ワーゲンバス
アメリカで通っていた語学学校は小さな大学の中にあって、そこに通う生徒はたいてい大学のドミトリー(寮)に入っていた。
そして食事はカフェテリア(通称カフェ)と呼ばれるセルフサービスの食堂で1日3食のほとんどを食べていた。
ブレックファーストが朝の7:30~9:00、ランチが昼の11:30~2:00、ディナーが夕方の5:00~7:00だった。
ただし土曜日と日曜日はブランチといって、9:30~1:00に朝食と昼食を兼用したものが出た。
その日は土曜日だったので、僕たち(僕と、僕の1歳上のノブ、2歳上のヒカル、25歳のようちゃんの4人)はカフェでブランチを食べていて、そしてそこで「今日はヒカルの車を見に行こう」という話をしていた。
ヒカルとようちゃんの2人は、夏のクラスを1ヶ月休んで、ドライブの旅を計画しているので、そのための車(中古車)を探しに行こうというわけだが、アメリカで中古車を見つけるにはいろいろなパターンがあって、一番お手軽だったのは、近所の家の庭先に「For Sale(売ります)」とプレートを貼って置いてある車を探すことだった。
その次に手軽なのは、当たり前だが、中古車ディーラーで探すことだ。
そして3つめは、中古車情報の雑誌を見て探すことだった。
中古車情報誌はいろんな場所で安く手に入るし、一度にたくさんの車を見ることができるので楽しいが、ただし販売エリアが広いので、目当ての車が見つかっても、それが車で1時間以上離れた店に置いてあることもあった。
僕は以前に、情報誌で車を見つけて、市内バスと長距離バスのグレイハウンドを乗り継ぎ、さらに1時間以上歩いてペンサコーラという街のディーラーまで行ったことがあった。
1980年型のポンティアック・ファイアーバードが4800ドルで売りに出ていたので見に行ったのだ。
そして、雑誌に出ていた住所をたよりにやっとの思いで店にたどり着き(アメリカは通りの名前で住所がつくので、同じ通りでも番地によっては何キロも離れてしまう)、さっそく探したが見当たらないので、ファイアーバードは何処か、と聞くと、あれはもう売れたよ、ということもあった。
僕はその後、学校近くのディーラーで同じ型の車を税込4000ドルで買うことができた。
ただ、僕はこの時はまだ運転免許を取れていなかったので(仮免許のみ)一人で自由に車を運転することはできなかった。
といっても、仮免許があったので、助手席に免許を持った人を乗せている場合は、公道を使って練習することは許されていた。そして、それをいいことに僕は仮免許のまま何ヶ月も運転していた。
そういうこともあって、この学校の小さな日本人社会では、僕はちょっとした問題児だった。
そして僕は僕と同学期に入学したグループからは、半ば見放され、距離を置かれていた。
ただ、僕より後の学期から来たグループは、わりあいに社会人経験者が多く、そんな僕でも「若いからしょうがない」という感じで受け入れてくれていた。(ヒカルたちもそうだった)
そして今日のヒカルの車探しは本当なら僕の車で行くこともできたが、そこは大人の判断で、歩いて行こうということになった。
中古車のディーラーは、ハイウェイに沿って続く側道に多く集まっていたので、僕たちは学校のある丘の上から、ハイウェイへと続く住宅地の下り坂を下りていった。
季節は6月の半ばで、日差しが相当強く容赦なく僕たちに照りつけた。
だから僕たちはその日差しを少しでも避けようと、街路樹の日陰を探して歩いていた。
「いいなぁ。もし私が男だったら、絶対一緒に行きたいな」
ブランチの時にはいなかったが、話を聞きつけて女の子のカオリも一緒に来ていた。
ヒカルとようちゃんは、旅費を節約するために、旅行中はできるだけ車で泊まる、と決めていた。
カオリが「男だったら」と言うのは、女だからそれはできない、ということだった。
