第89話 vs鱗粉
新生物が爆発によって倒れた際、獄翼に肩に突き刺さっていた黒い脚は引き抜かれていた。
それまでの間、ずっと磔になっていた巨体が大地に崩れると同時。
コックピットの中で気絶していたアーガスが目を覚ます。
「う……」
軽い衝撃を覚え、頭を抱える。
そして彼は記憶を確かめ、気を失う前に何があったのかを思い出す。メラニーが爆発に巻き込まれたのと同時、新生物が一斉に足を延ばしてきたのだ。
装甲が薄いミラージュタイプである獄翼は、当然ながら避ける選択肢を取るべきである。だが、爆発的な加速力を生み出す飛行ユニットは無く、操縦経験も浅いアーガスにそれを避ける術は無かった。
結果的に、気付けば壁に磔にされていたと言う訳だ。
だが、それから解放されたのには疑問が残る。
見れば、自分たちを苦しめていた新生物は地面に転がってのた打ち回っていた。その昔、暇つぶしに見ていた刑事ドラマで毒薬を飲んだ被害者が苦しむ姿を思い出す光景である。
しかし、まさかこの新生物が毒で苦しんでいるわけではあるまい。
そんな推測を立てていると、アーガスは外にある変化が起きていることに気付く。
「これは……」
最初は雪かと思ったが、よく見れば違う。
雪の様な白ではない。敢えて言うのであれば、光の結晶だ。米粒よりも更に小さい。
「――――美しい!」
見惚れ、アーガスは呟く。
彼は誘われるかのようにしてコックピットのハッチを開き、外に出る。
そして両手を重ね、前に突き出した。
掌でできたお皿の上に、光の結晶が落ちる。直後、光が弾けた。
「おお!?」
突然のフラッシュに、反射的に顔を伏せた。
刺激を受けた瞳の痛みが引いてきた後、アーガスは改めて外を観察する。
どこからこの光が舞っているのかは分からない。
だが、少なくともこの頭上から降り注いできた光の雨が、新生物を苦しめているのであろうと言う確信があった。光をその身に浴びる度に新生物の身体が焼け始め、苦しんでいるからだ。
「う、ううん……」
「なっ!?」
冷静になって外を観察し始めたアーガスが、真後ろでもぞもぞと動き始める陰に驚いた。
後部座席に寝かせておいたスバル少年が起き上がったのである。
彼は軽く背伸びし、欠伸をしてからアーガスを見る。
「あれ? アーガスさん、なんでここに」
「スバル君。大丈夫なのかね!?」
凄まじい形相になって少年に詰め寄ってきた。
つんざく様な強烈な香水の匂いに鼻を抑えながらも、スバルは答える。
「な、なにが?」
「何がって、君。覚えていないのか?」
そこまで言われて、スバルは思い出す。
10分かそこいら前、巨人による超音波攻撃を受けたのだ。その音を聞いた後、新人類の仲間たちの心配をして、最終的に頭が割れるような激痛が襲いかかってきた。
あの痛みを思い出し、軽い眩暈が少年に襲い掛かる。
「あー……なんか思い出してきたかも」
額に手をやり、スバルはぼんやりと思い出す。
直前まで巨人に向けて引き金を引こうとしていたのも含めて、だ。そこまで頭が回り始めると、彼はようやく眠気が吹っ飛んだようで、逆にアーガスに問い始める。
「あ、あいつは!? 戦いはどうなったんだ!?」
「アレをみたまえ」
両肩に掴みかかった少年を外に導き、アーガスは指を向ける。
人差し指は、いまだに苦しみ続ける化物へと向けられていた。
「な、なんだあれ」
「巨人が進化した姿だ。お世辞にも美しいとは言えない姿だが、勢いは凄まじかった」
獄翼もダークストーカーも大破。
メラニーに至っては爆発に巻き込まれてしまった始末である。
そういえばスバル少年の目覚めに気を取られて忘れていたが、ダークストーカーに乗る姉妹は果たして無事なのだろうか。
ダークストーカーはコックピットが開いている為、恐らく無事なのだとは思うが。
アーガスは襟に仕込んだ折紙に口を近づけ、言葉を紡ぐ。
「各自、無事か?」
折紙から若干のノイズが響いた。
やや間をおいてから、凛と響いた女の声が返されてくる。
「司令官、こちらアウラです」
「おお、ダークストーカー。そちらのお姉さんの方は無事か?」
