第101話:NIGHTMARE
†城事情編†
あの事件は、僕の人生最大の不幸であり、幸福でもある。
(ごめんね、白うさぎちゃん)
どうして、謝るの?
(ごめんね、本当にごめんね)
どうして、泣いてるの?
(こんな不甲斐ない私を許してくれ)
どうして、刃を僕に向けるの?
(ごめん、愛してるよ)
それならどうして、僕を殺そうとするの?
気がつけば、目の前は血の海。倒れてるのは愛してる人達。愛してた、人達。
驚いた貴方は泣いて僕を抱きしめる。
笑ってるのは、だれ?
「………嫌な夢」
夢だけでなく、目覚めも最悪だ。まるで底に落とされたような感覚で起きるなんて、不快以外のなにものでもない。
汗で湿った髪をかきあげ、僕は上半身を起こした。目覚めたばかりだというのに、嫌に頭が醒めている。
朝だというのに薄暗いのは、分厚いカーテンのせいじゃない。窓の外を見上げれば、鈍色の空が広がっているだけだから。
「久しぶりに見たな、この夢」
そう呟いて、僕は自分の手のひらを見る。
夢なのに、まだ肉の感触が残っている気がして。あの真っ赤な血が付いている気がして。
「……ちょっとまずい、かな」
僕は着替えながら、そう独り言をこぼした。
この夢を見るのは、初めてじゃない。あの日からずっと、まるで僕に忘れさせないようにと夢となって現れる。
そして夢を見たその日はいつも、僕の胸に赤と黒の欲求が渦巻くのだ。
普段以上に、血を浴びたくて仕方ない。
――今誰かを見たら、無差別に刃を向けてしまいそうだ。……別にそれでもいいのだけど。
伸びた髪を後ろで結び、今日の予定を思い浮かべる。
「陛下への報告だけか。良かった」
それなら、今日は部屋にこもっていよう。誰にも会わなければ、誰も傷つけない。
我慢する必要もなかったけれど、僕が返り血を浴びる姿を見る度に、あの人が悲しむから。
「らしくないなぁ」
苦笑いをもらして、僕は部屋を出た。
◇
「それでは」
「ええ、ご苦労様」
僕は陛下に一礼して、彼女に背を向けた。早く自室に行こう。本能が暴れる前に。
そう、思っていたのに。
「白うさぎ様っ」
聞き慣れた声に、ゆっくりと振り向いた。そこに立っていたのは、予想通りの人。
「なんですか、メアリ」
「は、はい。少しお顔の色が優れないので…」
不安げに眉をハの字にし、彼女は僕を覗きこんでくる。
顔には出していなかったのに、昔から彼女は鋭い。見過ごして欲しいことまで、気付いてしまう。
そう、いつだって。
「……大丈夫ですよ。心配、ありがとうございます」
お礼を言ったのに、メアリは一層表情を歪ませる。なんだか申し訳なくて、僕はすみませんと謝り、彼女から離れた。
「ッ、白うさぎ様!」
呼ばれたと気づいた時には、腕を掴まれていて。振り返れば、メアリが今にも泣きそうな顔をしている。
「我慢、しないで下さい。そんな苦しい顔をするくらいなら、私を斬って下さい。貴方のためなら命だって捧げます。ですから……」
「メアリ、分かってるでしょう」
「――ですが!」
「僕は貴女に、とても感謝してます。……貴女を斬ることはあり得ません」
メアリは口唇を噛み締める。僕は安心させるように彼女の額に小さくキスをして、今度こそ離れた。
話しかけてきたのが、メアリで良かった。もし他の誰かだったら……。
「白うさぎくんっ」
弾んだその声に、僕の心臓が大きくはねる。胸が熱くなるのをこらえて、視線を向ける。
そこには、今一番会いたくない人の笑顔。
「あ、あれ。なんか体調悪い……?」
そう言って、覗きこんでくるお姉さん。
笑わなきゃ。大丈夫だって、笑わなきゃ。作り笑いは、得意でしょう?
「……白うさぎくん?」
だけど、手が肌を切り刻みたいと震えてる。肌が鮮血を浴びたいと叫んでる。
常備しているナイフを取ろうとする気持ちを必死に抑え、僕は彼女から目をそむけた。
「大丈夫、です。すみません、僕急ぐので……」
「ちょっ、ちょっと待って」
「本当に平気ですから」
どうか気付かないでこの思いに。今だけは、放っておいて。
「でも…」
「ッ触らないで下さい!」
僕は伸ばされた手を片手で振り払った。広い廊下に痛々しい音が響き、それが更にその後の静けさを強める。
ハッとして彼女を見れば、お姉さんは悲しみでも怒りでもなく、ただただ驚いていた。
その青い瞳から涙は流れない。その小さな口から罵声は出てこない。
ただ、信じられないとでも言いたげに唖然としているだけ。
「……すみません」
それが耐えられなくて、僕は逃げるように彼女に背を向けた。
冷静になるように自分に語りかけながら、僕はひたすら長い廊下を歩く。それでも消えない、貴女のあの表情。
貴女は知らない。僕がどれだけ醜いか。
貴女は知らない。僕がどれだけ愚か者か。
貴女は知らない、僕を、知らない。そして僕も、貴女を知らないのだ。
ああ、いっそ酷いと怒ってくれたら。おかしいと責めてくれたら。
どうしたのと、笑ってくれたら
※NIGHTMARE…悪夢