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第113話:Bitter Sweet



「ちょっと、いい加減に下ろして。あんた腕壊れるわよ」


暴れ疲れたわたしは、低い声で未だにわたしを横抱きしているチェシャ猫を諫めた。


「心配してくれるのは嬉しいけど、このくらいで腕壊れるほど柔じゃないし、貴女も重くない」

「……あ、そう」


わたしはため息を混ぜてそう返した。

誤解されないように言っておくけど、別に心配したわけじゃない。これで彼に腕がしびれたとでも言われれば、わたしのプライドが傷つくのだ。

いや、もっと正直に言えば、単にこの状態から逃れたかっただけである。


――そもそも、わたしのプライドなんてたかが知れてるし。

それにしても、わざわざ抱えられる意味がわからない。わたしにはちゃんと足があるのだ。


「だからだよ」


チェシャ猫がくすくすと笑いながら言う。また読まれた。そろそろ怒るのも億劫になってくる。


「だから、なによ」

「足があるから、こうして抱いているんじゃない」

「抱いてる言うな」

「逃げられたら困るからね」


わたしのツッコミは華麗にスルーされた。だけど蒸し返せば面倒なことになるって分かっていたから、わたしも触れなかった。

――別に逃げたりしないのに。

それとも逃げられるようなことをするつもりなのか。……なんか不安になってきた。


わたし達が今歩いている――実際歩いているのはチェシャ猫だけだが――廊下は、パーティー会場とは対照的にとても静かだった。革靴特有の足音だけが響く。

前はたくさんのメイドさんがいたというのに、人っ子一人見当たらない。みんな休ませて貰っているのか、それともパーティーに駆り出されているのか。

どちらにせよ、こんな状態を見られなくて済んだので助かった。


――白うさぎくん、なにしてるかな。

わたしはたくさんの貴婦人たちに取り囲まれていた少年を思い出した。

白うさぎくんは女の子と見間違えるくらい綺麗だし、性格も優しいし、礼儀正しいし、何よりほめ言葉に嫌味がない。

そんな彼が、人気なのは当たり前だ。そう、当たり前なんだ。

だけど、せっかく一緒に来たのに、まるで放っておかれてるみたいで悲しかった。

もちろん、白うさぎくんに限ってそんなことはないとわかっている。

だけど、わたしが今、会場にいないと彼は気付いているだろうか。


深く考えこんでいたせいか、わたしはチェシャ猫が足を止めていたことに気付かなかった。

気づいたのは、身体が浮遊したと認識した瞬間だった。


「うひゃあっ!」


床に強く尻餅をついて、彼が腕を離したということを理解した。

予想外の出来事に受け身をとれず、背中を強く打った。痛い、そして酷い。酷すぎる!


