第110話:ストイック
†誕生日パーティー編†
他にすることがないのかと聞きたいくらい、いつもここにいる彼等。他にすることがないわたしは、今日もお茶を頂いている。
基本的に、わたしは日々退屈だ。城じゃみんな忙しそうだし、街も楽しいけれど毎日行く気にはなれない。
そして結局、このお茶会に来てしまう。話し相手もいれば美味しいスイーツもあり、可愛い子もいる。
改めて思うが、かなり天国だ。きっと明日もわたしはここに来るのだろう。
「あ、俺ら明日からしばらく本邸に帰るから」
おおい、いきなり前言撤回しなきゃじゃないか。
わたしが帽子屋の放った言葉にどうして、と疑問をぶつけるより早く、三月が理由を教えてくれた。
「もうすぐね、公爵夫人の誕生日パーティーなんだって。色々用意しなきゃいけないから、お家に帰るんだ」
「え、公爵夫人の?」
「ああ。きっとかなり盛大やろうな。伯爵も呼ばれとると思うで。どうせならパートナーとして連れて行ってもろたらどや?」
帽子屋のその言葉に、白うさぎくんのパートナー……!と一瞬ひきよせられたが、すぐにハッとする。
いやいや、わたしには力不足でしょ。身分はもちろん、外見も。それに公爵夫人の誕生日パーティーってことはつまり、だ。
「……チェシャ猫もいるんでしょ」
わたしのその言葉に、三月は首をかしげ、帽子屋は納得したようにああ、と頷く。ヤマネくんは相変わらずだ。
わたしの話より睡眠が大切なの!?なんて言葉が思い浮かんだが、寝てる顔がかなり可愛いので何も言わないでおく。
――それに寝起きのヤマネくん恐いし……。
あれはちょっとしたトラウマだ。出来れば二度と見たくない。
「チェシャ猫がいるとなんかダメなの?」
大きな瞳でジッと見つめてくる三月。ああ、なんてピュアな眼差し……!
言えない。襲われかけたなんて絶対言えない。
「前にアリス襲われたんや」
帽子屋ァァァァ!!
そこ言っちゃ駄目だろ! そこ言っちゃ駄目だろうが!
帽子屋を必死に睨みつけるが、彼はそれに気付いているのかいないのか澄ました顔で砂糖菓子を楽しんでいる。
わたしは帽子屋は置いておき、とりあえず三月に弁解しようとした、が。
「そうなんだ~」
……帽子屋以上にケロッとしていた。
――うん、まあ三月だしね。今更だよね、うん。
「っていやいや、襲われたって言っても未遂だからね! わたしは潔白だからね!?」
「あーはいはい。それじゃアリスは行かへんのか?」
「はいはいってムカつくなチクショー。……行くも行かないも、わたし呼ばれてないしさ」
「言えば伯爵が連れて行ってくれるやろ。あの人アリスに甘いんやから」
「甘いって……」
確かに白うさぎくんは優しいけど、そんなのわたしにだけじゃない。誰にでも分け隔てなく接している。
それを言うと、帽子屋は片眉をひょい、とあげた。
「せやけど、相手によっちゃかなり残酷やで。それに客観的に見て、アリスには特別甘い」
「うーん、でもそれはたぶん責任感からだろうし」
わたしは小さく呟きを返し、ケーキにフォークを落とす。スポンジの間に挟まっていた果実が簡単に裂かれたのを見て、吐息をこぼした。
――そもそも、仮に呼んでくれたとしても、公爵夫人にはお祝いの言葉を言いたいけどチェシャ猫とは会いたくないしなあ。
それに、わたしはダンスをそんなにバリエーション多くは踊れない。前回だってチェシャ猫のリードがあって、やっと見れたくらいだ。
これでは白うさぎくんに恥をかかせてしまう。それだけは御免だ。
そんなことを考えながらため息をつく。
「連れて行ってもらえるなら行かなきゃダメだよアリス!」
「へ?」
突然の声に驚いて顔をあげれば、三月が腰に手をあて心なしかこちらを睨んでいる。
え、なに? わたし三月を怒らせるようなこと言った!?
