第108話:お酒は二十歳から
正直わたしは今まで、自分の人生はついているほうだと思っていた。
身分が特別高かったわけではないし、天然ボケボケの家族に囲まれ今ほどではないが日々ツッコミ疲れしていたし、また好きで好きで仕方なかった子にふられたこともある。
だけど、やはり不幸ではなかった。むしろ幸せだっただろう。だからわたしは、自分はついている人間だと思っていたのだが。
どうやら、違ったらしい。
「アリス」
街中をあてもなく歩き、暗くなってきたのでそろそろ城へ帰ろうかと考えていた時、名前を後ろから呼ばれた。
聞き覚えのある声にわたしは振り向く。
「……ディー?」
つい疑問符がついてしまう。何故なら、彼は笑顔ではないこそめずらしく眉間にしわが寄っていない。
――わたしと話す時は、大抵不機嫌そうな顔をしているのに。
それでも、瞳は灰色だし、ダムみたいに柔らかい笑顔は浮かべていないから、ディーなんだろう。
わたしが訝しげな視線を向けていたせいか、ディーはなんだよ、と苦笑した。
……ちょっ、マジで誰ですかこれ。
「わかったわ またダムが変装してるんだね!?」
「ああ?」
「あ、ディーだった!」
わたしの言葉にすかさず顔をしかめたので、やはりディーだ。ダムは怒ってもあからさまに表情に出したりしないから。
「ごめんごめん、未だに見た目だけじゃ判断がつかなくて」
「……だからってなんでダムが変装してる、になるんだよ」
不機嫌そうに小さくこぼすディー。どうやらコンプレックスを刺激してしまったらしい。
わたしは慌ててごめんともう一度謝った。ディーは少し難しい顔をしていたが、まあいいけど、と自分の髪をくしゃりとかきあげる。
「それより、お前これから用事あるか?」
「えっ……特にないけど」
しいて言うなら、城に帰ってアンに約束しておいた白うさぎくんの秘蔵写真プレミアムを貰うくらいだ。
最近は女王様の写真も欲しいですアン。いや、アン様。
そんなことを考えていたら、ディーはわたしの返事を聞いてニカッと笑った。……笑った?
「じゃあ決まり、お前これから俺に付き合え」
なにを言ってんだアンタは。
いつもなら反射的に出てくるわたしのツッコミは、彼の笑顔のインパクトにより声になることはなかった。
彼に連れてこられたのは、とあるバーだった。
穏やかな曲調のBGMと明るすぎないライトが、落ち着いた雰囲気を作っている。夕方という時間のせいもあるのか、客はまばらだ。
呆然としているわたしに、ディーはまた笑う。なんでだ、なんで今日はこんなに機嫌がいいんだ。
わたし達はカウンター席に座り、ディーはマスターに軽く会釈した。
「いい店だろ? マスターと知り合いなんだ」
「はあ……っていうか、なんでわたしをここに?」
「別に、お前とちょっと話したいだけだ」
――ああ、またサラリとらしくないことを。
いつものディーに慣れてしまってるせいか、今の彼は気持ち悪……じゃなくて、なんか怖い。
ディーがマスターにカクテルを注文しているのを横目に見ながら、そんなことを思った。
……いや、待て。ちょっと待て。カクテルを、注文してる?
「駄目だろ!!」
「は?」
「なに普通に注文してるの!? アンタ飲めない年でしょうが!」
っていうか、わたしもここに来た時点で気付よ!
立ち上がって声を荒げるわたしを、怪訝な表情をして見上げるディー。マスターもきょとんとしていた。……いや、それどころか周りの人達からも痛い視線を感じる。
わたしはそこで気付いた。何にって、今わたしがどんな世界にいるかってことだ。
そうだ、この国を治めているのはパンがなければケーキを食べればいいじゃない、と言い出してもおかしくないあの少女なのだ。そんな彼女が、お酒を飲める年齢を決めるだろうか。いいや、決めない。
――ああああまたしても異文化の壁!!
わたしは勢いよく腰をおろし、カウンターに突っ伏した。恥ずかしい。いや、わたしは間違ったこと言ってないけど。
「もうやだ、帰りたい……」
「はあ? なに言ってんだよお前」
「女王様万歳……」
「おい、本当に大丈夫か?」
ディーがわたしの髪を一束掴み、ぐいぐいと引っ張ってくる。痛えよ。
腕からそっと顔をあげると、ちょうどマスターと顔があった。
彼はにこりと、それはもう年頃の女の子が見たら赤面しちゃうほど、大人っぽく優しげに笑う。なんだか、誰かに似てるような気がした。
「でも、お嬢さんの言う通りあまり飲まないほうがいいかもね。ディーくん、酔うと面倒くさいし……」
「誰が面倒くさいだ! これでも客だぞ俺は!」
マスターがフォローしてくれたと共に、本気で帰りたくなる言葉を吐く。
――ただでさえ面倒くさいのに、これ以上面倒くさくなるのか……。
そう思うとげんなりした。第一、わたしはなんで連れて来られたんだ。
「ほら早く作れよカクテル! ロングな!」
「はいはい。お嬢さんは?」
「えっと、お任せします。あ、ノンアルコールで」
そう言うと、ディーが不機嫌そうに睨んできたが知らんぷり。なに言われたってわたしは飲まないぞ。
そんな気持ちが伝わったのか、ディーは無理には勧めてこなかった。だが、やはり彼は飲むらしい。
ただでさえ珍しく機嫌がいいディーは、グラスを傾ける度にさらに高揚していくのが見て取れた。
話を進めていく内に、機嫌のいい理由も判明する。予想通りにアン絡みだった。
しばらくは彼の珍しい笑顔を楽しんでいたのだが、だんだんと雲行きは怪しくなっていった。
分かりやすく言うと、愚痴っぽくなってきた。わたしの言葉にも毒舌で返してくる。
「ディーくん、ちょっと飲みすぎだよ」
見かねたマスターが指摘するが、ディーはそれにも思い切り嫌な顔をする。
ああ、どうしよう。かなり面倒くさい。帰れば良かった。酔っ払いの相手なんてまっぴらごめんである。
「誰が酔っ払いだ! 俺は酔ってねえ!」
どうやら口に出していたらしい。そしてそれは酔っ払いの常套句だ。
「ディー、わたし帰りたいんだけど」
「ああ!? 誰が帰らせるか!」
えええぇぇぇぇ?
「っていうかお前いつまでそんなジュース飲んでんだよ! 酒飲め酒ぇ!!」
「ちょ、やめっぶっ……!」
強引に顔を掴まれ、あろうことか彼は持っていたグラスの中身をわたしの口に無理矢理流し込んだ。
喉が熱くなり、みるみるうちに熱が身体に広がっていく。
マスターの困ったような笑みを最後に、わたしの意識は途切れた。
ああ、やっぱりその笑み、誰かに似てる。
次回に続きます。
※未成年の飲酒は法律上禁止されています。