「せっかくアメリカにいるんだから、買うんだったら絶対アメ車だよな。日本では絶対乗れないようなデカいやつにしなよ」
ノブが言った。
「でもアメ車は心配だし、故障のことを考えると日本車がいいのかもな」
ようちゃんが言った。
「どっちにするべかな」
ヒカルが言った。
神奈川出身のヒカルは、時々神奈川弁を使う。性格は明るくて、そして酔うとケンカっ早くなる。
ノブは東京出身で、アメリカに来る前は築地の魚河岸で働いていた。
ノブは見た目が長髪なので、一見チャラチャラしているように見られたが、実際は留学費用も自分で貯めるなど、本当は一番自立していた。
この中では一番年上のようちゃんは、広島出身で日本では東京で働いていたということだ。
そしてアメ車を乗り回していたそうだ。
しかし、日本で事故を起こしてからは、運転は控えているらしい。
紅一点のカオリは、僕と同じ19歳だが、高校卒業後はすぐに大きなデパートで働いていたので、浪人していた僕と比べるとずっと大人だった。
僕たちは、坂を下ってハイウェイまで来た。
そこには、車のディーラーがたくさん並んでいた。
大きな垂れ幕に$500とか$300とプリントされていていたので、僕は最初は車がそれくらいで買えるのかと勘違いしたが、リベートという文字が付いていて、正しくは$500とか$300を値引きするということだった。
リベートというと、日本人の感覚では賄賂という意味に思えるが、それだけではないらしかった。
僕は、やはり本場でないと分からないことがあるなと思った。
僕たちは立ち並ぶディーラーを一軒一軒見て回った。
新車がメインのディーラーなので、それほどの数の中古車は置いてなかったが、その中でも程度の良い車は値段が高いし、値段が安い車は程度も良くないので、選ぶのに苦労した。
ヒカルの予算は2000ドルだったので、あまりいい車は望めなかった。
その範囲の中では、どうしても10年落ちあたりの車に限られてしまう。
そして結果的に、これが欲しいという車を見つけることはできなかった。
僕たちは、しょうがなく、もと来た道を帰った。
学校まで来ると、ヒカルとようちゃんは「また別のところを当たってくる」と言って分かれた。カオリも「宿題が残っているから部屋に帰る」と言って分かれた。
僕とノブは、最近ハマっているテニスをすることにした。
ノブは卓球が得意で、毎日のようにディナーの後、僕と一緒にゲームコーナーで卓球をしたりビリヤードをしたりしていて、最近はもっぱらテニスをしていた。
僕たちがテニスコートにいくと、社会人出身のみかさんと健二さんがプレーしていた。
二人共テニスは大学時代にやってたそうで、トップスピンの打ち方が様になっていた。
みかさんは京都出身でバリバリの関西弁で話す。
以前、僕がミツバチに刺されて、それを自分でネタにして「これって保険きくかな」と言って笑っていると、「あんたオモロイな。吉本いったら」と言った人だ。
(留学生はほとんど日本でAIUなどの留学保険に入ってきているので保険ということに共通の認識がある)
健二さんは授業中以外は、ほとんど英語を話さない。基本的に無口だ。
しかし、来月に日本に帰ってしまうため、来学期が最後になってしまう。
一度酔った時に「最後の1ヶ月は爆発する」と言ったのは、無口だったそんな反省をふまえてのことだろう。
僕は、健二さんがどう爆発するのかを楽しみにしている。
そして、ノブやみかさんたちとテニスをしながらも、僕はヒカルたちがその後どうなったかと気になっていた。
だから、カフェのディナーで再びヒカルたちに会って、今度は僕の車で違う場所に連れて行って欲しいと頼まれたとき、僕は二つ返事でOKした。
今度は午前中とは反対の、丘の上の方を攻めようということだった。
僕たちは僕の車に乗り込み、丘の上へと続くエアポート・ブールバードという道を走った。
時間は7時だったが、サマータイムなのでまだまだ明るかった。