「はい。私も姉さんも脱出した後は壁の前で直接足止めに務めていました」
成程、生身であの気色悪い化物蜘蛛の相手をしていたのか。
道理で自分たちがやられた後、化物が街の中へ上がっていないわけだ。アーガスは勝手に納得すると、続けた。
「外の異変は見えてるね?」
「はい。でも、これなんでしょう」
客観的に見れば、綺麗な光の雪か雨といった感じだ。
だが、その一方で新生物を苦しませている。アウラやアーガスの目には、一種の毒薬に見えなくもない。
「私にもわからない。目覚めたときには、既に降っていた」
同時に、アーガスは思う。
まさかスバル少年の意識を覚醒させたのはこの光の結晶なのだろうか。
彼が起きたタイミングから考えても、ありえない話ではない。しかし、化物と人間で作用が違う結晶なんてあり得るのだろうか。これでは新生物用の殺戮兵器兼、人類の栄養剤である。
「だが、スバル君が目覚めた事を考えると、彼らも目を覚ましているのかもしれない」
「え、仮面狼さん目が覚めたんですか!?」
アウラがそう言うと、折紙に若干のノイズが走った。
それから数秒の間をおいてから、今度は姉の機械音声が響く。
『し、ししししし師匠! じじょう!』
「お、おう。師匠だ」
鼻水と涙が入り混じっているのであろう、機械音声の震え声に若干戸惑いつつもスバルは答える。
その声を確認すると、カノンはわんわん泣き始めた。
ノイズが走っているせいか、耳によろしくない。
弟子に申し訳なさを感じつつも、少年は耳を塞ぎながらアーガスに向けて問いかけた。
「メラニーさんは?」
「彼女は……壁の爆発に巻き込まれた」
英雄の表情が曇る。
彼はつい先ほどの悲惨な光景を思い出しながらも、続けた。
「ズームで確認したが、壁の上にいたメラニー嬢の姿は確認できなかった。消し飛んだか。あるいは壁の向こうに吹き飛ばされたか。どちらにせよ、彼女は無事ではないだろう」
冷たいようだが、彼女のスペックを知っている上司としてはそんな予想しか立てる事が出来ない。
メラニーは身体能力を鍛えてこなかった新人類だ。
単純に殴り合いで喧嘩になれば、最悪スバルにも負ける可能性がある。彼女は運動音痴なのもあり、あまり動くことを好まなかった。
そんな彼女が、あの位置で爆発に巻き込まれて生きている可能性は非常に小さい。もし生きていたとしても、無事では済んでいないだろう。
ところがどっこい、メラニーは無事だった。
アーガスが想像した通り、歩く事が出来ないくらいのダメージは負った。
しかし、目の前で化物がのた打ち回ってからやや経過した現在。
彼女の身体は、不思議なくらいぴんぴんしていた。
「お、おお……!」
両足で立てることに感動し、顔についた擦り傷が無くなっている事実に感謝する。
彼女は横でぽかん、としているマリリスへと向き直り、その両手を掴んだ。勢いのままぶんぶんと上下に揺さぶり、喜びを表現する。
「あ、アンタすっげーですよ!」
「は、はあ……?」
表現された感謝の意は、マリリスには伝わらない。
それもその筈。彼女は自分が何をしたのか、まるで理解していないのである。
張本人のマリリスよりも、完治したメラニーの方が状況をよく理解しているのだ。
「わかんないって顔してますね」
「……恥ずかしながら」
申し訳なさげな表情で、マリリスが俯く。
しかしメラニー。そんな彼女の顔を両手で掴み、無理やり前を向かせた。
「いいですか! これはすんごい能力です!」
「は、はい!」
妙に迫力のあるメラニーに気圧されるようにして、マリリスは頷いた。
「アンタの羽から飛び散っている鱗粉は、多分毒です」
「ど、どどどどど毒!?」
毒。その単語にいいイメージを持っている人間は、決して多くない。
それを摂取すれば人は死ぬのだ。子供だって知っている一般常識である。
「まあ、毒と言っても物の例えです。もしかすると、実際は細菌かもしれません」
「さ、細菌ですか!?」
どっちにしろ、あまりいいイメージではない。
傍から見ればとても幻想的な光の結晶だが、その正体が毒なり細菌だと言われたら非常にがっかりする。
というか、自分の身体の一部からそんな物が出ているとは思いたくない。
