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第103話:ピュアハート




赤いドレスを更に赤く染めた少女に、わたしは開いた口が塞がらなかった。

しかし驚いたのはメアリも同じだったようで、彼女は目を見張ったまま女王様に駆け寄る。わたしは、動けなかった。

脳内で、あれはケチャップだあれはケチャップだ女王様はドジっ子で間違えてケチャップを浴びちゃったんだ、と必死に願う。


「な、なぜそのようなお姿に……!? 返り血をお嫌いな貴女が……」


返り血、という単語に希望を打ち砕かれたけれど。


「私だって好きでこんな格好になったわけじゃないわ」

「それならば」

「白うさぎを見てたのよ」


メアリの何故、という言葉に少女の声が重なる。わたしはその声に、言葉に、自分の心臓がひどく跳ねたのを感じた。

背中を冷や汗がつたう。逃げ出したい衝動がわたしを襲った。それでも、指先ひとつ動かせない。

ゴクリと唾を飲み込み、女王様を見つめる。


「……白うさぎ様、今誰かを……?」


メアリが尋ねるその言葉は述語をぼかしていて、だけど何を言いたいかは容易に理解できた。

少年の名前と血というキーワードが出てくるだけで、簡単に結びつけられる。

それはとても、悲しいことだと思った。


「そう。結構遠くから見学してたのに、こんなに汚れちゃったわ」

「白うさぎ様、今日様子がおかしかったですから……」

「3ヶ月に1度くらいあるのよね。特に今日はかなりきてたわよ」


肩をすくめて彼女はため息をつく。メアリの肩がわずかに揺れた。

……理由は、分からない。けれど、わたしが胸を痛めた理由とは違う気がした。


「今日は白うさぎに近付かない方がいいわよ。見境なくなってるから」

「……そう、ですか」


わたしのいる場所から、メアリの表情は見えない。だけどその声は、とても悲しみを帯びていた。

それでも、女王様はそんな彼女に気付かないのか、怖い怖いだなんて呑気に呟いている。


……分からない。白うさぎくんが今日何があったのかも、メアリが悲しんでいる理由も、女王様がそんな2人に疑問を持たないのも。


分からない。

分からない。

分からない。


分からないよ、わたしには。


――だって、そうでしょ?

白うさぎくんはあんな風に人を拒まない。メアリは白うさぎくんが殺戮快楽者ということ気に病んでいない。

女王様は……えーと、その、そんな鈍くない。……はず。

空気は読めないけど、鈍感ではないと思う。……たぶん。

あれ、自信ないぞわたし。

何とか根拠を探そうと頭を悩ませていると、女王様が不意に口を開く。


「ああもう、血が固まってきたわ。メアリ、バスタブにお湯をはってちょうだい。あと着替えも用意しておいてね」


その命令に、一拍おいてメアリは返事をした。丁寧にお辞儀して、彼女は陽の差す廊下から影へと駆けていく。

ああっ、ちょっと待ってメアリ! まだ女王様の根拠が見つかってない!


「い、いっちゃった」

「あらアリス。まだいたの」

「女王様ひどい!」


確かにずっと黙っていたけれども!

存在が空気だったけれども!

あまりに悲しくて膝をついてしまう。ハラハラと涙を流していたら


「あ、女王陛下……」


澄んだテノールがわたしの鼓膜を震わせた。

わたしはその可愛らしい声にバッと顔をあげ、後ろを振り向く。その首回しといったらそりゃもう、フクロウもびっくりの回転速度だ。


「あら、白うさぎ。もういいの?」

「はい、わりと満足しました」

「それは良かったわ。私は見事汚れちゃったけど」

「す、すみません。周りに目がいってなかったもので……」


赤く染まった手で、頬をかきながら苦笑する白うさぎくん。

まだ潤いを感じることができる鮮やかな血を見て、わたしは悪寒に肩を震わせた。

にわかに、少年の鮮血と同じ色をした瞳が、わたしに向く。


「お姉さん」


白うさぎくん……。


「いたんですか」


白うさぎくぅぅぅぅん!!


――え、なに!? わたしそんなに存在感薄い!?

