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第112話:禁忌



「あらら、ごめんねアリス。大丈夫?」


本当に申し訳ないと思っているのかいないのか、よくわからない声色でチェシャ猫は私の顔をのぞきこむ。

大丈夫って、それはわたし自身のことなのか、それともドレスのことなのか。

もし後者なら、あまり大丈夫ではない。

チェシャ猫を見ると、彼はほとんど中身のないグラスをテーブルに置いていた。床に落ちる前に掴んだらしい。


「あー、結構濡れちゃったね」


そう言って、彼はハンカチーフを取り出し、濡れた箇所を拭く。


「染みはあまり目立たないけど、どうしよう……」


ため息まじりにそう呟くと、彼はわたしを見上げにこりと笑った。

その笑みにドキッとする。いや、ときめきとかの類ではないけどね。


「そうだね、このままじゃ気になるようなら着替えようか」

「着替えようか、って……」

「ドレスならいくつかあると思うし」

「え…でも……」


いくつかある、ってさすが貴族。ってそうじゃなくて、いくらチェシャ猫が公爵夫人のペットだからって勝手にいいの?

そんな心配が顔に出ていたのか、チェシャ猫は躊躇うわたしの腕を恭しく取り


「大丈夫だよ、もともと俺のせいだし、ご主人様は優しいしね」


そう言ってウインクをする。

――それなら、甘えていいかな? 目立たないとはいえ、濡れたドレスじゃちょっと失礼だし。

でも、せっかく白うさぎくんが用意してくれたドレスなのに、着替えちゃったらそれはそれで失礼だよね……。

いや、正直に言えばわたしがこのドレスを着ていたいんだけど。

わたしはチェシャ猫に腕をひかれながら、そんなことを考えていた。


会場には様々な管楽器により奏でられる音楽が、心を安らげるためのように流れている。

みんなお互いの話に花を咲かせており、わたし達がこの場から出ようとしてることなんて誰も気付かない。

賑やかな声と音楽から離れて、チェシャ猫に導かれるまま会場から出ようとした時。


「アリス」


後方から伸びる手に、左腕をつかまれた。

わたしが聞き覚えのあるその声に振り向けば、チェシャ猫も足を止める。

視線をつかんでいる手から肘、肩とのぼらせていき、わたしはあ、とまぬけな声をこぼした。


「帽子屋」


そう、そこに立っていたのはシルクハットがトレードマークの美青年、帽子屋だった。

今日は漆黒の燕尾服に身をつつんでいる。いつも白い礼服ばかり着ているから、何かポリシーでもあるのかと思ったが、そうでもないらしい。


――帽子屋も来てたんだ。


そこで思い出す。このパーティーを教えてくれたのは帽子屋なのだ。彼が来ていないはずがない。


「どうしたの?」

「お前はもっと学習したほうがいい」

「は?」


いきなりそんなことを言われた。まったく会話になっていない上に失礼だ。


「ちょっと、なによその言い種。紳士が聞いて呆れるわよ」

「俺は今、お前にかなり呆れている」

「本当に失礼ね……」


普段の訛りのない口調に違和感を感じつつ、彼を上目に睨みつける。いったい何が言いたいんだ。

そんなわたしの疑問を読み取ったのだろう、帽子屋が口を開く。


「とりあえず、手を離してくれる?」


しかし、それは今までただ成り行きを見ていただけのチェシャ猫によって遮られた。

チェシャ猫はわたしの腕をつかんでいた帽子屋の手をはずす。その手つきは乱暴にも優しくも見えた。

帽子屋はそれに対し、大人しく腕をひっこめる。だけど相変わらずチェシャ猫はわたしの右腕をつかんだままだ。

なんとなくそれが気に入らなかったので、軽く振り払えば簡単にチェシャ猫は腕を離した。意味がわからん。


「……で、なんなのよ帽子屋」


改めて聞けば、


「パーティーはまだ中盤だろ? どこ行くんだ」

「ああ、ちょっと飲み物こぼしちゃったから着替えに行くのよ」

「……着替え、って」


なんとなく察しがついたのだろう、彼はチェシャ猫を見る。チェシャ猫はそれに笑って頷く。

だけどそれに帽子屋は怪訝な顔をした。


「用はそれだけ? なら俺達もう」

「それだけじゃない」

「……しつこい男は嫌われるよ」


呆れたようにため息をついて、チェシャ猫は肩をすくめる。

帽子屋は余計なお世話だ、と抑揚のない声色でこぼし、わたしの腕をひいてチェシャ猫から離した。

後ろでチェシャ猫が文句なのか、からかいの言葉なのかよくわからないブーイングを発しているが、とりあえず帽子屋に気を向ける。


「な、なに?」


ぐいっと肩を抱かれ、心なし猫背という内緒話をするような姿勢に、つい小声になった。


「なに、じゃないアホ。あの猫にホイホイついていっちゃあかんやろ。前回で痛い目みたんとちゃう?」


叱るような言い方にまるで保護者だ、と思った。

――って、前回?

その瞬間、顔に瞬間湯沸かし器よろしく熱が集まった。きっと大いに赤くなっているだろう。

そんなわたしを見て、帽子屋は盛大なため息を吐き出す。ああ…、呆れられてる……。


「せやから、無闇にふたりきりになるんやない。スカーフやるからそれ巻いて染み隠しとき」


そう言って、ふわりと微笑む帽子屋。この瞬間、わたしの中の良い人ランキング1位は彼になった。感極まって涙腺が弛む。


「帽子屋、あんた聖母だわ!」

「そこはもっと違う喩えが欲しかったな……」


わたしの呟きに帽子屋は言いようのない表情をする。とりあえず嬉しくはなさそうだ。


「じゃあアリス。俺がチェシャ猫に上手く言うとくからお前は」


帽子屋がすべてを言い切る前、彼がわたしの肩から腕をはずした瞬間に思い切り強い力に引っ張られた。


「うわっ!」


引力に逆らえずそのまま倒れると、


「えっ、ちょっとチェシャ猫!」


膝裏に腕を差し入れられ、そのまま抱き上げられた。


「内緒話はおわり。そろそろ返してもらうよ」


キザにウインクまでするチェシャ猫。いや、そこはどうでもいい。問題はそこではなくて


「おろせー! って、どこ触ってんだこの変態猫!」

「ちょっ、暴れないでよアリス。あ、お嬢さん」


この恥ずかしい状態から逃れようとしていると、チェシャ猫は近くにいた女性に話しかけた。何を言うんだと思ったら


「男爵が貴女とお話したいそうですよ。お相手してあげて下さい」

「なっ……」


まさかの言葉に、帽子屋が頬をひきつらせる。しかし話しかけられた女性は嬉しそうに頬を染め、あら、とはにかんで帽子屋に駆け寄る。

チェシャ猫が目を細め、その口角を緩くあげる。それはまるでうさぎを狩る虎のようで。

――ぼ、帽子屋ァァァァ!!

助けを求めるように彼を見れば、帽子屋は慌てたような申し訳なさそうな表情を返してきた。

その口元が、頑張れ、と動いた気がする。

わたしの身の危険より美人との会話を選んだ帽子屋は、わたしの中の良い人ランキングを急降下した。



「邪魔者はいなくなったね、アリス♪」



が、がんばれない……。






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