「ちょっと! いきなり落とす奴があるか!」

「貴女が違うこと考えてるせいでしょ」


わたしの至極当然な怒りは、彼の冷めた声に一蹴された。まったく理にかなってない反論だったのに、その声があまりに冷たかったので、つい押し黙ってしまう。

これではわたしが悪いみたいではないか。だいたい、違うことってなんだ。何を考えていれば正しいんだ。


「俺との濃厚なラブシーン」

「……冗談じゃないわ」


苦々しくこぼせば、チェシャ猫はツボだったらしく肩を揺らしてケラケラと笑う。

先程の声色は明らかに不機嫌だったというのに。猫の気まぐれは可愛いけれど、コイツの気まぐれは傍迷惑なだけだ。

そんな文句を心の中で呟きながら、わたしは立ち上がりドレスの汚れをはらった。

といっても、床は毎日磨かれているのか、とても綺麗だったけど。


「アリス、入って」


そう言って、チェシャ猫はドレスが置いてあるらしい部屋の扉を開ける。わたしは、持ち主の許可なしに足を踏み入れることに少し躊躇した。

が、ここまで来て引き返すこともできず、おずおずと部屋に入る。

少し遅れて後ろからドアを閉める音がしたが、わたしの意識は完全に室内に、正しく言えば室内の服達に向いていた。


なんだこの数は。そしてなんだこの豪勢さは。すごいってもんじゃないぞ。

縦に5列ズラリと並べられたドレス。部屋そのものがクローゼット状態だ。

通路はちゃんと確保されているようだが、その多さと言ったら布地の大洪水。ダムでも建設すべきでは、なんて本気で思ってしまう。


「規模がおかしい……」

「昔着たものとかも全部あるみたいだよ。だから一つくらいアリスにサイズが合うのもあるでしょ」

「昔着たものって……、公爵夫人、物を大切にするんだね」

「さあ、懐古主義なんじゃない? あ、寒色系が多いのは勘弁してね」

「色やデザインにケチつけるほど図々しくないわよ」


そう言って、わたしは一番近くにあったドレスの袖をつまんだ。

淡い藍色を基調とし、袖は白でパフスリーブになっている。胸元にはレースがふんだんに使われ、大きな黒いリボンがポイントとなっていた。あまりに素敵だったので、自分の背丈に合わせてみる。

弱冠丈が長い。いや、しかしこれはわたしの背が低いのではなく、公爵夫人が高身長なのだ。……たぶん。


「いいじゃない、それ。色っぽく見える」


後ろからのぞき込んできたチェシャ猫が言う。更に鏡見る?と、わたしの返事は聞かず姿見の前まで手をひいた。

なるほど、確かに実年齢よりずっと上に見える。造り自体はシンプルなので、顔もそんなに負けてない。

あまり華やかなものだとね、顔がね、ついていかないからね。うん。


「それにする?」


チェシャ猫と鏡越しに目が合う。振り向かずにわたしは頷いた。


「じゃあ着替えようか」


彼がそう言ったのと、背中のファスナーを下げられたのは、ほぼ同時だった。


「なにしてんだバカ!」


わたしは両手を背中に回し、左右に開いた布を押さえてチェシャ猫を睨んだ。

視線がかち合うと、チェシャ猫はきょとんとしている。おい、なんだそのとぼけた表情は。


「なにって……着替え手伝ってあげようと思って」

「いらんわ!!」


なんでわざわざ着替えさせてもらわなきゃいけないんだ。余計なお世話を振り切って嫌がらせだとしか思えない。

それを言えば、彼は愉しそうに口元を下弦に歪めた。

……コイツがこんな笑みを浮かべるとき、大抵ロクなことにならない。

そしてわたしのその予想は、こういう時に限って当たってしまうのだ。


「だってアリス、一人で着れるの?」


それ、とチェシャ猫は顎でわたしの手にあるドレスを指す。

それに、わたしはサアッと血の気がひいた。

彼の言う通りだ。普段ドレスを着ることなんてないわたしは、自力で出来るわけがない。

現に今着ているこれも、メイドさんたちが着せてくれたのだ。大変素晴らしい手際の良さで。

そんなわたしの心情を察したかのように、チェシャ猫はニヤニヤと嫌な笑みを浮かべている。本当にムカつくなオイ!

――落ち着けアリス。いくら一人じゃ着れないからって、コイツに手伝ってもらうなんて言語道断だわ。っていうか絶対喰われる。だったら……。


「チェシャ猫」

「なに?」

「わたし、やっぱりこのままでいいや。あまり染みも目立たないし……ね?」


ひきつりながらも、笑顔を向ければ、更に眩しい笑顔を返された。あ、やな予感……。


「アリス、そのドレスすごい高いよ。それを汚しちゃって、弁償できるの? 貴女に」

「なっ……」


わたしは声を失った。


「俺は払えるよ。まあかなり持っていかれちゃうけど、こればっかりは仕方ないよね」


そう言って、彼はわたしの身体を反転させて鏡と向き合うようにする。そして背中にあったわたしの両手をひとつにまとめ、片手で拘束した。

背筋に悪寒が走ったのは、肌が外気に触れたせいだけではないだろう。


「居候の身の貴女に、払えるわけないよね。ただでさえ何から何まで伯爵に頼りっぱなしなんだから。それだけでも図々しいのに、せっかく用意してくれたドレスまで汚しちゃって」


耳元にまるで歌うように囁いてくる。熱い吐息が不規則に吹きかかり、わたしは耐えるように口唇を噛んだ。


「俺がなにを言いたいか、分かるよね?」


返事なんて決まりきっている、とでもいうような尋ね方。






帽子屋、やっぱりわたしがんばれない……!





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