第106話:フィアンセ希望
癒やしを求めて行くのは、いつだってそこ。
「だから、何度も言うけどそんな気はあらへん」
「せめて写真だけでも見て下さい。せっかく貴方の好みの方からのお誘いなんですから」
「なんでお前が俺の好み知っとんの?」
「秘書ですから!」
「今はちゃうやろ……」
いつものお茶会。波の音も、紅茶の香りも、眠る少年も、ケーキを頬張る少女も、みんなみんないつもとなんら変わらない。
ただ、いつもと違うのは、帽子屋が見知らぬ男性と話しているということ。
――誰だろう?
つい話し掛けることを躊躇ってしまい、彼等から少し離れたところで棒立ちしてしまう。
すると、それに気付いたのか三月が声をかけてきた。
「あ、久しぶりアリス。座らないの?」
少女の言葉に、その場にいた人達がみんなしてわたしのほうに顔を向ける。
――ちょっ、いきなり見るなって! 心の準備が……!
いや、自分でつっこむのもどうかと思うけど、心の準備ってなんだよ。
とりあえず、いつまでも立っていると変だから、わたしはヤマネくんの隣に座った。
「……おはよう、アリス」
そう言って目をこするヤマネくんは、今日も変わらず可愛い。弟にしたい。むしろ結婚したい。あっ、本音が……。
「アリス、にやけてるで」
帽子屋の指摘に慌てて緩みきった頬を引き締めた。
そのときにわたしは、帽子屋を見ると共に、隣に立っている男の人にも視線を運ぶ。するとちょうど彼もわたしを見ていたようで、目が合った。
あ、と思うと彼はにこりと笑い
「初めまして。私は会長の秘書をやっていました、フィシュと申します」
「は、はじめまして。アリス=リデルっていいます」
丁寧に挨拶されて慌ててわたしも返す。
っていうか、会長って帽子屋のことだよね? 帽子屋の元秘書がなんでここに……?
そんな考えが顔にでていたのか、フィシュさんはわたしの隣にやってきて大きめのパンフレットのようなものをわたしに見せてきた。
そこにあったのは、1人の女性が慎ましやかに座っている写真。
「すごい美人……」
感想を無意識に述べると、フィシュさんは嬉々として、ですよねっと声を弾ませる。
「ほら会長、アリス様もこう仰られていますよ! 是非一度会うだけでも」
「嫌や」
フィシュさんの言葉は遮られたうえに一刀両断された。
っていうか、マジでなに? 状況がつかめないんだけど。
助けを求めるようにヤマネくんを見る。するとヤマネくんは眠たそうに目をこすりながら、
「…お見合い…するみたいだよ…」
そう言った。
ああ、お見合いね。お見合い……お見合い!?
言葉の意味を理解した途端、わたしは素っ頓狂な声を出し帽子屋を見た。
「いや、するなんて言うてへんから」
顔の前で手を振る帽子屋。帽子屋は否定したけど、彼だって21歳。しかも忘れがちだが一応貴族だ。
「一応やなくてれっきとした貴族や!」
なんか心の中読まれたけどそこはスルーしよう。そう、つまり婚約者がいないというのもおかしな話。貴い家柄に生まれたら、だいたいが幼少の頃から婚約者がいるのだから。
「心の中って、思いっきり声に出てるで」
「でもこっちの世界ではそうでもないのか」
「お前どこでそんなスルースキル身につけたん?」
「っていうか、めっちゃ美人じゃん。なんで断るの?」
お見合い写真を指差して尋ねると、彼は面倒くさそうにため息をついて答える。
「確かに別嬪やけど、俺はこのお嬢さんのことなんも知らへん。会うだけ言うけど、本当にそれだけなら会う必要だってあらへんやろ」
……まぁ、正論…、うーん……正論、なの、か?
首をひねっていると、わたしの横にいたフィシュさんが肩をふるふると震わせた。
彼の表情からして、どうやら感動しているわけではないらしい。いやむしろ
「なんで貴方はそうなんですかこのエセ紳士ー!」
……怒りだ。ってかフィシュさんキャラ違くね!?