「そうです。奴の身体や病原菌を食い殺す細菌です」
もっとも適切な言葉を言い表せば、ウィルスの散布とも言えるのかもしれない。放たれた病原菌は新生物とその因子をターゲットとし、怪物に牙を剥く。
その一方で、人類の傷を治す。
説明している途中で、ふとメラニーは気づく。
「私の傷が治ったって事は、もしかすると音波にやられたお姉様も……!」
彼女はこの世でもっとも敬愛する女性の凛々しい表情を思い出しつつも、マリリスに背を向けた。
「ど、どこにいくんですか!?」
マリリスが声をかけるも、メラニーは振り返らない。
さっきまで歩けなかったのが嘘のように、彼女は病院へと走って行った。そのままどこかに飛んでいきそうな勢いすら感じられる。逆に言えば、ここまで元気に走り回れるのであれば、恐らく彼女の予想は正しいのだろう、とマリリスは無理やり己を納得させた。
だが、しかし。
この時、マリリスもメラニーも。果てには壁の向こうで状況を確認しあっているアーガスやスバル達もそうなのだが。
彼らは完全に失念していることがある。
相手は新生物なのだ。敵が現われれば、それに合わせて進化を繰り返してきた化物だ。
そんな彼が、細菌の付着でやすやすと自然死していくだろうか。
その問題に、否と答えるかのようにして咆哮が轟く。
マリリスは驚き、振り向いた。視線に映るのは、震えながらも起き上がる新生物。彼は細胞を変化させ、最初にトラメットに出現した時と同じ巨人の姿へと変化していた。
それでも、完全な耐性がついたわけではない。
巨人の身体に光の結晶が付着すると、その部分はどろりと溶けてしまう。
街娘と巨人の視線が、再び絡み合う。
思わず息を飲んだ。
彼女の喉が鳴るのに反応したのか、巨人が一歩を踏み出す。
大地が唸りをあげた。
ずしん、と響く強烈な踏込は小さなクレーターを作り上げ、巨人の身体を前へと押し出す。
巨人の腕が振り上げられた。狙うは、壁の上にいる天敵。
彼女の羽が己を追い詰めていることを理解しているのだ。
「ひっ――――!」
羽が生えたからと言って、マリリスに何が出来る訳でもない。
四肢がすべて元に戻った今、彼女には抗う術が無かった。反射的に叫びそうな悲鳴が、彼女の身体を中途半端に支えて離さない。
もうだめだ。直感的に、そう思った。
『させるかあああああああああああああああああああああ!』
少年の叫びが聞こえた。
その声に、ハッと我に返って顔を上げる。
獄翼が巨人に向かって体当たりをかましていた。
「あ」
巨人と共に獄翼が倒れ込む。
身体を張ったタックルを仕掛けた鋼の巨体に向け、マリリスは叫ぶ。
「スバルさーん!?」
機械のノイズが走る。
一瞬、耳を塞ごうかと思ったが、後から聞こえてきた少年の声がそれをさせなかった。
『マリリス! 無事か!?』
「す、スバルさんこそ……!」
数日前に国にやって来た、旧人類の反逆者。
メラニーからは音波を受けて昏睡状態に陥ったと聞いていたが、彼は見事に復活を果たしたのだ。
マリリスの羽から舞い上がる、鱗粉によって。
「よかった」
彼に向かって言いたいことは、色々とあった。
だが何よりも優先されて吐き出されたのは、この一言である。特に何か考えたわけではない。自然と口の中から紡ぎだされたのだ。
そんな彼女の安堵の溜息を、巨人はただ眺めていた。
彼は改めて天敵を見やり、観察する。そして一つの結論を導き出した。
あれは害を撒き散らすだけで、戦う術は何もない。
この黒い機械のように、抵抗することができない。無抵抗のまま目を閉じたのがその証拠だ。
巨人はその答えに辿り着くと、頭部に張り付いている結晶体をスライドさせる。
「え?」
割れるようにして開いた頭には、一つの穴が蠢いている。
その中から飛び出したのは、何本かの触手だった。触手は突撃してきた獄翼には目もくれず、真っ直ぐ天敵へと向かってとんでいく。
『しまった!』
『いかん、逃げるのだマリリス君!』
何時の間にか獄翼に搭乗していたアーガスが、マリリスに逃亡を促す。
本来ならこうしている間にも伸びる根を切り裂ければいいのだが、生憎獄翼は両腕とも貫かれて動かない。