しばらく行くと、中古車のディーラーがぽつりぽつりと現れ始めた。
午前中と同じように僕たちはそれらを一軒一件車を停めては見て回った。
アメ車や外車などに混じって、マツダのRX-7やトヨタの古いセリカやスープラなどがあった。
スープラは僕が高校の時に憧れていた車だった。
僕は自分のファイアーバードよりスープラの方が良かったかなと思ったが、値段を見ると高かったのでどっちにしても買えなかったことが分かった。
日本車は中古車でも結構高いようだった。
それだけ信頼が高いのだろう。
「これにするべ」
ヒカルが言った。
ヒカルが指差していたのは、僕が初めて見る車で、ワーゲンバスという車だった。
その名の通り、バスの形をそのまま小さくしたような車だった。
運転席と助手席の後ろのスペースにはサイドにベンチがあり、人がのってもいいし、荷物を載せてもいいという感じだった。
外観は、正面にワーゲンのマークが大きく付いていて、全体では上半分が白、下半分がブルーでペイントされていた。
みんなの口ぶりから察すると、割合に有名な車なんだということが想像できた。
僕は、ヒカルはもっとスポーツタイプの車を選ぶと思っていたので、この車を選んだことは少し意外だった。
値段は2500ドルで、ヒカルの予算を500ドルオーバーしていたが、それでも選ぶところを見ると、かなり気に入ったのだろう。
ヒカルは試乗して、車の状態を確認したあと、小切手を払って車を手に入れた。
(僕たちはアメリカでは銀行に小切手口座を開き、まとまった金額を支払うときは小切手に金額を書いて支払っていた。安全のために現金はあまり持ち歩かないという社会だ)
ヒカルは試乗する時に、僕にも試乗してみるかと聞いたが、マニュアルだったので僕はやめておいた。
以前、僕は学校の中でマニュアルの車を練習した際に、あまりよく分からずに1速で走り続けて人の車をオーバーヒートさせた経験があった。
運転しているとボンネットから白い煙が出てきたので僕は驚いて車を止めて、煙が収まるまで待っていたのだが、学校の中を一周するだけの僕が全然帰ってこないので、この時は待っていた人たちはかなり心配したそうだ。
僕たちは2台の車に別れて乗って学校へ帰った。
僕たちが学校に帰ると、ヒカルの新しい車のことで話題が持ち切りになった。
車がとてもかわいいと評判だった。
僕は改めて、この車はよく知られている車なんだろうと思った。
茶髪のカズコは、日本のサーファーの彼氏も同じ車に乗っていると言った。
車についてひとしきり話が済むと、僕たちはいつものように夜の飲み会のためにスーパーマーケットにビールやドリトスなどのチップスを買いに行った。
今は、大学の正規の授業はもうすでに夏休みに入っていて、サマークラスを取っている数少ない学生以外は、学内には語学学校の生徒しかおらず、アメリカの学校でありながら生徒はほとんど日本人という状態になっていた。
住む寮も全員一箇所に集められていたので、ほとんど毎晩誰かの部屋に集まって日本人同士で飲み会を開くようになっていた。
どうせアメリカ人がいないのだったらもう他の日本人を避けたりせずに、みんなこの時期は割り切ってどっぷり付き合おうとい感じだった。
夜が更けるにつれて、この夜飲んでいるノブの部屋に人が集まり始めた。
やはり話題はヒカルの新しい車のことで、さらに旅行は何処に行くのかということに広がっていた。
午前中に一緒に車を見に行ったカオリも来ていた。
「ヒカルのバスはマニュアルだから俺には運転できないな」
と僕がヒカルの車の事を「ヒカルのバス」とずっと呼んでいると、そのカオリが僕に「ヒカルのバスじゃなくて車でしょ」とちょっと注意するように言った。
僕は一瞬なぜ注意されたのか分からなかった。
そして僕は、この夜楽しく飲みながらも、バスと言っちゃダメだったかなと少し気になっていた。