「誰がエセ紳士や!」
「あんたのことですよ! せっかくハリー家からの誘いなのに! だいたいそうやって余裕かましていられるのも今のうちだけですよ!」
「フィ、フィシュさん落ち着いて……」
「止めないで下さいアリス様! いいですか会長。今はたくさんの女性からおもてになりますがね、それも十年もすればパタリと終わりますよ! 女性はみんな若い方が好きなんです! それからはもう、誰も相手にしてくれなくなるんですからぁぁぁあ!!」
「それお前のことやろ……」
げっそりとした様子で帽子屋が呟く。そしてわたしはといえばフィシュさんが切なすぎて不覚にも泣きそうになった。
「大丈夫だよフィシュさん」
そのとき、今まで黙っていた三月が口をはさんだ。
「僕が帽子屋と結婚するから、帽子屋が一生独身はあり得ないって、ね?」
「ッ三月嬢……!」
三月の言葉にフィシュさんは涙ぐみ、ハンカチで目頭を押さえる。その仕草に、帽子屋がこめかみに手をそえ、頭を痛そうにした。
「こ、こんな幼い少女にまで気遣わせるなんて……!」
いや、気遣いじゃなくて本音だと思います。
「前のようになれとは言いませんが、情けないですよ会長」
「もうお前帰りぃや……」
「心配してるのになんですかその言い方は。そもそも貴方がイーディス様と喧嘩さえしなければ私だってこんなに言いませんよ!」
彼の言葉に、心底うんざりとした表情をする帽子屋。ん? イーディ……なんだって?
聞き慣れない名前に、隣にいたヤマネくんにこっそり誰?と尋ねた。先ほどよりはいくらか目を開けているヤマネくんは、それでも眠たそうな声で
「…帽子屋の、元カノ…」
と、答える。ちょうど紅茶を飲んでいたわたしは、思いきり噴き出してしまった。
しかも紅茶がおかしなほうに入ったのか、盛大にむせた。咳き込むわたしの背を、ヤマネくんが撫でてくれる。
しばらくして落ち着いたわたしは、目尻に溜まった涙を拭きひとつ咳払いをした。
「そ、そうだよね、帽子屋は顔も家柄も良いんだもんね。恋人の1人や2人、20人や30人いてもおかしくないよね」
「いやそれはおかしいやろ。っちゅうか、ヤマネもややこしく言うな!」
そういえば前に女王様や三月も元カノがどうのこうのって言っていた気がする。
そうか、そのイーディス様とやらが弟にとられたという恋人のことか。
「せやから恋人ちゃう。親同士が勝手に決めた婚約者や」
「ああ婚約者……婚約者ァ!?」
――やっぱり貴族だったか帽子屋!
そんな風に感動したが、ふと違和感。そうだ、なんで喧嘩したんだろう。しかもその後弟の恋人とか……ちょっと笑えないぞ。昼ドラの予感がする。
「えーと、なんで喧嘩したかとか聞いても大丈夫?」
「……舌が合わんかった」
「は?」
意味が分からなく、抜けた声が出た。そんなわたしに、フィシュさんが説明をしてくれる。
「イーディス様はかなりの辛党なんです。一緒にお茶をした際に、甘党の会長と趣向が合わなく大喧嘩して婚約破棄。あんなに仲睦まじくしてらっしゃったというのに……」
ぶつぶつと文句を言うフィシュさんに、帽子屋は眉間にしわを寄せながらしゃあないやろ、と言った。
「だってあの人、紅茶にどっさり香辛料入れるんやで? 有り得へんやろ」
「砂糖菓子にコンデンスミルクをかける人に言われたくないですけどね」
紅茶に香辛料……、砂糖菓子にコンデンスミルク……。極端だ、極端すぎる!
つい想像したわたしは、口内がものすごく気持ち悪くなった。
「でも自分の婚約者が今は弟の……って、かなり複雑じゃない?」
レモンティーで口直しをしながら尋ねる。
「別にあの2人は仲良うやっとるしええんちゃう? ……俺とイーディスは時々喧嘩するけど」
するのか。ちょっと想像出来ないな。
「ですから会長! 社長に先越される前に貴方も婚約者を……!」
「お前ほんま帰りぃな、早よ仕事せぇ。俺はあと5、6年は独り身を楽しむで」
冷たく一蹴りする帽子屋。そんな彼の横で、三月がじゃあ僕17歳かー、と言っている。結婚する気満々か。
「……アリス?」
不意に、名前を呼ばれた。声に視線を向ければ、ヤマネくんが腕に顎をのせながら、上目でわたしを見る。
「えっ、なに?」
上目遣いの可愛さにときめきつつもそう聞き返せば
「笑ってるから」
「……わたし笑ってた?」
少年は頷く。確かに、頬が緩んでいたかもしれない。……平穏さに、安心して。
「元気、でたな」
独り言のように呟くと、ヤマネくんはその言葉に深追いはせず小さくそう、と言って淡く微笑んだ。