「ど、どうしたの三月」
「だって、僕は行きたくても行けないのに」
そう言い、頬を膨らませる少女。その意味を理解したわたしは、彼女の隣に座る帽子屋に視線を投げかけた。
すると彼はわざとらしく帽子をかぶり直し、仕方ないやろ、と一言。
「お前を連れて行ったら大変なことになるのは、目に見えてるんやし。貴婦人を襲ったなんて洒落にならへんで」
帽子屋のもっともな答えに、三月はにこりと笑う。春の花を連想させるその笑みは、反応としてはかなり違和感があった。
帽子屋もそう感じたのか、それとも嫌な予感がしたのか、顔をしかめる。三月は大丈夫だよ、と言った。何が大丈夫なんだと帽子屋は尋ねる。
「だって」
そう言い、少女は椅子からおり、こちらへニコニコしたまま歩み寄ってきた。
そして、あろうことかわたしのトップスをめくりあげたのだ。
「……!!」
予想外すぎるその行動に、悲鳴さえ上がらない。しばらくわたしの腹部を見つめ、それから手を離し、服は本来の位置に戻る。
「な、」
「ほらね!」
なにしてんの!?というわたしの言葉は、見事に遮られた。
「……なにがほらなんや」
わたしの思いを、帽子屋が頬をひきつらせながら代弁してくれる。
「だから、肌見ても大丈夫だったでしょ!?」
その言葉にはっとする。
――え、三月肌見たら理性とぶ習性治ったの……!?
これは、かなりめでたいことじゃないか。だって三月の前で油断しても大丈夫だし、実はこっそり夢見てた一緒にバスタイムも実現される……!
わたしはそんな考えに感激していたのだが、帽子屋は疑い深いのか単に今までの災難からか、納得していない表情だ。
そんな彼に、三月はパーティーパーティーとおねだりしている。可愛いなオイ。
「……ほんまに平気なんか?」
「きっと大丈夫だよ!」
きっと、という言葉に、帽子屋は眉をしかめる。そして何を思ったのか、一番上まで閉めたボタンを、ふたつ、みっつと開けていく。
そして片方の襟を掴み横に強くひけば、自然と現れる素肌。
「どうや?」
そう尋ねた瞬間
「生肌白肌美肌ァァァァ!!」
椅子ごと押し倒される彼と、草食動物とは思えないくらい目を光らせる少女。
そんな2人を見てわたしが思ったことは
「……ヤマネくんはよくいつもあの2人と一緒にいれるな」
「もう慣れたよ」
独り言のつもりで呟いた声に返事がきたことに驚きつつ、この兎少女がパーティーに出席できる日はまだまだ遠いだろうと思った。
城に帰ってきてからも、わたしはパーティーのことばかり考えていた。行きたいのが本心。だけど行きたくないのも本心。
きっとあの少年に頼めば、笑って頷いてくれるだろう。彼はとても優しいから。
――でも、やっぱりトラウマがね。本当にくたばってくれないかなあの変態猫。
それがなければ、わたしはきっと悩みつつも行っただろう。白うさぎくんのパートナーだなんて、想像しただけでにやけてしまうのだから。
「おかえりなさい、お姉さん」
愛らしいボーイソプラノに振り返ると、そこには今の今まで考えていた少年が立っていた。
わたしは心臓が跳ね上がるのを抑え、ただいまと返す。
「もうお休みになられますか?」
「いや、まだ起きてるよ。どうして?」
「ちょっとお姉さんに頼みたいことがあるんです」
「頼みたいこと?」
聞き返せば、白うさぎくんはルビーよりも綺麗なんじゃないかと思える瞳を細め、首を縦にふる。
そして両手の華奢な指先をすべて合わせ、言った。
「三日後の公爵夫人の誕生日パーティーに、僕の連れ合いとして来てくれませんか?」
わたしは本日2回目のフリーズを起こした。
固まったわたしを、少年は不安げに見つめる。
それにやっと思考回路が働き、わたしは慌てて返事をした。
ひゃい!と、かなり素っ頓狂な声が出たが。
「来てくれるんですか!?」
「え、いや、でも白うさぎくんわたし……!」
「……駄目、ですか? そうですよね、急なことですし。僕のパートナーというのも、役不足ですよね」
トーンの下がった声色でそう呟き、視線を斜め下に落とす白うさぎくん。
伏し目がちなため、瞳にかぶさる白銀の睫毛がいつも以上に長く見える。少しだけ開いた花のつぼみのような口からは、憂いを帯びた溜め息。
その光景に息を呑むと、彼はまるでそれが分かったかのように上目遣いでわたしを見てこぼす。
お姉さん…、と。
「行きます行きます行かせてください!!」
あまりの可愛さに、わたしは彼を抱きしめそう叫んでいた。
――ああもう、なんでこの子はこういちいち可愛いの!?
これで断るやつがいたら、そいつは人間じゃない。
「本当ですか? ありがとうございます」
白うさぎくんは、やんわりとわたしを引き離し見目麗しく笑う。
「それでは、今日はもう遅いので準備は明日から始めましょう」
おやすみなさい、とわたしの頬にキスをして、少年はひとつに束ねた後ろ髪を揺らしながら長い廊下を駆けていった。
……あれ、もしかして今はめられた?