽子屋は、それは良かった、と皮肉だか本心だかわからない言葉を呟く。
あの後、帽子屋に知ってる店に連れて行くと言われたが、わたしはそれを丁重にお断りした。
なんせ彼は貴族だ。のこのこついて行って、高級レストランにでも連れて行かれちゃたまったもんじゃない。そういう格式張ったところは苦手だ。
だから勝手に車を呼ぼうとする帽子屋を引き止め、近くにあった喫茶店に半ば強引に連れ込んだ。
そして、わたしはショートケーキとレモンティーを、帽子屋はホットコーヒーを頼んだ。
いつも紅茶ばかり飲んでいるから、てっきりストレートティーを頼むと思ったのに。
意外さについつい凝視していると、わたしは彼の行動に目を見開いた。
「ちょっ、帽子屋なにしてんの!?」
「なにって砂糖……」
「入れすぎ入れすぎ! コーヒーより砂糖の比率の方が多くなってるって! やめなさい!」
―――というやり取りをしたのがついさっき。
ついでにわたしの言葉なんか聞かず、結局彼は砂糖が通常の5倍は入ったコーヒーを当然のように飲んでいる。
わたしは気持ち悪さに口を押さえた。やっぱり彼の甘党にはついていけない。
「あ、そういえば帽子屋。パーティーの時ありがとね。公爵夫人を呼んでくれたんでしょ?」
「ん、ああ。伯爵と迷ったんやけど、公爵夫人のほうが適任やと思うてな」
間に合ったか?という言葉に、わたしは曖昧に頷いた。確かに間に合ったは間に合ったが、出来ればもっと早く来て欲しかったと思う。いや、そんなわがまま言ってられないけど。
そんなわたしの反応に、帽子屋はわずかに顔をしかめ、ため息を吐き出す。
「お前はもっと危機感を持ったほうがええ」
「う……。いや、頭ではわかってるんだけど」
「ほんまか? 俺から見れば自ら望んで襲われに行っているようなもんやで」
「の、望んでなんかない!」
聞き逃せない言葉に、わたしは立ち上がり否定した。つい大きな声を出してしまったせいだろう、周りの視線が刺さる。
――ぬあっ、恥ずかしい……!
わたしは慌てて腰をおろした。帽子屋が呆れた目を向けているが、今のは絶対帽子屋が悪い。
「そ、そういうこと言うのは紳士に反するわよ!」
「だったらもっと淑女らしくしてみたらどうや?」
「ぐっ……」
悔しいけど、言い返せない。いや、でもわたしこっち来てから色々と学んだほうよ!?
「……なんか、今日の帽子屋イジワルだね」
上目に睨んでみせる。すると、額を軽く小突かれた。不意打ちのそれに抗議しようと口を開いたが、
「アホ。心配しとるんや」
そう言われちゃ、何も返せないじゃないか。チクショーこの美形め。
だけど、心配してもらえるのは申し訳ないと同時に、嬉しい。
「あ、ありがと」
呟くような声量でお礼をすれば、彼も小さな声で返事をした。
「あ、そういえばなんで1人で街にいるの?」
「……たまにはええやろ」
そう言った彼からは、若干育児疲れが見えた。……ファイト!