倒れた体勢では、簡単に根を捕まえることは出来なかった。
英雄の言葉に背中を押され、巨人に背を向けるマリリス。
そのまま駆け出すが、彼女が走るよりも遥かに早く、根っこはマリリスの身体へと迫る。
『カノン、妹さん!』
「くっ、間に合わない!」
ダークストーカーから降りて身軽になったシルヴェリア姉妹も、壁の上で起こる逃走劇を見守るのが精一杯だった。壁の下にいる彼女たちでは、上るのに時間がかかるのだ。急ぎ、アウラがローラースケートを回転させて助走に入る。
彼女たちがモタついているのと同時、根がマリリスの首に触れた。
「ひぃ!?」
一瞬触れた、肌障りの悪いざらざらとした感触が少女を襲う。
思わず振り返ってしまった。蛇のようにうねりながらも、根っこがマリリスに向かってくる。その距離、僅かに数メートル。ちょっとでも走るのを緩めたら最後。
身体を貫かれるか、叩き落とされるかの二択だろう。
いずれかの光景を想像し、マリリスの表情が青ざめる。
再び正面を向き、走り出す。
すると、だ。正面から人影が見えた。
メラニーが戻ってきたのかと思ったが、違う。向こう側から向かってくる人影は三つあった。
「あれ?」
三つ。
その数にマリリスは心当たりがある。
まさか。彼らはまさか。
近づくにつれ、予感は確信へと変わった。
先頭に神鷹カイト。
その後ろに続くようにして、六道シデンと御柳エイジが走ってきている。
カイトが走りながら右手をかざし、マリリスへ叫ぶ。
「伏せろ!」
昨日、獄翼の中で倒れた青年の元気な声を聴いて、マリリスは心の底から安堵した。
少女は青年の指示に従い、迷うことなく身を伏せる。
直後、前方から風が吹いた。
空気が凝縮され、正面から走るカイトが疾風の槍を身に纏い、突撃。
危うく一撃がマリリスを貫く前に、根を切り刻んだ。
先端が切り裂かれたことで巨人が悲鳴をあげ、残りの根が回収されていく。
「おい、生きてるか」
真正面に立たれたのが分かる。
マリリスは伏せた顔を上げると、カイトに笑みを浮かべる。
「よかった。皆さんも無事だったんですね」
「そりゃあ、こんなナイスガイが簡単にくたばるわけがねぇだろ」
マリリスの一言に鼻を鳴らし、力こぶを作る事で余りある元気をアピールし始めるエイジ。正直、非常にむさくるしい。
「まあ、でも間に合ってよかった」
その横で涼しい顔をしていたシデンは、巨人に視線を向けた。
彼はにっこりと笑顔を作りながら言う。
「ボク、こう見えても結構根に持つタイプなんだよね。先にくたばってなくてよかったよ」
「おい、俺の獲物だぞ」
ニコニコ顔で物騒な事を呟くシデンに、カイトが言う。
彼らが意識を失う直前、巨人と戦っていたのはカイトだった。彼にしてみれば、再戦の権利は当然自分にあると思っているのだろう。
「折角骨がつながってるんだ。動いてるうちに俺にも殴らせろよ」
ところが、エイジも今回ばかりは譲る気が無いらしい。
ここまで仲良く走ってきた三人はお互いに顔を見合わせ、無言で抗議をし始めた。アイコンタクトによって行われる激しい議論が数秒程続くと、彼らは一斉に巨人へと注目。
先頭に立つカイトが怨敵を見下し、言う。
「みんな一緒で行くか」
「賛成!」
「よっしゃ! 腕が鳴るぜ!」
僅か数秒の間に何があったのか、彼らは一斉に牙を剥いた。
巨人にもたれ掛っている獄翼は眼中にないらしく、三人は爛々と目を輝かせながら壁を下り始める。
この間、マリリスはぽかんと口を開けたままだった。
『か、カイトさん!? 皆!?』
獄翼の中で彼らの復活を喜んでいたスバルの額に一筋の汗が流れる。
これはやばい。
彼らの目に、自分たちは映っていない。
このまま巨人の上で倒れていれば、巻き添えを食らってどんな酷い目に合うかわかったものではなかった。
生身で20メートル級の巨人に立ち向かうのか、というツッコミはない。
彼らがデタラメなのは、此処にいる全員がよく知っていた。
『待って! ストップ! お願い!』
スバル少年の悲痛な叫びがトラメットに木霊する。
しかしその懇願を彼らが聞き入れ、動きを止める事は無かった。