触るな発言に続くその言葉に、わたしはショックにうちひしがれた。

この子たち、可愛い顔して中身はとんだ小悪魔ね……。



「あの、お姉さん」


恐る恐る、といったその声に、わたしは顔をあげた。


「……先程はすみませんでした。本当はあんなこと思っていません」


困ったように微笑む白うさぎくん。あんなこと、というのが何を指すかなんて、聞くまでもない。

――なんでだろう。

撤回してくれたのに、胸の痛みはおさまるどころか増す一方だ。

痛くて、苦しくて、辛くて、その赤に染まった彼に恐怖さえ感じる。


愛しいと、思ってるのに。



「……もう、止めてよ。こんな風に、誰かを殺さないで。女王様も、白うさぎくんも……」


だっておかしい。なんで人を殺して平然としていられるの? 普通はもっと罪の意識に苦しんで、罪悪感に蝕まれるものでしょう?

――おかしい、とか、普通、とか、……今更だけど。

わたしは床に座り込んだまま、膝の上で握り拳をつくった。それがわずかに震えていて、なんだか笑える。情けない。


「……アリス。私はこの国が好きよ」


凛とした声がわたしの鼓膜を刺激する。上から降りかかるそれに、わたしは顔をあげずに耳だけ傾けた。


「だからこの国の長として、国民の言うことは出来るだけ聞いてあげたいと思ってる。だけど、貴女は違うでしょう?」


問いかけにわたしは口を開いて、だけど出てきたのは言葉にならない吐息だけ。


「貴女はこの国の者じゃない。いつかは帰ってしまうのよ。言うだけ言って私達を変えて、それで時がきたらさようならは、あまりに無責任だと思わない?」

「ッ……それは」

「貴女がこの世界の者になるなら話は別よ。でも、違うでしょう? 貴女はいつか、帰るのでしょう?」


……返す言葉がない。

うつむいたままのわたしに女王様は更に追い討ちをかけるように言う。


「それと、流石に罪の無い人まで殺してないわよ。特に白うさぎはね。罪を犯した者にはそれ相応の罰が必要よ。たとえその罪が些細なものでも、はたまた残虐なものでも」


時々、私情も挟むけど。

少女はそう呟いて、ため息をひとつ吐き出した。

わたしはゆっくりと顔をあげる。目に映るのはまだ幼い少女。だけど、その姿は今まで見たどんな彼女よりも、気高かった。


「とにかく、話は終わり。私は貴女のこと気に入ってるから、本当は聞いてあげたいけど、そういうわけにもいかないからね」


そう一息で言って、女王様は背中を向ける。遠ざかる背中に、わたしはなにも言えなかった。

身体が冷えていくのは、きっと床が冷たいせいだけじゃない。


「お姉さん」


かけられた声に、振り向く。少年はわたしに手を差し出し、だけどその手が汚れていることに気付いたのか、苦笑してひっこめた。

さっさと腕をとれば良かったと後悔する。例え血まみれでも、その手を掴みたかった。

わたしが黙りこんでいると、少年は困ったように微笑んだまま、小さくすみません、とこぼした。


「……僕、まだ仕事が残っているので行きますね」


躊躇いがちに言い、彼は先ほど少女が去った方向へと足を向ける。



ーー待って。



その一言が、言えなかった。


みんな、みんな行ってしまった。陽の差さる廊下。なのに、こんなにも寒い。




「そんなところでうずくまったりして、何をしている」


聞き覚えのある声に振り返れば、そこには予想通りの人物が立っていた。

わたしと目が合うと彼は切れ長の瞳を更に鋭くさせ、顔をしかめる。


「ジャック……」


我ながら、覇気のない声だ。きっと今のわたしは、今までない以上に情けない表情をしているだろう。


「何だ、落ち込んでるのか?」

「べ、別にそういうわけじゃなくてただ」

「まぁお前のことだから、なんとなく予想はつくがな」

「人の話聞けよ」


勝手に話を進めるジャックに突っ込みをいれるが、悲しいことに彼は聞く耳持たず。


「どうせマヌケなこと言って伯爵に怒られたのだろう。お前は少々的の外れたことを言うことがあるからな。もっと空気読め」


気がつけば、わたしは立ち上がっていた。それにジャックが首を傾げる。


「む、なんだ? 足なんかあげて。ん? それを、俺の方に? ……って」

「空気読めねぇのはお前だァァァァ!!」

「ギャアー!」



落ち込んでるわりに全力で蹴れた自分を、褒めてやりたいと思った。



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